いやいや、すんげー記事書くのをさぼってた。
書くべき事が頭の中でまとまってなかった。
というより、先月あたりまでは、書かなくてはいけない事が、書かれるべき時期ではなかった。
企業のコンプライアンス的な問題があったからな。
でも、もういいだろう、っと。
まずは自分にとって激動のこの1年半を簡潔に順序だてて書く。
昨年6月末、会社の業績不振で800人のリストラがあり、その中に入ってしまった。
金を産まない本社部門の年齢の高い社員から削減。
事実は受け止める。これも運命。オレはプー太郎。
こんな機会、あまり経験できるものではない。
まずは徹底的に遊んでやる、と思った。今思えば半ば開き直りだったかもしれない。
真夏の太陽と灼熱の海岸の砂は、先の人生の不安をかき消し溶かしてくれたし、
そしてしばらくの生活に困らないくらいの金はあった。
湘南はウインドサーフィンするには十分すぎる風が毎日のように吹き、
夜に飲む冷たいビールは冷蔵庫に常にびっしり入っていた。
沖縄の離島に出かけたり、あまりに暑い日は南アルプスにも行った。
そして、同時にコツコツ就活をした。
遊ぶと割り切りながらも常に焦りがある。
オレは無職なんだって。
今の就活は、一昔前と違って、スーツを着てハローワークに通うなんてことはしない。
とにかくネットで情報収集して、企業をリストアップして、HPから特徴を推測し、2ちゃんねるも多用し、
その企業に合わせた履歴書や経歴書を作成する。
何社も何社も断られ、そして何社かは書類通過し面接し、そして落とされる。
いちいちメゲてなんていられない。
書類選考結果待ちの企業を常に10社以上抱えておく。
1か月間、この山を築き続けようと決め、そして実践したよ。
1社受けては、落され、がっかり落ち込む。
またしばらくして1社応募して、、、
そのやり方では切羽詰まって自ら望んでいない企業に就職してしまう恐れがある。
それからそのやり方のほうがジワジワと自分の気持ちを追い込みがちになる。
山築きが功を奏したのか、その年の9月に1社引っかかった。去年ね。
面接までこぎつけたのはそこを入れて4社。
その20倍は書類応募している。80社だ。
そんなもんだ。オレの年齢を考えると面接4社はまだましな方かな。
その引っかかった企業は、東証1部上場企業で本社は東京青梅市。
面接のときにアパートを借りて週末は湘南に戻る、面接官とそんな具体的な話になった。
この歳で上場企業に入れることも稀だろう。
職を失ってから4カ月、焦りも当然あったよ。
気持ちはもちろん入社に動いた。
内定を承諾する際、人事に単身手当、アパートの手当を聞いた。
数日後に答えると言われたまま返事がない。
しつこくも聞けない。でも上場企業だ。少なくとも5万前後は出るだろう、と勝手に思い込んだ。
そして入社前日、その人事担当から連絡があった。
オレは青梅採用なので手当ては出ないんだってさ。
青梅と湘南の2重生活は不可能。それは電車で通ってもいいいということか?と聞いた。
どうぞ通ってください、とその人事は言った。
通勤が長過ぎて業務に差し障りが出る。
人事はそれを防止しなくちゃいけないんじゃないのか?
なぜこういう人間が上場企業の人事をやっているのだろう。
それを承認するアホな管理者。
入社誓約書にサインさせた後でこういう事を言ってしまう。
自動車のTier1メーカーもろくでない。
入社を辞退して訴えてやろうか、と思うほどハラワタが煮えくりかえった。
そんなんで、入社前日にして、その会社で仕事する気など毛頭あるわけがない。
タイムカードを押せば金をもらえる。しばらくそう思う事にした。
片道3時間、往復6時間の通勤のご褒美が給与。
だから入社翌日には転職支援サイトにまた登録しなおしたよ。
でもそんな思いが自分自身に通用するわけない。
仕事したくても通勤時間が阻害する。
残業などできない。1時間残業したら翌朝起きれないさ。
平日も週末も、企業からのスカウトメールを最大利用し、転職支援のコンサルタントに会いに行った。
でも前回の就活で応募しまくったのでもう狙うところがないくらい企業も限定されていった。
アベノミクスで景気はよくなりつつあると言っても、オレの50の年齢では非常に厳しい展開となった。
とにかく就業中の就活なので有給休暇はあっという間に消化してしまった。
面談の機会を得ても採用につながるかどうかは全く分からない。
でも面談に行くと、有給がないので欠勤扱いになる。やれやれ。
通勤苦と、適当に勤務時間を消費している嫌悪感、いい企業が見つからない焦燥感。
これが徐々に、そして大きく自分を追い詰めていった。
まさにGW開けにこの状態になった。五月病だな。
前回と違い、とても重い就活になった。
前回はまだ夢があったよ。
今回の就活理由は、自分の置かれている環境は変えることが最優先になったから、だから重い。
環境を変えれないと、とても、ヤ・ッ・カ・イなことになる。
なぜかというと、夜眠れなくなってきたのだ。
酒を飲んでも眠れない。飲まなくても眠れない。
通勤は苦しいのに電車でも眠れない。
その変わり、会社では地獄の睡魔に襲われる。常に。毎日毎日。
週末にウインドサーフィンと友人が救ってくれたな。
オレは自分自身を救うべく、強制的に転職するべく、5月に10月のマウイのチケットを買った。
もうそれしか方法がなかったな。
スポーツ選手はトレーニングすれば勝てるし、学生は勉強すれば成績が上がる。
就職ってそれができない。努力ってできない。
せめて出来ることは暗くならないこと。
自分を明るく保持するには、前に進むためには、数ヵ月後にマウイでウインドするんだ!しかなかったよ。
そして6月、カレンダーのマウイ出発日から逆算して活動を加速したした。
退職願を出す日のリミットもおのずと決まった。
何社かがコンサル会社から紹介され、書類選考を待つことになり、
小さいが就活の山が築かれ始めた。やっとだ。
そこで2社と面接ができた。
結果は駄目だったけどね。
これには本当にがっかりした。感触が良かっただけに、何も話せなくなるくらいガッカリした。
ちょうどその時期、オレは栃木に長期出張してたよ。
夜勤対応もしてたので日中に面接に都内まで出かけた。
まったく不眠不休が何回かあったので気持ちも身体もボロ雑巾のようになった。
だからなおさらだったよ。
マウイは行けないなあ~、残念だな~、通勤また6時間か~
とりあえず就職先決めずに辞めちゃおかな。
それもありだな~
と、投げやりな気持ちにもなった。
気持ちは完全にドロップアウトに向かっていった。
相変わらずパッとしない会社で、さらにやる気なしが加速していった。
それが今年の8月。
そして翌9月。とある会社とコンタクトが取れた。
去年リストラされた会社は、オレはそこがとても好きだったんだな。
だから真剣に仕事したんだ。そのときの布石がそのコンタクトできた会社に残っていたんだ。
結果として、その関係で雇ってもらうことになった。
小さな会社だけど、オレがしたい事と会社の要求する事が一致した。
片道3時間から片道15分になった。
まあ、小さいからいろいろ面倒臭いこともあるだろうけど、
とにかくとてつもない安堵感が訪れた。やっと訪れた。約1年半かかった。
良い縁は、きっとスムーズにその先の事を運ぶきっかけになる。
ギクシャクした始まりに良い結果はあり得ない。
きっと就活は男と女の関係に似ているかもしれないよ。
そんなもんだろう。 縁なんだよ。
10月後半、無事に念願かなってマウイに出かけた。
願い思えば前進する。奇跡と思える事も、実はオレはしがみついて耐えたんだ。
カナハのアウト、アタマ半の波でロングボードサーフィンをした。
鏡のようなフェイスでロングライドしたよ。
そしてリーフに身体を打つくらい巻かれた。
なかなか海面に出れなくてやばかった。
でも海面に出たら目に飛び込んできたのは真っ青なマウイの空だったさ。
あの空の青さはきっと一生忘れないだろう。
新しい会社に入り3週間たった。
この1年半で自覚したことがある。
空の青さを実感するのはそれを望む気持ちと、曇りや嵐を経験していることだな。
無風も砂嵐の爆風も経験するからこそ、快晴の大西4.5㎡の胸ウエーブに乗ることができる。
そうそう。
就活もウエーブライドと一緒でした。
書くべき事が頭の中でまとまってなかった。
というより、先月あたりまでは、書かなくてはいけない事が、書かれるべき時期ではなかった。
企業のコンプライアンス的な問題があったからな。
でも、もういいだろう、っと。
まずは自分にとって激動のこの1年半を簡潔に順序だてて書く。
昨年6月末、会社の業績不振で800人のリストラがあり、その中に入ってしまった。
金を産まない本社部門の年齢の高い社員から削減。
事実は受け止める。これも運命。オレはプー太郎。
こんな機会、あまり経験できるものではない。
まずは徹底的に遊んでやる、と思った。今思えば半ば開き直りだったかもしれない。
真夏の太陽と灼熱の海岸の砂は、先の人生の不安をかき消し溶かしてくれたし、
そしてしばらくの生活に困らないくらいの金はあった。
湘南はウインドサーフィンするには十分すぎる風が毎日のように吹き、
夜に飲む冷たいビールは冷蔵庫に常にびっしり入っていた。
沖縄の離島に出かけたり、あまりに暑い日は南アルプスにも行った。
そして、同時にコツコツ就活をした。
遊ぶと割り切りながらも常に焦りがある。
オレは無職なんだって。
今の就活は、一昔前と違って、スーツを着てハローワークに通うなんてことはしない。
とにかくネットで情報収集して、企業をリストアップして、HPから特徴を推測し、2ちゃんねるも多用し、
その企業に合わせた履歴書や経歴書を作成する。
何社も何社も断られ、そして何社かは書類通過し面接し、そして落とされる。
いちいちメゲてなんていられない。
書類選考結果待ちの企業を常に10社以上抱えておく。
1か月間、この山を築き続けようと決め、そして実践したよ。
1社受けては、落され、がっかり落ち込む。
またしばらくして1社応募して、、、
そのやり方では切羽詰まって自ら望んでいない企業に就職してしまう恐れがある。
それからそのやり方のほうがジワジワと自分の気持ちを追い込みがちになる。
山築きが功を奏したのか、その年の9月に1社引っかかった。去年ね。
面接までこぎつけたのはそこを入れて4社。
その20倍は書類応募している。80社だ。
そんなもんだ。オレの年齢を考えると面接4社はまだましな方かな。
その引っかかった企業は、東証1部上場企業で本社は東京青梅市。
面接のときにアパートを借りて週末は湘南に戻る、面接官とそんな具体的な話になった。
この歳で上場企業に入れることも稀だろう。
職を失ってから4カ月、焦りも当然あったよ。
気持ちはもちろん入社に動いた。
内定を承諾する際、人事に単身手当、アパートの手当を聞いた。
数日後に答えると言われたまま返事がない。
しつこくも聞けない。でも上場企業だ。少なくとも5万前後は出るだろう、と勝手に思い込んだ。
そして入社前日、その人事担当から連絡があった。
オレは青梅採用なので手当ては出ないんだってさ。
青梅と湘南の2重生活は不可能。それは電車で通ってもいいいということか?と聞いた。
どうぞ通ってください、とその人事は言った。
通勤が長過ぎて業務に差し障りが出る。
人事はそれを防止しなくちゃいけないんじゃないのか?
なぜこういう人間が上場企業の人事をやっているのだろう。
それを承認するアホな管理者。
入社誓約書にサインさせた後でこういう事を言ってしまう。
自動車のTier1メーカーもろくでない。
入社を辞退して訴えてやろうか、と思うほどハラワタが煮えくりかえった。
そんなんで、入社前日にして、その会社で仕事する気など毛頭あるわけがない。
タイムカードを押せば金をもらえる。しばらくそう思う事にした。
片道3時間、往復6時間の通勤のご褒美が給与。
だから入社翌日には転職支援サイトにまた登録しなおしたよ。
でもそんな思いが自分自身に通用するわけない。
仕事したくても通勤時間が阻害する。
残業などできない。1時間残業したら翌朝起きれないさ。
平日も週末も、企業からのスカウトメールを最大利用し、転職支援のコンサルタントに会いに行った。
でも前回の就活で応募しまくったのでもう狙うところがないくらい企業も限定されていった。
アベノミクスで景気はよくなりつつあると言っても、オレの50の年齢では非常に厳しい展開となった。
とにかく就業中の就活なので有給休暇はあっという間に消化してしまった。
面談の機会を得ても採用につながるかどうかは全く分からない。
でも面談に行くと、有給がないので欠勤扱いになる。やれやれ。
通勤苦と、適当に勤務時間を消費している嫌悪感、いい企業が見つからない焦燥感。
これが徐々に、そして大きく自分を追い詰めていった。
まさにGW開けにこの状態になった。五月病だな。
前回と違い、とても重い就活になった。
前回はまだ夢があったよ。
今回の就活理由は、自分の置かれている環境は変えることが最優先になったから、だから重い。
環境を変えれないと、とても、ヤ・ッ・カ・イなことになる。
なぜかというと、夜眠れなくなってきたのだ。
酒を飲んでも眠れない。飲まなくても眠れない。
通勤は苦しいのに電車でも眠れない。
その変わり、会社では地獄の睡魔に襲われる。常に。毎日毎日。
週末にウインドサーフィンと友人が救ってくれたな。
オレは自分自身を救うべく、強制的に転職するべく、5月に10月のマウイのチケットを買った。
もうそれしか方法がなかったな。
スポーツ選手はトレーニングすれば勝てるし、学生は勉強すれば成績が上がる。
就職ってそれができない。努力ってできない。
せめて出来ることは暗くならないこと。
自分を明るく保持するには、前に進むためには、数ヵ月後にマウイでウインドするんだ!しかなかったよ。
そして6月、カレンダーのマウイ出発日から逆算して活動を加速したした。
退職願を出す日のリミットもおのずと決まった。
何社かがコンサル会社から紹介され、書類選考を待つことになり、
小さいが就活の山が築かれ始めた。やっとだ。
そこで2社と面接ができた。
結果は駄目だったけどね。
これには本当にがっかりした。感触が良かっただけに、何も話せなくなるくらいガッカリした。
ちょうどその時期、オレは栃木に長期出張してたよ。
夜勤対応もしてたので日中に面接に都内まで出かけた。
まったく不眠不休が何回かあったので気持ちも身体もボロ雑巾のようになった。
だからなおさらだったよ。
マウイは行けないなあ~、残念だな~、通勤また6時間か~
とりあえず就職先決めずに辞めちゃおかな。
それもありだな~
と、投げやりな気持ちにもなった。
気持ちは完全にドロップアウトに向かっていった。
相変わらずパッとしない会社で、さらにやる気なしが加速していった。
それが今年の8月。
そして翌9月。とある会社とコンタクトが取れた。
去年リストラされた会社は、オレはそこがとても好きだったんだな。
だから真剣に仕事したんだ。そのときの布石がそのコンタクトできた会社に残っていたんだ。
結果として、その関係で雇ってもらうことになった。
小さな会社だけど、オレがしたい事と会社の要求する事が一致した。
片道3時間から片道15分になった。
まあ、小さいからいろいろ面倒臭いこともあるだろうけど、
とにかくとてつもない安堵感が訪れた。やっと訪れた。約1年半かかった。
良い縁は、きっとスムーズにその先の事を運ぶきっかけになる。
ギクシャクした始まりに良い結果はあり得ない。
きっと就活は男と女の関係に似ているかもしれないよ。
そんなもんだろう。 縁なんだよ。
10月後半、無事に念願かなってマウイに出かけた。
願い思えば前進する。奇跡と思える事も、実はオレはしがみついて耐えたんだ。
カナハのアウト、アタマ半の波でロングボードサーフィンをした。
鏡のようなフェイスでロングライドしたよ。
そしてリーフに身体を打つくらい巻かれた。
なかなか海面に出れなくてやばかった。
でも海面に出たら目に飛び込んできたのは真っ青なマウイの空だったさ。
あの空の青さはきっと一生忘れないだろう。
新しい会社に入り3週間たった。
この1年半で自覚したことがある。
空の青さを実感するのはそれを望む気持ちと、曇りや嵐を経験していることだな。
無風も砂嵐の爆風も経験するからこそ、快晴の大西4.5㎡の胸ウエーブに乗ることができる。
そうそう。
就活もウエーブライドと一緒でした。