自分はいつから音楽が好きになったんだろう。
普通、自分が興味を持ち始めた時期を明確に答えられる人はいない。
なんとなく、いつのまにか好きになるものだ。
興味、趣味なんてそんなものである。
でも、自分は答えられる。
小学校6年生の時だ。
我が小学校に福島市から先生がやってきた。
珍しいことだった。
普通、小学校の先生は同じ会津の中で移動するからだ。
先生の提案することは会津の田舎の小学校にとって新鮮で斬新だった。
福島市の最先端の教育を取り入れた、ということなんだろう。
すぐに先生は学年主任になった。
6年生になると「鼓笛隊」と呼ばれるマーチングバンドを学年全体で作る。
どの学校も同じだ。
先生は学年主任なので総責任者だ。
さっそく、当時では先端の旗振り(フラッグ)を導入したりして、みんなをびっくりさせていた。
その先生が私の担任になったのだ。
さっそく、楽器の振り分けが始まった。
当時の花形は、男子はトランペット、女子はバトントワラーだ。
こんなものは、頭がいいやつか、運動ができるやつ、美人で長身の女、親が医者のやつ
に相場は決まっていた。
すごい偏見だが、だいたい想像通りに決まっていった。
私はどれにも当てはまらなかったので、縦笛だろうと思っていた。
結果、その通りになった。
なにも不満はなかった。分相応だと思っていたからだ。
現代では、自分の子供に少しでもいい楽器をやらせようと色々画策する
モンスターペアレントがいるらしい。
当時は、縦笛でもだれも文句は言わなかった。
昔は今より所得格差が大きかったので、親が余計な時間と金を使うボランティアのような
PTAの役員を引き受けてくれる裕福な家には、
それくらいの特権を与えてもしかたないと思っていたのだ。
その担任の先生なのだが、スパルタだった。
宿題を忘れると、ビンタされた。
そう、体罰だ。
いくら40年以上前であっても体罰は禁止されていた。
ある女子児童が宿題を忘れてビンタされたとき、親が怒って校長先生に直談判した。
そのとき、PTA役員が率先して「先生を支持する」という署名活動をしたのだ。
「ガキなんて、言ってもわかんないときは叩くしかねぇべ」
「どんどん、やってください」
ということだ。
保護者から絶大なる信頼を得ている先生だが、子供にとっては恐怖でしかない。
その先生から宿題が出された。
「明日まで、この2曲の楽譜を全部、覚えてこい」
というものだった。
マーチングバンドは楽譜を見ながら演奏することはできない。
全部暗記(暗譜)するしかないのだ。
指されて答えられなかったら、ビンタが待っている。
しかし全員が指されるわけではない、数名だ。
どうする、暗記するか指されない方に賭けるか。
決まっている。暗記するしかないのだ。
かんばって暗記した。
そしたらなんと、次の日指されてしまったのだ。
必死で答えた。
「よし、座れ。次・・・」
あーよかった、ビンタは回避した。
うわー、ビンタじゃなくて顔にマジックで落書きされてるー!
しかも、わざと他の教室の先生に用事を言いつけられる。
隣の教室から爆笑が起こった。
あぶねー
彼は放課後までそのままの顔だった。
数日後、職員室に呼ばれた。
単独で呼ばれるなんて、ろくなことはない。
恐る恐る入って行った。
「あのよー、○○が転校することになったんだ」
「そんでお前、トランペットやれ」
と学校の備品のボロボロのトランペットを渡された。
先生にとってはだれでも良かったのだろうが、宿題の出来がよくて
先生の頭に私の名前が残っていたのかもしれない。
その時自分は、
「ふーん、楽器が変わるんだ」
としか思っていなかった。
しかし、家に帰ってその事を話すと母親は、
「えーっ、すごいじゃない」
と言っていた。
そんなにすごいことなのか?
しかし、母親同士の会話を聞くと、
「おたくの息子さん、なにやってらんだし?」
「うーん、トランペットだぁ」
「うわー、すごいなし」(なっしー!ではない)
と言っていた。
やっぱり、すごいことなんだな。
音楽の「お」の字も知らない貧乏息子の親父でさえ新品の
トランペットを買ってくれた。
人生で初めてしかも最後かも知れない、努力が報われた瞬間だ。
鼓笛隊の木管と金管は独立して吹奏楽部になった。
他の部と掛け持ちできる特別扱いの部だ。
当時、アコーディオン、木琴、トライアングルなどが小学校の吹奏楽部の主流だった。
しかし、うちの小学校はフルート、クラリネット、トランペット、トロンボーン、ホルン、チューバだ。
自慢だったねぇ。
宿敵、会津若松市にもなかったもの。
先生もよほどうれしかったのか、会津若松市のコンクールの後、全員にラーメン
をご馳走してくれた。
それ以来、音楽にのめり込むようになった。
トランペットだけが白い手袋をはめられたんだよ。カッコよかったねぇ。(当時)
少しは女の子にもてるようになるかと思ったけど、それはなかったね。
おまけ
当時、さっそうといさましく演奏していた「ドナウ川のさざ波」がワルツだった
ことがわかったのはだいぶ後のこと。
踊れねーよ、あれじゃぁ。