親戚の集まりで宴会の席、みんなでカラオケが始まったのだが、
私は歌わなかった。
カラオケは大の苦手です。
会社の忘年会も、何回出席しても今までかつて一度も
歌ったことはなかったのです。
別に自分が音痴だからと思ってるわけではなく、それなりに
音を合わせることぐらいはできると思っている。
音楽が好きで学生のころは音楽部に所属していたのに
どうしてこんな風になってしまったのか。
たぶん若い頃の2つのトラウマのせいだと思う。
私は小さいときピアノを習っていたのですが、教室に通う
のではなく、先生の自宅で個人レッスンを受けていたのです。
私個人の月謝だけでは先生も生活できませんから、何人も生徒がいるわけですよ。
私がレッスンをしているとき、次の生徒は椅子に座って待機しているのです。
中学生になったとき、先生がサービスで「ソルフェージュ」と「コールユーブンゲン」
というものをピアノのレッスンのあとに教えてくれたのです。
これは声楽家をめざす人には必須で、歌詞のない歌です。
最初の音を先生がピアノでたたいて、その音をベースに楽譜をみながら、
「ソ・・・ミドレ・・・・ラソミソ・・・シラソ・・・」という風に歌うわけです。
中学生という多感な時期に、待っているガキの前で歌うことの恥ずかしいこと、恥ずかしいこと。
しかし先生は好意で教えてくれているので、やめてくれとは言えずにつらい思いをしました。
もうひとつは高校の部活の新入生歓迎会で、全員で歌をうたわれたこと。
「いくら音楽部とはいえ、いまどき歌かよ!」
とびっくりしました。
しかも、安保闘争のころのフォークソング・・・
「君のぉ~ゆく道はぁ~・・・」
みんなニコニコ顔です。
うっわ~気色悪っ!なに、この人たち。
それには理由がありました。
我が高校の音楽関係の部は複雑でした。
吹奏楽部、合唱部、というのがあったのです。
合唱部の顧問の先生は音楽の先生です。
吹奏楽部の顧問の先生は他の教科の先生でした。
しかし先生ですから移動がありますよね。
この合唱部の先生が移動になって、新しく入ってきた音楽の先生は
弦楽好きで新しく弦楽オーケストラの部をつくりました。
卒業式のときなどは、吹奏楽部と弦楽部がいっしょになり、
喜多方高等学校管弦楽団になります。
会津で唯一の高校オーケストラでした。
福島県全体でもオーケストラがあったのは他に郡山商業くらいでした。
残った合唱部の顧問にもこの音楽の先生がなったのですが、
やっぱり自分が作った部のほうに力が入りますよね。
合唱部はじり貧になり、オーケストラ部と統合しよう、となったのです。
ですから私の2年先輩は、
「オーケストラ部員なんだけど、本当は合唱が好き」
という人たちばかりだったのです。
ですから部のイベントの時はいつも歌です。
ゲームの罰ゲームも歌。
合宿の打ち上げも歌。
みんなで銭湯にはいったら、男湯と女湯で校歌の合唱。
しかも混声4部のフルコーラスで8番まで。
他のお客さんは慌てて出て行く、という有様。
ほんと、イヤでした。
1、2年のころは我慢してましたが、3年になったらすぐに廃止してやりましたよ。
もう、一生分の歌はうたった、と思いましたねあのころ。
私はもう歌わなくとも・・・・いいですっ!