失業という現実を突きつけられてから3ヶ月たった。
多くの企業にダイレクトメールのように応募し、
面接まで漕ぎつけたのは4社。
1社目は、宇宙産業でアメリカに本社を置く日本法人。
人工衛星やロケットの姿勢を制御する装置を開発製造する。
面接で英会話を試された。
業務スキルは十分だったけど、上司がアメリカ本社の部長になるという。
役員面接には残念ながら到達できず、のメールが来た。
2社目は、特殊金属の加工企業。
前の会社のサプライヤーだった。
これには事前調査不足で、面接時にそのことがわかった。
一次面接をパスし、役員面接オファーが来た。
納入先がリストラされた会社なんてとんでもない。
役員面接を受けないことを丁重にお断りをした。
3社目、そして4社目は翌日だった。
3社目は、自動車系。CVT(無段階変速機)のコントロールバルブを作る。
月月火水木金金働くことで有名な親会社のグループ会社にあたる。
面接が良くなかった。
どう良くなかったかというと、面接官に面白みがなかったのだ。
面接とは、実はこちらからその会社に入ってものか逆に見極める場でもある。
面接官は3人。一人一人性格は違うものの、社風というものは共通している。
かなり堅苦しく、ある意味軍隊組織のような感じがした。
二次面接まではいかなかった。
理由は、オイラは管理職レベルになるため、募集案件とは異なるとのことだった。
それはそれで評価してくれたのだと思うことにした。
そして4社目。
ここも自動車部品。部品というよりは、我々がクルマを買うときの決め手になる製品だ。
その会社ではその製品の扱いに感性というものを求めていた。
正直、オイラはショックだった。
今までは、決められたシクミの通り、図面どおりに作られていることを求める企業にいた。
しかしそこにはハートに訴えるものを追求している。
satisfactionではなく、delight。
そこに感銘したことを面接で述べた。
そのためにこういうことをしたい。そのために私に力を貸していただけますか?と言った。
すでにその時点で面接ではなく、プロジェクトの打ち合わせのようになった。
オイラはここで働きたい、と思った。
その4社目から役員面接のオファーがきた。
オイラは、面接を面接と思っていない。
面接とは自分を売り込むセールスの場だ。
自分自身という商品を持って客に挑む。それだけのことだ。
当日、クルマでストーンズをガンガン聴きながらその会社に乗り込む。
背水の陣ではない。面接を楽しもうと気分を高揚させた。
面接官は常務と人事担当役員と部署長の三名。
明るく挨拶をし、イスに座り深呼吸をする。
オイラがいるのは茅ヶ崎パークの大西の海面。
面接官はギャラリー。
慎重に波を選び、ボトムターンしてリップする。
面接官は目をキラキラさせてオイラのライドを観る。
世間話もできた。
茅ヶ崎の友達自慢や、週末みんなで海で飲むビールの話をした。
面接は1時間以上も費やした。
合否関係なく、とても楽しかった。
それはその面接官の人たちが、よい人たちだったからだ。
翌日、その会社とオイラの仲介となった再就職支援会社からメールがきた。
その翌日とは今日のことだ。
「内定おめでとうございます」
とても驚いた。
翌日内定決定など普通あり得ない。役員会承認があったりするから。
おそらく常務に採用決定権があったのだろう。
大企業でありながら重要な部分でフットワークが軽い。
再就職支援会社の担当者からメール後に電話が来た。
「おめでとうございます。そこ、なかなか入れない会社なんですよ。
だから、ウチの支援会社ではその話題で持ちきりですよ。
一体どういう面接だったんですか?」
「オレ様劇場をやっただけですよ。」
世の中というのは人と人の出会いから成り立っている。
相性の合う人は世界中にいるのだろうけど、
時期や環境やそのときの精神状態や様々な要素が複雑に絡み合って、
我々は友となり恋人となり、そして敵にもなる。
きっとこれは必然で、全ての出会いには意味がある。
これを縁っていうんだ。
会社に就職するのも同じ事で、その会社にオイラは縁があったのだ。
その縁には意味がある。
その縁に辿り着くために、転職し、リストラされてきたのかもしれない。
そう思ったら大きな感謝と大きな感動が押し寄せた。
オイラ、そこで働きます。
東証一部上場で、グローバル展開している。
単体1400、連結7000名。
1年の半分は海外かもしれないけど、その分真剣にウエーブライドする。
振り返ればこの3ヶ月はとてもいい経験をした。
失業中であることを知った瞬間、オイラから離れていく人。
実に親身になって相談に乗ってくれたE氏。
ウインドの弟子は、第三者の立場で、大きくオイラの背中を押してくれた。
この期間、自己を保てたのは地元の友達連中のお陰です。
気持ちがぶれることなく前進できた。
30歳でもなかなか就職できない今、
来月50になる黒くて国籍不明なオイラでも上場企業に就職できる。
絶対動じない信念を持ち続け、あきらめないこと。
それは、たぶん、茅ヶ崎や御前崎の風と波が教えてくれたのかもね!!
多くの企業にダイレクトメールのように応募し、
面接まで漕ぎつけたのは4社。
1社目は、宇宙産業でアメリカに本社を置く日本法人。
人工衛星やロケットの姿勢を制御する装置を開発製造する。
面接で英会話を試された。
業務スキルは十分だったけど、上司がアメリカ本社の部長になるという。
役員面接には残念ながら到達できず、のメールが来た。
2社目は、特殊金属の加工企業。
前の会社のサプライヤーだった。
これには事前調査不足で、面接時にそのことがわかった。
一次面接をパスし、役員面接オファーが来た。
納入先がリストラされた会社なんてとんでもない。
役員面接を受けないことを丁重にお断りをした。
3社目、そして4社目は翌日だった。
3社目は、自動車系。CVT(無段階変速機)のコントロールバルブを作る。
月月火水木金金働くことで有名な親会社のグループ会社にあたる。
面接が良くなかった。
どう良くなかったかというと、面接官に面白みがなかったのだ。
面接とは、実はこちらからその会社に入ってものか逆に見極める場でもある。
面接官は3人。一人一人性格は違うものの、社風というものは共通している。
かなり堅苦しく、ある意味軍隊組織のような感じがした。
二次面接まではいかなかった。
理由は、オイラは管理職レベルになるため、募集案件とは異なるとのことだった。
それはそれで評価してくれたのだと思うことにした。
そして4社目。
ここも自動車部品。部品というよりは、我々がクルマを買うときの決め手になる製品だ。
その会社ではその製品の扱いに感性というものを求めていた。
正直、オイラはショックだった。
今までは、決められたシクミの通り、図面どおりに作られていることを求める企業にいた。
しかしそこにはハートに訴えるものを追求している。
satisfactionではなく、delight。
そこに感銘したことを面接で述べた。
そのためにこういうことをしたい。そのために私に力を貸していただけますか?と言った。
すでにその時点で面接ではなく、プロジェクトの打ち合わせのようになった。
オイラはここで働きたい、と思った。
その4社目から役員面接のオファーがきた。
オイラは、面接を面接と思っていない。
面接とは自分を売り込むセールスの場だ。
自分自身という商品を持って客に挑む。それだけのことだ。
当日、クルマでストーンズをガンガン聴きながらその会社に乗り込む。
背水の陣ではない。面接を楽しもうと気分を高揚させた。
面接官は常務と人事担当役員と部署長の三名。
明るく挨拶をし、イスに座り深呼吸をする。
オイラがいるのは茅ヶ崎パークの大西の海面。
面接官はギャラリー。
慎重に波を選び、ボトムターンしてリップする。
面接官は目をキラキラさせてオイラのライドを観る。
世間話もできた。
茅ヶ崎の友達自慢や、週末みんなで海で飲むビールの話をした。
面接は1時間以上も費やした。
合否関係なく、とても楽しかった。
それはその面接官の人たちが、よい人たちだったからだ。
翌日、その会社とオイラの仲介となった再就職支援会社からメールがきた。
その翌日とは今日のことだ。
「内定おめでとうございます」
とても驚いた。
翌日内定決定など普通あり得ない。役員会承認があったりするから。
おそらく常務に採用決定権があったのだろう。
大企業でありながら重要な部分でフットワークが軽い。
再就職支援会社の担当者からメール後に電話が来た。
「おめでとうございます。そこ、なかなか入れない会社なんですよ。
だから、ウチの支援会社ではその話題で持ちきりですよ。
一体どういう面接だったんですか?」
「オレ様劇場をやっただけですよ。」
世の中というのは人と人の出会いから成り立っている。
相性の合う人は世界中にいるのだろうけど、
時期や環境やそのときの精神状態や様々な要素が複雑に絡み合って、
我々は友となり恋人となり、そして敵にもなる。
きっとこれは必然で、全ての出会いには意味がある。
これを縁っていうんだ。
会社に就職するのも同じ事で、その会社にオイラは縁があったのだ。
その縁には意味がある。
その縁に辿り着くために、転職し、リストラされてきたのかもしれない。
そう思ったら大きな感謝と大きな感動が押し寄せた。
オイラ、そこで働きます。
東証一部上場で、グローバル展開している。
単体1400、連結7000名。
1年の半分は海外かもしれないけど、その分真剣にウエーブライドする。
振り返ればこの3ヶ月はとてもいい経験をした。
失業中であることを知った瞬間、オイラから離れていく人。
実に親身になって相談に乗ってくれたE氏。
ウインドの弟子は、第三者の立場で、大きくオイラの背中を押してくれた。
この期間、自己を保てたのは地元の友達連中のお陰です。
気持ちがぶれることなく前進できた。
30歳でもなかなか就職できない今、
来月50になる黒くて国籍不明なオイラでも上場企業に就職できる。
絶対動じない信念を持ち続け、あきらめないこと。
それは、たぶん、茅ヶ崎や御前崎の風と波が教えてくれたのかもね!!