あべちゃんの写楽生活

撮ることが楽しいのか、楽しいから撮るのか

カラオケは苦手です

2015年03月03日 02時00分00秒 | 写真

 

親戚の集まりで宴会の席、みんなでカラオケが始まったのだが、

私は歌わなかった。

カラオケは大の苦手です。

会社の忘年会も、何回出席しても今までかつて一度も

歌ったことはなかったのです。

別に自分が音痴だからと思ってるわけではなく、それなりに

音を合わせることぐらいはできると思っている。

音楽が好きで学生のころは音楽部に所属していたのに

どうしてこんな風になってしまったのか。

たぶん若い頃の2つのトラウマのせいだと思う。

 

私は小さいときピアノを習っていたのですが、教室に通う

のではなく、先生の自宅で個人レッスンを受けていたのです。

私個人の月謝だけでは先生も生活できませんから、何人も生徒がいるわけですよ。

私がレッスンをしているとき、次の生徒は椅子に座って待機しているのです。

中学生になったとき、先生がサービスで「ソルフェージュ」と「コールユーブンゲン」

というものをピアノのレッスンのあとに教えてくれたのです。

これは声楽家をめざす人には必須で、歌詞のない歌です。

最初の音を先生がピアノでたたいて、その音をベースに楽譜をみながら、

「ソ・・・ミドレ・・・・ラソミソ・・・シラソ・・・」という風に歌うわけです。

中学生という多感な時期に、待っているガキの前で歌うことの恥ずかしいこと、恥ずかしいこと。

しかし先生は好意で教えてくれているので、やめてくれとは言えずにつらい思いをしました。

 

もうひとつは高校の部活の新入生歓迎会で、全員で歌をうたわれたこと。

「いくら音楽部とはいえ、いまどき歌かよ!」

とびっくりしました。

しかも、安保闘争のころのフォークソング・・・

「君のぉ~ゆく道はぁ~・・・」

みんなニコニコ顔です。

うっわ~気色悪っ!なに、この人たち。

それには理由がありました。

 

我が高校の音楽関係の部は複雑でした。

吹奏楽部、合唱部、というのがあったのです。

合唱部の顧問の先生は音楽の先生です。

吹奏楽部の顧問の先生は他の教科の先生でした。

しかし先生ですから移動がありますよね。

この合唱部の先生が移動になって、新しく入ってきた音楽の先生は

弦楽好きで新しく弦楽オーケストラの部をつくりました。

卒業式のときなどは、吹奏楽部と弦楽部がいっしょになり、

喜多方高等学校管弦楽団になります。

会津で唯一の高校オーケストラでした。

福島県全体でもオーケストラがあったのは他に郡山商業くらいでした。

残った合唱部の顧問にもこの音楽の先生がなったのですが、

やっぱり自分が作った部のほうに力が入りますよね。

合唱部はじり貧になり、オーケストラ部と統合しよう、となったのです。

ですから私の2年先輩は、

「オーケストラ部員なんだけど、本当は合唱が好き」

という人たちばかりだったのです。

ですから部のイベントの時はいつも歌です。

ゲームの罰ゲームも歌。

合宿の打ち上げも歌。

みんなで銭湯にはいったら、男湯と女湯で校歌の合唱。

しかも混声4部のフルコーラスで8番まで。

他のお客さんは慌てて出て行く、という有様。

ほんと、イヤでした。

1、2年のころは我慢してましたが、3年になったらすぐに廃止してやりましたよ。

もう、一生分の歌はうたった、と思いましたねあのころ。

私はもう歌わなくとも・・・・いいですっ!

 

コメント
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