NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02009年002月018日(水)思い返し

2009-02-18 | 休み
何で就職をしたんだっけとよくよく思い返してみると、就職失敗して漠然としたものはあったとしても、とくにしたいことも無く、計画性も無くどうしようかと思っていてふとスガシカオの「トップランナー」か雑誌のインタビューだかで「やりたいことが今無いなら、お金を貯めろ。飛ぶときにはお金が必要だ。」と言ってたからだということに思い至りました。

とりあえずお金を貯めるには働くのが一番手っ取り早く、そうすると手っ取り早いのがアルバイトで、だからバイトをしていたような。どうせバイトするなら少しは身になるものをということで出版系のバイトを探したけれどぼろぼろで最終面接(バイトで2次面接って…)がやっとで、仕方が無いから販売業。どうせなら知識が活かせて楽しそうなゲーム屋でバイトをすることになり。

そうしてアルバイトを始めたのだけれど、その面接のときは「就職活動をしているので週4日で」とか口走っていたので就職したかったみたいなんだけれど…バイトよりも手っ取り早くお金を稼げるから就職したかったのか、そもそも就職したかったのか良く分からない。


アマゾンで高評価だった就職活動本があって「これさえ買えばばっちり就職!」とか思い、注文すると待てど暮らせど気やしない。それどころか終には「絶版のためお取り扱い終了で、ごめんちゃい」とメールが来る。あぁーあこれで就職がとか思いながら、ヤフオクをのぞくとその本があり落札。で、手元にあるけれども最初の数十ページしか読んでない。

こんな中途半端だから就職も書類の段階で落ちるわけで、だからこそこのままじゃいけないと就活本を買って自己分析や自己PRの研鑽を積もうとか思って買ったのだけれど、どうにも読み進められず自己分析も自己PRも変わらず、良いなぁとか薄っすらと思っていた会社のこれなら自分でも出来そうと思えた求人に前のまんまの自己PR文添付で締め切りぎりぎりに送って、必然の帰着として残念メールが到着する。


あと25歳の壁。25歳までがボーダーラインだったんだなぁと。25歳を過ぎちゃうと急激に求人が激減する。8ヶ月もニートだし。そろそろバイトでもしようかしらん。本気でTOEIC800とって置けばよかった…

02009年002月017日(火)

2009-02-17 | 休み
『非婚同盟』面白いなぁ。中島丈博さんの脚本モノは『真珠婦人』、『牡丹と薔薇』も好きだったけれど毎回途中からといつも中途半端に観てますが、途中から見ても面白い。ストーリーが分からなくても、毎回山のシーンがあってそれがどれも過剰で面白いです。しかもどれも強烈で70歳過ぎた人の脚本なのかと思えるほどに過激で、過剰です。前2作が愛憎に溢れていたのに対して、ユーモアと激情がシュールに昇華されていてこちらの方が好みです。安心して観てられます。


この中島さんの脚本もそうなんですが『渡る世間は鬼ばかり』や『ありふれた奇跡』を観ていても感じるのがこの世代の人たちの脚本がいまのそれと全く違うこと。今の脚本は登場人物が”キャラクター”として自立した存在であるのに対して、中島丈博さんや山田太一さん、橋田壽賀子さんの脚本の登場人物は”キャラクター”じゃない感じがします。

例えば『相棒』なんかを観ると、杉下右京という自立した存在が言葉なり推理を発しているように感じられるのですが、『非婚同盟』の由起子さんとか『ありふれた奇跡』の加奈&翔太の台詞を聞くと、由起子さんや加奈&翔太がそれぞれ自立的に言葉を発しているというよりも、脚本家という1つの自我がそれぞれの”登場人物”を演じ分けているある種の一人芝居のような感じを抱きます。

”キャラクター”ではく”登場人物”でしかないから本から自立した存在になりえず、例えば同人誌みたいな二次創作が出来ないような感じ。『相棒』の同人誌は作れる(実際にBLモノであったりする)けれど、『ありふれた奇跡』の同人誌は多分作れないように思います。杉下右京みたいなその存在の根拠がデータベース的なものによれるのが”キャラクター”とすると、その存在の根拠が元の作品にしかなく、作品から乖離して存在できない加奈&翔太みたいなのは”登場人物”と定義できるのかなぁ。

なんかこういったこをどこかの本に書かれていたような気がするんだけれども…なんだったかな。



それにしても1月からやっていたのにもったいないなぁ。第1部の幼少期もかなりパンチが効いていて面白いらしいのでどうしようか。

02009年002月014日(土)今日

2009-02-14 | 休み
高校時代、女の子と付き合った経験とかが無い頃、彼女の居た友達に「○○(彼女の名前)って運命の人みたいなの?」と嫉妬半分からかい半分に聞いたことがあったのですが、そんなアホなぼくの質問に「いや、今は○○が最高だとは思うけれど、将来はわかんないし運命とかそういうんじゃ無い」と返されてしまいました。正直ぼくが期待したようなノロケとか照れとかではなくて、ずいぶんと冷静な返答に拍子抜けしました。

モテないと、ついユダヤよろしく選民思想というか、「自分には運命の人がいるから!」みたいなある種の、それもとても独りよがりで気持ちの悪い、運命論に帰してしまいがちなんですが、この言葉って凄いなと後々になって思いました。色恋だけに当てはまる話でもなくて、運命の人が、或いはモノやら何やらがあるんじゃなくて、出会った人なりモノなり何なりを受け入れるかどうかって言う問題でしかないんじゃないかなぁと。それを運命って言ったりするのかも知れません。

とか思っていたのですが、こんな日なのでちょこっと夢を見たくなり、手元にあった本のナイーブ過ぎる一文を引用したくなりました。フィクションの世界くらい夢を見たいものです。

「―この世界の誰一人、見たことがないものがある。
それは優しくて、とても甘い。
多分、見ることができたなら、誰もがそれを欲しがるはずだ。
だからこそ、誰もそれを見たことがない。
そう簡単には手に入れられないように、世界はそれを隠したのだ。
だけどいつかは、誰かが見つける。
手に入れるべきたった一人が、ちゃんとそれを見つけられる。

そういうふうになっている。」
(『とらドラ!』第一巻 序文)

『とらドラ!』第1話冒頭部分


最後の一文だけ違ってんだぁ。(追記)じゃなくて、中盤は文章が大分入れ替わってるんだなぁ。アニメ版の序文の方が収まりが良くて好きです。


なんか「チョコレート・ディスコ」を仕掛けようと満々のPerfume陣営せいかどうかは分かりませんが、なんとかのひとつ覚えのように街中でかかっていそうなので、今日は外に出るのは控えましょう。

02009年002月012日(木)聖夜祭

2009-02-12 | 休み
今回のエピソードは作品としてみると、ステージ上で繰り広げられた歌が(作品内では分からないけれども)実際の歌ではなくこのアニメオリジナルって言うのはどうなんだろう…とかそもそもあのステージは必要だったのかなぁ?何か引くなぁ、退屈だなぁと思わなくも無いですが、パーティー会場外で繰り広げられる後半のシークエンスは演出云々以前にモチーフ自体がパワーありすぎです。


 「竜児と櫛枝を取り持ち、それを見たくないから会場から身を引く大河という図式」は大河自体が言葉や表情等で表さないため正直分かりづらく、バトルマンガでいうところの説明役である川嶋が説明してくれないとその意図を解せません。
 けれども「竜児のことを好きということに大河自体が気付いていなかった」(大切ではあるという描写は頻繁にあったけれど)からこそ言葉にも表情にも現れず、結果そこへの大河自身の気付きから大号泣シーンに到るというのは合点が行きます。難しいけど凄いなぁ。

 竜児は徹底的に男前ですが、俯瞰してみるとやっぱりアニメなんかで典型的な「ハーレムの中の優柔不断男」という風に分類出来るほどに酷い優しさで。櫛枝が留守電を聴くシーンなんかでもしっかりとその酷さ描かれてます。さすがです。
 ただ何で櫛枝が大河の家(もしくは竜児の家)に向かったのか、まさか櫛枝に大河の気持ちを知らせるためだけのご都合イベントではないでしょうが、些か疑念を持ってしまいます。父親のスーツが何で在ったのかとかクマの着ぐるみとスーツを交換してくれたのは春田なのかとか色々謎です。




 失恋大明神は新OP&ED以降空気と化していますが、これからどうなるんでしょうか。新EDではついに大明神は姿を消していた通り、竜児を中心とした大河、櫛枝、川嶋のハーレム4角関係に成ってゆくんでしょうか。
 今更ですがタイトルロゴの4文字+エクスクラメーションマーク(!)が主要5人のキャラに対応していて、それが毎回のアイキャッチでそのエピソード内容を表現したりする人たちなのでそこまで考えているでしょうねぇ。



 恋愛自体を拒絶する形で、櫛枝が竜児を振ったことで竜児×大河的な展開はルートが拓かれたやも知れませんがどうなんでしょうか。

02009年002月007日(土)インサイト

2009-02-07 | 休み
ホンダ・インサイトの「ピーナッツ」を用いたティザー広告、「ホンダ グリーン マシーン」が素敵でずっと気にしてはいました。「ピーナッツ」を企業広告やノベルティなどに使う企業は昔からたくさんありましたが、結構残念なものが多かったように思います。今回のホンダのCMほど「ピーナッツ」っぽさをヴォイスキャストや全体の色合いに現れているのは今まで無かったなぁ、と感心しておりました。さすがはホンダ。






まぁ、出てきたインサイトは以前モーターショーに出展されていた通りのプリウスを少し小さくして、フロントグリルをホンダっぽくしたよく言えば誰にでも愛されうるデザインであり、悪く言えば癖の無い無個性な、それも全体のラインがライバル他社製に似ているという非常にがっかりなものではありましたが。

先代インサイトのリアがフルカウルというどうにも近未来的で、個性的な人を選ぶデザインが好きだので残念ですが、値段の高い夢の車ではなく、みんなが乗ることのできる現実的な価格帯、それも乗り換え需要まで期待しているような価格帯らしいのでしごく当然なデザインだなぁと。やっぱり2シーターは現実的じゃないし。


車自体よりも「ホンダ グリーン マシーン」というプロジェクトが凄いなぁ。CM自体が魅力的なのはもちろん「みんなが買えなきゃエコカーなんて意味が無い」というメッセージ性がきちんと表現されていて、それが189万円という価格を必然的に見せてくれます。福井社長のインタビューなどを見てもプロジェクト自体の方向性が共有されていて凄いです。



しかもインサイトは「グリーンマシーン1号」らしいのでこれからも続くみたいです。ということは「ピーナッツ」の面々の素敵なCMがまだ見れるみたいなので楽しみだなぁ。