ランニングはウインドサーフィンやサーフィンと違って楽しさが優先されない。
明らかに痛みや苦しさが精神上のヒットチャート上位にランクされる。
長距離はなおさらだ。
だから家にいて走ろうと決意するまで、それなりに時間がかかる。
やる気は起こらないし、リビングから玄関を見ると、1時間後に辛くてゼイゼイ言いながら帰ってくる自分がそこ見える。
顔はやつれ、汗ダラダラで髪もグチャグチャで決してカッコイイものではない。
それでも走ろうとする。
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Pain is inevitable, Suffering is optional.
それが彼のマントラだった。
正確なニュアンスは日本語に訳しにくいのだがあえてごく簡単に訳せば、
「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」ということになる。
たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、
「きつい」というのは避けようのない事実だが、
「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。
■『走ることについて語るときに僕の語ること』
昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。
長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。
■『走ることについて語るときに僕の語ること』
そう。どう苦しむかは自分次第。
ランナーは苦しむというオプションを手に入れることができる。
でもだ。スタート前はいつも憂鬱になる。
前回より調子は上がってるのか、下がってるのか、走ってみないとわからない。
それにフルマラソンの大会は近いので、昨日より遅くなっていたら嫌だな、と毎回思う。
だから走りたくはないのだ。
でもなんとか自分を誤魔化し、外に出る。
GPSウオッチのボタンを押す。
いきなり身体が重い。
スローペースで走り始める。
1キロ、2キロ、いつもどおりのコースを走る。
3キロ、4キロ、身体が徐々に暖まってくる。
5キロ、6キロ、気持ちが切り替わる。心の片隅の情熱は燃え始める。
7キロ、8キロ、もう止まらない。
毎回こんなだ。
そう。モチベーションが湧かないから始めない、のではない。
始めないからモチベーションが湧かないのだ。
きっと人間はそういうふうにできてきる。
痛み、苦しみを飼い慣らすことは、おそらく何かの役には立つ。
痛み、苦しみがなく今を超えることはできない。
でもそれがランニングの目的とは思わない。
よくわからない。
わかってたらきっと走っていない。
今夜は、、、走るんだろうな。