二〇一七年三月十一日作。
(1)足音が廃人
(2)深く沈めた思い出が違う
(3)歩けそうですか脈がない
(4)わざとだろうか忘れる
(5)一度でいいから駄目です
(6)春のベンチで別人
☞「『里見さん』と呼んだ時に、美穪子は青竹の手欄に手を突いて、心持首を戻して、三四郎を見た。何とも云わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰の斧(おの)を指した男が、瓢簞(ひょうたん)を持って、滝壺の側(そば)に跼(かが)んでいる。三四郎が美穪子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるか殆ど気が付かなかった。『どうかしましたか』と思わず云った。美穪子はまだ何とも答えない。黒い眼をさも物憂そうに三四郎の額の上に据えた。その時三四郎は美穪子の二重瞼(ふたえまぶた)に不可思議なある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉の弛(ゆる)みがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美穪子の答えを予期しつつある今の場合を忘れて、この眸(ひとみ)の間に凡てを遣却した。すると、美穪子は云った。『もう出ましょう』眸と瞼の距離が次第に近づく様に見えた。近づくに従って三四郎の心には女の為に出なければ済まない気が萌(きざ)して来た。それが頂点に達した頃、女は首を投げる様に向うをむいた。手を青竹の手欄から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐ後から跟(つ)いて出た」(夏目漱石「三四郎・P.117~118」新潮文庫)
苦痛。疲労に充ちた苦悶。徒労に終わりそうなどす黒い憂鬱。ともすれば途切れてしまいそうになる緊張感。鬱病者の苦痛の描写に大変似ている。だが美穪子が鬱病者だというわけではまったくない。美穪子にその種の苦痛を与えているのは、直接的には三四郎の態度であり、しかし間接的に関係があるのは何だろうか。「これ」と特定できない何かだ。差し当たり美穪子を取り巻くすべての社会環境を精査してみる必要がある。漱石は、或る種の女性の中にも、近代日本の知識階級の中から生じてきた特有の苦悩をわざわざと分け与えている。漱石の嫌がらせではなく、漱石にとって女性は常に「他者」(価値観/振る舞い/思想/生き方などが異質に思える存在。知り得ない部分を常に持つ存在)だった。その限りで、作品中の女性の中でもひと際目立つ登場人物に、明確にそれと分かる「他者としての女性」を据えており、「近代知識人」が必然的に帯びざるを得なかった役割り=「苦悶/苦痛」を配している。
「二人が表てで並んだ時、美穪子は俯向(うつむ)いて右の手を額に当てた。周囲は人が渦を捲いている。三四郎は女の耳へ口を寄せた。『どうかしましたか』女は人込の中を谷中(やなか)の方へ歩き出した。三四郎も無論一所に歩き出した。半町ばかり来た時、女は人の中で留った。『此処(ここ)は何処(どこ)でしょう』『此方(こっち)へ行くと谷中の天王寺の方へ出てしまいます。帰り路とはまるで反対です』『そう。私心持が悪くって──』三四郎は往来の真中で扶(たすけ)なき苦痛を感じた。立って考えていた。『何処か静かな所はないでしょうか』と女が聞いた。谷中と千駄木が谷で出逢うと、一番低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。河は真直に北へ通(かよ)っている。三四郎は東京へ来てから何遍この小川の向側を歩いて、何遍此方側を歩いたか善く覚えている。美穪子の立っている所は、この小川が、丁度谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋の傍(そば)である。『もう一町ばかり歩けますか』と美穪子に聞いてみた。『歩きます』」(夏目漱石「三四郎・P.118~119」新潮文庫)
「橋」を渡る。「水」を介して空気が転回するシーン。さて、三四郎と美穪子の出会いは「池」を介してであった。その意味で美穪子は漱石作品に多く登場する「水の女」の一人であることは確かだ。
「二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路次の様な所を十間程行(い)き尽して、門の手前から板橋を此方(こちら)側へ渡り返して、しばらく河の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である。三四郎はこの静かな秋のなかへ出たら、急に饒舌(しゃべ)り出した。『どうです具合は。頭痛でもしますか。あんまり人が大勢いた所為(せい)でしょう。あの人形を見ている連中のうちには随分下等なのがいた様だから──何か失礼でもしましたか』女は黙っている。やがて河の流れから、眼を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはっきりと張りがあった。三四郎はその眼付で半ば安心した。『有難(ありが)とう。大分好くなりました』と云う。『休みましょうか』『ええ』『もう少し歩けますか』『ええ』『歩けば、もう少しお歩きなさい。此処は汚ない。彼処(あすこ)まで行くと丁度休むに好い場所があるから』『ええ』一丁ばかり来た。又橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大股(おおまた)に歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の眼には、女の足が常の大地を踏むと同じ様に軽く見えた。この女は素直な足を真直に前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。従って無暗に此方(こっち)から手を貸す訳に行かない」(夏目漱石「三四郎・P.119~120」新潮文庫)
「向うに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつく処まで来て留った。『美しい事』と云いながら、草の上に腰を卸した。草は小川の縁に僅かな幅を生えているのみである。それすら夏の半(なかば)の様に青くはない。美穪子は派手な着物の汚れるのをまるで苦にしていない。『もう少し歩けませんか』と三四郎は立ちながら、促す様に云ってみた。『有難う。これで沢山』『やっぱり心持が悪いですか』『あんまり疲れたから』三四郎もとうとう汚ない草の上に坐った。美穪子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな河が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒(せきれい)が一羽とまった位である。三四郎は水の中を眺めていた。水が次第に濁って来る。見ると河上で百姓が大根を洗っていた。美穪子の視線は遠くの向うにある。向うは広い畠(はたけ)で、畠の先が森で森の上が空になる。空の色が段々変わって来る。ただ単調に澄んでいたものの中(うち)に、色が幾通りも出来てきた。透き徹(とお)る藍(あい)の地が消える様に次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。何処で地が尽きて、何処で雲が始まるか分らない程に嬾(ものう)い上を、心持黄な色がふうと一面にかかっている。『空の色が濁りました』と美穪子が云った。三四郎は流れから眼を放して、上を見た。こう云う空の模様を見たのは始めてではない。けれども空が濁ったという言葉を聞いたのはこの時が始めてである」(夏目漱石「三四郎・P.120~121」新潮文庫)
「向うは広い畠(はたけ)で、畠の先が森で森の上が空になる。空の色が段々変わって来る。ただ単調に澄んでいたものの中(うち)に、色が幾通りも出来てきた。透き徹(とお)る藍(あい)の地が消える様に次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。何処で地が尽きて、何処で雲が始まるか分らない程に嬾(ものう)い上を、心持黄な色がふうと一面にかかっている。『空の色が濁りました』と美穪子が云った」、とある。或る世界からまた別の世界への移動。移動にはしばらく時間がかかっている。境界線は思いのほか幅が広い。カフカの場合、登場人物が境界線を越える時、もっと自由自在に一挙に場面を変えてみたり、逆に長々と引き延ばしてみたりしていて、より一層モダンな資本主義社会に近い。が、とりあえず漱石作品からそっくりのケースを引いておこう。
地上から地下への移動。
「不安に追い懸けられ、不安に引っ張られて、已(やむ)を得ず動いては、いくら歩いてもいくら歩いても埒(らち)が明く筈がない。生涯片付かない不安の中を歩いて行くんだ。とてもの事に曇ったものが、一層(いっそ)段々暗くなってくれればいい。暗くなった所を又暗い方へと踏み出して行ったら、遠からず世界が闇暗くなって、自分の眼で自分の身体が見えなくなるだろう。そうなれば気楽なものだ。意地の悪い事に自分の行く路は明るくなってもくれず、と云って暗くもなってくれない」(夏目漱石「坑夫・P.8」新潮文庫)
「前に云った通り自分の魂は二日酔(ふつかえい)の体(てい)たらくで、何処までもとろんとしていた。ところへ停車場(ステーション)を出るや否や断りなしにこの明瞭な──盲目(めくら)にさえ明瞭なこの景色にばったり打(ぶ)つかったのである。魂の方では驚かなくっちゃならない。又実際驚いた。驚いたには違いないが、今まであやふやに不精々々に徘徊(はいかい)していた堕性を一変して屹(きっ)となるには、多少の時間がかかる。自分の前(さき)に云った一種妙な心持ちと云うのは、魂が寝返りを打たないさき、景色が如何(いか)にも明瞭であるなと心附いたあと、──その際(きわ)どい中間に起った心持ちである。この景色は斯様(かよう)に暢達(のびのび)して、斯様に明白で、今までの自分の情緒(じょうちょ)とは、まるで似つかない、景色のいいものであったが、自身の魂がおやと思って、本気にこの外界(げかい)に対(むか)い出したが最後、いくら明かでも、いくら暢(のん)びりしていても、全く実世界の事実となってしまう。実世界の事実となると如何な後光(ごこう)でも有難味(ありがたみ)が薄くなる。仕合せな事に、自分は自分の魂が、ある特殊の状態に居た為──明かなりと感受する程の能力は持ちながら、これは実感であると自覚する程作用が鋭くなかった為──この真直な道、この真直な軒を、事実に等しい明らかな夢と見たのである。この世でなければ見る事の出来ない明瞭な程度と、これに伴う爽涼(はっきり)した快感を以て、他界の幻影(まぼろし)に接したと同様の心持になったのである。自分は大きな往来(おうらい)の真中に立っている。その往来は飽くまでも長くって、飽くまでも一本筋に通っている。歩いて行けばその外(はずれ)まで行かれる。慥(たしか)にこの宿(しゅく)を通り抜ける事は出来る。左右の家は触(さわ)れば触る事が出来る。二階へ上(のぼ)れば上る事が出来る。出来ると云う事はちゃんと心得ていながらも、出来ると云う観念を全く遺失して、単に切実なる感能(かんのう)の印象だけを眸(ひとみ)のなかに受けながら立っていた」(夏目漱石「坑夫・P.49~50」新潮文庫)
「その山は距離から云うと大分(だいぶん)ある様に思われた。高さも決して低くはない。色は真蒼(まっさお)で、横から日の差す所だけが光る所為(せい)か、陰の方は蒼(あお)い底が黒ずんで見えた。尤もこれは日の加減と云うよりも杉檜(すぎひのき)の多い為かも知れない。ともかくも蓊鬱(こんもり)として、奥深い様子であった。自分は傾(かたぶ)きかけた太陽から、眼を移してこの蒼い山を眺めた時、あの山は一本立(いっぽんだち)だろうか、又は続きが奥の方にあるんだろうかと考えた。長蔵さんと並んで、段々山の方へ歩いて行くと、どうあっても、向うに見える山の奥の又その奥が果しもなく続いていて、そうしてその山々は悉(ことごと)く北へ北へと連なっているとしか思われなかった。これは自分達が山の方へ歩いて行くけれど、只行くだけで中々麓(ふもと)へ足が届かないから、山の方で奥へ奥へと引き込んでいく様な気がする結果とも云われるし、日が段々傾(かたぶい)て陰の方は蒼い山の上皮(うわかわ)と、蒼い空の下層(したがわ)とが、双方で本分を忘れて、好い加減に他(ひと)の領分を犯し合ってるんで、眺める自分の眼にも、山と空の区画が判然(はんぜん)しないものだから、山から空へ眼が移る時、つい山を離れたと云う意識を忘却して、やはり山の続きとして空を見るからだとも云われる。そうしてその空は大変広い。そうして際限なく北へ延びている。そうして自分と長蔵さんは北へ行くんである」(夏目漱石「坑夫・P.51」新潮文庫)
男女二人だけでの移動。地理的な場所は変わらない。変わるのは空気だ。従ってその場で用いられる言葉の「意味/価値」が変化する時点に注目したい。そこだけが「切り離され」る。
「雨は依然として、長く、密に、物に音を立てて降った。二人は雨の為に、雨の持ち来す音の為に、世間から切り離された。同じ家に住む門野からも婆さんからも切り離された。二人は孤立のまま、白百合の香(か)の中に封じ込められた」(夏目漱石「それから・P.231」新潮文庫)
三四郎に戻ろう。
「気が付いて見ると、濁ったと形容するより外に形容のしかたのない色であった。三四郎が何か答えようとする前に、女は又言った。『重い事。大理石(マーブル)の様に見えます』美穪子は二重瞼を細くして高い所を眺めていた。それから、その細くなったままの眼を静かに三四郎の方に向けた。そうして、『大理石(マーブル)の様に見えるでしょう』と聞いた。三四郎は、『ええ、大理石(マーブル)の様に見えます』と答えるより外はなかった。女はそれで黙った。しばらくしてから、今度は三四郎が云った。『こう云う空の下にいると、心が重くなるが気は軽くなる』『どう云う訳ですか』と美穪子が問い返した。三四郎には、どう云う訳もなかった。返事はせずに、又こう云った。『安心して夢を見ている様な空模様だ』『動く様で、なかなか動きませんね』と美穪子は又遠くの雲を眺め出した。菊人形で客を呼ぶ声が、折々二人の坐っている所まで聞える。『随分大きな声ね』『朝から晩までああ云う声を出しているんでしょうか。豪(えら)いもんだな』と云ったが、三四郎は急に置き去りにした三人の事を思い出した。何か云おうとしているうちに、美穪子は答えた。『商売ですもの、丁度大観音の乞食と同じ事なんですよ』『場所が悪くないですか』三四郎は珍しく冗談を云って、そうして一人で面白そうに笑った。乞食に就て下した広田の言葉を余程可笑しく受けたからである。『広田先生は、よく、ああ云う事を仰(おっし)ゃる方なんですよ』と比較的活溌(かっぱつ)に付け加えた。そうして、今度は自分の方で面白そうに笑った。『なるほど野々宮さんの云った通り、何時(いつ)まで待っていても誰も通りそうもありませんね』『丁度好いじゃありませんか』と早口に云ったが、後で『御貰をしない乞食なんだから』と結んだ。これは前句の解釈の為めに付けた様に聞えた」(夏目漱石「三四郎・P.121~123」新潮文庫)
「場所が悪」かった。大勢の物見客でごった返すような場所ではいけないのだ。こうして「橋」を渡って「水」をまたいで別の場所へ、差し当たり何らこれといった雑音のない白紙の場を準備してから改めて、でなければならない。そして美穪子の愉快な皮肉が炸裂する。「御貰をしない乞食」。世話がやける。手間がかかる。面倒くさい。しかし本音のところではまだその気がよく知れない。知らせないふりをしても見せる。要するにずるい。三四郎のことだ。
「ところへ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の影から出て、何時の間にか河を向うへ渡ったものと見える。二人の坐っている方へ段々近付いて来る。洋服を着て髯(ひげ)を生やして、年輩から云うと広田先生位な男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美穪子を睨(にら)め付けた。その眼のうちには明かに憎悪の色がある。三四郎は凝(じっ)と坐っていにくい程な束縛を感じた。男はやがて行過ぎた。その後影(うしろかげ)を見送りながら、三四郎は、『広田先生や野々宮さんはさぞ後で僕等を探したでしょう』と始めて気が付いた様に云った。美穪子は寧ろ冷(ひやや)かである。『なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの』『迷子だから探したでしょう』と三四郎はやはり前節を主張した。すると美穪子は、なお冷やかな調子で、『責任を逃れたがる人だから、丁度好いでしょう』『誰が?広田先生がですか』美穪子は答えなかった。『野々宮さんがですか』美穪子はやっぱり答えなかった。『もう気分は宜くなりましたか。宜くなったら、そろそろ帰りましょうか』美穪子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰を又草の上に卸した。その時三四郎はこの女にはとても叶(かな)わない様な気が何処かでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴う一種の屈辱をかすかに感じた」(夏目漱石「三四郎・P.121~123」新潮文庫)
「洋服を着て髯(ひげ)を生やして、年輩から云うと広田先生位な男」から見て、明らかに異質な存在と化している三四郎と美穪子。たった今上げた「それから」では、「二人は孤立のまま、白百合の香(か)の中に封じ込められた」、という構造を取る。しかし美穪子から見て、「責任を逃れたがる人」、とは誰か。「三四郎はこの女にはとても叶(かな)わない様な気が何処かでした」。
美穪子は三四郎をよく見抜いている。例えばこんなふうに。次の文章は「代助」による自己分析である。
「彼は元来が何方(どっち)付かずの男であった。誰の命令も文字通りに拝承した事のない代りには、誰の意見にも露(むき)に抵抗した試(ためし)がなかった。解釈のしようでは、策士の態度とも取れ、優柔の生れ付とも思われる遣口(やりくち)であった。彼自身さえ、この二つの非難の何(いず)れかを聞いた時、そうかも知れないと、腹の中で首を捩(ひね)らぬ訳には行かなかった。然しその原因の大部分は策略でもなく、優柔でもなく、寧ろ彼に融通の利く両(ふた)つの眼が付いていて、双方を一時に見る便宜を有していたからであった。かれはこの能力の為(ため)に、今日まで一図に物に向って突進する勇気を挫(くじ)かれた。即(つ)かず離れず現状に立ち竦(すく)んでいる事が屢(しばしば)あった。この現状維持の外観が、思慮の欠乏から生ずるのではなくて、却(かえ)って明白な判断に本(もとづ)いて起ると云う事実は、彼が犯すべからざる敢為(かんい)の気象を以て、彼の信ずる所を断行した時に、彼自身にも始めて解ったのである」(夏目漱石「それから・P.251~252」新潮文庫)
だから三四郎は、「自分の腹を見抜かれたという自覚に伴う一種の屈辱をかすかに感じた」のだ。