NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02006年010月023日(月)

2006-10-23 | 休み


 思い出作りに学校の野球を見に行く。当初の予定よりも参加人数が少なく、始めは3人。応援しまくる。そのせいじゃないんだろうが、競り勝つ。


 問題はそのあと。競り勝った後。野球部とブラバンとチアと応援団の一斉の壮行会。球場に行く前に買っておいてもらった花を渡す。一人の子が感極まってしまったのか泣いてしまわれた。軽い気持ちだったことに少しの後悔を覚えたが、それ以上に喜んでくれてたことにこちらももらい泣き寸前になった。
 野球部の子にも花を渡すが、当初渡すあの子は浮かない様子で、僕が代わりに渡せと仰ったが、僕が冷やかし混じりに背中を押して花を渡させた。彼は照れた様子でそれを受け取っていた。

 それにしても目の前で人が燃え尽きるのを見るのは、その熱の強さに自分自身が焼き尽くされてしまうかのような羨望を覚える。皆泣いていた。僕は泣けるほどのことをしてきていない。


 その後体育会の子達と別れて、喫茶店へ。そして一人と別れて新宿で飲む。何も食べずにお酒を飲む。下ネタを肴に。下ネタ!!下ネタ!!下ネタ!!本当に下ネタ!!ゼミ飲みでは決して出来ない下ネタ。下ネタ!!下ネタ!!

02006年010月021日(土)

2006-10-21 | 授業
CM犬が小沢代表と民主応援 「動物虐待」自民かみつく(朝日新聞) - goo ニュース


 どういう流れで、どういう口調で出た言葉であったのか。そこを押さえないといけないが、この記事だけ見ると、ついにキチャッタ感じだ。しかもこれ、嘘ニュースじゃない。

 犬連れて選挙活動するのも”痛い”(僕よりは全然痛くは無いが)のに、ほっとけばネットで叩かれただろうに、この人は自ら追い風を逆風にしちゃうんだ。

02006年010月020日(金)

2006-10-20 | 授業


 〇脇汗君が、脇汗君だけが、それも左側の脇汗君だけが出ていらっしゃった。

 〇朝からあの子に会えてハッピー

 〇昼飯は2310と。あの腰つきが、とか、ここには書けないようなことをのたまいらっしゃった。本人に聞かせたら終生口をきいてもらえない。

 〇またあの子と会えた。でも彼氏らしきのが。顔に資本たっぷりの超男前。メンノンのモデルのような。勝負する気はないけれど、完全に太刀打ちできない。おまけに頭も良さそうだし。気になって授業に集中できなかった。

 〇バイト先に行ってお給料をもらって、辞めてくる。後のバイトのあては無し。ブラックレーベルのトレンチは買えない。

02006年010月020日(金)

2006-10-20 | 授業


 まぁなによりも問題なのは僕がこういうのに向いていないと言うこと。一日働いただけで、蚯蚓腫れと切り傷が両腕に浮き上がってるし。大体が勤務中に散々メーワクをかけてたし。他の人が一人で持ち上げているものを僕は手伝ってもらってようやくと言った具合。要領が悪くて機械も使いこなせない。

 
 「役立たず!!」と小沢真珠さんに罵倒されるのは一向にOKというか、大歓迎なんですが、おっさんに言われると堪える。それも無言の内に含まれていると。


 それよりもこういう現場で驚いたのは、ガテン系と言うものが吾妻ひでお先生の『失踪日記』の描写に似ていたこと。人間関係とかそういうのがまるであの世界のまんま。ルポマンガと言うか、エスノグラフィーと言うか、自伝マンガなので当たり前と言えば当たり前だけど。

02006年010月020日(金)

2006-10-20 | 授業
 火曜日の授業で久々に良いノートが取れたのを忘れていたので、久しぶりに書いてみよう。


4時限 何故イギリスは奴隷を解放したか

    〇奴隷による暴動の頻発(ハイチ建国)
    〇奴隷自身による人権意識(?)の目覚め

     →奴隷管理のコストの上昇

    〇キリスト教教義と奴隷制度の撞着

     →反奴隷世論の高まり

    〇砂糖大根(Sugar beet)からの砂糖精製方法の確立

     →さとうきび(Cane)の需要が減少 
      ※さとうきびは熱帯の作物であったがために、熱帯に適していると言う理由で黒人がプランテーションで奴隷化される口実となった

    ⇒奴隷から契約労働者へ変化。新たに奴隷を輸入できなくなったために、東インド人と中国人を新たに契約労働者として向かいいれた。



    第二次大戦後国民国家の名の下にカリブ諸島では多くの国が独立を果たしたが、基幹産業に乏しく経済基盤が脆弱だった。また教育の不整備などによって未だに、困窮している。

     〇単品生産特化の弊害
      
      →単一の作物へその時々に生産を変えていったために、産業として確立されるまでには行かなかった。

     〇プランターのライフスタイル

      →プランターの多くは夫婦のみでプランテーションに赴き、子供たちはイギリスのパブリックスクールに預けた。そのために旧植民地地域へ先進の教育制度が導入されることが無かった。