よく考えれば原作の序文からして、アニメ版の竜児と大河のモノローグからして、もともと竜児と大河が運命の相手同士ということが示唆されていたので当然は当然。前半戦でことあるごとに櫛枝が2人のことを運命の相手同士であることを冷やかしていたりもしていたし。バイトの帰り道の2人のシークエンスがバカップルっぽい。
好き同士がそのことを薄っすら分かりあってる様は傍から見ると、微笑ましくもあり、ちょっとイラッとしたりするなぁ。大河の「普通に恋がしたい」のそのココロは恋人同士として竜児と出会いたかったということなんだろうなぁ、と。
竜児と櫛枝が付き合えば良いという、大河の櫛枝への優しさは竜児に告白を拒否されたときに竜司を失うことへの逃げであって、実際は櫛枝のためではなく。やっちゃんのために進学を諦め就職するという、竜児のやっちゃんへの優しさは今まで苦労をかけてきたやっちゃんへの気遣いのようでいて、その実は自分の将来への責任を回避しているということなんだろう。
第11話 「大橋高校文化祭【前編】」
この構造は今までに幾度と無く繰り返されていて、学園祭のエピソードで頑なに父親との対面を拒む、大河に半ば無理やりに父親と合うべきだと説き諭した竜児のその内実は父親と大河が一緒に暮らしたほうが良いという思いやり、大河への優しさではなく竜児自らがなしえない父親との邂逅の代替行為だったと思える。というか竜児自身、後半にそのことを認めている。
第3話 「君の歌」
この構造を目の当たりにすると、第3話「君の歌」のあるシークエンスが思い出される。休日も休み無く働く「蘇る勤労」のことをあれこれと詮索して「もしかして 金が必要な理由があるんじゃないか?」と大河に食い下がり質問を続ける竜司に対して大河は「そういう思い込み 捨てた方が良いよ」と切って捨てる。
一見素晴らしいことのように思える相手への思いやりというものが、その本当に意図するところは相手への思いやりというよりも自身のエゴでしかありえないということなんだろうか。それがたとえ意識的であろうと、無意識であろうと。
能登が後半執拗に大河の肩を持ち、大河と北村をくっつけようと色々と工作する。けれどその真意というのは一生懸命なタイガーへの友情ではなく、北村へ思いを寄せる木原に北村を諦めさせようという能登自身の自己防衛として捉えることも出来ます。ただこの場合、その時点で能登に好意があったかどうかが問題になりますが。
にしても、櫛枝と大河の中身が入れ替わってしまってるのが気になるというか。自分の傷を木原や香椎に見せびらかそうとするなんて、しかも駄洒落だかなんだかよく分からない口上のようなものを交えてするなんて。少なくとも大河はまるで別人になってる。大河のバレンタインに関する考え方が欧米っぽい。さすがミッション系出身!
大河の「大丈夫!」という言葉にやっちゃんを重ね合わせて母性をみていたりして、もう幸せラストじゃなきゃ、嘘だよなぁ。この「終わりの始まり」的な空気が耐えられないなぁ。切ない。
好き同士がそのことを薄っすら分かりあってる様は傍から見ると、微笑ましくもあり、ちょっとイラッとしたりするなぁ。大河の「普通に恋がしたい」のそのココロは恋人同士として竜児と出会いたかったということなんだろうなぁ、と。
竜児と櫛枝が付き合えば良いという、大河の櫛枝への優しさは竜児に告白を拒否されたときに竜司を失うことへの逃げであって、実際は櫛枝のためではなく。やっちゃんのために進学を諦め就職するという、竜児のやっちゃんへの優しさは今まで苦労をかけてきたやっちゃんへの気遣いのようでいて、その実は自分の将来への責任を回避しているということなんだろう。
第11話 「大橋高校文化祭【前編】」
この構造は今までに幾度と無く繰り返されていて、学園祭のエピソードで頑なに父親との対面を拒む、大河に半ば無理やりに父親と合うべきだと説き諭した竜児のその内実は父親と大河が一緒に暮らしたほうが良いという思いやり、大河への優しさではなく竜児自らがなしえない父親との邂逅の代替行為だったと思える。というか竜児自身、後半にそのことを認めている。
第3話 「君の歌」
この構造を目の当たりにすると、第3話「君の歌」のあるシークエンスが思い出される。休日も休み無く働く「蘇る勤労」のことをあれこれと詮索して「もしかして 金が必要な理由があるんじゃないか?」と大河に食い下がり質問を続ける竜司に対して大河は「そういう思い込み 捨てた方が良いよ」と切って捨てる。
一見素晴らしいことのように思える相手への思いやりというものが、その本当に意図するところは相手への思いやりというよりも自身のエゴでしかありえないということなんだろうか。それがたとえ意識的であろうと、無意識であろうと。
能登が後半執拗に大河の肩を持ち、大河と北村をくっつけようと色々と工作する。けれどその真意というのは一生懸命なタイガーへの友情ではなく、北村へ思いを寄せる木原に北村を諦めさせようという能登自身の自己防衛として捉えることも出来ます。ただこの場合、その時点で能登に好意があったかどうかが問題になりますが。
にしても、櫛枝と大河の中身が入れ替わってしまってるのが気になるというか。自分の傷を木原や香椎に見せびらかそうとするなんて、しかも駄洒落だかなんだかよく分からない口上のようなものを交えてするなんて。少なくとも大河はまるで別人になってる。大河のバレンタインに関する考え方が欧米っぽい。さすがミッション系出身!
大河の「大丈夫!」という言葉にやっちゃんを重ね合わせて母性をみていたりして、もう幸せラストじゃなきゃ、嘘だよなぁ。この「終わりの始まり」的な空気が耐えられないなぁ。切ない。
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