白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

レイチェル/生と水のエチカ4

2019年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム
レイチェルは歌にも《なる》。

「レイチェルはいま、心身全体が何とも説明できない歓び、たいていその原因がわからぬままに、あたりの土地全体、空全体をも包み込んでしまうような歓びに満たされ、何も見ずに歩いていた。夜が昼に侵入し、前の晩に演奏した曲が耳を塞いでいた。彼女は歌った。歌うといっそう歩が速まった。どこへ行くのか、自分でもはっきりわからず、木々や風景が、単に緑や青の塊りとなって目に映り、色調を変える空が時折視界に入った。昨夜出会った人々の顔が眼前に現れ、声が聞こえた。レイチェルは歌うのをやめ、同じことを繰り返し言ったり、言い方を変えてみたり、こう言っても良かったと思うことを言葉にしたりした。絹のロングドレスを着て見知らぬ人に混じる窮屈さを思うと、このようにひとり悠々と大股で歩く彼女はいつになく心が踊った。ヒューウェット、ハースト、ヴェニング氏、ミス・アラン、音楽、照明、庭の黒々とした木々、夜明けーーー歩きながら、レイチェルの頭の中にそれらすべてが渦を巻いて押し寄せ、その騒々しく荒れ狂う背景から突如として今という瞬間が、好きなことを思いのままにできる時として、昨夜よりもいっそう素晴らしく活気ある姿で現れた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.302」岩波文庫)

このときもまたレイチェルは「或る時刻」としての「此性」を生きている。多少複雑な感じを受けるかもしれない。夜通しのパーティの後の身体なのだから。と、そこに「一本の木」が登場する。

「レイチェルは、一本の木が邪魔しなければ、まったく道がわからなくなるまで歩き続けてしまったかもしれない。その木は行く手を遮るように生えていたわけではなかったが、まるで枝が顔を打ったかのように、うまい具合に彼女の足を止めてくれた。ありふれた木であるが、レイチェルには世界に一本だけのとてつもなく変わった木に見えた。中央の幹は黒く、枝はあちこちに飛び出ていて、枝と枝の間には、まさにたった今地面から出てきたかのように、ぎざぎざした光の空間を遺していた。彼女にとっては生涯続く光景、そして生涯を通じてこの瞬間を維持するに違いない光景を見届けると、木は再び普通の木の部類にまで沈み、レイチェルは木陰に座り、下生えの薄い緑の葉をつけた赤い花を摘めるようになった。一人で歩いてきた彼女は、撫でながら花は花、茎は茎、と揃えて並べた。花にも、土にまみれた石ころにさえも、生命と気質があり、遊び仲間であった子供の頃の感情を蘇らせてくれたからだ」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.302~303」岩波文庫)

こうある。「まったく道がわからなくなるまで歩き続けてしまったかも」。たぶんそうだ。「一本の木が邪魔」することで彼女を正気に戻らせた、というわけだ。もしそうでなければ狂気に突入していき、そのまま帰ってくることはできなかったに違いない。しかし事情はもっと混み入っているように見える。このシーンで「花は花、茎は茎、と揃え」なければならない必然性はどこにもない。にもかかわらず、彼女はなぜそうしたのか。何かが屈曲している。しかしこの屈曲は矯正する必要がない。屈曲あるいは屈折したものは必ずしも矯正しなければならないというわけではないからなのだが、もう少し考えてみよう。「道」は始めからあったのか、と。むしろレイチェル自身が「道」だったのではなかったか。いつのまにか、に過ぎないが。そしてまた、「花」「石ころ」あるいは「石ころ」がそれにまみれている「土」などに「生命と気質」を宿らせるのは彼女なのだ。その瞬間、それらのうちに、レイチェルが「遊び仲間であった子供の頃の感情」が「蘇」っている。しかしこの事態は過去から到来するのだろうか。そうとしか考えられない。だが、どうやってなのか。確かなのは、子どもの頃の感情がそれら風景と繋がるのは瞬間的な出来事である、ということだ。スピノザを思い出そう。

「もし人間身体がかつて二つあるいは多数の物体から同時に刺激されたとしたら、精神はあとでその中の一つを表象する場合ただちに他のものをも想起するであろう」(スピノザ「エチカ・第二部・定理一八・P.122」岩波文庫)

「精神がある物体を表象するのは人間身体のいくつかの部分がかつて外部の物体自身から刺激されたのと同様の刺激・同様の影響を人間身体が外部の物体の残した痕跡から受けることに基づくのである。ところが(仮定によれば)身体はかつて、精神が同時に二つの物体を表象するようなそうした状態に置かれていた。ゆえに精神は、今もまた、同時に二つのものを表象するであろう。そしてその一つを表象する場合、ただちに他のものを想起するであろう」(スピノザ「エチカ・第二部・定理一八・P.122」岩波文庫)

記憶と関係があるのだろう。しかし、記憶、と、「関係する」、とは、どのようなことを指して言っているのだろうか。そういう人々は。脳に関係するのか。そうともいえよう。しかしもっと正確に言うとすれば、脳がそのほんの一部に過ぎないような神経システムを含む身体全域が一挙に運動=流通するというべきではないのか。確実なのは身体である。そして身体はそれがほんの一部に過ぎないような世界と常に既に代謝=流通していなくては生きていけないばかりか、死んですぐに始まる自然界への分解=回帰すら不可能である。その先はどうなるのか。確かなことは誰も知らない。だが死は、けっして脳が「認識」するものではないし、また「認識」するために脳はあるのではない。ベルクソンがいうのはこうだ。

「脳とは、かくて私たちの見るところでは、一種の電話交換局にほかならないはずである。その役割は『通信を伝えること』あるいはそれを待機させることにある。脳は、じぶんが受容したものになにものも付加しない。とはいえ、あらゆる感覚器官は、その延長の終端を脳にまで送りこんでおり、脊髄と延髄にぞくする運動機構のいっさいが、選定された代表者をそこに置いているわけだ。だから脳は、まぎれもなく一箇の中枢なのであり、末梢の刺戟はこの中枢で、あれこれの運動機構と関係づけられる。ただしその関係は、選択されたものであって、強制されたものではもはやないのである。いっぽう、膨大な数の運動をみちびく〔神経〕通路が、この皮質のなかでは《すべて同時に》、末梢から到来する同一の興奮に対して開放されることがありうる。したがってこの興奮には、脳のなかで無限に分割され、かくてまた無数の、ただ生まれようとしているにすぎない運動性反応のうちで散逸する可能性もある。こうして、脳の役割はある場合には、受けとった運動を、選択された反応器官へみちびくことであり、またべつの場合にはこの運動に対して、運動の通路の全体を開放することにある。後者の場合なら、それは、当の運動にふくまれている可能な反応のすべてを素描し、みずから分散しながら分解してゆくためなのである。いいかえてみよう。脳とは、受けとられた運動との関係においては分解の器官であり、実行される運動との関係にあっては選択の器官であるように、私たちには思われる。しかしながら、いずれの場合にしてもその役割は、運動を伝達したり、分割したりすることに限定されている。くわえていえば、皮質の上位の中枢においても、神経の諸要素は認識をめざして作動しているわけではない。これは、脊髄が認識を目的とするものでなかったのと同様である。それらは、複数の可能な行動を一挙に下描きするか、そのうちのひとつを組織化するか、そのいずれかを遂行するにすぎない」(ベルクソン「物質と記憶・P.59~60」岩波文庫)

「選定された代表者をそこに置いている」とベルクソンはいう。ニーチェはそれを「一種の指導委員会がある」と論じた。

「『意識』の役割をとらえそこねないことが肝要である。すなわち、《意識を発達させたのは》、私たちと《『外界』との関係》である。これに反して、肉体的諸機能の協同に関する《指導》、ないしは監督や配慮は、私たちの意識にのぼることが《ない》。それは、精神の《貯蔵作用》がそうであるのと同様である。もっとも、これに対して一つの最高法廷が、すなわち、さまざまの《主要欲望》がその発言権や権力をふるう一種の指導委員会があるということは、疑いえない。『快』、『不快』はこのような領域からの合図である。《意思作用》も同様であり、《観念》も同様である。

《要約すれば》、意識されるものは因果的連関のもとにあるが、この連関は私たちには全然不明なのであるーーー思想、感情、観念が意識のうちで次々とあらわれる継起は、この継起が因果的継起であるということに関して、何ごとも言いあらわしてはいない。しかしそれは、最高度にそう《見える》のである。この《仮象性》をもととして私たちは、《精神、理性、論理など》という私たちの全表象を《根拠づけ》(ーーーこれらのものはすべて存在してはおらず、それらは虚構された綜合であり統一である)、これらのものをふたたび事物の《うちへと》、事物の《背後へと》投影してきた!

ふつうには《意識》自身が総体的感覚中枢であり最高法廷であるとみなされている。ところが、意識は《伝達の手段》にすぎず、それは、交通において、また交通への関心に関して発達してきているーーーここで『交通』とは、外界の影響と私たちの側でそのさい必要な反作用のこととも、同じくまた、外界に《向かっての》私たちの働きかけのこととも解される。意識は教導のはたらきでは《なく、教導の一機関》である」(ニーチェ「権力への意志・第三書・五二四・P.61~62」ちくま学芸文庫)

意識は認識を目的としてはいない。むしろ意識は「《伝達の手段》にすぎず」、「最高法廷」でもなく、「教導の一機関」(一部分)であるに過ぎない。さらにベルクソンのいうように、脳は基本的に何も付け加えない。ただ複雑化していきはする。だが「行く」といえば変に見えはしないだろうか。「いく」と、ひらがなで表示するか、それとも「くる」と、これもまたひらがなで表示するかするのが妥当のような気がする。しかし脳は本当にそれほど空間的なものなのだろうか。空間を置いてみて実は幻想でない、と一体誰にいえるだろう。

次のセンテンスを見てみよう。ヒューウェットが珍しく苦悶している。

「『人はなぜ正直になろうと《しない》んだ?』部屋への階段を昇りながら彼は呟いた。なぜ異なった人たちの間の関係は、こうも不充分で、断片的で、危なっかしいものなのか?なぜ言葉は極めて危険なもので、その作用により、他人の心情を理解し共感しようとする本能が、結局は自分の心情を入念に検査し、さらにおそらく押し潰す働きをしてしまうのだろうか?」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.338」岩波文庫)

言語「の」問題なのか。それとも言語「が」問題なのだろうか。ここでは後者が問題なのだ。言語自体が。しかし言語「自体」とは何だろうか。物質の諸力の運動、と言ってみることはできるだろう。この危険な言語が、そして、何をしでかすというのだろうか。ここで読者は言語に本来まとわりついている両義性に出会う。言語なしでは何も伝達できない。同時に、言語化されてしまえば、どのような意識も感情も感覚も伝達されるものはすべて、既に一般化されたものでしかなくなっている。意識も感情も感覚も感性的なものも、その個別性を奪われてしまい、逆に一般的で均質的で凡庸なものへ変換されてしまう。二つの方向が生じてくる。この二方向へ向かって意識を無理やり押し通そうとすると、意識は、分裂してしまうほかない。ところが、人は沈黙しているとき、意識は、文法がゆっくり解体していく、溶けていく或る時間を耐えているのではないだろうか。文法が溶解しそうになるとき、人は不安と恐怖の余りに、わけもわからずしゃべり散らしたりしているのではないだろうか。なるほど「ダロウェイ夫人」はそうであった。セプティマスは「おしゃべり」について、その効用を説いてはいなかっただろうか。「おしゃべり」について、その愚劣さを罵りつつ、実はその効用について語ってはいなかっただろうか。では、人間は、「おしゃべり」の力によって、かろうじて正気を保っているというわけなのか。もっとも、ウルフの場合、それは小説を「書く」という実践だったわけだが。

ところで、音楽はどうなったのか。あるいは音楽は人間にとって何か働きかけるのだろうか。もし働きかけるとすれば、音楽はどのように働くわけなのか。ヒューウェットにとって何らかの解答にはなるだろう。ニーチェ的な問題だ。

「《音楽と比較》すれば《言葉》によるすべての伝達は破廉恥(はれんち)なやり方である。言葉は稀薄ならしめ愚昧(ぐまい)ならしめる。言葉は没人格的ならしめる。言葉は凡俗ならざるものを凡俗ならしめる」(ニーチェ「権力への意志・第三書・八一〇・P.325」ちくま学芸文庫)

近代を問題にするとき、いつも人は同時に言葉をも問題にしなければならない。だからといって、近代以前が良かったといっているわけでもない。この問題は古代ギリシアからずっと持ち越されてきた伝統的問題だからだ。ヘーゲルが面白いエピソードを語っている。

「ソクラテスの原理は実にアテナイの国家にとって《革命的な原理》であった。というのは、この国家の特質は、慣習が国家の存立の基本形式である点、つまり思想と現実生活との不可分という点にあったからである。ソクラテスがその友の反省を促す場合、その会話は常に消極的〔否定的〕である。すなわち、ソクラテスは友人が何が正しいかを知らないという意識に達するまで彼を引っぱって行く。ところでソクラテスが、このいまや現われざるを得ない新原理を公言したために死刑を宣告される場合、そこにはアテナイの民衆がその不倶戴天の敵を処刑するという正当な理由があるとともに、また彼らがソクラテスの中に見つけ出して、罰せなければならなかったその当のものが、実はすでに彼らの中にもしっかりと根を張っているということ、したがって彼らもまたソクラテスと同罪であるか、それともソクラテスとともに無罪の宣告を受けるべきであったという、ぎりぎりの悲劇が介在しているのである」(ヘーゲル「歴史哲学・中・P.180」岩波文庫)

さて、ようやく分身の主題に戻ることができる。

「レイチェルはヘレンに言わせれば、殻を閉ざした貝とも見え、彼女の耳に浴びせられるヒューウェットの言葉は、岩の断崖に付着する貝を洗う波のようだった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.20」岩波文庫)

レイチェルは今度は「貝」に《なる》。そしてヒューウェットの言葉は「波」に《なる》わけだが、彼はレイチェルの恋人であるにもかかわらず、もはや、というより、早くも、「貝」の背を洗う「波」に過ぎなくなっている。

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レイチェル/生と水のエチカ3

2019年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム
ヒューウェットは反論しない。できないから反論しないわけではない。もともとの考え方が違うからだ。小説中の設定ではケンブリッジ大学を「二学期で退学」したあと、どこかはっきり説明はないが、ともかくしばらく旅行していたようだ。「放浪」とある。ヒューウェットが行うのは反論ではなくさらなる持論の展開である。友人の話をちゃんと聞いているのかと問いただされそうな態度だが、しかししっかりと聞いている。聞いた上でこういう。

「『きみの言う輪っていうのがわからない。輪が見えないんだ』ヒューウェットは言葉を続けた『ぼくに見えるのはぐるぐる廻るこま、あちこちにぶつかり、右に左に突進し、どんどん仲間を増やし、ついにあたり一面、こまで一杯になる。廻って、廻ってーーー向こうに行き、縁を越え、見えなくなる』指は踊り廻るこまが、ベッドカバーの端を飛び越え、ベッドから落ち、無限の世界に入っていく様を描いた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.186」岩波文庫)

ヒューウェットが「わからない」といっている「輪」とは何か。社会的布置ということだ。上下関係・階層秩序・社会的役割分担・日常のルーティンなど。ニーチェのいう「文法」に相当する。そしてこの文法が成立している限りで同時に社会も成立し、さらに更新され、役割を終えれば廃棄される社会的機構の骨格である。ヒューウェットにはその「輪」というものがよく理解できないものとしか考えられない。「輪」よりも「ぐるぐる廻るこま」のほうを重視する。俗な言い方を用いれば、イギリスの伝統的な「個人主義」に近いかもしれない。しかしヒューウェットのいう「こま」は「ぐるぐる廻る」ものであり、さらに「あちこちにぶつかり、右に左に突進し、どんどん仲間を増やし」ていくばかりか遂には「縁を越え」ていくものでもある。増殖する。常に運動しながら他の運動体との合体を次々に果たしていき、そして「縁」の向こう側へ飛躍する。「縁」は突破される。ただ単に境界線を越えるだけでなく、境界線を越えてさらに増殖していくというこの思想は、いかにもイギリス発祥の資本の運動を思い起こさずにはいない。同じことだが、こう続く。

「『事実は、人は決してひとりではないし、誰かの仲間でもないんだ』『意味するところは?』とハースト。『意味するところ?そう、泡みたいなものーーーオーラかなーーーきみだったら何ていう?きみにはぼくの泡が見えないし、ぼくにはきみの泡が見えない。互いに見ることができるのは点、炎の真ん中の芯みたいなものだけだ。炎はどこにでもついて回る。炎はぼくら自身ではなく、ぼくらの感じるもの、つまりまわりの世界、主に人間たち、いろいろな人間たちだ』『きみはさぞ頼りない泡に違いない!』ハーストが言い返す。『で、ぼくの泡が誰かの泡にぶつかるとーーー』『両方ともはじけるのか?』ハーストが口を挟んだ。『そうするとーーーそうするとーーーそうするとヒューウェットは独りじっくり考え込み『それは、それは、でっかーい世界になるだろう』と思いきり両腕を伸ばし、それでも渦巻く宇宙は捕らえなれぬとでも言いたげだった。ハーストといるときはいつでも、異常に、あてどもなく旺盛になるのだ。『前はまったくきみはばかだと思っていたが、今はそうは思わない』ハーストが言った。『自分が何を言いたいのか、わかっていないが、とにかく何か言おうとしている』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.186~187」岩波文庫)

ヒューウェットの言葉は何気ないものだったかも知れない。二十世紀初頭は。だが二十一世紀になって俄然現実のものとして傲然と聳り立つものとなった。「それは、それは、でっかーい世界になる」。要するにグローバル資本主義社会が出現した。

さて、ヘレンは考える人だが、ハーストのように四角四面には考えない。もっと柔軟性がある。すると次のセンテンスにあるような現象に気づくことになる。

「イプセンの戯曲を読むと、いつもそんな心境になった。続けざまに何人もの主人公を数日間演じるので、ヘレンは大いにおもしろがったが、その後はメレディスに移り、『十字路のダイアナ』になった。しかしヘレンは、これがまったく演技ではなく、演技する人間自体にある種の変化が起きているのだと気付いていた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.213」岩波文庫)

ヘレンの場合、分身というより変身と呼んだほうが適切だろう。「何人もの主人公」「メレディス」「十字路のダイアナ」と変態していく自分自身に気づいている。そして人間の持つこの多様性の不可解さについて「演技ではなく、演技する人間自体」に「起きている」「ある種の変化」なのだと「気付いていた」。しかし一度気づいてしまえば、この不可解さはすぐに消えてなくなってしまう。人間の仮面性について、それはただ単なる「顔」を中心として起こる変化ではなく、むしろ身体全域に渡って一挙に生じる変化なのだと。そこで人は一つ賢くなる。ヘレンの年齢は四十歳代半ばと考えていいと思うけれども、しかし精神的なレベルではまだ十代の領域を抜け出ているわけでは何らない。あえていえば思春期に留まっている。だが「船出」の主題は思春期では全然ない。もっとも、大変深い部分で思春期と繋がってはいる。そして思春期から完全に脱出できるわけでもまたないのだが。

ところでレイチェル。彼女の歩みは一歩一歩だ。実に堅実というほかない。

「選んだ本を読む時のレイチェルは、文章を読み慣れない者特有の仕草で、一語一語がそれぞれ重要な木製の品で、椅子やテーブル同様、形を持っているかのように扱った。こうしていくつかの結論に達したが、それはその日の現実の体験によって形を変えねばならず、事実、思うがまま、自由自在に作り替えられることになった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.215」岩波文庫)

レイチェルは「一語一語」を吟味する。それは「その日の現実の体験によって」修正がなされる検証作業だ。極めてリアルで慎重な弁証法的注意深さを要する。しかし弁証法である限りでは二元論の次元に留まるほかない。レイチェルを通してウルフが思い描いていた世界観は、しかし、二元論ではつかまえることのできないものだった。だからいつもウルフは「死んでいるのか」あるいは「死んでいないのか」という問いに不意打ちされることになる。そのたびに精神錯乱を起こしていてはやがて自殺するほかないということも見えていたに違いない。むしろ見えていたからこそ、ウルフは、次々と作風を変えていったのだといえよう。生き方を変えること。そんなふうに書くことで、一作ごとに作風を変えることで、登場人物を犠牲にしつつ、小説家としても人間としてもやっとのことで何とか五十九歳までは生き延びた。ヒューウェットはいっていなかったろうか。「縁を越え」ると。限界を突破したいと。しかし、すぐさま続けてこういっていた。「無限の世界に入っていく」。死の本能が顔をのぞかせるのだ。

「その朝は暑く、読書による精神の体操は彼女の頭に時計の主ぜんまいのような収縮と拡張をもたらし、外の庭の物音が時計と一緒になり、どこからともなく聞こえる真昼の微かなざわめきは規則正しいリズムを刻んでいた。すべてが紛れもない現実、紛れもなく大きく、個人と関わりのない世界で、彼女はすぐに己の存在意識を取り戻そうと、人差し指を立てては肘掛けに下ろす動きを繰り返した。次には自分が朝、世界の真ん中で、肘掛け椅子に座っているという、言いようのない不思議な事実に圧倒された。家の中で動いている人は誰?ーーーある場所から別の場所へと物を移動させているのは誰?そして生命、生命とは何?それは表面を掠めて消える光にすぎない、そのようにやがてわたしも、部屋の家具は残っても、消えるだろう。彼女の消滅は完全に近づき、もはや指を立てることもできず、身じろぎもせず座ったまま、耳を澄ませ、絶えず同じ一点を見つめていた。事態はますます異様なものとなった。彼女はそもそも事物が存在していることへの畏怖の念に押し潰されたーーー。立てることのできる指を持っていることさえ忘れたーーー。存在する事物は、あまりに広大無辺、荒涼としていたーーー。このように茫洋たる物質のいくつもの塊りを、レイチェルは延々と続く時間を通して意識し続け、静まり返った宇宙の真ん中で、時計は変わることなく時を刻んでいた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.215~216」岩波文庫)

レイチェルは世界に対して「個人」の非力にうんざりしている。世界というものによって圧倒され叩き潰されようとしている。しかし、このシーンは一瞬のことではない。読者にはそれが幾らかはわからないし、実はレイチェルにも意識的にはわからない。ところが「或る時刻」であることは確かなのだ。それをドゥルーズ&ガタリは「此性」と呼んだ。或る季節。或る年月。或る時刻。霧。黄昏れ。旬。それは長いこともあれば短いこともある。クロノス(時計時間)に還元できないアイオーンというものだ。始まりもなく終わりもない、或る時間感覚。レイチェルの好きな音楽が代表例として上げられよう。第一楽章はいったい何時間何分何秒でなければならないのか。そんな決まりはない。始めからない。ないものはないとしかいいようがない。そしてもしクロノス(時計時間)だけしかなかったとしたら古代ギリシアは成立する暇もなく崩壊していただろう。クロノスは言い換えればアポロンなのであって、アポロンがいつもアポロンであるためには異教徒=ディオニュソスの導入が必要不可欠だったことに似ている。「アポロン=意識」としよう。とすれば「ディオニュソス=無意識」と定義できる。「アポロン=覚醒」なら「ディオニュソス=睡眠」。「アポロン=形式」なら「ディオニュソス=官能」。両者はともに不可分の関係であって、勝利はアポロンにあるのだが、勝利して秩序を復活させるためには「解体としてのディオニュソス」の侵入を認めるほかない。それを別名「祭典の日」というのだ。だから祭日とか祝日とかいうものは徹底的に特別な「或る時刻」なのであって、期間を設けるにしても原則としてたった一日に限られていた。限定されていればされているほど貴重なものになるのは当然でもある。近代以前に「ハレ」と「ケ」との区別が可能だったのはそういう意味だ。ところが資本主義は「ハレ」と「ケ」との境界線を消去することに成功した。同時に貴族と奴隷との境界線が消えたのも当然の成り行きだった。だからといって、貴族と奴隷とが和解したということではまったくない。むしろ逆に資本家階級と労働者階級とが出現した。今なおしている。両者のあいだには労賃という媒介項が挟み込まれた。両者が、ではなく、両者の媒介項が、絶対的権力を保障するようになったのである。「船出」は、そのような資本主義社会の二十世紀における勃興期と重なっている。第一次世界大戦勃発直前。その歴史性を忘れたところでは読み進めることができないということを忘れないでおこう。

そんなわけで、いま上げたセンテンスだけで問われるべき問いはいろいろとあるわけだが、ここではさしあたり次の部分に着目したいとおもう。「やがてわたしも、部屋の家具は残っても、消えるだろう」。「ダロウェイ夫人」読解のときにほぼ最初に引いた部分と似ていないだろうか。ダロウェイではこうだった。

「自分はやがてかならず死滅するってことは、それほど大変なことなのかしら。わたしがいなくなっても、これらのすべてのことは平気でつづいて行くにちがいないってことは、怪(け)しからぬことなのかしら?それとも、いっそ、死は絶対に自己消滅だと信ずることが、かえって安心できるんじゃないかしら?自己は消滅しても、このロンドンの街路で、事物のうちに生きる、と信ずることが。だって、わたしは故郷の木々の一部分にちがいないのだ、また、あそこにいく棟にも分かれたしまりのない醜い家の一部分、会ったこともない人々の一部分なのだ」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.15」角川文庫)

似ているどころか言っていることはまったく同じなのだ。「ほかならぬこの私」は、しかし、単独ではなく、「ロンドンの街路で、事物のうちに生き」ているだけでなく「故郷の木々の一部分にちがいな」くさらには「いく棟にも分かれたしまりのない醜い家の一部分、会ったこともない人々の一部分なのだ」。自然の循環という意味ではなるほどそうだ。けれどもウルフがいっていることは感覚していることでもあるという事実に注意を向けることが重要だろう。そのように想起している時点ですでにクラリッサ・ダロウェイ=ヴァージニア・ウルフは死んでいるのではなく、逆に、間違いなく生きているという平凡な事実である。そのように感覚できているということが余りにも驚嘆に値する事実なのだ。様々な「事物」「家の一部」「会ったこともない人々の一部」として繋がり合って「ほかならぬこの世界」を構成しているという事実。このことにこそ驚愕すべき「生の威力」を見て取るべきだろう。それは死んでやっと果たされるものでは何らない。むしろ生きている限りにおいて始めて充実したり充実していなかったりといった様態で感じ取られるものだ。そしてさらに、この繋がり(接続)はいつでも離れる(切断)することができる。世界中がネット社会になってようやく「接続/切断」=「離接」が可能になった。この「自由さ」。しかしウルフはこの「自由さ」を知ることなく自殺を選んだ。ウルフに自殺を選ばせたものは何だったのだろうか。二十世紀初頭からその半ば(一九四一年)に至るまでずっと望み続けた「生」だったが、自分で自分自身を途絶するしかなかった理由はただ単に精神的不安定というばかりではとてもではないが説明できそうにない。しかしそれを説明することは必要なのだろうか。あちこちに分身を出現させて動かしてみるほか方法はなかったというのだろうか。もしそれで済むのなら、もし仮にウルフがネット社会の中に生きていたとしても、答えは同じだったろう。百人のセプティマス、千人のセプティマスをネット社会の中へ登場させたとしても、むしろ登場させればさせるほどかえって何百倍、何千倍の利子を付けて回帰してくる恐ろしいばかりの虚しさに圧倒されて自殺するしかなかったろうとおもうのである。

さて、またヒューウェット。彼は学はあり、小説家でもあるが、何より無邪気に真相を口にしてしまうところがスリリングで面白い。

「『雌牛は野で群れをなす』ヒューウェットは考えた。『船は(な)凪いだ海に集う。ぼくらも手持ち無沙汰になると同じだ。しかしなぜそうするのか?ーーー事の実相を見ないようにするためだろうか』(彼は小川のほとりで足を止め、水をステッキでかきまわし、泥で濁らせた)『無から街や山や森羅万象を造るのも結局はそのためか。それとも、本当にぼくらは互いに愛し合っているのか、それともいつ終わるとも知れぬ不安定な状態にあって、何も知らず、その時その時に応じて、世界から世界へと跳びはねているのだろうか。それが、結局のところ、実相ではないかと《ぼく》は思う』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.220」岩波文庫)

要するに、人間は孤独ではいられない。わざとでもいいからつるみたがる。つるんでいる自分を自分自身に見せつけるばかりか他人にも見せつけてはばかるところを知らない。もう本当に死んだほうがいいくらいに恥知らずなのだ、人間は。と、いう感じだろう。なるほどそうかもしれない。だからこそ人間はしばしば一人でいたいと思うのだろう。一人でいるときは少なくとも人間に帰ったかのように思えるからでもあるのだが。また、ヒューウェットの反語的表現は「《ぼく》」が強調されているように、あくまで個人主義的には、というくらいの意味に見える。しかしこの強調は明らかに作者の意図で付されたものである以上、ウルフ自身の世界観の表明として受け取るべきだろう。人間は個々別々に、個別的な身体として、別々に分裂して生まれてくるほかない。そして個別的な個人は、個人は個人でもなぜか社会的個人として生きていくことに決まっている。生まれる前からあらかじめ決まっている。ところが自分で自分自身を意識するのは生まれる前ではけっしてない。自分が何ものか。それを知るとまではいかなくても、少なくともそれを考えるようになったときには既にあらゆるものごとが不可逆的に進行してしまっている。自分で自分自身の思考を思考することができるのはあくまで事後的でしかない。どのように生きるか。その方法は。もう半分以上決まってしまっているではないか。特に女性の場合はそうだったという当時のくつがえしようのない事情はとりわけウルフにとって致命的だったに違いない。だからウルフはここでヒューウェットにいわせる。「事の実相」は孤独だが、反語的にいえば、「事の実相」は「すべて繋がることができる」だけでなく「繋がっていたい」。ウルフの世界観はしかしそれだけで語れるものではないだろう。身体に閉じ込められた自分。社会的女性という身体に閉じ込められた自分。身体を捨てて身体から抜け出したいと願っている自分。だから死なのか。それにしても何かまだ距離があるような気がしてこないだろうか。ヒューウェットはレイチェルにこう訊ねる。

「『何を見ているの?』彼は尋ねた。レイチェルはわずかに驚いたがすぐに答えた。『人間を』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.234」岩波文庫)

レイチェルにとって人間という生物が生きて動いているということ自体が余りにも神秘的におもえて仕方がなかった。そう考えているレイチェルもまた人間である。とおもうとますますわけがわからなくなるのだ。

なお、少し前、「文章を読み慣れない」という文章が出てきた。では逆に「読み慣れる」とはどういうことだろうか。もっと切り詰めて、「慣れ」とはどういうことだろうか。

「反復される努力は、それがつねにおなじものを再生するにすぎないならば、いったいなんの役にたつというのだろう。反復がほんとうに効果を有しているとするなら、それはまず《分解し》、つぎに《ふたたび合成し》ながら、かくて身体という知性に語りかけるところにある。反復は、それがあらたにこころみられるたびごとに、ふくまれていた運動を展開し、そのつど身体の注意をあらたな細部に対して呼びおこすが、その細部はそれまでは気づかれずに生起していたものなのである。反復は身体に分割させ、分類させる。かくて身体に対して、なにが本質的なことがらであるかを強調してみせるのだ。反復は、全体的な運動のうちに一本一本、内的構造をしるしづける輪郭線を見いだしてゆく。この意味で運動は、身体がそれを理解したときに習得されたといえるのである」(ベルクソン「物質と記憶・P.220~221」岩波文庫)

反復とは何も頭の中だけでなされる作業ではまったくない。「身体という知性」。「身体」が「理解」するのであり、とりわけベルクソンは、身体の細胞レベルでの思考を念頭に置いていることを忘れないでおきたい。「人間の脳」は「中枢」ではあっても「中心」は「複数」である。そのうち、そのあたりの事情についても述べたいとおもう。

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