白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

レイチェル/生と水のエチカ7

2019年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム
「エリザベス」。懐かしい名だ。

「エリザベス女王の時代以降その川を見た者はほとんどなく、エリザベス朝の航海者が目にした景色を変えるようなことはその後何も起こらなかった。エリザベス朝から現在までの時間は、水がこの両岸の間を流れ始めた時からの年月に比べれば一瞬のことにすぎず、至る所に緑の茂みがあり、小さな木々は、皺のよった孤独な大木となっていた。変化といえば太陽と雲の変化によるものだけで、波打つ広大な緑の山塊は次々に到来する世紀を迎えては送り、水は両岸の間をとぎれることなく流れ、時には大地、時には木々の枝を洗い流してきたが、同じ世界の別の所では、一つの町がもう一つの町の廃墟の上に建てられ、町の住民は時が経つにつれてより明確に自己を表現し、他人との違いを明らかにしてきた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.135~136」岩波文庫)

水としてのレイチェルはとても長いあいだほとんど変わらぬ光景を見せつつ光景としても物質としてもいずれにしても同時にそれとして流れてきた南米のジャングルの川だ。その周りを取り囲んでいるのはウルフの文章にある通りだったろう。ところがレイチェルらはイギリスからの異邦人に過ぎない。異邦の地で異邦人として彼女は意識せざるをえない。「別の所では、一つの町がもう一つの町の廃墟の上に建てられ、町の住民は時が経つにつれてより明確に自己を表現し、他人との違いを明らかにしてきた」し、今もしていると。どこかヘーゲルの匂いがしないだろうか。むしろヘーゲルなのだ。建設と破壊との交互作用を繰り返しながら、という点では。時間が導入されている。クロノス(時計時間)が。しかしレイチェルの望みはクロノス(時計時間)ではない。アイオーン(感性的時間あるいは永劫)に《なる》ことなのだ。ダブルバインドされたこのテーマはウルフを生涯捉えて離さない。ウルフもまた離れようとしない。

彼ら彼女らの一行はピクニックに出かける。そこでヒューウェットはおもう。

「不思議にも船がヒューウェットと一体になると、起き上がって船を操る意味が失われるのと同じで、もはや自分自身の抑えられない感情と争っても役に立たなかった。ヒューウェットは自分の知っていることすべてからどんどん引き離され、船が滑らかな川の水面を滑るように進むにつれ、ヒューウェット自身も防壁を越え、境界標を通過し、未知の水域に入っていった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.138~139」岩波文庫)

ヒューウェットもまた変身するわけだが、ここではいつもよりも少しばかり冒険してみる。「船」に《なる》。すると彼は「自分の知っていることすべてからどんどん引き離され」「防壁を越え、境界標を通過し、未知の水域に入ってい」く。「プラットフォーム」化していた「ミセス・バリーの客間」から切り離される。そこで、ヒューウェットが、ではなく、レイチェルが、著しく反応する。

「『恐ろしいーーー恐ろしいわ』再びの沈黙の後、レイチェルは呟いたが、そう言いながら、彼女は、自分自身の感情を思い返すよりも、絶え間なく聞こえてくる激しい水音のことを考えていた。荒々しく無分別に駆けめぐる水音が、遠くで、絶えることなく続いていた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.148」岩波文庫)

レイチェルは自分で自分自身の内部を外部から受け取る。「荒々しく無分別に駆けめぐる水音」。それはなるほど「恐ろしい」。だがこれほど「身近な」ものもまたとないのだ。彼女は自分自身に触れているのだから。このようなとき、クロノス(時計時間)はほとんど息切れしている。アイオーン(感性的時間あるいは永劫)の支配下にあるほかない。「境界標を通過し」てしまった船は、通過と同時にアイオーンと合体・融合している。ところがこの船はほかの誰でもないヒューウェットなのだ。彼は突拍子もないことをいきなり口にしたりしもするが、基本的にのんきである。

「日中の暑さは収まり始め、お茶を飲む時にはフラッシング夫妻もよくしゃべるようになっていた。彼らが話すのを聞いていると、テレンスは、今や事物は二つの異なった層に分かれて進行するように思えた。一方ではフラッシング夫妻が、頭上の空中のどこか高い所で話している。一方自分とレイチェルは共に世界の底に落ちていた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.151」岩波文庫)

テレンス=ヒューウェットは確かに基本的にのんきなのだが、おもっているほど何も気づかないほどではない。或る意味、鋭い。彼ら一行はジャングルの中で「二つの異なった層に分かれて進行する」と、テレンス=ヒューウェットは感じ取っている。上と下とに分かれていることに気づく。フラッシング夫妻は上に、一方、テレンス=ヒューウェットとレイチェルは「共に世界の底に落ちてい」る。ウルフがどう考えていたにしろ、ここでの主題は無意識をおいて他にあるだろうか。そこから生命が誕生してくる暗黒世界だ。それは常に下層にある。ニーチェに言わせれば「机の上」にではなく「机の下」で起こっていることであり、俗にいう「下半身問題」である。そこには時間というものは始めから存在しない。フロイトはそれを「エス」(それ)と呼んだ。というのも、「それ」は「それ」としか言いようがなかったからだ。

「比喩をもってエスのことを言い現わそうとするなら、エスは混沌(こんとん)、沸き立つ興奮に充ちた釜(かま)なのです。われわれの想像では、エスの身体的なものへ向かっている末端は開いていて、そこから欲動欲求を自分の中へ取り込み、取り込まれた欲動欲求はエスの中で自己の心理的表現を見出すのですが、しかしどんな基体の中でそれが行われるのかはわれわれにはわからないのです。エスはもろもろの欲動から来るエネルギーで充満してはいます。しかしエスはいかなる組織をも持たず、いかなる全体的意志をも示さず、快感原則の厳守のもとにただ欲動欲求を満足させようという動きしか持っていないのです。エスにおける諸過程には、論理的思考法則は通用しません。とりわけ矛盾律は通用しません。そこには反対の動きが並び存していて、互いに差し引きゼロになったり、互いに譲り合ったりすることなく、せいぜいそれらは支配的な経済的強制のもとでエネルギーを放出させようとして妥協しているだけです。ーーーエスの中には時間観念に相当するものは何も見出されません。すなわち時の経過というものは承認されません。そして、これはきわめて注目すべき、将来哲学によって処理されるべき問題だと思われますが、そこには時間の経過による心的過程の変化ということがないのです。エスの境界線を決してふみ越えることのなかった願望興奮や、同時にまた抑圧によってエスの中へ沈められてしまった諸印象は、潜在的には不死であって、数十年経った後でもまるで新たに生じたかのような状態にあるのです」(フロイト「精神分析入門・下・P.290~291」新潮文庫)

ここで実際の性交があったかなかったかは問題にならない。重要なのはこの「通過」だ。ここからようやく歴史性は始まる。ウルフの文章は大変丁寧で、ともすれば一読者の立場を忘れて好感を持ってしまいそうになる。もちろん、そうであっていいのだが。

「大いなる漆黒の世界が、彼らを取り囲んでいた。穏やかにその中に引きこまれていくにつれ、暗闇は測り知れない厚みと持続性を備えているように思えた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.177」岩波文庫)

というふうに。

だがレイチェルはヒューウェットの思う次元に留まってはいない。そしてテレンス=ヒューウェットは恋人であるレイチェルを咎める。

「『きみはぼくのことを完全に忘れていたね』テレンスは咎めるように言って、レイチェルの腕を取り、甲板を歩き出した。『ぼくは決してきみを忘れないよ』『ああ、違う』レイチェルは囁いた。忘れていたのではない。ただ星がーーー夜がーーー闇がーーー。『レイチェル、きみは巣でまどろんでいる小鳥みたい。きみは眠っている。眠りながら話しているんだ』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.177~178」岩波文庫)

レイチェルは「巣でまどろんでいる小鳥」に《なる》。確かにそうだ。けれどもそれだけだろうか。レイチェルは船を自分の上に浮かべながらいずれは大西洋という大海原へ運び去っていく水ではなかったか。彼女は「小鳥」に「星」に「夜」に「闇」に《なる》。そしてもちろん「水」にも《なる》。そしていずれは《大西洋》にもなってどんどん変態を遂げていくのだ。この系列は奇妙に入り混じりながらいつも高速で移動している。彼女は停止ということをまったく知らない。むしろ世界を知ってしまっている。逆説的だが事情はこうだ。ベルクソンはいう。

「まず極限的にいえば、《瞬間的になりたつ》再認といったものが存在する。これはまったく身体だけで可能となる再認であって、そこには明示的な記憶がすこしも介入してこない。その再認は行動にあってなりたち、表象において成立するものではない」(ベルクソン「物質と記憶・P.183」岩波文庫)

何度も繰り返し訪れたことのある街路を前にして人は迷うということは稀にしか起こらない。むしろ無意識のうちにいつものコースあるいはあらかじめ頭の中で整頓しておいたコースを考えもせず散歩してまた元の位置に戻ってくることができる。それがベルクソンのいう「《瞬間的になりたつ》再認」というものの事例である。「慣れ」については前に述べた。その「慣れ」は身体が何度も同じことを反復=思考することで確かなものとして身体に定着する。だから慣れていない人は意識を固定することができず、定められたコースを「《瞬間的になりたつ》再認」という形で一挙に下描きすることはできない。ところがレイチェルにはそれができる。彼女は、判然とはしないが或る種の世界地図を持っている。それはあのランボーが持っていた地図と同様のものだ。ランボーは若い頃、実際の海を見たことがなかった。にもかかわらず彼は見事に「酔いどれ船」を一挙に書き上げてしまいはしなかっただろうか。抽象的なのではない。むしろ逆に現実的であり過ぎたためだ。或る出来事の経験から即座に無数の出来事を見抜き学び取ってしまう。驚くべき学習能力の高さと速さ。稀にでしかないが、この、ごくふつうの社会の中にも、そのような人間は生まれてくる。第一次世界大戦前後はそういうことが比較的多かったことは事実だろう。それよりももっと早くになるとまた急に数が少なくなっているように思われる。けれども、さしあたりマルクスの名を特記しておきたい。また謎なのは、異様ともいえる「学習能力」の高さと速さから生まれたマルクスとかランボーとかカフカとかヴァレリーとかウィトゲンシュタインらの出現にもかかわらず、彼ら彼女らに否定的な日本政府が推し進めている「生涯学習」とはこれからどのようなものになっていくのかという問いとともに、同時に何を創設=生産していくのかという問いが目の前に宙吊りにされており、極めて興味深いといえる。学問の場が果たして彼ら彼女らを上手く吸収できるだろうか。もし上手く吸収できない場合、あるいは彼ら彼女らを学問の場から閉め出してしまう場合、彼ら彼女らは路上へ放出される。すると今度は逆に彼ら彼女らは路上に《なる》。彼ら彼女らは路上だ。路上は通路だ。通路の諸系列と化した様々なネットワークを通じて世界と繋がる交通網。彼ら彼女らは世界だ。

それはそうと。では「《瞬間的になりたつ》再認」が存在するとして、その認識は、もし言い換えることができるとすれば、一体どのようなものとして捉えることができるのか。あるいはできないのか。答えは、できる、である。

「私の現在と呼ばれるものは、直接的な未来に対するじぶんの態勢であり、つまりは切迫している私の行動である。私の現在は、かくてまさに感覚ー運動的なものなのだ」(ベルクソン「物質と記憶・P.279」岩波文庫)

ベルクソンのいう「切迫している私の行動」。しかしこの「切迫性」をあえてさらに切迫させてしまってもいけない。それはそれでまた危険なのだ。

「生成変化を乱したくなければ、動きすぎないようにこころがけねばならない」(ドゥルーズ「記号と事件・P.277」河出文庫)

次へ行こう。

「ほら、レイチェルはあそこで自分の音楽に熱中して身体を揺らし、ぼくのことは忘れているーーーしかしぼくは彼女のそんな資質が好きだ。それが彼女にもたらしている個人を超えた性格が好きだ」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.181」岩波文庫)

テレンス=ヒューウェットはレイチェルの良き理解者だ。それも稀に見る良き理解者だろうとおもう。しかし理解者に留まる。レイチェルは「侵入禁止」と告げていなかっただろうか。「『お互いに一番悪いものを出し合うだけーーーわたくしたちは離れて生きていくべきだわ』」、と言ってはいなかったろうか。同一化を求める一方で、しかしなぜそういったのか。一般性としての「同一化」ではないのだ。彼女が求めているのは。似て非なるものだ。同一化ではけっしてなく、もっと互いに侵しがたいこと。融合することだ。まさしく宇宙論的な発想だというほかない。しかしボードレールはどうだったろうか。あるいはボードレールが見いだした格好になっているポーは。誰よりもヴァン・ゴッホは。超人的な人間。そのような人間は実にしばしば出現している。とはいっても、何も歴史上の有名人として考えてはならない。むしろ生きているうちは死んでいたと言ったほうが正しい人々であって、間違っても有名人とは縁もゆかりもないケースがほとんどである。ところが本当に次のセンテンスなどは実にポーめいているのである。レイチェルはいう。

「『テレンス、あなたは今まで感じたことがないの?全世界がいくつもの巨大な物質の塊りでできていて、その中で人間は光の断片でしかないってーーー』彼女は絨毯と壁に柔らかな陽射しが点々と揺らめいているのを見たーーー『あれみたいな、ね?』『ないな』とテレンス」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.184」岩波文庫)

テレンス=ヒューウェットの返事はつれない。「ないな」、と一言おいて、「ぼくは、がっちりしている」と答える。もう手遅れだ。取り戻せない致命的ミスだ。決定的な瞬間を逃した。だがしかし、決定的な瞬間もまた錯覚ではなかったか。レイチェルはいう。ヒューウェットが考えている「恋」について、それがもし「世間でいう恋」というものであるならば、自分がおもっていることは「恋」では「ない」と。求めていることは世間でいう「恋」などとはまったく違うのだと。通じ合えないということ。始めから、通じ合うことはないということ。後になればあるのか。そうではない。後になればなるほど、実は何一つ通じ合えてはいなかったとますます明白になる自分を自分自身に対して晒すばかりだ。レイチェルがもしポーだったとしよう。晩年のポーはアルコール依存症で全身を痛め付けて死んだ。酒場で死んだも同然だった。レイチェルは、と問う前に、なぜアルコールだったのかと問うてみよう。ボードレールは主にアルコールだ。マリファナとかアヘンとかも試してはいるが。ところがゴッホはどうだろう。これといって何もない。絵画があるだけだ。もりもりと盛り上げられた油絵の塊が今にも動きだしそうな異様な描き方で盛り上げられてあるだけだ。ニーチェはどうか。アヘンは集中力を鈍らせてしまうとして遠ざけた。そしてレイチェルを生んだウルフもアルコールに耽溺していない。逆にアルコールに耽溺した人々もまた多い。フィッツジェラルド、フォークナー、ヘミングウェイ、カポーティなど、途切れることがなさそうな勢いを見せている。しかしこれらの小説家はアルコールの力を借りて書いたとばかりも言えない。アルコールに依存してしまったのはもうすでに晩年のことであり、だがその晩年において彼らの筆力は見る見る低下していることはいろいろな研究者がとっくの昔に研究し発表してしまった。レイチェル=ウルフというケースは、これら男性芸術家と比較して、壁の向こう側にいるといえる。男性芸術家を馬鹿にしているわけでは何らない。したいともおもわない。そういうことではなくて、レイチェルの言葉にもっと耳を傾けたいとおもう、というふうに感じさせるものがあると言うことしか許されていないような気がしないだろうか、としかいえない。

「肘掛け椅子に深く座っているテレンスを見、いろいろな家具、隅にある彼女のベッド、空一杯に枝を広げている木が見える窓ガラスに目を向け、時計が時を刻む音を聞き、それらすべてと彼女の便箋との間に横たわる深い淵に驚いた。世界が一つで分け難いものとなる時は来るだろうか?もしかするとテレンスでさえーーーいま遠く離れたところにいるのかもしれない」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.190」岩波文庫)

「驚いた」とある。何に。「それらすべてと彼女の便箋との間に横たわる深い淵に」。すべてはあらかじめ「分割済み」なのだ。彼女がこの世に生まれたときすでに世界はすべて「SOLD OUT 」と明示されていた。言語によって規則正しく分割されていた。しかし言語なしにレイチェルはない。文法なしに世界は成立しない。文法による支配に従う限りでレイチェル=ウルフは生きていることができる。レイチェルは望む。「世界が一つで分け難いものとなる時」を。全世界の融合を。別の意味で考えれば極めて危険な全体主義イデオロギーともなる禁じられた希望だ。けれども一つの個別的な身体ともう一つの個別的な身体とは一挙に融合できるわけがない。彼女にはそのことが痛いほどわかっている。だから余計に融合を望んだのかもしれない。「溶ける」ということはウルフ作品における大きなテーマだ。これがニーチェになるとディオニュソスという言語へ変換されるわけだが。そうできれば事態はもっと簡単になるだろう。とはいえ、ディオニュソスとして単純に片付けてしまうにはまだ遠く、違いを認めないわけにはいかない。

BGM

レイチェル/生と水のエチカ6

2019年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム
レイチェルにとって余りにも馬鹿馬鹿しいと考えるほかない礼拝が終わった。そして「高所に辿り着い」ている。彼女は「山上のキリスト」に《なる》。ただし、その一日を巡って罵りと反省の場所を得たというに過ぎないが。意識ははっきりしている。

「やがて彼女はこの一日のことすべてを、思いのままに罵り始めた。始めから終わりまで惨憺たる一日だった。まず礼拝堂での礼拝、それから午餐、そしてエヴリン、そしてミス・アラン、そして道を塞ぐペイリー夫人。一日中みんなにじらされ、はぐらかされていた。今はようやく、ある種の危機を経験した結果でもあろうか、世界全体の真相を正確に見渡せる高所に辿り着いていたのだった。その眺めを彼女は酷く嫌悪したーーーいろいろな教会、政治家、はみ出し者やら大物ペテン師たちーーーダロウェイ夫人のような連中、バックス牧師のような輩(やから)、エヴリンとあのおしゃべり、道を塞ぐペイリー夫人。一方、絶えず脈打つ彼女自身の鼓動は、体の奥底に渦巻く熱い感情の流れが波打ち、もがき、争っていることを訴えていた。しばらくは彼女の肉体が世界の全生命の源として、ここ、かしこに吹き出そうとしていたが、今やバックス氏に、時にエヴリンに、さらにはずっしりとした愚鈍の塊りに、重苦しい世界全体の重圧に押さえ込まれていた。苦悶するレイチェルは、あらゆるものが間違っている、誰も彼もが愚かだと、両手をより合わせるばかりだった。下の方の庭にいる人たちを目にしたレイチェルは、あれは、わたくしの邪魔をする以外には何の目的もなく、あちこちに漂流している物体のようなものだと想った。あの連中は、世界中の他の人たちは、みんな何をしているのか?」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.124~125」岩波文庫)

罵りの対象の中に「道を塞ぐペイリー夫人」が含まれている。ペイリー夫人は老女である。車椅子に乗っている。そしていかにも悠々と誇らしげに他人の前を通り過ぎていく。老人には常に敬意を表すべきである。とりわけ車椅子に乗っている老いた貴婦人の前では、とでも言いたげな様子で満足げにレイチェルらの前を通り過ぎるのだ。それこそ「古き良き時代の大英帝国の伝統」だと言わんばかりの態度で。レイチェルはそのことが頭に来て仕方がない。レイチェルにとっては女性を女性という名の身体の中に閉じ込め、もしかしたら受け取れたかもしれない「自由さ」をあらかじめ奪い取り、母性という名の意味不明な人格を押し付け、そしてそれを神の名において永遠に縛り付けようとするキリスト教の教義の上にあぐらをかいた不遜な態度にしか見えない。

ところで、もともとはずっと多様だった生と性と身体とを暴力的に一致させ、その後にこのような生の一般化がなされるまでには少なからず時間がかかったこともまた確かだ。その辺りの事情についてニーチェはこう述べている。

「われわれの行為、観念、感情、運動すらもーーーすくなくともそれらの一部分がーーーわれわれの意識にのぼってくるということは、長いあいだ人間を支配してきた恐るべき『やむなき必要』の結果なのだ。人間は、最も危険にさらされた動物として、救助や保護を《必要とした》、人間は《同類を必要とした》、人間は自分の危急を言い表し自分を分からせるすべを知らねばならなかった、ーーーこうしたすべてのことのために人間は何はおいてまず『意識』を必要とした、つまり自分に何が不足しているかを『知る』こと、自分がどんな気分でいるかを『知る』こと、自分が何を考えているかを『知る』ことが、必要であった。なぜなら、もう一度言うが、人間は一切の生あるものと同じく絶えず考えてはいる、がそれを知らないでいるからである。《意識にのぼって》くる思考は、その知られないでいる思考の極めて僅少の部分、いうならばその最も表面的な部分、最も粗悪な部分にすぎない。ーーーというのも、この意識された思考だけが、《言語をもって、すなわち伝達記号》ーーーこれで意識の素性そのものがあばきだされるがーーー《をもって営まれる》からである。要すれば、言葉の発達と意識の発達(理性の発達では《なく》、たんに理性の自意識化の発達)とは、手を携えてすすむ。付言すれば、人と人との間の橋渡しの役をはたすのは、ただたんに言葉だけではなく、眼差しや圧力や身振りもそうである。われわれ自身における感覚印象の意識化、それらの印象を固定することができ、またいわばこれをわれわれの外に表出する力は、これら印象をば記号を媒介にして《他人に》伝達する必要が増すにつれて増大した。記号を案出する人間は、同時に、いよいよ鋭く自分自身を意識する人間である。人間は、社会的動物としてはじめて、自分自身を意識するすべを覚えたのだ、ーーー人間は今もってそうやっているし、いよいよそうやってゆくのだ。ーーーお察しのとおり、私の考えは、こうだーーー意識は、もともと、人間の個的実存に属するものでなく、むしろ人間における共同体的かつ群畜的な本性に属している。従って理の当然として、意識はまた、共同体的かつ群畜的な効用に関する点でだけ、精妙な発達をとげてきた。また従って、われわれのひとりびとりは、自分自身をできるかぎり個的に《理解し》よう、『自己自身を知ろう』と、どんなに望んでも、意識にのぼってくるのはいつもただ他ならぬ自分における非個的なもの、すなわち自分における『平均的なもの』だけであるだろう、ーーーわれわれの思想そのものが、たえず、意識の性格によってーーー意識の内に君臨する『種族の守護霊』によってーーーいわば《多数決にかけられ》、群畜的遠近法に訳し戻される。われわれの行為は、根本において一つ一つみな比類ない仕方で個人的であり、唯一的であり、あくまでも個性的である、それには疑いの余地がない。それなのに、われわれがそれらを意識に翻訳するやいなや、《それらはもうそう見えなくなる》ーーーこれこそが《私》の解する真の現象論であり遠近法である。《動物的意識》の本性の然らしめるところ、当然つぎのような事態があらわれる。すなわち、われわれに意識されうる世界は表面的世界にして記号世界であるにすぎない、一般化された世界であり凡常化された世界にすぎない、ーーー意識されるものの一切は、意識されるそのことによって深みを失い、薄っぺらになり、比較的に愚劣となり、一般化され、記号に堕し、群畜的標識に《化する》。すべて意識化というものには、大きなしたたかな頽廃が、偽造が、皮相化と一般化が、結びついている」(ニーチェ「悦ばしき知識・三五四・P.393~395」ちくま学芸文庫)

ニーチェは「意識の内に君臨する『種族の守護霊』」と呼ぶ。様々な言語共同体をたった一つの規則・文法で一つにまとめ上げ縛り付ける共同体の法あるいは掟というものを指していわれている。この規則・文法のもとを離れたところでは、人々は何一つ意識することはできない。何一つ共通のものを持つこともできない。人と人とは通じ合うことができない。しかし言語共同体の規則・文法を嫌というほど自分の身体に刻み込み、その文法の命じる限りでのみ、人は人として認められ同時に何らかのコミュニケーション関係に入ることができる。そうするためには共同体を支配することが必要になるわけだが、支配するためには一度に共同体の成員全体を習慣的に集わせる場が必要になってくる。勃興期の資本主義社会で教会が果たしていた絶大な機能。二十世紀初頭においてもなおキリスト教会は大変巨大な権力を持っていた。そしてそこでは誰もが個別性を奪い取られ、一般化され、凡庸化され、「道徳」の名において畜群化されるための儀式が習慣的に行われる。

「群畜的本能。ーーー道徳というものにぶつかる場合、いつでもそこにわれわれは人間の諸々の衝動や行為の評価と等級づけのあるのを発見する。これらの評価と等級づけは、いつでも、ある共同体や群畜存在の要求の表現なのである。《これらのものに》とって第一に役立つーーーまた第二にも第三にも役立つーーーもの、それがまたすべての個々人の価値を定めるうえの最高の規準でもある。道徳によって、個人は、群畜存在の機能であるように、また機能としてだけ自分を価値づけるように、導かれる。一共同体を維持する諸条件は他の共同体のそれとは非常に違っていたから、きわめてまちまちな道徳が存在した。さらに、もろもろの群畜存在や共同体、国家や社会に今後おこるでもあろう本質的な変革を頭におけば、次のようにわれわれは予言することができる、ーーーこれからも随分と変り種の道徳があらわれるだろう、と。道徳性とは、個々人における群畜的本能のことである」(ニーチェ「悦ばしき知識・一一六・P.210」ちくま学芸文庫)

キリスト教はどこまでもレイチェルを苦しめ抜く絶大な権力機構でしかなかった。そしてそこで個々人はその個別性を抹殺され、金太郎飴のように誰もが同様に育て上げられる。そのような人々を観察してみると、彼ら彼女らの内部にはいつもどこか鼻持ちならない嘲笑的態度が目に付く。それがレイチェルにはいつも耐え難いものとして映るほかないのだが同時に耐えることを強いるのである。彼女は耐え難い世界にいる。しかし耐えなくては生きていくことができない。この、生きている限りずっと長引くダブルバインド(板ばさみ)状態はレイチェルに統合失調症に《なる》ことを要求するのである。

「頭上で枝がそよぐたびに、埃か花の小さな粉が皿の上に落ちてくる。レイチェルはこうしたすべてのことの少しずつを、見たり聞いたりしていたが、彼女の眼差しは、川が小枝の落ちてくるのを感じて空を見上げると言われるのにも似て定かでなく」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.128~129」岩波文庫)

レイチェルは、彼女にはよく起こることだが、しばしば意識が「空を見上げると言われるのにも似て定かでなく」なる。そのようなとき、とりわけ彼女は幻覚的光景の中を安らっていることが多い。むしろ彼女にとってはそのほうがより一層「真実」なのだ。この目線からものを見ると、他人は妙にそらぞらしく、いつも何らかの嘘を付いているというふうにおもわれてくる。だが本当に他人は嘘を付いているのだろうか。或る意味ではそうだ。人々がいつも付けている仮面の下に素顔はない。仮面の下にはさらなる仮面があるだけだ。

「いついかなる場合でも、裸のものの真理は、仮面、仮装、着衣のものである。反復の真の基体〔真に反復されるもの〕は、仮面である。反復は、本性上、表象=再現前化とは異なるからこそ、反復されるものは、表象=再現前化されえないのであって、反復されるものはつねに、おのれを意味するものによって意味され、おのれを意味するものをおのれの仮面とし、同時におのれ自身、おのれが意味するものの仮面となる、ということでなければならないのだ」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.62~63」河出文庫)

さて、スーザンは一通りしゃべる。その「おしゃべり」なことと言ったら、とてもではないがレイチェルのような繊細な精神では耐えることができない。ほとんど「いじめ」といってよい。レイチェルはこうおもう。

「スーザンは自分の生活にも性格にも、しみじみと満足感を覚え、声は山のように高かった。一方レイチェルは突然、彼女の親切で、控えめで、哀れな所にさえまったく目を塞ぎ、激しい嫌悪を感じた。スーザンが不誠実で残酷な女になると見た。太って子だくさんになり、優しい碧眼は浅く水っぽく、薔薇色の頬は凝結して乾いた赤い血管の編み目となるのが見えた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.130」岩波文庫)

次のセンテンスではまたウルフの思想が顔をのぞかせる。この思想はウルフがヒューウェットを通して言わせている思想よりも遥かにウルフに近い。だけでなく、ウルフが自殺を遂げるその日までウルフの中の奥底深くを或る種の力として流れていくものでもある。

「『そう、それは誰でもそうなんだわ!』レイチェルは声を大きくした。『誰も感じないーーー誰も何もしないで人を傷つけるだけ。そうよ、ヘレン、世界は悪だわ、生きること、欲すること、それがそのまま苦しみの極みーーー』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.133」岩波文庫)

だから人間は早く死んでしまったほうがよくはないか、という思想となって出現してくる。事実、「ダロウェイ夫人」ではセプティマスの言葉を通してすでに露骨に語られている。

「こんな世界に子供を産み出すわけにはいかない。苦悩を永続させるわけにはいかない、喜怒哀楽がさだまらず、ただ気まぐれと虚栄の煙を、その時その時であちらへこちらへと渦巻かせる、この好色な動物の子孫を、繁殖させるわけにはいかない。ーーー事実はこうだ、人間てやつは、その時かぎりの楽しみを増すに役立つ以上の親切も信仰も慈悲ももっていないのだ。彼らは群れをなして獲物を追う。その群れは荒野をあさりまわり、金切声を立てながら荒野の中へ姿を消す。彼らは倒れたものを見すてて行く。彼らは漆喰(しっくい)で固めたしかめ面のような表情をしている。店には、口髭(くちひげ)を蠟(ろう)でかため、珊瑚(さんご)のネクタイピンをつけ、白いワインを胸にのぞかせ、うれしそうにしているブルーウァーがいるーーー心の中はまるで冷たくべとべとしているのだーーーあいつの天竺葵(ゼラニウム)は戦争でめちゃめちゃにされーーー料理女は気が狂った。あるいは、なんとかアメリカって女が、かっきり五時に、お茶のコップをくばって歩いているーーー横目でにらみ鼻であしらう淫猥(いんわい)な欲張り女。そしてトムとかバーティとかいう連中が悪徳の濃い滴りをにじみ出させていいる糊(のり)の利いたワイシャツの胸を出している。やつらはおれが、やつらの妙な裸体姿の絵を手帳に描くのを、ご存知ないのだ。通りを、大馬車がガラガラ音を立てて彼のそばを通りすぎた。獣性が新聞売子のポスターの上で吼(ほ)え立てていた。男たちは鉱山で生き埋めにされ、女たちは生きながら火あぶりにされた。そしていつかは、トットナム・コート街で運動にだされたというよりは、むしろみなの慰みものに供された狂人どもの乱れた列がゆっくりと彼のそばを歩いて、うなずいたり、歯をむき出してにやにや笑ったりして行くのであった。一人一人がいくらか申し訳なさそうに、しかし得意そうに、おのれの絶望的な苦悩をふり撒(ま)いて歩いた。そしておれも気狂いになるんだろうか?」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.141~143」角川文庫)

第一次世界大戦がもたらしたこのような思想は、だが、当時はありふれたものだった。大戦集結後しばらくしてどんどん発生してきた。それは主に戦争に行った若年層のあいだで広がった。無関心、無表情、ニヒリズム、シニカルな嘲笑的冷笑主義、極端な個人主義、あるいはフロイトの報告にあるような様々な神経症という形を取って突如出現した。このような圧倒的な社会的トラウマを社会的規模で強いられたヨーロッパ。そしてそこにスターリンのソ連、ナチスのドイツ、ムッソリーニのイタリアが産声を上げる。しかし大日本帝国の場合はまた事情が転倒している。それはすでに日露戦争後から始まっていたと言える。というのは、日露戦争で勝利したのはロシアではなく日本の側であるにもかかわらず、なぜ日本の取り分がこれほどまでに少ないのか、という疑惑として生じた。しかしその疑惑の念は大正時代に訪れた「大正デモクラシー」という社会運動として展開される原動力になった。根底にあるのはあくまでも帝国主義的資本主義なのだが、そのうわべは民主主義へ向かう社会運動として展開されたのだ。第二次世界大戦は最初は第一次世界大戦が残したものを種として関係諸国が内部に孕んだ民衆の社会運動という形式を取って見せていたばかりでなく、実際に帝国主義に反対する運動として様々な形態へ散り散りに展開した。反対運動はしかし、帝国陸軍主導の政権によって、そしてそれに資本を注入する財閥によって、完膚なきまでに潰されていく。そうした諸事情の再編成・再再編成、再生産・拡大再生産が、第二次世界大戦へと収斂していくのだ。

「好意と悪意が行き交い、一緒になること、別れることがあった背後に大きなことが起こっているーーー恐ろしいほどに大きなことが。小枝と枯葉の下で蛇が動くのを見たかのように、彼女の安心感が揺さぶられた。一瞬の休息、一瞬の気晴らしがあった後で再びあの底知れぬ道理に合わぬ法則が頭をもたげ、あらゆるものがその法則の命ずるままに作られては壊されるのだった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.133~134」岩波文庫)

ここでレイチェルは「あらゆるものがその法則の命ずるままに作られては壊される」と感じる。それはいつも彼女の精神が不安定なときに起こる。というより、安定と不安定との《あいだ》、設立と崩壊との《あいだ》で起こる。「彼女の安心感が揺さぶられた」とあるような時に。物事はそれが何であれ常に運動しているものではあるが、ふだん人間はそれをこのように感じることはあまりない。しかしレイチェルは違うのだ。彼女は自分で自分自身をもっと大切にしようと考える。ところが、もともと繊細な神経の持ち主の彼女は、考えれば考えるほど事物の真相に迫っていかざるを得ない。あらゆる事物は連結と切断とを不断に繰り返しつつ常に既に動的状態にあるのだと。しかしそれは何もウルフに特有の現象だったわけではまったくない。多少なりともそのように考える人々が急速に増殖してきた時期に当たっているというに過ぎない。ウルフのみが特別だったわけではない。たとえば経済学者のケインズがそうだ。ケインズはウルフを中心とするブルームズベリー・グループに属していた。帝国主義という怪物とソ連という怪物との《あいだ》で思考した人々の一人である。結果的にケインズは、バブルと暴落とを繰り返すばかりで不安定極まりなく無責任なアメリカ経済を救うことになる。始めは随分嫌われていた。アメリカ社会ではバブルと暴落の嵐が吹き荒れているにもかかわらず敬遠された。ケインズが社会主義者に映ったのだ。しかしケインズ抜きにアメリカは自分で自分自身の作り出した資本主義の危機を脱することはできないと知る。何よりソ連を恐れた。そこで仕方なしにケインズ理論を受け入れた。ところがこれがアメリカ経済に上手くはまった。資本主義左派としてのケインズの誕生である。したがって、戦後日本の高度経済成長の基盤になったのもまたアメリカ経由のケインズ理論なのだが、日本では社会主義右派あるいは保守として語られることになる。資本主義陣営からは嫌われた。しかし膨大な規模をもってする大建築とか大規模団地建設とか高速道路設立とかの実現はケインズなしに語ることはできない。やっていることは確かに社会主義右派あるいは保守の方法である。それでも思想・信条レベルではあくまで資本主義だと言い張って聞かないという幼稚な態度が高度経済成長期の日本の知識人の姿だった。ところが勘違いしてならないことは、アメリカ経由であれイギリス経由であれ、日本に輸入されると何かが変質するという重大な変形作用がいつも働いていたことだ。この変形作用は第二次大戦後に限っていえることではない。それはすでに明治維新前後には発覚していた不可解な非合理的というほかない独特の風土だった。そのことは丸山眞男が詳しい。だがさしあたり、ここでは関係がない。また、ケインズ主義も、ネット社会の実現によってとうとう駆逐されてきたことは今の世界が何より雄弁に語っているであろう。

さて、人間が一緒になったり別れることになったりする背景についてレイチェルは考える。その「背後に大きなことが起こっている」と。実をいうと「背後」には何もない。何もないのだが、レイチェル=ウルフにとって、それこそが余りにも重要な「神秘」ではないのかと問うのだ。なぜ人間は「生きているのか」と同時に「死んでいないのか」という神経症的で二元論的な問いにいつもしばしば晒されている。これでは相当タフな人間であってもどこかで精神がまいってしまう。折れてしまう。神経症的なだけでなく、さらにそこにダブルバインドがのしかかってくる。これで死なないほうがどうかしている、とおもわないではいられない。

レイチェルの精神状態はパターン化することができる。知りたければこの周囲のページに目を落としてみると、より一層理解できるだろうとおもう。

「鮮明だった世界の眺めは霞み始めた」「熱を帯びた靄(もや)に覆われた世界が広がって」「夢の世界から実体感のある生身の世界に入った」ーーーなど。

また、レイチェルがそう望んで止まない単独性ということについて。他人が感じるのとは違った差異的な「ほかならぬ私の感覚」について、スピノザを参照しておきたい。

「各個人の各感情は他の個人の感情と、ちょうど一方の人間の本質が他方の人間の本質と異なるだけ異なっている」(スピノザ「エチカ・第三部・定理五七・P.231」岩波文庫)

BGM