あべちゃんの写楽生活

撮ることが楽しいのか、楽しいから撮るのか

頭にきた

2015年03月26日 06時02分33秒 | 写真

 

先日、スマホを修理に出したが、良い機会なのでこの際

自分の契約している内容を確認したのだ。

補償の内容とかも確認したいからね。

マイドコモにアクセスして・・・

そしたら・・・?

なんと、ケータイ補償お届けサービス対象機種が以前の機種のままだ。

おいおい、もう使っていない機械の保険金380円を19ヶ月も

払っていたのかよ。

しかも今の機種はどうんなんの?

さっそくドコモショップに電話。

早い話が、

機種変更登録忘れだが、売ったヤマダ電気が悪い。

そちらに言ってくれ。

ヤマダ電気からこちらに修正依頼がくれば、変更できる。

こちらで、勝手に変更できない。

とのこと。

ヤマダ電気に電話。

自分たちのミスは認めたが、機種変更時から補償対象機種も

変更された、と修正することでしかたなく納得。

私としては、保険金を返してほしかった。

だって万が一、紛失していたら、

「この機種は補償の対象ではないので、実費です」

と言われていたわけだからね。

補償期間が今日からではなく、買った時点からに変更になった

からといってなんの変化もない。

だって、もう過去だもの。

ダメ元でお問い合わせにメールしてみようかな。

 

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やっぱり値上げかぁ

2015年03月25日 08時03分26秒 | 写真

 

シャネルから時季外れの手紙がきた。

いつも年4回、季節ごとにカタログのようなパンフレットを

送ってくるのだが、明らかにサイズが小さい。

「重要なおしらせ」とか書いてあるよ。

こんな時、良いおしらせだったためしはない。

どれどれ・・・

「円安で・・・価格維持が難しく・・・」

やっぱり、値上げね。

メイド・イン・フランスですから、円安になれば原価は上がりますよね。

わかっております。

ついに来たか。しかたないね。

で、いくら上がんのよ。

えっ、1割?高っ!

100円が110円になるのとは訳が違う。(これはこれで大きいが・・・)

21,000円が24,000円くらいになる。

これは痛いでしょう。

なに?痛いと思うヤツは初めから使うな?

たしかに。

でも、新製品でも出ない限り、買う物はないんだけどね。

 

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スマホが壊れた

2015年03月24日 06時06分54秒 | 写真

 

バッテリーの状態は良いのに、頻繁に電源が落ちる。

しかたないので、修理に出した。

修理に出すこと自体、やぶさかではないのだが、

データーの引き継ぎがめんどくさい。

どうせ、データー消失などまれなケースだろうと、

たかをくくっていたが、メーカー修理に出す際、ドコモショップで

データーをすべて消去してから出すらしい。

これは、シャレにならんよね。

あわてて、バックアップ。

しかし、今ごろグーグルアカウントなんて聞かれても、

えっ、なんだっけ?ってなるよね。

 

代替え品も同じドコモ、アンドロイドだからいじり方、変わらないだろうと

思ってたんだけど、微妙に違うんだね。

それに2リッター車から軽に変えられた感じ(軽の方、ごめんなさい)

うー、ストレス溜まる~。

しかしF社は不具合報告多いな。

やめようかな。

 

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神聖な物に切り込んだか

2015年03月23日 07時23分51秒 | シャネル フレグランス

 

シャネルにはNo.5というベストセラーがあります。

シャネル社の看板でありドル箱であるわけです。

シャネルにはフレグランス部門以外にもバック、アクセサリーなどの

部門がありますが、その中でもフレグランス部門の売り上げが突出しています。

そしてその中でもNo.5はトップセールスをキープしていて、同社を

牽引していることは間違いありません。

 

シャネルNo.5といえば、モンローが

「寝るときはシャネルのNo.5を着てるの」

と言ったとか言わないとか。

しかし多くの人が勘違いをしていることがあります。

それはモンローが言わなくても、その時代にはすでに

傑作として多くの人に賞賛されていた、ということ。

べつにモンローのおかげではないのです。

もちろん彼女のおかげでさらに名声が広まったことも事実ですが。

ちなみにシャネル社には音源が残っており、本当に

モンローは記者のインタビューにそう答えたようですよ。

でもこれは発売時には不人気で、権利を第三者に売ってしまったのですよ。

そこから権利を買い戻すまでの話しは長いので省略します。

 

シャネル社もNo.5を大事にしているとみえて、他のNo.19やアリュール

などは色々なバリエーションが登場しているのに、No.5だけはそのままでした。

私自身なにか神聖不可侵のようなものすら感じていました。

ですから、二代目調香師までは手をつけずにいたのでしょう。

しかし三代目になってついに挑戦しました。

それがNo.5 オー・プルミエール。

ブログアップ時点の情報では、背の高いボトルではなくなったようです。

 

私個人の感想は

うーん、微妙。

まるっきり別物、という感じはしませんが、薄いNo.5?

主成分も、ネロリ、イラン・イラン、ローズと変更はないようです。

これをフットワークを軽くしたと言うか、薄くしたと言うかは微妙なライン。

だったらそのままでもよかったような感じはします。

たしかにNo.5は日本人好みの、ほどよい甘さの万人受けする香りですが、

ちょっとこもった感じはするんですよね。

だからと言ってオー・プルミエールはクリスタルのような

ぶっ飛んだフィーリング(当時としては)ではないんですよね。

それでも今の感覚に合わせた、というのでしょうね。

オリジナルのNo.5は今でも色あせない輝きを放ってますが?

名香の名香たるゆえんです。

パンフレットには「初めてのNo.5」とキャッチフレーズがありますが、

オリジナルのNo.5を知らずしてオー・プルミエールはないですね。

まずはオリジナルのNo.5に感動して、そして

「なるほど、そうきたか・・・」

と納得するものだと思いますよ。

 

おまけ

 

No.5というネーミングは、いくつかのサンプルの右からだったか

左からだったかの5番目が気に入ったから、だとか彼女が

「5という数字は私のラッキーナンバーのような気がする」

と言ったから、などという説があります。

エルネスト・ボーにそう語った、という話が伝わっているだけで、

実際彼女の口からネーミングの理由についての言及はなかったはずです。

ここからは私の推測ですが、5という数字を選んだのは上記の理由から

かもしれませんが、それは重要ではなく、彼女はわざとNo.5という記号の

ような無機質のようなネーミングにして、購入者それぞれが

自由なイメージを膨らませられるように工夫したのではないでしょうか。

「名前なんて、重要ではないわ!」

「そんなものでNo.5の香りを表現なんてできないわ」

「ただこの香りが好きか嫌いか、だけよ」

「付けた人それぞれが感じたものが正解よ、それがスタイル」

そんな言葉がきこえてきそうです。

天国でしてやったりの顔をしている姿が想像できますね。

最後に彼女の名言

「ファッションは変わるが、スタイルは変わらない」

彼女はファッションを創造していたのではなく、シャネルスタイルを

創造していたのですね。

 

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子供の興味なんて、ちょっとしたきっかけだよね

2015年03月22日 09時19分34秒 | 写真

 

自分はいつから音楽が好きになったんだろう。

普通、自分が興味を持ち始めた時期を明確に答えられる人はいない。

なんとなく、いつのまにか好きになるものだ。

興味、趣味なんてそんなものである。

でも、自分は答えられる。

小学校6年生の時だ。

 

我が小学校に福島市から先生がやってきた。

珍しいことだった。

普通、小学校の先生は同じ会津の中で移動するからだ。

先生の提案することは会津の田舎の小学校にとって新鮮で斬新だった。

福島市の最先端の教育を取り入れた、ということなんだろう。

すぐに先生は学年主任になった。

6年生になると「鼓笛隊」と呼ばれるマーチングバンドを学年全体で作る。

どの学校も同じだ。

先生は学年主任なので総責任者だ。

さっそく、当時では先端の旗振り(フラッグ)を導入したりして、みんなをびっくりさせていた。

 

その先生が私の担任になったのだ。

さっそく、楽器の振り分けが始まった。

当時の花形は、男子はトランペット、女子はバトントワラーだ。

こんなものは、頭がいいやつか、運動ができるやつ、美人で長身の女、親が医者のやつ

に相場は決まっていた。

すごい偏見だが、だいたい想像通りに決まっていった。

私はどれにも当てはまらなかったので、縦笛だろうと思っていた。

結果、その通りになった。

なにも不満はなかった。分相応だと思っていたからだ。

現代では、自分の子供に少しでもいい楽器をやらせようと色々画策する

モンスターペアレントがいるらしい。

当時は、縦笛でもだれも文句は言わなかった。

昔は今より所得格差が大きかったので、親が余計な時間と金を使うボランティアのような

PTAの役員を引き受けてくれる裕福な家には、

それくらいの特権を与えてもしかたないと思っていたのだ。

  

その担任の先生なのだが、スパルタだった。

宿題を忘れると、ビンタされた。

そう、体罰だ。

いくら40年以上前であっても体罰は禁止されていた。

ある女子児童が宿題を忘れてビンタされたとき、親が怒って校長先生に直談判した。

そのとき、PTA役員が率先して「先生を支持する」という署名活動をしたのだ。

「ガキなんて、言ってもわかんないときは叩くしかねぇべ」

「どんどん、やってください」

ということだ。

保護者から絶大なる信頼を得ている先生だが、子供にとっては恐怖でしかない。

その先生から宿題が出された。

「明日まで、この2曲の楽譜を全部、覚えてこい」

というものだった。

マーチングバンドは楽譜を見ながら演奏することはできない。

全部暗記(暗譜)するしかないのだ。

  

指されて答えられなかったら、ビンタが待っている。

しかし全員が指されるわけではない、数名だ。

どうする、暗記するか指されない方に賭けるか。

決まっている。暗記するしかないのだ。

かんばって暗記した。

そしたらなんと、次の日指されてしまったのだ。

必死で答えた。

「よし、座れ。次・・・」

あーよかった、ビンタは回避した。

うわー、ビンタじゃなくて顔にマジックで落書きされてるー!

しかも、わざと他の教室の先生に用事を言いつけられる。

隣の教室から爆笑が起こった。

あぶねー

彼は放課後までそのままの顔だった。

  

数日後、職員室に呼ばれた。

単独で呼ばれるなんて、ろくなことはない。

恐る恐る入って行った。

「あのよー、○○が転校することになったんだ」

「そんでお前、トランペットやれ」

と学校の備品のボロボロのトランペットを渡された。

先生にとってはだれでも良かったのだろうが、宿題の出来がよくて

先生の頭に私の名前が残っていたのかもしれない。

その時自分は、

「ふーん、楽器が変わるんだ」

としか思っていなかった。

しかし、家に帰ってその事を話すと母親は、

「えーっ、すごいじゃない」

と言っていた。

そんなにすごいことなのか?

しかし、母親同士の会話を聞くと、

「おたくの息子さん、なにやってらんだし?」

「うーん、トランペットだぁ」

「うわー、すごいなし」(なっしー!ではない)

と言っていた。

やっぱり、すごいことなんだな。

音楽の「お」の字も知らない貧乏息子の親父でさえ新品の

トランペットを買ってくれた。

人生で初めてしかも最後かも知れない、努力が報われた瞬間だ。

  

鼓笛隊の木管と金管は独立して吹奏楽部になった。

他の部と掛け持ちできる特別扱いの部だ。

当時、アコーディオン、木琴、トライアングルなどが小学校の吹奏楽部の主流だった。

しかし、うちの小学校はフルート、クラリネット、トランペット、トロンボーン、ホルン、チューバだ。

自慢だったねぇ。

宿敵、会津若松市にもなかったもの。

先生もよほどうれしかったのか、会津若松市のコンクールの後、全員にラーメン

をご馳走してくれた。

それ以来、音楽にのめり込むようになった。

トランペットだけが白い手袋をはめられたんだよ。カッコよかったねぇ。(当時)

少しは女の子にもてるようになるかと思ったけど、それはなかったね。

  

おまけ

  

当時、さっそうといさましく演奏していた「ドナウ川のさざ波」がワルツだった

ことがわかったのはだいぶ後のこと。

踊れねーよ、あれじゃぁ。

 

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