白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

自由律俳句──二〇一七年三月十三日(1)

2017年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇一七年三月十三日作。

(1)いたましい記憶を坂道

(2)避難するしか西行

(3)絵の具になったゴッホのまごころ

(4)米軍だけが悪いのか沖縄の正直

(5)裁判員激怒させて静かに死ねそうな独房

(6)月に一度月に痛む人間

☞「『弁証法的』な《死》は外部から課せられた単なる終末や限界以上のものである。《死》が《否定性》の『現われ』の一つであるならば、周知のように、《自由》もまたその一つである。したがって、《死》と《自由》とは唯一にして同一のものの(『現象学的』な)二つの側面であるにすぎず、そうである以上、『死すべき』と述べることは『自由な』と述べることであり、その逆もまた真であることになる。ヘーゲル自身現にこの点を繰り返し主張しており、ことに『自然法論』(一八〇二年)の一節においてそれは顕著である」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.331」国文社)

「彼は次のように述べている。──†この否定的な或いは否定する《絶対者》、純粋な自由は、その現われにおいては死であり、死の能力によって《主体》〔=《人間》〕は自由にしてすべての束縛の上に絶対的に高められたものとして自己を証示する†──『形而上学的』次元においてこれがまったく正鵠を得ていることは容易に見て取れる。所与《存在》がその全体において限定されているならば(さもなければどのような《学》も《真理》もないであろう)、この所与存在は、その全体によって、その部分となっているものすべてを限定している。したがって、《存在》から逃れえぬような存在者はそれ自身の宿命を逃れえぬであろうし、それが《コスモス》の中に占めている場において、そしてその場により決定的に固定されているであろう。或いは換言するならば、死ぬことができず永遠に生き続けねばならないのであるならば、《人間》は神の全能の支配を免れることができないであろう。だが、もしみずから自己に死を与えうるならば、人間は自己に課せられたどのような運命といえども拒否することができるようになる。なぜならば、そのとき人間は現存在することをやめることによって運命を耐え忍ばなくてすむからである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.332」国文社)

「『現象学的』次元に移行すると、自殺、すなわち『生命的必然性』のない自発的な死は、《否定性》や《自由》を最も明白に『顕在化せしめるもの』となる。なぜならば、《生物的に》適応している所与の状況を免れるために自殺すること、これは(今度もそこで《生きる》ことができる以上)、この状況に対する自己の独立性、すなわち自立性や自由を顕在化せしめることだからである。自殺により所与の《どのような》状況からも逃れることができる以上、我々はヘーゲルとともに、『死の能力』は(少なくとも潜在的には)所与一般に対する『純粋な自由』或いは絶対的な『自由』の『現われ』であると言うことができる」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.332」国文社)

さて、ヘーゲル読解の中でコジェーヴもまた「自由」について論じる上で避けて通ることのできない「自殺の自由」について述べた。たった今上げた部分がそれに相当すると見てよい。さらにコジェーヴは原注を付して、このヘーゲルが課した問題についてドストエフフキーは「悪霊」で再び取り上げていると記している。

「ヘーゲルのこの主題はドストエフスキーにより『悪霊』の中で再び取り上げられている。キリーロフはただ『どのような必然性もなく』、すなわち《自由に》自殺する可能性を証明するためにのみ自殺しようとする。彼の自殺は人間の絶対的な自由、すなわち人間の《神》からの独立を証明するはずのものである。ドストエフスキーの有神論的反論の主旨は、人間はそれができず死に直面すると否応なくたじろぐ、というものである。キリーロフはそれができぬ恥のために自殺する。だが、『恥による』自殺もまた《自由》な行為である(どのような動物もこれはできない)わけで、この反論は有効ではない。自殺することでキリーロフが無化するならば、彼はみずから望んだように『時期尚早に』、死期が『書かれる』前に死ぬことで(『超越者』という)外的なものの全権能を廃棄したことになり、《神》或いは、無限性を制限したことになる」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.356~357」国文社)

以下、ドストエフスキー「悪霊」から次の部分を集中的に引用しておこう。

「彼はまず自分の下宿に寄って、急(せ)く様子もなく、几帳面(きちょうめん)にトランクの荷造りをした。朝の六時に急行列車が出るはずだった。この朝の急行列車は週に一度出るだけで、ごく最近、さしあたりは試運転の形で増発されることになったのだった。ピョートルは《同志たち》には、ちょっとの間、郡部のほうへ行ってくるからと言ったけれど、後に判明したところによると、彼の意図はまったく別であった。トランクの荷造りをすますと、彼は、あらかじめ予告しておいたとおり下宿の主婦に勘定を払い、駅の近くに住んでいるエルケリのもとへ辻馬車(つじばしゃ)を走らせた。そうしておいてから、もう深夜の一時に近いころ、キリーロフのもとへ向い、今度もまたフェージカの秘密の通路の中に忍びこんだ」(ドストエフスキー「悪霊・下・P.423~424」新潮文庫)

「ピョートルの精神状態は最低だった。いろいろと重大な不満は別としても(彼はいまだにスタヴローギンの消息を何ひとつ探り出せなかった)、彼は、どうやら、──というのは確言できないからだが、──その日のうちにある方面から(おそらくペテルブルグからだろう)、自分の身に迫りつつある何かの危険について秘密の通知を受けたらしい。むろん、このころのことについては、町ではいまだに伝説めいた噂(うわさ)がいろいろと伝わっている。そして、何か確実な情報といったものがあるとすれば、それに通じているのは、その筋の者だけであろう。しかし、私自身の考えを言わせてもらうなら、ピョートルはこの町以外でも何かの事件に関係していたはずであるし、その手づるから何かの情報を入手できる立場にいたことはたしかだと思う。私は、リプーチンのシニカルな、絶望的な疑念にもかかわらず、彼はこの町以外にも、たとえば両首都などに、二、三の五人組をもっていたに相違ないと確信しているくらいである。五人組とまでいかなくても、ある種の連絡、情報網を、──それも、おそらくは、きわめて常識はずれなものをもっていただろうことは疑いない。彼が出発して三日とたたないうちに、この町には、即刻彼を逮捕せよという命令が首都から届いた、──いかなる容疑によってであったか、つまりこの町の事件のためか、ほかの件でか──それは私にはわからない。この命令が届いたのは、おりから、神秘的で意味深長な大学生シャートフ殺害事件──この町のでたらめな事件のクライマックスをなした殺人事件と、この事件にともなう数々の謎(なぞ)めいた諸事情が発覚した直後のことで、それだけに、町の当局者や、それまでいっこうに軽薄な態度を改めようとしなかった社交界を一挙に愕然(がくぜん)とさせた、ほとんど神秘的ともいえる恐怖感をひとしお強める結果になったのはいうまでもない。しかし命令は手おくれだった。ピョートルはもうそのころには、早くも変名を使ってペテルブルグに来ており、事態を嗅(か)ぎつけると、たちまち外国へ逃げだしてしまった──もっとも、私はひどく先まわりしたようである」(ドストエフスキー「悪霊・下・P.424~425」新潮文庫)

「彼は、いどみかからんばかりの憎々しげな顔つきでキリーロフのところへはいっていた。肝心の用件以外のことでも、キリーロフに対して個人的な鬱憤(うっぷん)をぶちまけ、癇癪(かんしゃく)を破裂させようとしている観があった。キリーロフは彼の訪問にほっとしたらしかった。ずいぶん長いこと、病的なくらいじりじりしながら、彼を待ち受けていた節が見えた。彼の顔はいつもより青白く、黒い目は妙に重く据わっていた。『もう来ないと思ってました』彼はソファの端にすわったまま、重々しく声をかけたが、出迎えに立つ気配は見せなかった。ピョートルは彼の前に立って、ひと言も言わぬ先から、じっと彼の顔に見入った。『つまり、万事順調、ぼくらの決意にはなんの変りもないというわけですね、立派なもんだ!』彼は相手を小ばかにしたような保護者然とした微笑を浮べた。『まあ、いいでしょう』彼はいやらしい冗談めかした口調でつけ加えた。『来るのが遅かったからって、きみが不平をこぼす筋合いでもないでしょう。きみに三時間進呈したわけだから』『きみから余分な時間の贈物、ぼくはほしくないですね、いや、きさまにそんな贈物はできないぞ──ばか!』『なんだって?』ピョートルはびくりと体をふるわせたが、すぐさま自分を抑えた。『たいした怒りんぼですね!いや、ぼくらはかっとなってやるわけじゃないでしょうが?』あいかわらず無礼に人を見くだすような顔つきで、彼は一語一語を区切って言った。『こういう際にはむしろ冷静さのほうが必要ですね。何よりいいのはこの際、自分をコロンブスに擬して、ぼくなんぞは鼠(ねずみ)同然と考える、で、腹を立てないことですよ。このことはきのう勧めておいたでしょう』『きさまを鼠と見ることをしたくない』『おや、それはお世辞ですか?もっとも、お茶も冷えているし、つまり、何もかもさかだちなんだな。いや、どうも心もとないことになっているみたいですね。あれ!あの窓のところに何かある、皿の中に(彼は窓ぎわに近寄った)。ほう、ライスつきのボイルド・チキンか!──それにしても、どうしてまだ手もつけてないんです?してみると、ぼくらの精神状態は、このチキンすら──』『ぼくは食べた、きみの知ったことでない、黙りたまえ!』『おお、もちろん、それにどっちでもいいことだし。しかし、ぼくにとっちゃ、いまのところ、どっちでもいいとはいかないんですね。だって、どうです、ぼくはほとんど飯を食っていないんでね。そこで、このチキンが、見たところ、きみにはもう必要でないとしたら──どうです?』『できるなら、食べたまえ』『それはありがとう、ついでにお茶も』彼はさっそくソファの別の端にすわりこんで、がつがつと料理をぱくついた。しかし同時に自分のいけにえからは片時も目を離さなかった。キリーロフは憎々しげな嫌悪(けんお)感をむきだしにして、まるで吸いこまれるようにじっと相手を見つめていた」(ドストエフスキー「悪霊・下・P.425~426」新潮文庫)

「『それにしても』食事をつづけていたピョートルがふいに顔をあげた。『それにしても用件のほうは?つまり、ぼくらの決意は変らないわけですね、え?で、紙は?』『今夜はっきりと決めた、どちらでも同じことと。書く。檄文(げきぶん)のことだね?』『そう、檄文のこともだが、ぼくが公述しますよ。だってきみには、どちらでも同じなんでしょう。いまさらその内容をきみが気にすることもないはずでしょう?』『きさまの知ったことでない』『むろん、ぼくの知ったことじゃない。もっとも、ほんの数行ですよ。きみとシャートフが檄文を捲(ま)いていて、それから、きみの部屋にひそんでいたフェージカにも手伝わせていたこと。このフェージカと隠れ家に関する点は重要で、いちばん重要なところかもしれない。どうです、ぼくは何もきみに包み隠したりしていないでしょう』『シャートフ?どうしてシャートフのことを?シャートフのことは絶対だめだ』『またはじまった。それがいみにどうだって言うんです?どうせ彼には不利もくそもないんだから』『彼の細君が帰ってきたんだ。さっき目をさまして、彼がどこにいるか、聞きによこした』『きみのところへ、彼がどこにいるか、聞きによこしたって?ふむ、そいつはまずいな。また、人をよこすかもしれない。ぼくがここにいることは、だれにも知られないようにしないと──』ピョートルは気をもみだした。『知れやしない、また眠ったから。産婆がアリーナ・ヴィルギンスカヤだ』『ほほう──立ち聞きされないですかね?玄関をしめたほうがよくないかな』『何も聞かれない。もしシャートフが来たら、向うの部屋にかくす』『シャートフはこないさ。で、きみにはこう書いてもらいたいんです。きみらは裏切り、密告のことでいさかいになって──今夜──彼の死の原因となった』『彼が死んだ?』キリーロフはソファから踊(おど)りあがって叫んだ。『きょうの七時過ぎ、というより、きのうの七時過ぎだな、もう十二時過ぎだから』『きさまが殺したな!──きのうからもう見抜いていた!』『見抜けなくてどうします?ほら、このピストルでね(彼はピストルを取出した。どうやらそれは見せびらかすためらしかったが、それきりしまおうとはせず、いつでも射てるぞといわんばかりに、ずっと右手に持ちつづけていた)。それにしても、きみも奇妙な人だな、キリーロフ君、あのばかな男がこういう最後になるしかないことは、きみ自身承知していたでしょう。見抜くも何もありやしない。ぼくだって何度かきみに噛(か)んで含めるように説明したことですよ。シャートフは密告を準備していてね。ほうっておくわけにはいかなかったんです。きみにだって、監視せよという指令が出ていたでしょう、きみ自身、三週間前にぼくに通報してくれたでしょうが──』『黙れ!きさまが彼を殺(や)ったのは、ジュネーヴで彼から唾(つば)を吐きかけられたからだ!』『それもあるし、ほかのこともある。ほかにもいろいろとね。もっとも、感情抜きでやったことですよ。なんだってそうとびあがるんです?なんだってそう身構えるんです?ははん?そいういうことですか!──』彼は跳(は)ね起きて、ピストルを前にかまえた。ほかでもない、キリーロフがだしぬけに窓のところから、もう朝のうちから用意して装填(そうてん)しておいた自分のピストルを取りあげたのである。ピョートルは身構えて、自分の銃口をキリーロフに向けた。こちらは毒々しく笑いだした」(ドストエフスキー「悪霊・下・P.427~429」新潮文庫)

「『白状したまえ、悪党め、きさまがピストルを手にしたのは、ぼくがきさまを射つと思ってだろう──しかし、ぼくはきさまを射ちはしない──もっとも──もっとも──』そう言うと、彼はふたたび狙(ねら)いをつけるような格好で、ピョートルに銃口を向けた。自分が彼を射ち殺す情景を想像する快感をどうにもあきらめかねてでもいるようだった。ピョートルは、やはり身構えたまま、待ちかまえていた。自分が最初に額に弾丸を射ちこまれる危険を冒しながら、引き金を引こうとはせず、最後の瞬間まで待ち受けていた、──相手が<偏執狂>では、そんな恐れもないではなかった。しかし<偏執狂>は、とうとう手をおろした。息を切らし、がたがた体をふるわせ、もう口もきけないような様子だった。『もうふざけっこはやめようや』ピョートルもピストルをおろした。『きみがふざけていることは、わかっていましたよ、ただね、きみも危ない真似(まね)をする、ぼくは引き金を引くことだってできたんだから』そう言うと、彼はかなり落ちついた様子でソファに腰をおろし、自分で茶を注(つ)いだが、その手はさすがにいくらかふるえていた。キリーロフはテーブルの上にピストルを置いて、前へ後へ歩きはじめた。『ぼくは、シャートフを殺したとは書かない、いや──いまは何も書かない。遺書なんか書かない!』『書かない?』『書かない』『なんて卑劣なことだ、なんてばかげたことだ!』ピョートルは怒りに真(ま)っ青(さお)になった。『もっとも、どうせそんなことだろうとは思ってましたよ。べつに不意打ちでもなんでもない。しかし、まあご随意に。もし力づくできみに強制できるものなら、無理にもそうさせますがね。ともかく、きみは卑劣漢だよ』ピョートルはしだいにじれてきた。『きみはあのとき、ぼくらに金を無心して、やたらと約束したもんじゃないですか──でも、ぼくは空手(からて)では出ていきませんよ、すくなくとも、きみが自分で額を打割るところを見ていかなくちゃ』『きさまには、すぐ出ていってもらいたい』キリーロフは彼の前にぴたりと足を止めた。『いや、そうはいかない』ピョートルはふたたびピストルを手にした。『いまのきみは、おおかた、怒りと臆病風(おくびょうかぜ)から何もかも延期して、あすにでも、またぞろ目くされ金ほしさに密告に行く気になっているでしょうからね。これは金になるんだなあ。きみみたいな小人物は、ほんとに、何をはじめるかわかったものじゃない!ただ、心配はご無用、ぼくはあらゆる場合を予想しておいたのでね。もしきみが臆病風を吹かして、あの決意を延ばしたりするようだったら、あのシャートフの悪党と同じように、このピストルできみの脳天をぶち割るまでは、ここから出ていきゃしないですよ、畜生!』『どうしてもぼくの血を見たい?』」(ドストエフスキー「悪霊・下・P.429~430」新潮文庫)

「『ぼくは遺恨があって言うのじゃない、わかってもらいたいけど、ぼくには同じことなんですよ。ぼくが言うのは、ただわれわれの事業の安全を思えばこそでね。人間を当てにできないことは、きみも承知のとおり、ぼくには、きみの自殺の妄想(もうそう)がどういうことなのか、さっぱりわからない。これはぼくがきみのために考え出したことじゃなくて、きみがぼくより先に考えて、最初はぼくにではなく、外国の会員たちに話したことですからね。それに、注意してもらいたいけど、その会員たちは一人として自分からきみに問いただしたわけじゃないし、それどころかだれひとりきみを知りもしなかった、きみが自分からやってきて、感傷にかられて打明けたことなんです。そこで、それを基礎にして、きみの同意ときみの提案によって(いいですか、提案ですよ!)、この町でのある種の行動計画が作られた以上、いまさらそれを変えるわけにはいかないし、どうしようもないでしょう。きみは、自分から選んだ立場上、いまではもうあまりにも多くを知りすぎているんですね。だから、もしきみがばかな気を起して、あすにも密告になんぞ行かれたら、これはですね、おそらく、ぼくらにとってはきわめて不利なことになるわけでね、どう思います?いや、きみには義務があるんですね。きみは約束をして金を受取ったんだから。このことはきみにも否定できるはずがない──』」(ドストエフスキー「悪霊・下・P.430~431」新潮文庫)

「ピョートルはひどく興奮していたが、キリーロフはもうだいぶ前から聞いていなかった。彼はふたたび物思いに沈んで部屋の中を歩きはじめた。『ぼくはシャートフがかわいそうだ』またピョートルの前に立ちどまって、彼は言った。『いや、ぼくだってかわいそうさ、しかしね──』『黙れ、悪党!』キリーロフは恐ろしい、決然として身ぶりを見せて叫んだ。『殺すぞ』『まあ、まあ、嘘(うそ)ですよ、たしかに、かわいそうだなんて思っちゃいない。でも、いいじゃないですか、いいじゃないですか!』片手を前に差しのべて、ピョートルは警戒気味に腰を浮かせた。キリーロフは急におとなしくなって、また歩きはじめた。『ぼくは延ばさない。ぼくは、ほかでもないいま自殺したい。だれもかれも卑劣漢だから!』『それは見識ですね。たしかに、だれもかれも卑劣漢だし、この世界ではちゃんとした人間は生きるのもいとわしい、となると──』『ばか、ぼくだって、きさま同様、みんな同様、卑劣漢で、ちゃんとした人間じゃない。ちゃんとした人間なんぞどこにもいない』『ようやく気がついたですね。きみほどの頭がありながら、キリーロフ君、どうしてこれまでわからなかったのかな、みんなどうせ同じことで、いいも悪いもない、賢い人間と愚かな人間がいるだけで、もしみなが卑劣漢なら(もっとも、くだらないことだけれど)、当然、卑劣漢でない人間などいるわけがないことがね』『ほう!ほんとにきみは笑っているのじゃないのか?』キリーロフはいささか驚いた様子で相手を見やった。『きみは熱をこめて、率直に──いったいきみみたいな男にも信念がある?』『キリーロフ、ぼくにはきみがなぜ自殺しようとするのか、どうしてもわからなかった。ぼくが知っていたのは、ただ、それが信念に──確固たる信念にもとづいたものだということだけだった。しかし、もしきみが、なんと言うか、信念を吐露したい気持があるのなら、ぼくは喜んで聞かせてもらいますよ──ただ時間のことも考えなくちゃならないが──』『何時です?』『おや、ちょうど二時だ』ピョートルは時計をのぞいて、口付煙草に火をつけた。<まだ話がつけられるかもしれないぞ>彼は肚(はら)の中で考えた。『きみに話すことは何もない』とキリーロフがつぶやいた。『ぼくの記憶では、何か神のことがからんでえいたようでしたね──たしか一度説明してくれたでしょう、二度だったかな。きみは自殺したら、神になるんだとか、なんとか?』『そう、ぼくは神になる』ピョートルはにこりともしなかった。彼は待っていた。キリーロフは微妙な目つきで彼を見やった。『きみは政治的詐欺師で陰謀家ですね。きみはぼくを哲学と歓喜の境地におびき出して、和解を成立させ、怒りを散らして、仲直りのできたところで、ぼくがシャートフを殺したという書置きを書かせる魂胆でいる』ピョートルは、ほとんど地のままのような率直さで答えた。『まあ、ぼくがそんな卑劣漢だとしても、最後の瞬間になれば、きみにとっちゃそんなことはどうでもいいことでしょう、キリーロフ君?だいたい、ぼくらは何がもとで口論しているんです、聞きたいですね、きみがそういう人間で、ぼくがこういう人間だとしてみても、べつにはじまらないでしょう。しかも二人ともおまけに』『卑劣漢です』」(ドストエフスキー「悪霊・下・P.431~433」新潮文庫)