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兵庫芸文センターで『たとえば野に咲く花のように』を観て

2016年06月10日 | 観劇メモ
4月9日の「焼肉ドラゴン」に続いて、同29日に「たとえば野に咲く花のように」を観てきた感想です。
やはり前作に負けず劣らずいい舞台で、芝居の面白さがたっぷりの観劇でした。本当に観られてよかったです。でも来週末には次の「パーマ屋スミレ」が控えているのに、遅すぎ(^^;) 

今回も話の展開は全く予測できず。セリフはリアルで、次はこう言うだろう、みたいな陳腐なものは一切なし。しかも、それを演じる俳優もみんなうまい!ときているので、あっという間の観劇タイムでした。


観た日は連休初日なので途中の渋滞が心配でしたが、なんと阪神高速はガラ空き!
これまでで最短時間を更新して劇場地下駐車場にたどり着きました。
チケットは三作通しの一括予約なので今回も同じ客席でしたが、観客は「焼肉‥」とは違って、いつものように女性客が大半でした。
ホールには花が飾られていました。

今回の「たとえば野に咲く花のように」、初演は2007年とのこと。

戯曲が生まれたいきさつは、公演プログラム掲載の鈴木裕美さん↓(初演に続き今回も演出担当)と


鄭義信さん↓との対談の中で紹介されています。


鈴木 「『たとえば~』は当時の芸術監督である鵜山仁さんから『ギリシヤ悲劇三部作』のひとつを演出してほしいというお話をいただいたところからスタートしました。
『アンドロマケ』というお題も、その時点で決まっていました。
もともと私はラシーヌ版の『アンドロマック』を読んでいて「なんだ、この面白い人たちは!」と思っていたんです。
神々なのに、好きだ!、嫌いだ!って夢中になっている人たち。
悲劇を、おもしろく書いて下さるのは鄭さんしかいない!と、戯曲の執筆をお願いしました。」


  「アンドロマケは敵国の囚われ人であるわけですが、連れてこられた女という存在は、在日コリアンを彷彿させるし、トロイアとギリシヤの関係は今の日本と韓国に置き換えられる。
それで『たとえば~』を書き上げました。それまで、自分の少年時代を抽象的に書いたことはあったけれど、在日について具体的に触れたのはこれが初めてでした。」


あらすじです↓(公演プログラムより)
「1951年夏、九州F県のとある港町の寂れた「エンパイアダンスホール」。戦争で失った婚約者を想いながら働く満喜。そこへ、先ごろオープンしたライバル店「白い花」を経営する康雄と、その弟分の直也が訪れる。戦地から還った経験から「生きる」ことへのわだかまりを抱える康雄は、「同じ目」をした満喜に夢中になるが、満喜は頑として受け付けない。一方、康雄の婚約者・あかねは、心変わりした康雄を憎みながらも、恋心を断ち切れずにいる。そんなあかねをひたすら愛する直也。
一方通行の四角関係は出口を見つけられないまま、もつれていくばかりだった・・・。」


出演は以下の通りです














今回も「焼肉~」同様に超リアルな舞台セットでした。

バーカウンターやその奥の酒瓶の並ぶ棚も厚みのある木製のしっかりとした作りで、家具や二階への階段、店界隈のセットもよく作られていて見ごたえがありました。タイムスリップに格好のお膳立てです。

今回もなぜか店の前には前回同様水道栓が一本立っていました。(笑)
その横の木製電柱には、傘のついた裸電球の街路灯と作業用足掛けがあり、架線も張られていて、根元には犬の小便除けの小さな鳥居さえ立てられている徹底ぶり。
開演前の時間に、凝りに凝ったセットをじっくり観ているだけでもワクワクします。
↓これは稽古用のセットですが雰囲気はお分かりいただけるかと


最初の時代設定は1951年(昭和26年 朝鮮戦争勃発の翌年)盛夏。
「エンパイヤダンスホール」で働く3人の女たち。(以下画像はすべてプログラムの舞台稽古の写真から)

そのうちの一人、戦争で失った婚約者への想いを断ち切れず働く在日朝鮮人の満喜が主人公です。
「満喜」という名は、脚本の元になった「アンドロマケ」が「アンドロマキ」とも称されているので(「トロイラスとクレシダ」ではアンドロマキですね)、アンドロマキ=満喜なのでしょうね。
演じるのはともさかりえ

最近では「花子とアン」に出ていましたが、舞台でお目にかかるのは初めてでした。
馴染がない役者さんなので、ほとんど期待もせず観劇したのですが、演技は文字通りなり切り芝居。台詞も立ち居振る舞いもいうことなし!で、見惚れました(美人だし(殴))。
かなりスレンダーで前回の「焼肉~」の馬渕英里何と似た雰囲気で、感情を押し殺して生きている姿も共通しています。

満喜は戦争で婚約者を失ってから、ただ惰性で生きているような日々を送っています。
「エンパイヤダンスホール」、実はダンスホールとは名ばかりで、実際は売春宿のようないかがわしい場所。そこで、何の当てもなく生きている満喜ですが、気怠さがよく漂っています。
でも体は売っても心は売らない。心は固く閉ざしていて、誰にも本心は明かさない。

そんな彼女でも、営業時間になって、衣装を替えて登場したらアッと驚くゴージャス美女。スタイルがいいので舞台映え200%!(笑)
康雄でなくても通ってしまいそうです。(殴)
仕事前のグダグダのだらしない服を着た姿とは全く別人で、このあたり女性演出家ならではの腕の冴え。

ダンスホールの経営者・伊東諭吉(博文+諭吉?)を演じるのは大石継太
かなりおネエが入った人物で、商売に似合わない優しい男です。このやさしさで女たちを繋ぎ止めているのでしょうか。

この俳優さんは「海の婦人」で初めてお目にかかりましたが、今回も独特の雰囲気の演技で、いい役者さんです。
そういえば「焼肉~」の「長谷川豊」も似たような優男でしたね。

そこに、商売敵のダンスホールの経営者・安部康雄が子分・竹内直也とともにやってきます。この二人、登場しただけで、それまでのユル~い雰囲気がかき消され、ヤバい殺気が舞台に充満。(笑)

安部康雄役は山口馬木也

十二夜」で初めて観た俳優さんですが、「グレイト・ギャツビー」の出演など今絶好調ですね。

康雄は兵隊上がりで、ガダルカナルなどの地獄の戦場を生き抜く中で身についた殺気と虚無的な表情がド迫力。経営する織物工場が朝鮮特需でガチャマン景気のボロ儲けでも、虚ろな気持ちは満たされず、自分もダンスホールを始めるが癒されない。
そんな康雄が店に来たのは、戦争に加担して儲ける康雄に反感を持った、満喜の弟が起こした行動への報復のためですが、そこで康雄は満喜と出会い、会った瞬間に一目ぼれ。それは満喜の眼に、自分と共通するものを見出したからですが、それ以降、康雄は彼女のもとに通い詰めるようになります。

康雄の子分・竹内直也を演じるのは石田卓也

といってもそれまで全く知らなかった役者さんですが、すぐキレそうな危なさと、安部康雄の許嫁・四宮あかね(村川絵梨)に一途に恋する純情さをうまく演じていました。

舞台経験はまだ少ないようですが、そんな感じはなかったですね。

その許嫁・四宮あかねを演じる村川絵梨も初めて観る舞台でした。
↓ 花が飾られていました。

こちらは安部康雄に対する執着心がすごい。

満喜と康雄の間に強引に割り込んできて、ハンドバッグを振り回しながらの大立ち回りがすごいです。でも全く顧みられず、やがて恋しさは憎しみに変って、直也に「私が好きならあの人を殺して」と康雄を殺すよう唆すところなどは、ゾッとする怖さがあります。
女は怖いです(殴)。でも魅力的な俳優さんなので、いろいろ話題になっていますね。

この二人は康雄や満喜と違って全く影がなく、直情径行型の人間です。その一途さが怖いです。

一方康雄と満喜は、それぞれが戦争で負った心の傷で、葛藤が絶えない。この二組の関係の対比が面白いです。


満喜の同僚の二人、珠代と鈴子を演じていたのは池谷のぶえ小飯塚貴世江。二人とも生活感にあふれた演技でした。こういう芸達者な脇役は貴重ですね。

彼女たちと、海上保安庁の職員で米軍の命令で機雷掃海に駆り出される菅原太一(猪野学)や、


当時の日本共産党に共鳴して、民族運動に参加している若者・安田(安)淳雨(黄川田将也)や李英鉄(吉井一肇)が繰り広げる様々な話が、1951年という時代を見事に浮き彫りにしていました。


今回も(というか、こちらが先か)、「焼肉~」同様、ひっきりなしに朝鮮半島に出撃する米軍機の爆音が頭上に轟きました。最後にリヤカーが出てきたのも面白かった。

爆音とともに効果的だったのは、蜩の声と「虹の彼方に」。プログラムによれば蜩の声は満喜の死んだ婚約者の声を象徴しているとか。一方「虹の彼方に」は、登場人物全員の、なんとか今の境遇を脱したいという願いを象徴しています。

話は、あかねに迫られた挙句、とうとう直也が康雄を殺し、また一方、間違った戦争で機雷掃海任務中に駆り出された菅原太一が殉職(というより戦死)との報が届く‥という流れでクライマックスとなります。
まさにギリシヤ悲劇そのもの、これが結末かと、かなり緊張&ガッカリしましたが、なんと最後はどんでん返しで、希望の持てる結末となってよかったです。(笑)

しかしこの作品で再認識したのは、太平洋戦争が終わってわずか5年で再び日本近辺で戦争がはじまったこと。そして日本が、兵站・補給・出撃拠点=前線基地となり、機雷掃海では米軍の指揮下に日本人が作戦に直接従事していた事実。
そしてそれから60年以上たった今、憲法無視の戦争法の制定で、再び米軍に従って、世界中で戦争する国になってしまったこと。

私には、蜩の声は、「お前たちにとってあの戦争は何だったのか、もう忘れたのか」という死者たちの嘆きの声のようにも聞こえました。

しかしこうした重い感想とともに、今回も、登場人物の日常の暮らしの隅々にある笑いが、雑草のようにたくましく生きた、当時の人々の強い生命力を表していて、ある種の希望が見えました。

前回の「焼肉~」とは違って、今回は二組の男女の愛についての物語です。しかし、共通しているのはそれぞれの時代背景を克明に描くことで、記憶にとどめようする脚本家・鄭義信の強い意志です。題材こそ違え、どちらも時代のディテールまで書き込んだ脚本の面白さと、その時代を生きた人間を舞台に再現した俳優たちの演技力が楽しめた舞台でした。

鄭義信と井上ひさしはどちらも素材の選び方に共通した視点が感じられますが、調理法は全く違っていて面白いです。

来週6月18日の「パーマ屋スミレ」、ますます楽しみです。

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