リチャード・ケープスのインタヴューにマーク・フィッシャーは答えている。全体は長いのだが面白く読めたところを折りに触れて引用したいと思う。差し当たり次の箇所。
「資本主義がその勝利の頂点に至った時点で、共産主義の要素がその中に芽生えはじめるという現象です。私がスターバックスについてよく言うことですが、スターバックスは共産主義への欲求を表していると思います。なぜなら、スターバックスについて言われることはすべて、共産主義について語られたことそのものだからです。均質的であるとか、汎用的であるとかですね。人々は、スターバックスに何を求めているのでしょう?コーヒーじゃないと思いますよーーーまあ、ひどい味なので、そうでないことを願いますが。人々がスターバックスに求めるのは、慣れ親しんだもの、ありふれたもの、つまり公共空間のひとつの形態であり、ある種の均質な公共空間なのです。ポスト資本主義は、これをスターバックスよりもうまく、そしてより安く提供することができると主張できるのです。公共空間への欲望と、均質で複製されたものへの欲望は同義語になりうるのです。しかし現在、私たちにあるのは、スターバックスのような、その劣化版だけなのです。
大量生産が資本主義だけの特徴だと考える理由はないでしょう。私たちにはロボットとかもあるじゃないですか。そういうのは、資本主義に頼らない経済をどうやって構築できるかという具体的なチャレンジのひとつです。私とある種のアナーキズム的なアプローチとの違いはたぶん、ただ単に私が、資本主義のグローバルな勝利がポスト資本主義の前提条件であるというマルクスの考えに賛同している点にあると思います。資本主義がグローバルであるならば、私たちもグローバル、ないしは十分にグローバルでなければならない。資本主義はグローバルな政府によって運営されているわけではありませんが、その活動を世界各地で連携させるための十分なシステムを備えているので、反資本主義闘争の有効性を最小限に抑えることができるのです。私たちにも同じようなグローバルな連携のシステムが必要で、そのなかには、例えば資源の有効活用を保証するような資源管理が含まれると思います」(マーク・フィッシャー「アシッド・コミュニズム・P.76~77」ele-king books 二〇二四年)
これだけでも長年にわたる重苦しい鬱病の中にあってなお少しは未来がありそうに思えてくる。
多分次に引用したくなる箇所があるとすれば「なんの役にも立たない」の項からだろう。けれども課題は入試問題のように順番に解いていけば済むようなものではまるでない。例えば日本では衆院選が終わり予想通りおかしな結果が出てきたばかりの時期ゆえ、なおのこと「ヴァンパイア城からの脱出」は極めて今日的な問いとして受け止める必要があるに違いない。
そんなところかな。
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