思いつくままに書いています

間口は広くても、極めて浅い趣味の世界です。
御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

🔵 20年ぶりの北海道の旅 最終回です✌️ 🔵

2023年08月01日 | 旅行
20年ぶりの北海道の旅 -4 からの続きです。
 
なぜ7月19日に帰阪したのに、今頃更新かというと。
 
この8月から、マンションの管理組合の会計(任期2年!😅)をせざるを得なくなりました。
自主管理の小さいマンションです。
 
それで、引き継いだエクセルの駐輪場の使用料管理表を、関数で自動計算するように変えようとしてつい熱中してしまい、ブログの更新が遅れました。(殴)
 
久しぶりのエクセル、やっぱり楽しいね~。🎶
(かかった時間を考えたら手計算の方が早かったりして。😅)
 
忘れかけた関数を思い出しながら、少しでも見栄えをよくしようと罫線やシートの配色などいじっていると、時間のたつのを忘れます。肩も凝ります。😣


それはさておき。


話は7月16日の18時に「はぼろ温泉サンセットプラザ」にチェックインしたところから。
 
このホテル、道の駅や立ち寄り湯も併設されていて、大きい施設でした。
 
 
 
 

 
しかし羽幌温泉って、知らなかったな~。
 
Tさんは、「夕陽がきれいなところだよ」と言っていたけど、今回はダメみたい。😔


さてホテルですが。
 
チェックインしたあとも、どんな部屋なのか知らないまま、611号室に入ってビックリ。
 
なに、この広さは?みたいな感じでした。
 

 
全然内容を調べないで予約したのですが、ホテルに一室だけあるスィートルームでした。(殴)

部屋の内装や調度品は落ち着いた豪華さ。なのに層雲峡のホテルより安かった。
 
食事は1Fの別室で、専属のスタッフがサービスしてくれるコース料理に大満足。

おいしかった。(メニューは標準ですけど。😅)
 


夕陽は日没ぎりぎりまで期待したけど、やっぱりダメ。
 
晴れたら部屋から真正面に夕陽が見えるはず、なのにね〜。


明けて7月17日。
7:30頃目が覚め、慌てて大浴場に行きました。連日爆睡。😴😪💤
 
ジェットバスもあり、設備は今回の温泉中で一番よかった。
 
遅かったので、風呂から上がったタイミングでジェットバスは止まり😅、従業員の方が掃除に来られました。
 
チェックアウトして隣のバラ園へ。
でも人手がないのか、咲き終えた花が枯れたままで、無惨でした。
 

 
思ったより広いバラ園なので、手入れすれば見ごたえがあると思うのですが。


羽幌を後にして、札幌市に向かいました。
 
まずTさんが、若い一時期関わっていた公園へ。
 
でも、これまでガーデンをいくつも見てきたので、あまり感動はなかったです。😅
 
売り物の百合はまだきれいに咲いていましたが、
 
 
 
 

 
やはり予算不足なのか、手入れが行き届かず、雑草が目立ちました。

このあたり、どうしても手入れの行き届いた馬見丘陵公園と比べてしまう。(馬見は無料だしね)
 
でもTさんの説明を聞きながら園内を回って、彼女が働いていた当時の様子はリアルに理解できました。
 
ひときわ思い出のあるロックガーデンとか、



由緒あるサイロとか ↓、


 

ボーダーガーデンなどなど。 


 
 

 

 
 

その後、札幌での連泊のために、サンルート札幌へ。
 
安いだけに部屋はギリギリですが、割り切ればなんとか過ごせるスペースです。
 
何よりも札幌の中心部にあって、身軽に動けるのが一番です。
 
夕食は待望の牡蠣を食べに行くことにして、Tさんが探してくれた店に行きました。徒歩です。
 
メニューを見たら、生牡蠣が1個100円とリーズナブル❗
 
で、何気なくメニューの産地表示を見たのですが・・・。
 
なんと兵庫県の室津!!
 
さすがにこれはないやろと思いましたね。見なければよかった。
  
もちろん室津は牡蠣の名産地で、評判も高いのですが、北海道で食べるというのはちょっと違うよね。
 
てっきり厚岸とか想像してた。
 
遠い関西から運んでも採算が取れるのが不思議。
 
でもおいしかったです。
 
しかし店のBGMがうるさくて、そのため客の話し声も大きくなって騒がしく、落ち着かないのが玉に瑕。
 
そのあとTさんが、札幌時代の知人と待ち合わせて、別の店で旧交を温めることになり、私も付き合って同席した話などは割愛します。
(してない😅)

翌7月18日も私は寝坊して、遅い朝食を取ってからスタート。
 
行きたかった未踏の地・積丹半島の神威岬を目指しました。
 
途中で昼食の時間となり、またまたウニを食べようと、Tさんがスマホで調べてくれた評判の店に行きましたが。
 
すでに店の周辺は車であふれていて、入り口には多くの客が順番待ち。
 
先に降りて様子を見に行ったTさんから、ウニ丼が6,000円と聞いてびっくり。
 
高いし、待ち時間も長いのでパスすることにして、神威岬に近い場所にある次の店に行ったのですが。
 
店で不漁で今日はウニがないと言われてガックリ。でもひよっとしてと隣の店に行ったら、なんとありました。
 
仕入れ先が違うのですね。
 
でもバフンウニはやっぱり高くて8,000円以上。😅 
 
ふとそれでもいいかなと思ったけど、Tさんは「もったいないからやめよう、ムラサキウニにする(半額以下でした)」というので、それに従いました。
 
でもムラサキウニもおいしかったです。しかも客が多いのに、あまり待たずに出てきました。
 

 
満足して、すっかり晴れてきた道を神威岬に向かいました。
 
私が積丹半島という地名で連想するイメージのまんまの海岸線沿いを行くと、広い駐車場に着きました。
 
そこから痩せ尾根伝いに、アップダウンのきつい歩道を先端まで歩きました。
 
歩き始めて、すぐ近くでウグイスの声。
 
見たら、目の前の電柱の支線に止まって鳴いていました。
 
でも鳴き声は間違いないけど、馬見でよく見るウグイスとは違う外見で、半信半疑。
 

 
 

 
↓ でもネットで探したら、よく似た画像がありました。
 
 
参考までにネットからお借りしました。
 
しかし警戒心の強いはずのウグイスがこんなに近くにいるなんてね。 
 
岬の先端に続く道は、ミニ万里の長城みたいにうねっていて、そこからの眺めは、これぞ岬!という感じで最高でした。

 
 
 
 
 
 

↓ カセンソウです。


 
 
 
 

 


 
 

 
神威岬のあとは、近くの、日本の渚百選に選定されたという「島武意海岸」に立ち寄ってから、

 
 
 
 
最後は、ニッカウヰスキーの余市蒸溜所に行ったのですが、時間切れで入れず。😔
 
夜は蕎麦の食べ納めをしようと、ホテルから歩いて行ける蕎麦が売りの居酒屋へ。
 
噂通りの蕎麦と、日本酒が美味しい店でした。
 


7月19日 

とうとう帰阪の日です。
 
またまた遅めの朝食の後チェックアウト。
 
まず、Tさんの恩師が眠る真駒内の墓地へ。
 
恐ろしく広大な墓地でした。車で移動必須。
 
やっと見つけた墓碑の前で、Tさんは長い間合掌していました。
 

 
そのあと、私が以前から行ってみたかった、白老町の国立アイヌ民族博物館に行きました。
 
日本最北の国立博物館です。
 
期待通り、アイヌの歴史と文化を知るうえで最高の施設でした。
 

 
膨大な資料や文献が蒐集されていて、見ごたえがあります。
 

 
また、シアターで上映されている映像プログラムも、アイヌの苦難の歴史と文化がわかりやすくまとめられていて、必見です。
 
見終えて、敷地内のカフェで食べたソフトクリームが絶品でした。😋
 


レンタカー店が空港と離れているので、早めに車を返して、無料バスで空港へ。
 
ヤリスでの総走行距離は1,843.5km。
平均燃費は21.3km/ℓでした。大したもんです。
北海道ではハイブリッド車は不要ですね。
 
帰りはスマホでチェックインできたので、手荷物の預けも簡単。
 

  


 
 
 
新千歳から伊丹へ出発です。帰りは定刻どおり。 


 
 
 
 
 

旅の終わりに、奈良盆地から伊丹に着陸進入する、エアバス321の機窓から、ドローンの飛行エリア😅と、我が古家と古マンションの両方と、大阪城天守閣、千里川土手が見られて、動画も撮れて、満足でした。


 
というわけで、計画したものの、なにしろどこに出しても恥ずかしい😅ご高齢・ご老体の身で(しかも名うての"雨女"と一緒という・・)、内心どうなることかと不安のあった長旅も、なんとか無事終了しました。


さて、次はどこにしようかな。(殴)

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🔶 20年ぶりの北海道の旅 - 4 🔶

2023年07月29日 | 旅行
7月15日 朝5:00頃、部屋から見上げたら、黒岳は朝陽を浴びて山容がくっきり見えました。
 
半世紀以上前の、新婚旅行😅以来の黒岳ロープウェイ🚠に乗れそうで、これはラッキーと喜んだものの、朝食に行く頃には雲隠れ。
 
がっくりです。😔

このまま雲が上がるのを待つか、同じ大雪山系でも逆の旭岳にするか迷いました。🤔
 
でも、予報ではまだ天気のよさそうな旭岳に行くことに決めて、7時半過ぎ、ボラレ気分のまま(笑)、チェックアウト。
 
多分もう来ることのない層雲峡を後にしました。
 
途中時折雨が降るものの、旭岳に近づくにつれて止んできて、予定通り9:30に到着。
 
旭岳は25年ぶり。
 
45分発の🚠に乗りました。



 



頂上駅から、標高1600~1700m・
気温15℃の裾合平の遊歩道を歩き始めたら、いきなり雪渓。
 

 

すぐにエゾノツガザクラ ↓ や、
 
アオノツガザクラ 
 

チングルマの大群落が目に飛び込んできました。
 
 
チングルマの群落の大きさは日本一だとか。
 
 
 
ちなみにチングルマは草ではなく低木で、その枝が地面を覆って、大きな群落になるそうです。てっきり草と思っていた。
 
 
 
 
 
 
それ以外にも、ハクサンチドリや


キバナシャクナゲ、↓  

 
エゾコザクラ、 

 
イワブクロ、 ↓ 
 
  


キンコウカに、 
 

ミヤマリンドウ、 ↓ 
 
 
エゾイソツツジ、 

  


ゴゼンタチバナ ↓ 、 
 
 
そして北海道特産のメアカンキンバイ ↓ などが
 
 
眼を楽しませてくれました。


鐘撞きが好きな人です。😅↓
 

 
途中から少し雨がパラついてきたけど傘を差すほどではなく、ゆっくり花を楽しんで、11時のロープウェイで麓に戻りました。
 
降り出した雨の中、旭川の上野ファームを目指しました。
 
よく手入れされた、田園の中のガーデンです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 

 
敷地内には小高い丘があり、虹色の椅子が並べられていたり。
 
 
 
 
 
人気スポットなのか、インバウンドの団体客の姿が目立ちました。


ガーデンを周り終えて、土産物などを買って車に戻ったころから雨が強くなってきました。
 
昼食にソバを食べようと、Tさんがスマホで見つけた旭川の「備忠」さんに行くことにしましたが。
 
店の前の駐車場は満車。道端で空くのを待ち、なんとか止めて店内に入ると、30分待ちといわれました。
 
清水町で食べ損ねているので、待つことにしました。
 
でも待っただけのことはあり、安いのにおいしくて、量も多く満足。
 

 
その後、部屋吞み用に名寄市のチーズ屋さんでチーズを買ってから、豊富温泉に行きました。
 
なんとか18時に滑り込むことができました。
 
ホテルの受付スタッフが面白かった。
 
昔の市役所の、市民課などの窓口みたいなワイシャツの腕まくり姿で、応対も素朴というか、かざらないというか、事務的というか。😅
 
でも悪い印象ではなかった。
 
部屋は広いのはいいけど、煙草のヤニ臭いのに閉口。🫢
 
スリッパが1足しかないので、フロントに言って持って来てもらいましたが、別に悪びれることもなく、「はいどうぞ」。
 
服のハンガーも二本しかなかったので追加で頼みました。
  
まるで昔の公共の宿。
 
荷物をほどいてから、二人で先のチーズをつまみに日本酒で軽く乾杯。
 
夕食は悪くなかったです。初めてのハッカクや、ウニ
も(少しですが😅)付いていて満足。
 

 

 
食事後、疲れたので私は風呂に入らず寝ました。
 
ヤリスのオドメーターは900kmを超え、全行程の折り返し点を超えました。


7月16日 雨は止まず。😅
 
午前3時半頃目が覚め、風呂に行きました。名物の油の浮いた濁った湯と、熱めのふつうの風呂です。
 
風呂を上がってからベッドでうとうとしてから、遅い朝食に行き、9:50にチェックアウト。
 
日本最北端の宗谷岬に向いました。しばらくはTさんが運転。
 
少し余裕が出てきたようです。
 
途中クッチャロ湖で小休憩してから、
 
 
  

 
案内看板を目にしたベニヤ原生花園に寄りましたが。
 

 
霧雨で湿原は霞み、咲いている花もなかったので、展望台に上がっただけで終了。
 

 
初めての宗谷岬は風が強く、国道から駐車場に入ってきたオフロードバイクが、風にあおられて転倒したほど。
 
気温も旭岳並みの16度で寒かった。
 

 
しかし宗谷岬ってね。
 
「岬」で想像するイメージとは全く違い、国道沿いの駐車場近くにただ碑があるだけ。
 
殺風景な普通の海岸でガッカリでした。
 
でもバイクや車は多かった。
 
ここで運転を代わり、ウニが食べたいねということで、稚内の海鮮の食堂を目指しましたが。
 
スマホ情報を見て多くの客が押しかけていて、すでにウニは売り切れ。
 
やむなく別の店へ。
 
出川哲郎の色紙を掲げた店でしたが、そこも売り切れ。やばいよ❗です。😅
 

 
しかしもう他に店はないので、Tさんは「ウニ抜きの海鮮丼でもいいので、お願いします」と注文しました。
よほどお腹空いていたんだろうね。(^^;)
 
でも45分待ったら、店主から、ウニ丼には足りないけど、海鮮丼
分は残ったからといわれ、なんとか食べられました。
 

 
 

満足して、ノシャップ岬へ。
 
ここも大阪南港の岸壁(殴)みたいな場所で、写真を撮ってすぐ、サロベツ湿原に向かいました。
 

 
 
 
 
 
あいにくここも花は終わっていて、わずかにカキツバタとギボウシぐらいでしたが・・・。
 

 
 

 

ノビタキの♂と、🎶
 

 
 
♀の姿を発見!!
 

 
 

 
しばらく遊んでもらいました。
 

 
重いP1000を提げていってよかった。
 
それまでも、浮島湿原に向かう途中など方々で、小さな黒い鳥の姿を見かけたので、何だろうと思っていたのですが。
 
ノビタキの♂でした。
 

 
♂♀ともはじめて見ました。

ところで、サロベツで思い出したのが、いつもスーパーで買っている牛乳。
 
帰宅して改めてパッケージを見たら、豊富町産!でした。長年飲んでいるのに、見てなかった。😅
 

  
サロベツ湿原を後にして、発電用風車の林立するオロロンラインを、ひたすら南下しました。
 
遅い車をゴボウ抜きして(法定速度ですけどね😅)、途中のコンビニで、部屋吞み用にサクラマスのトバとワインを買って、18時に無事「はぼろ温泉サンセットプラザ」にチェックインしました。


このあと、今回の旅最高の部屋に泊まれた話♫などは、 To be continued ということで。
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🔵 20年ぶりの北海道の旅 -3  🔵

2023年07月25日 | 旅行

(前回の続きです)
遊覧船を降りて、桟橋から湖面を見たら、特産オショロコマがいっぱいいました。
 

 
もう養魚場。びっくりのでかさです。
 



ホテルに戻って、預けていた荷物を車に積み込み、「士幌線タウシュベツ川橋梁跡」の展望台に向け出発。

といっても、その時はそれが何だか知らないままにね。
 
どこに行くかは、ほぼTさん任せ。(殴)
 
走り出してしばらくは、湖岸沿いのカーブが連続する細い道でしたが、まもなく広い道路になり、三国峠でトイレ休憩。
 

 
 


そこから橋梁展望台の駐車場までTさんが運転しました。
 
だけど、もう10年以上運転していなかったので、笑顔は消え、ガチガチ😳の緊張ぶり。
 
雨が降ってきても、前方を見たまま「ワイパーのスイッチ、どこ?!どれですか?」とか。😅
 
展望台の駐車場に停める自信がないというので、手前で運転を代わりました。
 
車を停めて「展望台」に行きました。
 
でも橋まで遠く離れているので、見える橋の小さいこと!! ↓
 

 
てっきりそこは休憩所で、まだ先に展望台があるのだろうと思ったほど。
 
スマホではショボ過ぎる絵しか撮れません。
 
でも私にはP1000という強い味方💪があったからね。もうバッチリ。
 

 
まるで石造りのローマの水道橋みたいですが、コンクリート製で、ダム湖に水没するたびに受ける水圧の影響や、年間を通しての凍結と融解を繰り返すうちに風化して、石造りみたいになっています。 


 


 
次に浮島湿原を目指しました。
 
しかし、アプローチの道が分かりにくく、散々迷ってから、たぶんここだろうと未舗装の細い道を4km走って、ようやく駐車場に着きました。
 
軽四が1台停まっていただけ。



そこから歩きはじめようとしたら・・・。
 
遊歩道の入口に、熊🐻に注意と大書してあって、いっぺんに気分が萎えました。最近の被害例も書いてあったし。


 
でもせっかく苦労して来たから、なんとか行こうと、熊よけの鈴の代わりにスマホの音楽を目一杯鳴らしながら歩きだしたのですが・・・。
 
まもなく、新しそうなヒグマの足跡👣らしきものをいくつも発見。😱
 
引き返しました。私の前を行くTさんの足の速いこと。
(私も必死に歩いたけど)
 
まあ、怖かったね~。

次に「大雪森のガーデン」に行きました。
https://www.daisetsu-asahigaoka.jp/
 
広大な敷地に広がる、手入れのよく行き届いた庭園でした。
 
コースも自由に回れるようによく考えられていて、「森の花園」「森の迎賓館」「遊びの森」の3エリアに、さらにたくさんのゾーンが配置された庭園が広がっていました。

 


(エレムルス)









(スジギボウシ)


(アリウム)





季節の花を楽しみながら周ったあと、カフェでソフトクリームとジェラートを食べて休憩。
 
最後は大雪山系の黒岳ロープウェイに乗ろうと、層雲峡の乗り場に行きましたが、雨と霧で運転中止。
 
明日乗ることにして、ホテル街唯一のコンビニ(7月24日で閉店とのことでした)でおつまみを買ってから、ホテルにチェックインしました。
 
52年前の新婚旅行で泊まった懐かしのホテルです。😅
 
部屋で、コンビニのつまみで昨日買った日本酒を二人で飲んでリラックスタイム。
 
夕食前に入った風呂はよかったのですが。

期待の夕食は、大会場に大勢の団体客がごった返す、最悪のビュッフェ形式。
 
ホテルの食事サービスのコンセプトは「弱肉強食」みたいな。
(殴)
 
従業員は、おかずが切れるたびに、ケージ飼いの鶏に餌をやるように、黙々と補充していました。
もう52年前のしっとり落ち着いた老舗ホテルの雰囲気は見る影もなく。
 
部屋からの眺めも、渓谷とは逆方向で殺風景な駐車場が見えるだけ。
 
今回の旅で最ガッカリなホテルでした。宿泊料は一番高かったのに。
ボラれ気分満喫。
 
ということで、翌7月15日に悪天候が続く黒岳をやめて、旭岳のロープウェイに乗りに行った話は、To be continued!です。

 


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🔶 20年ぶりの北海道の旅 - 2 🔶

2023年07月24日 | 旅行
 
イコロの森のあと、夕張市に行きました。
 
全国でただ一つ財政再生(再建)団体に指定され、長期間厳しい生活を強いられている夕張市民と市職員のことが、ずっと私の関心事でした。
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2016pdf/20160307059.pdf
 
元自治体職員として、他人事とは思えなかった。🤔

やはり車窓から見ただけでも、庁舎などの外壁塗装は長年手つかずのようで痛々しく、街も空き店舗が目立って、厳しい状況が伝わってきました。
  
せめてもの貢献になればと😅、メロン半分にソフトクリームを載せた「夕張メロンソフトクリームのっけ」(マンマです)を食べる😋ことにしました。

 

おいしかった!
 
食べ終えて、清水町で蕎麦を食べようというTさんの提案で、その店に行ったのですが・・・。
 


どこにも店が見当たらない。
 
なので彼女が電話をかけたら、蕎麦屋さんはすでに別の場所に移転していて😅、しかもその日の蕎麦は売り切れとのこと。

諦めて、河西郡中札内村の「六花の森」に行き、
 
 
 
そこのカフェで軽くお茶してから、紫竹ガーデンヘ。
 

 
無肥料・無農薬・無かん水の、
おばあちゃんの手作りの庭として有名ですが、2021年にそのおばあちゃんが亡くなられていました。
 

 
 
 

 
そのせいか、ちょっと手入れが行き届かなくなっているのかなと思ったところも。
 

 
この日のガーデン巡りの最後は、帯広市稲田町にある真鍋庭園
 

 
ここは圧巻でした。
 
庭園の広さは25,000坪!
 
個人の所有する庭園ですが、日本庭園や ↓
 


 



西洋風庭園・風景式庭園で構成され、
 
 
 
そこに植えられた花や実のなる植物や針葉樹、落葉樹、開拓以前からの古木などのコレクションは数千種に及び、見応えがありました。

 
  

 

    

 
この日の泊まりは然別湖です。
 
ホテルは「然別湖畔温泉ホテル風水」。というか、現在営業しているのはこのホテルだけ。
 

 
然別湖は、20年前につれあいとその母、叔母さんと4人で遊覧船に乗って、東雲湖まで歩いた思い出の場所です。

私を残して3人はもういなくなりました。
 
その時は泊まらなかったので、今回は泊まることにしました。
この日の移動距離は340kmでした。
 
ホテルでのチェックイン時に、ちょっとうれしい話がありました。
 
ホテルのスタッフから、
まだ当ホテルでは『北海道LOVE割』と『HKD応援』と2つのクーポンが使えますが、いかがなさいますか?」と。
 
いかがも何も、これは使うでしょ!ということで、二人で計8,000円!割引してもらえることになりました。
 
案内された部屋は、通称「唇山」が正面に見える、ナイスビューの部屋でした。
 

 
そして翌朝、まさに巨大なくちびるが見られました!
 

 

 
 
チェックアウトしていると、ちょうど遊覧船が出る時間になったので、二人で大慌てで船着き場に行ったのですが。
 
他に誰も客はなく、貸し切り状態で出航。
 

 
 
 
 



贅沢な40分でした。船賃で燃料代ペイ出来るのかな?
 

 


 
途中でオジロワシが飛んできたりして(撮れなかったけど)、大満足。
 

 
 
遊覧船を降りて車に行こうとしたら、次の船に乗る女性客の悲鳴が!
 
見たら、船着き場への階段に蛇がいました。(笑)
 



ということで、その後、幻の「士幌線タウシュベツ川橋梁跡」を観に行ったり、浮島湿原に行こうとしてヒグマの恐怖で断念した話とかは、To be continued!です。





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🔵 20年ぶりの北海道の旅 -1 🔵

2023年07月23日 | 旅行
 
去年のちょうど今頃、千里川土手で、着陸してくる旅客機を見ながら、「いつかあれに乗って、北海道とか行きたいね」と友人と話したりしていました。
 
友人もその場では「うん!」と言ってくれたものの、現実になるとは思っていなかった。
 
その話が、4カ月前に具体的なプランとして友人から提案されて、航空便や宿泊施設の予約をしてからも、まだ現実味は希薄でした。
 
それから幾星霜・・・。(大げさな 😅)
 
ついに7月12日(水)、夕刻発の伊丹→新千歳行きのANAで出発!となりました。✌️
 
なぜか往路だけ、スマホでのチェックインができなかったので、早めに伊丹空港に行こうと、終の棲家予定の超古マンションから新大阪駅まで歩き、リムジンバスで空港に向かったら。
 
それまで晴れていたのに、バスが走り出したとたん、一転して激しい雷雨に見舞われて、早くも行く手に暗雲が・・・。⛈️
 
雨女の本領発揮。(^^;)
 
一緒に行ってくれるのだから文句を言ってはいけないね。
 
でも空港についてチェックインを済ませた頃には雨も上がり、

 
 
出発ゲートで機嫌よく機内への案内を待っていたら、突然「出発が50分遅れになる」とスマホにメールが来ました。
 

 
乗員繰りは、搭乗予定のパイロットの乗務時間の制限が原因みたいです。
 
というわけで、約1時間待たされて20時にようやく離陸。
 
新千歳着は22時前🌃で、ガランとした空港内の、レンタカー店のカウンターから専用電話で連絡したら、送迎の大型バスが来ました。
 
バスに乗ったのは私たち二人だけ。
レンタカー店に着いて、予約していたヤリスを受け取りましたが。

ビックリだったのは、まあとにかくレンタカー店の駐車スペースのだだっ広いこと。😲

借りたトヨタレンタカー(2店ありました)だけでも広いのに、他の大手のレンタカーが何店も隣接しているので超広大。
 
そこにびっしり車が並べられていました。(通常の区画のあるスペースでは足りず、雑草の生えたところや木の下にも縦横無尽に)

( ↓ 19日の帰途に送迎バスから撮った写真です)

 
まあ北海道の表玄関で、観光シーズンだからこんな感じになるのでしょう。 
 
車を借る手続きをしながら、女性スタッフに「自動車工場みたいですね」と言ったら、「自動車工場より広いです」。
 
借りだしたヤリスで、真っ暗な道を予約したビジネスホテルに向かいました。
 
10:50ごろにホテルに到着。でもホテルの駐車場は満車😰で、教えてもらった近くのパーキングに停めて、この日は終了。

 
明けて7月13日(木)、 いよいよ旅のスタートです。幸い天気は晴れ!!
 
旅程は、
12日・千歳→13日・然別湖→14日・層雲峡→15日・豊富→16日・羽幌→17~18日・札幌
の7泊8日。

今回の旅の目的のひとつは、友人が案内してくれるガーデン巡りです。
 
ということで、駐車場で最初の目的地を苫小牧市の「イコロの森」に設定してスタート。
 
20分程度で到着しました。
 

 
 

 
↓ ローズガーデンと


 


 
芝生がきれいなボーダーガーデン、
 


それに様々な白い花や斑入りの植物を集めたホワイトガーデンを柱に、
 
 


いろんな植物を楽しめる小ガーデンや、ウッドランドガーデンが配された、

 

よく手入れの行き届いた庭園でした。
 

 

まだ早かったのか、私たち以外は女性客が一人だけ。
 
ゆっくり楽しめました。ただ、コーヒースタンドでソフトクリーム🍦を注文したら、折悪しく機械がメンテ中だったのが残念。😔
 
この庭園のあと、夕張市でメロンを食べたり、

 
 
清水町で蕎麦を食べ損ねた話や、「六花の森」、「紫竹ガーデン」、「真鍋庭園」を訪ねた話は次回ということにします。
 
 
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🔶 20年ぶりの北海道へ 🔶

2023年07月11日 | 旅行
 
4カ月前に予約した北海道旅行の出発が、明日水曜日に迫ってきました。
 
飛行機と宿泊、レンタカーはネットで予約しました。 

早割のおかげで航空運賃は、ANAでも財布にやさしい一人往復30,000円強。
https://www.ana.co.jp/ja/jp/guide/plan/fare/domestic/sv75/
 
肝心の日程とコースは、長年現地で働いていた友人に丸投げです。😅
 
土地勘を活かして、交代で運転もしてくれるそうなので楽ちん。
 
でもね~。
 
最近になるまで、彼女が名うての雨女だったとはつゆ知らず。(梅雨だけど)
 
出発が迫ってきたので、少し前から気になる現地の天気予報をチェックしていたら、旅行期間中は連日雨やくもり!!
 
なので、冗談半分に聞いてみたら・・・。
 
ニッコリ笑って、「そうよ、知らなかった?
 
最近でも、彼女が関わったイベントは、軒並み雨☔だったとのこと。
 
知らなかったよ~。😱
 
最新の予報では少しマシになってきたけどね。
 
でもまあいいや。
 
猛暑が始まった大阪を離れて、涼しい北海道で(寒いかも)、これまで行ったことのない温泉につかり、現地ならではのおいしい食事にありつけたら、少々天気が悪くても満足です。(と、思いたい)


ということで、昨日月曜日から、一週間分の着替えなどのパッキング作業。
 


さいわい今のシーズン、着替えもかさばらないのでコンパクトに収まりました。
 
カメラもスマホ(今では風景はスマホの方がきれいだったりするしね)で代用し、飛ばしたかったドローンも彼女に却下!されたので身軽です。
 
3月に予約したときは、はるか先のことだと思っていたけど、7月に入って、ようやく実感がわいてきました。
 
明日ボランティアから帰ったらいよいよ出発。
 
玄関先では、紫陽花が終わって、代りに百日紅が咲き始めました。
 

 
旅行の間、植木鉢に散水するために設置したタイマーも、活躍してくれるでしょう。
 

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🔶 親父みたいなパンダと南方熊楠記念館 🔶

2023年06月01日 | 旅行

先週末、🐼を見るため、白浜のアドベンチャーワールドに行ってきました。
 
アドベンチャーワールドは4年ぶり。
 
前回はボランティア先の組合の、リクリエーションのバスツアーでの参加でした。


今回個人で参加して、入園料が高いのにびっくり。😅
 
その前にいきなり駐車場料金(1,200円)も取られた。😅
 
で、🐼ですが・・・。
 
実は前回初めて見た時も、私はかわいいとは思いませんでした。
 
でも友人が、ぜひ見たいというので行くことにしたんですが・・・。

やっぱり今回も、ふんぞり返って、ひたすら笹を食べているだけでした。

( ↓ スマホのカメラでデジタルズームで撮ったので粗いです)

  

 
もう絵にかいたような無芸大食。(殴)

何度見てもやっぱり可愛くない。
(※ あくまで個人の感想です)
 
なんかね~、雰囲気がオヤジっぽいのね。😅
   
ひょっとして、スタッフが着ぐるみを着て🐼のフリをしているんじゃないとか思ったり。
(んなわけあるか)

 
友人もガッカリしていました。
 
でもその後、ジェットコースター(700円)に乗ったり、よく調教されたイルカショー🐬を楽しんだり、
 
 
 
サファリワールドをケニア号で周ったり(この二つは無料です)していたら、
 

 

 
 
ガッカリ感も薄らぎました。🐅🦏🦒🐘🦌🦙🦬🐫

最後は観覧車(700円)🎡に乗って、アドベンチャーワールドを一望してから帰途に。
 

 
( ↓ 画面中段遠方に白浜空港が見えます)

 
 
しかし今回は、その前日に行った、南方熊楠記念館がよかったです。
 
私は10数年前に、つれあいと訪ねていますが、当時、すでに建物は古く、展示スペースも狭くて、熊楠の偉業には圧倒されたものの、せっかくの膨大な所蔵資料が見づらかった記憶がありました。
 
でも今は、しゃれたデザインの新館が出来ていて、展示方法もゆったりとした配置で、見やすくなっていました。
 

 
新館の屋上には展望台があり、そこから見た360度の展望は圧巻。
 
 
 
見終えてから番所山公園まで足を伸ばしたら、
 
 
 
そこにも展望台があり、白浜の街や田辺湾、そして太平洋の大パノラマが楽しめました。
 
 
 



その後チェックインまでの時間つぶしに白浜空港に行って休憩していたら、
 
 
 
和歌山県の新しい消防防災ヘリコプターが基地に戻ってきました。

( ↓ 737の垂直尾翼の上あたりに小さくヘリコプター「きしゅう」が(^^;))
 
 
昔は白浜まで車だと長時間かかったのですが、今は大阪からだと片道2時間あまりで行けます。
 
温泉もよかったし、また行ってみようと思います。
 
しかしね。
 
2日連続して2時間超、トイレ休憩もせず運転したので、月曜日は久しぶりに腰痛発症。
 
4日経った今日になって、ようやく収まってきました。
 
歳です。
 




 


 

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🔶 雨の日は石を磨こう 🔶

2023年02月08日 | 旅行
 
最近ハマってしまったのが、石磨きです。
 
墓石磨き、じゃなくて。(殴)
 
先月末に、白崎海洋公園に行ってきました。
 
和歌山市から約30kmほど南に下ったところにある、紀伊水道に突き出した小さな岬。
 
その名の通り、真白な石灰岩でできた岬です。
 

 
その石灰岩は、古生代ペルム紀(約2.5億年から2.9億年前)に赤道付近で生まれた海山が、プレートに乗って1億年かけてユーラシア大陸縁まで運ばれてきて、そのプレートが海溝に潜り込む際に、大陸側に乗り上げたものだそうです。
 


公園はもともと石灰岩の露天掘り鉱山だったところを、閉山後由良町が買い取って公園に整備したということでした。
 
駐車場になっている平らな部分が露天掘りの跡みたいです。
 

 
展望台に行くと、青い空と青い海と白い岩のコントラストがすばらしい眺望が楽しめました。
 

 
 

 
 

近くの海岸で、透き通った海水を見ていたら、
 

 
 
 
 
海岸の石がすべて丸いのに気づきました。
 
それで、コレ磨いたらどうなるかな?と、形のいいものを選んで持ち帰ったのが発端です。
(相変わらず枕が長い(^^;))
 
水をかけたら模様の出てくる石(右下みたいな)もありますが、大半は磨かないと色や模様はわかりません。
 

 
さっそく試しにひとつ磨いてみたら・・・。
 
元の白い色とは似ても似つかないきれいな色と模様。
 
磨く前の石です。

 

 
磨いたらこうなりました。
 
 
 
もうびっくり。
 
調子に乗って次々磨いたら、どれもみんな違う色。
 

 
荒砥ぎ用に400番、仕上げに2000番の耐水ペーパーを使い、最後は金属磨きのピカールでつやを出しました。
 
やってみて気づいたのは、石がけっこう柔らかいということです。

だいたい1時間半ぐらいで、ビックリの光沢。
  
でも調子に乗って続けて4個磨いたら、持病の指の関節炎がひどくなってきたので、しばらく休止。
 
あと10個ぐらい原石があるので、当分遊べそうです。
 
晴れの日は鳥見、雨の日は石磨き。
 
おすすめです。
 

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🔷🔶 いつになったら‥ 🔶🔷

2020年05月21日 | 旅行

                  ↑東雲湖です。当時は、然別湖の遊覧船を途中下船して、気軽に行けました。

 

つれあいも私も信州が好きで、娘が小さいときは、夏休みに毎年車で出かけていました。

娘が大きくなってからは、夫婦で、イギリスやニュージーランド、アイルランドをレンタカー+B&Bで貧乏旅行をしていました。

 

アイルランド アラン諸島・イニシュモア島です。全面岩盤のまっ平らな島。住民は土を作ることから始めないといけなかった。

 

決まったコースを辿る「旅行」ではなく、行く先々の旅行案内所でB&Bを予約する、行き当たりばったりの「旅」でした。

 

↓ドーセット州のパーベック半島にあるオールド・ハリー・ロックス。ドーバーのセブンシスターズのミニ版です。

 
 
 
↓紀元2世紀にローマ皇帝ハドリアヌスが築かせた、イギリス版万里の長城・ハドリアン・ウォール。よく残っているのにビックリでした。
 
 

いろんなハプニングもあって、楽しかったです。

 

そのころから国内旅行も、全行程車で行く旅ではなく、北海道や東北など遠隔地を飛行機+レンタカーで効率的に回っていました。

とくに印象的だったのは、春国岱(今調べたら野鳥の宝庫だとか!)や東雲湖(今は簡単に行けなくなりました)、その頃は入湯できたオンネトーの湯の滝の露天風呂とか。

 

1人になってしまった去年、海外は無理でも、まずは懐かしい信州に、遺影と共にドライブすることから再開しようと、車も運転支援システム付きに替えて、あれこれ行先を考えていました。

国道最高地点の渋峠とか、同2位の麦草峠にいって、そこを起点に周辺の山歩きをしたり、国道ではないけど、同じく標高の高い大河原峠から天祥寺原を抜けて、蓼科山に登るのもいいかなとか。

折よく放送された百名山の「蓼科山」も録画して、コースをチェックしたりして。

 

でも、そんな計画も、コロナのせいですべてリセット。

がっくり。

まあ今は前向きに気持ちを切り替えて、あれこれ考える時間が増えたと思って、計画を立て直しています。

 

信州の旅プランに、情報をお持ちの方がおられましたら、ぜひご助言をお願いします。m(__)m

 

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アウターヘブリディーズを訪ねて その6

2012年08月02日 | 旅行
ロッホマディの親切なインフォメーションで教えてもらったレストランは、Loch Carnanの途中にあるOrasay Innという、ホテルとレストランを兼ねたところでした。
ここもまわりに何もない平らな場所にポツンと立っていました。今も営業していて、ホームページもありましたが、なんでも地元出身の女性が長年の願いをかなえて1987年にレストランとして開業したとか。




私たちは安いバーミールの方にしました。シーフードもあるとの情報でしたが、メニューにはそれほど品数はなく、私たちはスープとベジタブルカレー、シーフードのチーズソースというのを頼みました。まだ早かったのか他の客は泊り客らしい男性が二人ぐらいいるだけで、店内は空いていました。

スープはステッピングストーンと同じくらい美味。シーフードのチーズソースは少ししつこい感じでしたが、カレーのほうは久しぶりで、味も日本で食べるのと変わらずおいしかったです。まあ値段も相応でしたが。

で、食べ終わってレジに行って、ふと傍らを見ると黒板が。そこには、シーフードスペシャルとかシーフードプラターとか地元の牡蠣とか、いろいろおいしそうなメニューがチョークで書いてあります!

本当にがっくりでしたね。インフォメーションの女性が「おいしいシーフードがあるよ」と勧めてくれたのはこれだったのか!と思っても後の祭り。
明日はこの地を離れるのでもう食べられないとなると余計に残念でした。当たり前のことですが、魚介類を食べようと思ったら、まず黒板のメニューをチェックということですね。今でもできたら食べに行きたいと思う場所の一つです。(笑)

この日は観光もあまりついていなくて、南部の山あり海ありという変化のある景色と比べると少し単調でした。B&Bに8時前に戻り、途中の店で買った苺と紅茶でのデザートのあと、シャワーを浴びて10時ごろに就寝。

7月30日(火)
今日はユイスト島から出る日。起床してまずコーヒーを飲んでから荷物をまとめました。

このB&Bは新しい建物で、設備もきれいで快適でした。8時30分に朝食。今朝もリクエスト通りのものを出してくれました。今日は相客の老人と孫娘?らしい二人に加えて、女の子の両親と別の女の子も合流、5人が一緒に朝食を食べていました。9時30分にチェックアウト、支払いは127.6ポンド。細かいお金がなく150ポンドを出したらおつりがないとのことで125ポンドでいいとのこと。申し訳なかったです。
車に荷物を入れていると、犬が見送りに来てくれました。


一緒に記念写真を撮ってから出発しました。
B&Bの応接間にあったガイドブックにTrinity TempleとLangassの美しい写真が載っているのを見ていたので、まずそこに行くことにしました。
前者は昨日通って見つけられなかった、1263年に創建され1350年に再建さたキリスト教の神学校の遺跡です。広い道路から横道にそれてしばらく行くと、矢印とパーキングの標識があり、それにしたがって車を進めると車を止めるスペースがありました。しかし国道からはまず見えないところですね。アイオナ島の寺院のほうがよく残っていて有名ですが、ここも当時は規模と影響力では劣らず名声を得ていたそうです。
遺跡への通路はパブリックフットパスになっていて、牧場の木柵をあけて入っていくと、なるほど絵になる景色でした。






崩れかけた教会の建物、墓標が傾いたり倒れたりしている古い墓地、薊とアイリス(花が終わっていたのは残念でした)の群生、背後には沼が広がっていて美しいところでした。


(ただここもあちこち羊の糞だらけなのは参りましたが。(笑))
十分立ち寄る価値のあるところで、お勧めです。


そのあと、Langassの石室遺跡を見に行きますが、ここも場所が見つかりません。この辺のはずだがと、きょろきょろしながら走っていると標識を発見。


パーキングの表示があってもどこに車を止めるのかなと思っていると、採石現場みたいな空き地があり、そこに1台の車が止まっていました。ただ、停めるにもあちこちに大きな水たまりがあるので降りられず、迷っていると先に停まっていた車が移動して空けてくれました。親切です。
その人が丘を登って行ったので私たちもついていきました。
↓柵を乗り越えて中に入ります。


しばらくはジュクジュク水の染み出す悪路でしたが、途中から乾いた道になりました。


たどり着いた丘の上にあったのは、最近採石場から切り出した石の山といっても通りそうな感じで、石自体も真新しく見えましたが、説明板ではこれがBarpa Langassという新石器時代の墓の遺跡とのこと。


以前の調査では副葬品や焼けた人骨なども見つかっているとのことです。もう火葬していたのですね。車を移動してくれた男性は先に見終っていて、私たちが中を覗いていたら懐中電灯を貸してくれたので(用意がいいですね)、腹這いになって崩れかけた狭い通路を交替で入りました。
懐中電灯のおかげで中を見ることが出来ました。他に二つの石室があるそうですが、見られたのは一つの石室で、中は石の柱が立っていてけっこう大きな石で空間が作られていました。


↓画面右寄りの人が懐中電灯を貸してくれました。

この場所は小高い丘の上なので、360度見渡せます。駐車場所とは逆方向の丘のふもとには小さな宿泊施設が見えました。

車に戻ると10時半を過ぎていたので、あわててフェリー乗り場に急ぎました。でも45分ぐらいでバーンレイのフェリー乗り場に到着。桟橋近くの海岸でお菓子などを食べて出航時間待ちです。


そこから乗船場所の駐車場を振り返ると、私たちの車の後ろに例の紺色のミニクーパーが停まっていました。ユイスト島からずっと同じ行動日程なのにびっくりでした。
でもこの二人、あまり話したくなさそうなので、会釈だけにしました。

正午になって、近くの海に停泊していた小さなフェリーが桟橋に近づいてきて乗船開始。
予定通りの出発ですが、船は満車で、やはり予約が必須でした。飛び込みでは乗れなかったでしょうね。


風は冷たく、手袋がほしいほどです。デッキでパンなどを食べて昼食にしていると、乗り合わせていたバグパイプの一団が練習をはじめました。

他の乗客も一斉に注目。中には曲に合わせて足踏みを始める人も。この地方もハイランドゲームの季節なので、島を回っている楽団なのでしょう。


時ならぬバグパイプの演奏を楽しんでいるうちに、ハリス島のレバーバラという船着き場に到着。一時間余りの船旅でした。
この辺りはユイスト島とは違って海岸の砂は黄色。海は変わらずエメラルド色で、遠くには雄大な山が連なり、さらにスケールの大きい景色です。

ここにはツーリスト・インフォメーションはないので、ターバートを目指しました。とにかくこれからの3泊のB&Bを予約することが先決です。途中サラームという村のビジターセンターで「Hebrides at War」という本を買いました。戦争中のこの地方の記録が珍しい写真と共に紹介されています。ヨメさんは10ポンドは高い!と不満そうでしたが、気にせず購入。でもいい本でした。

2時にインフォメーションにつき、予約を頼むが、係員はあまり愛想がよくなく、こちらの希望はすべてフル!といって、結局ルイス島のB&Bを、これでも見つかったのがラッキーよという感じで半ば押し付けられてしまいました。まあB&Bのランクでは三ツ星となっているので承諾、一泊22ポンド/一人の料金になりました。
ここでは手持ちの宿が少ないため、ストーノウェイのインフォメーションに依頼していたようです。手続きしてくれた係の女の子もユイスト島とは大違いで不親切。
近くの見どころなども教えてくれず、どこでも置いているフリーマップもなく、有料のマップも陳腐なものだけ。
ここで情報収集するのはやめて、雨なのでとりあえず宿のあるCrosbostという村に向かうことにしました。ドライブマップでは道の途中にストーンサークルがあるようなので、行ってみることにしました。
でも確かこの辺のはずだがと探してもそれらしいものはありません。カラニッシュの村のビジターセンターで聞くことにして立ち寄ると、そこがスタンディングストーンのあるところでした。


なかなか大規模で、しばらく写真を撮ったり説明を読んだりして過ごしました。




小雨模様ですがそれほど強くなく、元のみちに戻る途中また別の、もっと小さいストーンサークルも見つけました。こちらのほうが素朴な感じで好感が持てました。


このあといよいよ宿に向かいます。
地図を見ながら車を走らせて、着いたところは家がポツンポツンと建っている平凡な村でわかりにくいのですが、教えられた家屋番号の建物前に停まったら、出迎えに出てきてくれました。まだ若いマクドナルド夫人といってきれい好きそうで内部はきちんと整理されて清潔でした。

↓これは共同で使える居間です


ただ、通された2階の部屋はシャワールームとトイレが外でオンスィートではないのが難でした。でも他の泊り客は夫人の兄が泊まっているだけなので、隣接した部屋も使っていいとのこと。実質的に貸切状態なので、まあよしとしました。


荷物をほどいてから、夕食のお勧め場所を聞いたらストーノウェイのクラウンホテルがいいとのこと。15分で行けると聞いて、早速出かけました。この村は散歩する気分にもならないところでした。もっときれいなところに建っていたら泊り客も来ると思うのですが。

ストーノウェイは久しぶりの大きな町でした。マル島のトバモリより大きく、テスコもあるほどで(笑)、久しぶりのラウンドバウトに出くわして面喰ったり。
港もなかなか立派でした。
レストランに行くと、看板が出ていたのですぐ見つけられました。

カーパークに車を止めて周辺の店で明日の食料品や飲み物を買ってから、食事にしました。1階がバーですが、食事するような雰囲気ではなかったので2階のレストランへ。
私は舌平目のバナナチップ載せ、ヨメさんはイカのフライとサラダを頼みました。どれもおいしく満足でした。私はスープと温野菜も頼んだのですが、スープはトマト風味のシチューという感じでこれもおいしかったです。

食べ終わって周辺の大聖堂や図書館の写真を撮ったりしてから宿に戻りました。


まもなくマクドナルド夫人が来て、朝食が8時であること、好みなどを聞きに来ました。
今日も買ってきた苺などを食べてからシャワーを浴び、10時過ぎに就寝。

(続く)
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アウターヘブリディーズを訪ねて その5

2012年07月06日 | 旅行
ロッホ・アイナートもまた雄大な景色が楽しめるところでした。
全体にユイスト島は、南部のほうが景色のスケールが大きい感じです。
ガイドブックにあったウォーキングコースは、複雑に入り江が交錯しているところを縫って海岸に向かうコースでした。


道端にはピンクのヒースがきれいな花をつけていて、道の両側には大小さまざまの池沼が散らばり、南側遠くには長い裾野を曳いた山が穏やかなシルエットを見せています。


ボートやヨットが停泊しているので海とわかりますが、そうでなかったら淡水の湖と見分けられません。


空は爽やかに晴れてきて、大西洋からの風に乗った雲が山肌に影を落とし、ゆっくりと流れていきました。太古から変わらないであろう雄大な自然の景観で、手付かずの自然とはこのことだと思いました。


けっこう歩いたつもりで地図を見たら、まだ中間地点でコース最終端の海岸までかなり距離があるので、引き返すことにしました。それでもたっぷり景色を楽しめました。

もとの駐車場所まで戻って、ロッホ・スキッポート(Loch Skipport)に向かいました。ロッホ(=湖です)といっても入り江になった海で、ここからスカイ島がよく見えるということです。
砂利道を行ってみると、波もなく静かな入り江に小さい島がたくさん浮かんでいて絵のようにきれいなところでした。説明どおりスカイ島が水平線上にはっきり見えました。


でも、ロッホ・アイナートからここに来るまでの景色のほうが雄大で、なだらかな山容と紺碧の湖との対比がすばらしく、何度も車を停めました。


しかし、こんないい景色なのに私たち以外の誰にも出会いませんでした。どこにいっても無人というのも、いささかさびしいものがあります。(笑)

そこからまたメイン道路に戻り、Bornishで脇道にそれて西海岸のRubha Ardvule へ。
ここは岬の先端まで整備された道がついていて、車で容易に行けました。晴れた空の下で白い海岸線に大西洋の波が打ち寄せ、ようやく傾きかけた太陽の下、どこまでも続く黄色い花の草原が印象的です。

再び車に戻り、Stoney bridgeでA865に入って、夕食のためまた昨日のベンベキユーラのレストランへ。
途中14世紀の廃墟Borve Castleを見つけましたが、ほとんど基礎部分だけなのと、道路側には鉄条網が張り巡らされていて他の入り方もわからないので、写真を撮っただけでレストランに行きました。
一日歩き回っておなかも空いていたので、今夜はコース料理に挑戦しました。

ヨメさんはエビ・卵のサラダと本日のスープ、マッシュルームのストロガノフにデザートのシャーベット+コーヒー。私はフルーツサラダと同スープにサーモンステーキのパセリ レモンバターとオムレツ、チョコアイスクリーム+コーヒー。

確かにおいしかったのですが、やはり私たちには量が多すぎ。途中から持て余してしまいました。手付かずのオムレツはお持ち帰りにしてもらいました。
食事代は41.3ポンド。味も一流、値段も一流でした。(笑)
今日は店に入ったのが8時を過ぎていたので、駐車場には先客のブルーに白のストライプのミニクーパーが駐車していました。でも他の車はなかったので、みんなはもっと遅く食べにくるのかなと思ったり。
でもこんな辺境の地で、よく経営が成り立つものだと思いました。ホームページも更新されているので、今もやっているようです。

A865から宿のあるグリムゼイへの帰り道、ひとつ手前の交差点を曲がってしまって昨日とは逆コースでしたが、なんとか戻り着きました。反対方向から見ると景色が全く違っていて少しびっくりでした。
今日はシャワー時に恒例の洗濯をしなくてもよかったので(笑)、ゆっくり浴びられました。そのあとはバタンキュー。

7月29日
朝6時に目を覚ますと、ヨメさんはもう起きていて、せっせと会社の同僚に絵葉書を書いていました。マメな人です。
8時頃気持ちのよい天気に誘われて、二人で宿の周囲を散策。すぐ隣がかわいらしい漁港で、カラフルな漁船が出入りしていました。晴れて日差しはあっても、風は冷たかったです。


↓ 丘の上の白い家がB&Bです。


よく手入れされた裏庭を見せてもらっていると、垂れ目の大きな犬が尻尾を振って寄ってきました。一緒に写真を撮ったり、しばらく相手をしました。(相手をしてくれたのかも)(笑)。イギリスではどこでも犬はよく躾けられていますね。


30分ほど周りを散歩して食堂へ。すでに相客は食事中でした。今日は夫人もこちらの注文どおりのメニューを用意してくれていました。しっかり食べて、9時半ごろ出発。

今日はユイスト島北部の探検です。

まずCarinish trinity Templeという古代キリスト教の遺跡を見ることにしました。ところがガイドブックに従って現地に行ってもそれらしいものはなく、Carinish Church という何の変哲もない新しい教会があるだけ。

大体この国の観光案内のサインは、景観を損なわないよう控えめなので、つい見落としてしまいます。(←いいわけ)

あきらめて次に近くのLoch Eportへ。アザラシやカワウソが見られるとのことですが、行ってみても何もいません。(笑) 


海岸はなかなかきれいですが、昨日の雄大な景色と比べたらそれほどの感動もなく、早々に引き上げました。やはりこういう動物が見たかったら、地元のガイドに案内してもらうべきでしょうね。まあ私たちはそれほど動物に興味があるわけではないので、すぐ離れました。

本日の予定コースは環状なので右回りに行くことにし、その前にまずヨメさんの葉書を出すため郵便局に行きました。ロッホマディのフェリー乗り場手前のPost Officeの標識の店に行きました。でも行ってみたらここは正式の郵便局ではなく、ただ切手を売っているだけ、それも国内向けのみでした。
それでも店の人が「Museumに行くとあるよ」と教えてくれたのでいってみたら、思わず笑ってしまうほど小さな施設でした。Museumといってもカフェやみやげ物ショップの横に小さくこの地方の写真などが展示されているだけ。でも送れました。郵送料は離島のためか一通42Pでした。

詳しい観光地図などを買おうにもないので、B&Bを紹介してくれた旅行案内所にまた行きました。例のスタッフの女性に、いい宿を紹介してくれたお礼を言って、地図を買いました。相変わらずニコニコと愛想よく、ステッピング・ストーン以外の食事場所も教えてもらいました。
二人ともそろそろ人恋しくなっていたところなので話ができてうれしかったですね。
いい気持で車に戻り、道路を北上して、何か施設があるかもと、明日乗る予定のフェリー乗り場に行って見ました。

でもフェリー乗り場は小さな桟橋がひとつあるだけの寂しいところです。そのそばにExcellent Viewと書かれた標識の海岸があったので行って見ました。
確かにここもきれいなところで、まぶしいくらい真っ白な海岸では、夫婦と子ども二人と犬が遊んでいました。


真っ白な砂の海岸と、エメラルドグリーンの海、風にそよぐ柔らかな草が美しいところでした。まだ昼食には早かったので、何枚か写真を撮ってから離れました。


このあと、Vallayの海岸を走っていたら、よくガイドブックに出ている白い茅葺のコテージを見かけたので小休止。
海の色が何色にも変化しているのも不思議な感じなので、海岸の草原の石に腰かけて昼食(昨日のオムレツとパン、ビスケットやジュースなど)をとることにしました。食べ終えてコテージの写真などを撮っているとそこで宿泊しているらしい女性が戻ってきて、こちらを見て手招きし、中を見せてくれるとのこと。


古く由緒のありそうな外観とは裏腹に、内部は現代的に手が加えられていて、キッチンやベッド、居間も案内してくれました。セルフケータリングで借りられることをインターネットで見つけて、泊まっているとのこと。
小学生くらいの娘さんは「鈴木メソッド」でピアノを習っているとか言っていましたが、私たちは全くどんなものか知らなかったのでフォローできませんでした。(笑)

礼を言って別れて、次はScolpaigタワーへ。

この塔は、1830年にアレクサンダー・マクラウド博士の提唱で、当時の飢饉救済事業として雇用を提供する目的で建立されたそうです。1971年にはスコットランドの歴史的建造物に指定されています。


小さな湖の中に島を作ってその上に建てられていて、水位の低いときは飛び石伝いに塔に行けるとのことですが、この時は行けませんでした。今はもっぱら鳥の営巣地になっているそうです。
ここも誰も観光客はなくさびしいので、二人で記念撮影しました。(笑)


次に目指すのはMachair(語源はゲーリックでマハルと読むそうです)で有名なバーナレイ。ここも古い集落だそうです。アウターヘブリディーズの他の島々と同じように、19世紀から20世紀にかけて人口が減少したものの、この数年間は緩やかに増加しているそうです。といっても 2006年10月の人口は130人程度。
このため、定住人口を増やす目的で、2006年1月からバーナレイでもインターネットがブロードバンドで利用できるようになったとのことです。まあこんな最果ての島だからこそ、情報発信の手段としての値打ちがありますね。

他のアウターヘブリディーズの地域と同様ここの住民も、スコットランド・ゲール語を普通に話しているそうです。でも誰にも出会わなかったので、確かめてはいません。(笑)
ゲール語と言えば、アイルランドを旅行中、偶然カーラジオでゲール語の放送番組を聞きましたが、さっぱりわかりませんでしたね。
ご存知の方も多いと思いますが、アイルランドやウェールズの道路標識はゲール語と英語の2段書き。中にはゲール語しか書かれていない場合もあり、ラウンドアバウトなどで行く先がわからずあわてたこともあります。

でもバーナレイが有名なのはなんといってもマハル(machair)です。

これは風に吹上げられた貝殻の細かい粒・シェルサンド(上の海岸の白い砂がこれでした)でできた海岸沿いの平原です。もともとスコットランドは冷涼なため草が分解されずそのまま泥炭化した酸性の土質ですが、それがアルカリ性のシェルサンドで中和され、さらに打ち上げられた海藻や、冬の放牧動物の糞が一緒になって自然の肥料になり、夏の農業に適した耕作地になっていたそうです。
それを利用した伝統的な小作農の農業がマハルといわれています。

このマハルは、地力を養うため、耕作地と休耕地を期間を設けてローテーションさせて利用しているとのこと。それで休耕地となった広大な海岸沿いの土地が、さまざまな野生の花々の咲くパッチワークとなって続いています。
こういう土地利用は昔は同じような自然条件にあるヨーロッパ各地に見られたそうですが、今ではスコットランドとアイルランドの西海岸にしか残っていないとのことです。

地図にあるバーナレイ・ネイチャー・リザーブセンターは資料の展示やトイレがありそうなので行ってみました。
でもイメージしていたのとは違って、トイレのみのプレハブ小屋があるだけ。スコットランドのナショナルトラストが保存活動をしているようですが、無人でした。
そこからしばらく真っ白なわだちのある道を歩いていくと、信じられないような光景が広がっていました。黄・白・ピンクの花が一面に咲いた大草原です。ふたりとも「スゴイ、スゴイ」の連発でした。









しばらく写真を撮ったりして景色を楽しんでから、海岸に向けて歩き始めました。
マハルを巡るウォーキングコースは、所要時間2.5時間で約5kmの長さとのこと。ゴロゴロとした岩や真っ白な砂浜が印象的な海岸線と、この地固有の数十種類の野生の花が咲き乱れる大草原のコースは、本当に壮観です。



砂浜や岩の浜に囲まれた入江と、白い砂が敷き詰められた砂丘、様々な花のmachairを巡るコースですが、私たち以外に歩いているのは昨夜のレストランで見かけたミニクーパーのカップルだけ。その彼らも遠く離れているので、独り占め状態でした。


結局、途中道標がなくなっているところがあって少し行き戻りしたので6~7kmぐらい歩いて車に戻りました。同様に戻ってきていたミニクーパーのカップルに会釈してから、帰途につきました。このカップルにはその後あちこちでたびたび出くわしました。
途中、バラシェア島の海岸に立ち寄ってから、教えてもらったレストランに行くことにしました。

<続く>
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アウターヘブリディーズを訪ねて その4

2012年06月10日 | 旅行


トイレ休憩を兼ねて入ったのはKildnan centreという、元は学校だったところを改装した博物館でカフェも設けられていました。学校だったというのは帰国後ずっと後になってわかったことで、その時はだだっぴろい駐車場(校庭だったところです)の殺風景な建物だなあと思いながら車を停めました。
この地方の文化や歴史を展示した博物館ですが、常時開館しているのではなく、事前に了解を得てからでないと見られないようでした。もともと人口密度が低く、観光客もあまり来ないので、常時人を配置できないのでしょうね。

ちょうどオープンしたところで早速チーズケーキとチョコケーキとココア、紅茶を注文しました。ケーキは少し甘いものの大きさはほどよく、おいしかったです。
運営しているのは地元の婦人たちのようで、なごやかな家庭的な雰囲気でした。私たちの後にサイクリングの一行も入ってきて俄かににぎやかになりました。
見渡しても他に何の建物もない幹線道路沿いなので、誰もがまず目にする施設です。

しばらく休憩して暖をとった後、出発しました。ミルトンというところのフローラ・マクドナルドの住居遺跡を見ることにしました。
フローラ・マクドナルドは、インバネス近郊カロデンでの戦いに敗れたボニー・プリンス・チャーリーがユイスト島に逃げてきたのを助け、フランスへの逃亡に力を貸したことで有名な女性です。
無事王子をフランスに逃がしたものの、自身は逃亡に使った船の船頭に通報されて政府軍に捕まり、一時ロンドン塔に幽閉されました。
でも彼女の正直で勇気のある振る舞いがロンドン市民に称賛されて短期間で仮釈放になり、翌年には晴れて自由の身となりました。
彼女は後年夫とともに渡米して独立戦争に巻き込まれ、イギリス側に立ったため無一物となってまたユイスト島に戻り、最後はスカイ島で生涯を終えるなど、小説顔負けの波乱万丈の人生を送りました。

私たちが行った幼少期の住まいだったといわれる場所は、どこまでも真平らな草原にポツンと石組みだけの廃墟が残っているだけ。その中に、日本の山で見られるケルンのような素朴なモニュメントが立てられて、横に簡単な説明板が設置されていました。




ココで360度のパノラマ風景が見られます。

しばらく周囲の眺めを見てから、映画「ウィスキーガロア」の舞台エリスケイ島を目指します。

エリスケイ島は、南ユイスト島とバラ島(Barra)の間にある南北約4km東西約2.5kmの小島ですが、2001年に海を埋め立てて建設された堤防道路(コーズウェイ)で南ユイスト島と繋がりました。人口はわずか130人余、小規模な農業と牧畜、漁業が産業とのことです。でも実際はもっと少ないように感じました。家自体もまばらで、どこにも人は見かけませんでしたから。

ところがコーズウェイに行く道を途中で間違えて、ロッホ・ボイスデイルというフェリー乗り場に迷い込んでしまいました。船着場には結構大きなプリンセス号という船が停泊していました。


付近にホテルのような建物もありますが、ここも人影は全くなし。観光地図でもあればと旅行案内所の看板のある建物に行っても、日曜のためか閉まっていました。

早々に引き上げて、次にカルマックのガイド地図ではエリスケイ島への途中にあることになっているカトリック教会(Our lady of Sorrows Roman Catholic church)に寄ることにしました。
よく知られているようにイギリスではほとんどがプロテスタントですが、アウターヘブリディーズではベンベキューラあたりを境に南北で別れていて、南側がローマン・カトリックの教区になっているということで、珍しいので見てみようと思ったわけです。

行ってみたら建物は1965年に建てられた新しいもので、外観は恐ろしく無味乾燥なコンクリートの建物でがっかり。写真を撮っただけで引き上げました。車が2台とまっていたので使われているのでしょうが、ここも人影はありませんでした。


さらにエリスケイ島に近づいてからまたコーズウェイへの道を間違えて、ルーダッグというフェリー埠頭に迷い込みました。よく間違えます。(笑)
でもここは、運よくプレハブの待合所に公衆トイレがあり、いいタイミングで借用できてラッキーでした。(笑)


とにかく今回の旅ではどこに行ってもほとんど無人の原野なので、こういう施設があると大助かりです。(笑)
ここからバラ島へのフェリーが出るのですが、完全予約制で、不定期運航のようでした。

この埠頭からすぐのところに目的のコーズウェイがありました。すごい眺めです。運よくこの辺からちらっと待ち望んだ青空も見えてきて、現金なもので2人とも自然に笑顔です。


まずは、先のボニー・プリンス・チャーリーが、1745年にスコットランド王朝の復興をかけて亡命先のフランスから戻ってこの島に上陸したという場所に行きました。本土は警戒が厳しいのでここに上陸したのでしょうが、フランスからだと大迂回コースですね。
海岸から海を見ると珍しく海から上がってくる人影が見えます。
でもボニー・プリンス・チャーリー!なはずはないですね。(笑)

親子連れらしい2人の男性がウェットスーツを着てなにか漁をしていました。父親が息子に漁を特訓しているという感じでした。私たちはフリースの上にゴアテックスのカッパを着込んでもまだ寒い感じなのに、よくやるなと感心します。

海岸はガイドブックの説明のとおり、真っ白な砂でおおわれ、それだけを見ていると八重山の島々みたいですが、こちらは貝殻が砕けてできた砂とのこと。この海岸で、昨日買っておいた果物とケーキを食べました。



この島が有名になったのは先のボニー・プリンス・チャーリーの上陸と、もうひとつ、貨物船「ポリティシャン」の座礁事件です。
この事件にまつわる騒動はコンプトン・マッケンジーによって1947年に小説「ウイスキーガロア」(のちにドタバタコメディ映画化されました)になって広く知られるようになりました。小説はロングセラーになり、翌々年の映画の撮影時には実際の島民たちがエキストラで出演したとか。

この事件の起こった1941年、イギリスはドイツとの戦争の真っ最中でした。
イギリスの戦費調達はアメリカとの貿易に頼らざるを得ず、大西洋を多数の商船が行き来していました。商船ポリティシャンもその一隻でした。
1941年2月3日、同船はリバプールを出港。積荷には外貨獲得のためイギリスでは統制品となっていた22,000ケースものスコッチ・ウイスキーが含まれていました。
銘柄はおなじみホワイト・ホースやジョニー・ウォーカー、バランタイン、ヘイグ等トップブランドばかり。

行き先はアメリカのニュー・オルリーンズでした。ドイツのU-ボートの攻撃を避けるため、ポリティシャンはアイリッシュ海を北上してスコットランド本土とアウター・ヘブリディーズの間の海峡を抜けるコースをとりました。

しかし夜半にエリスケイ島東部を通過しようとしたとき、戦時下の灯火管制で灯台は灯を消していたため航路を確認できないまま、ポリティシャンは折からの強風に流されて2月5日午前暗礁に乗り上げてしまいました。幸い乗員は島民と救命ボートで全員救助されました。

積荷のウイスキーを巡るドタバタ劇はここから始まります。
小説「ウィスキー・ガロア」のガロア(Galore)は英語で豊富なとかたくさんという意味なので、ウイスキー・ガロアは‘ウイスキー満載’という感じですね。

座礁したポリティシャンからまずウイスキー以外の積荷が回収されました。信じられないことにウイスキーは非課税で多分油まみれで商品価値なしと判断され、船内に放置されました。

積荷のなかにウイスキーがあることを聞いたエリスケイの島民は、無人となったポリティシャンからわれさきにとウイスキーを持ち去りました。輸出優先で統制品とされ、わずかばかりの配給でしか飲めなくなったウイスキーです。話はあっという間に広まりました。
地元だけでなく、隣のバラ島、北のルイス島やハリス島、スカイ島、果てはスコットランド本土から多くの船がやってきてウイスキーを持ち去りました。

この騒動に当局もあわてて回収に乗り出しましたが、結局、22,000ケースのうち、当局が回収したものが13,000ケースだけ。残りのウイスキーのうち不法に持ち去られたものが2,000ケース、船中に残されたものが4,000ケースと何千本ものバラ瓶でした。
大捕物の結果、略奪に加わって逮捕された島民たちのうち19人が起訴され、数か月間投獄されたといわれています。

船中に残ったウイスキーは、座礁した船体の後半部にありました。船体の前半分は離礁に成功して回航されたものの、後部の回収は難航、結局ウイスキーを残したまま爆破処分されました。
船体とともに海底に沈んだウイスキーの中には、今でもまれに大シケのあとなど、付近の砂浜に打ち上げられたりするという話も聞いたことがあります。

でも今は現場にはそんな騒動を伝えるなんの痕跡もなく、静かなたたずまいでした。

その後、見晴らしのよさそうな小高い丘が見えてきたので車を止め、登ってみることにしました。ほとんど道らしい道もなく、草地にたまった水で靴を濡らさないよう注意しながら岩の露出した丘の頂上へ。


さっき通ってきた堤防道路も見えて、いい眺めです。
しばらく360度の眺望を楽しんでから、元の道路A865まで下って、ユイスト島に戻りました。


今度は島の東部に行くことにします。
ガイドブックでは近くにスタンディング・ストーンがあることになっていますが、そこへの標識がわからず、パス。午前中に迷い込んだロッホ・ボイスデール(Loch Boisdall)の近くのハイキングコースに行くことにしました。
でも国道からそのハイキングコースへ向かう道は鉄の柵が閉まっていて通れず。しばらくして、ガイドツアーの一行らしいランドローバーがやってきて開けたので私たちも行こうとしたら四輪駆動でないと無理っぽい悪路です。あきらめて引き返しました。

次にロッホ・アイノート(Loch eynort)のウォーキングコースへ。
こちらはすぐ見つかりました。スタート地点には狭いながら駐車スペースもありました。
フットパスも整備されていて歩きやすく、すっかり晴れてきて気持ちのいいコースでした。






<その5に続きます>



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アウターヘブリディーズを訪ねて その3

2012年05月22日 | 旅行
まず旅行案内所へ

ユイスト島の旅行案内所は、地図のとおり港の近くの高台にあるかわいらしい建物でした。
ここからはロッホマディの港の集落が一望できます。
案内所横の駐車場に車を停めて、中に入りました。案内所のスタッフの女性は快活で愛想がよく、「私たちも海草を食べるのよ」と笑いながら中で売っていたみやげ物の中から海藻の干物の詰め合わせを見せてくれました。
本当にフレンドリーな人で、B&Bに連絡のため電話をかけてくれた時も、まず日本人など泊めたことがないであろうB&Bのオーナーが警戒しないように(笑)、「ナイスカップルよ」と口添えしてくれるなど、気持ちの良い対応がうれしかったですね。

早速教えられた場所を目指して、A367をそのB&Bに向かいました。途中クラーチャンの小さな店(田舎の何でも屋という感じです)で水や果物、パンやお菓子などを買って翌日からの食料を確保。途中町らしい町もなく、しかも道はほとんど一車線、ほとんど沼や湖が続く原野ばかりでどんなB&Bか心配になってきます。

ようやくたどり着いたB&B・Glendaleは、北ユイスト島の南部のグリムゼイ島の小さな漁港に隣接した丘の上にありました。新しい建物なので風情はありませんが、設備もよく、居心地がよかったです。




となりには小さな漁港がありました。


ウェルカムティーを出してくれたオーナーは以前南アフリカに住んでいたというマクロード夫人。親切そうな人なのでよかったです。同宿の客は老人と孫らしい女の子の二人だけでした。

このユイスト島は南北に別れ、あわせて約6,000もの大小さまざまな淡水の池沼があります。島の景観は東西で対照的で、西半分は遠浅の白砂の海岸、反対側の東部は複雑な入り江とまったく異なります。基本的には真平らな島です。

↓島西部の代表的な景色


↓東部はこんな感じです



ユイスト島とベンベキューラなど周辺の島々とはたくさんのCause Wayという堤防の道路でつながっています。

チェックインして荷物を解いてから、夕食にはどこがいいか夫人に聞いたら、ベンベキューラのレストランを勧めてくれました。でも手持ちの地図は古くて載っていないのでどういけばいいか聞いたら、地図を貸してくれました。

ベンベキューラまでは少し距離はありますが、さらに多くの湖が点在していて景色がすばらしく、他の車も走っていないので、何度も止まって景色を楽しみながらの快適なドライブでした。
地図では近くに空港があるとなっていましたがそれらしい施設は見当たらず、倉庫のような建物が点在するだけ。道もあちこち交差していてわかりにくかったですが、なんとか看板を見つけることが出来たので、ようやく到着。

ちなみに、この飛行場(管制塔などおなじみの施設も見当たらず、とても空港には見えなかったですね)には、第二次大戦中ドイツのUボートから英米間の輸送船航路を守るために対潜哨戒機の部隊が常駐していました。
英海軍と米軍の共同作戦として米軍のB17が作戦に参加していたと現地で買った「Hebrides at War」という本に記載されています。
この本で、当時駐留していた米軍のパイロットは「ベンベキューラでの印象といえば、濃い霧と冷たい雨とポリッジを思い出す」と言っています。特に冬はそんな感じでしょうね。

レストラン・Stepping・Stoneは予想に反して真新しい建物で、中は現代的な木造建築、窓が大きくて明るくきれいでした。
室内は段差が設けられて床が低くなっているほうはバーミールを提供するスペースでランチメニューなどを出していることがわかりました。この日は上部のレストランのほうでAlaCarte Menuから選んで食べました。おいしくて満足でしたが、コースを頼むと私たちには量が多すぎると思い、スモークサーモンになんとかいうパスタ、スープを注文しました。
味付けもおいしく、満足。これでこの島での食事の心配はなくなりました。(笑)

でもまだ早かったせいか、帰り際に店内をよく見わたしても客は少なかったですね。

夕食後B&Bに戻る途中、あちこちに点在する池にミツガシワやスイレンが咲いているのを見かけたので、写真を撮りました。宿が決まり、食事も楽しめたので、景色を見る余裕が出てきたというところです。


その夜はぐっすり眠れました。

翌朝も昨夜からの雨が残っていて少しがっかりでしたが、案内所でもらったガイドブックに沿って島内を回ることにしました。
マクロード夫人が掃除に来てもいいように部屋を片付けて、持っていくものと置いていくものを整理。連泊なので荷物は身軽で楽です。
8:30に朝食。後から孫娘と祖父のスコットランド人らしい二人が2階から降りてきました。朝食は丁寧に作ってくれてフルーツやヨーグルトもありがたかったです。ゆっくりして9:30頃出かけましたが、寒い!
フリースを着込んでゴアテックスの雨具を着てちょうどいい感じでした。見送ってくれた夫人は「昼から晴れるよ」といってくれました。

まず白鳥が見られるというロッホ・ビーに向かいましたが、雨のせいか見られず。
天気も気になるところですが、とにかくユイスト島を南下しながら観光スポットを見てまわることに。次に行ったのは島の守り神のようなour lady of the isles という石像です。
真新しい感じでしたが、実際には彫像の完成は1957年で、1958年に現場に建てられたとのこと。

聖母マリアの彫刻です。



像はRuabhalという場所で、南ユイストの北端近くの丘の西側斜面に位置しています。A865の東側にあり、石畳で舗装された歩道が道路から像まで続いていました。
像のいわれなどの表示が一切なく、二人で見上げながら「なんのための像なのかなあ」と思っていました。

帰国後に調べたら、1950年代の東西冷戦のさなか、英政府がこの島に大規模なミサイル実験場を設置することを発表したことに端を発しているとのこと。
これらの施設の建設によりユイスト島全体が軍事基地化され、島の伝統的な生活、文化が破壊されるだろうという懸念から、それらに対する抵抗のシンボルとして、ジョン・モリソンという地元の教区司祭が先頭に立って島民から集めた資金で作られたとのことでした。

次はHowmore Churchという1858年に建てられた小さな教会に行きました。少し小高い丘の上にありましたが、その建物はかなり殺風景な感じであまり印象には残らなかったのですが、その背後の海岸線に広がる自然のお花畑はきれいでした。
ただトイレなどはなく、あまりゆっくりできずに次へ。

↓途中見かけたきれいに整備された藁ぶき屋根の民家。


トイレ休憩を兼ねて、看板を見て知ったキルドナンの博物館に行くことにしました。この地方の文化などを紹介しているとのことです。
でもあいにく日曜休館。ただカフェはやっていたので、そこで休憩することにしました。

<続く>
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アウターヘブリディーズを訪ねて その2

2012年05月02日 | 旅行
さて、今日(7月27日)はいよいよ島に渡ります。

A87経由でフォート・ウィリアムの手前を西に分岐してスカイ島に向かいます。フェリーはスカイ島のユイグから出ます。

途中、10時前にスカイ島の手前にあるアイリーンドナン城に到着。
ここは通るたびに見ようかどうか迷いつつ、結局いつも素通りしていたところ。今回は時間に少し余裕があるので、立ち寄ることにしました。

駐車場も整備されていて入りやすいのですが、まだオープン時間ではなかったので、城への通路の柵が閉ざされていて入れませんでした。
それでしばらく周辺の写真などを撮って時間つぶし。他の客も同じように過ごしていました。ここは誰が撮っても絵になるところです。(笑)

オープン時間の10時になって城内へ。入口の手前にはカフェなどがあり、土産物も売っていましたが、私たちは余り土産物などを買わない夫婦なのでここもパス。

城は個人の所有で、よく修復されており、19世紀の生活の展示が面白かったです。城自体がその頃再建されたようで、建物としての歴史的な価値はあまりないようです。


見終わって車に戻り、再びスカイ島を目指します。
最初に来たとき乗り過ごし事件があった例のフェリーも、次に来たときは有料の橋に代わって、今は本当にあっという間に島に入ります。しばらく走ったら前方はるか遠くに
以前登ったOld Man of Storrの奇怪な景観が見え始めました。


ここまで来ても雨雲が低く垂れ込めていてすっきりしない天気は変わらず。
このまま島に渡っても雨続きだったらどうしようかと迷いましたが、他に行くあてもなく、結局予定通りユイスト島に渡航することにしました。

そして予測時間どおりユイグ港に到着しました。
ユイグはこの旅の4年前にB&Bに泊まったことがあります。その時はOld Man of Storrに登った後ここにたどり着きました。道路沿いの小さなB&Bでしたが、そこの奥さんに教えてもらって夕食に行ったユイグホテルのレストランの牡蠣の味、今でも忘れられないほど絶品でしたね。

ユイグの周辺は平地が少なく山肌にへばりつくように道路沿いに点々と民家があり、港のフェリー乗り場はその道路から分岐したジグザグ道路を海のほうに下ったところにありました。
まだフェリーの駐車場には一台も車がなくガランとしています。

これまで何度もフェリーには飛び込みで乗れていたので、今回も予約なしでした。
車を止めてチケットを買うためカルマックの事務所の窓口に行くと、係の女の子は「もう予約がフルで乗れない」といいます。
予想外の事態で焦りましたが、それでもパソコンで最新の予約状況を確認してくれて、結局乗れることに。ほっとしました。

駐車場の車内で2つの島での日程を決めていたので、ユイグ港からユイスト島、ユイスト島からハリス島、ハリス島から本土の3航路すべてを予約。説明に自信がないのでカウンターにあった航路図に日時を記入して渡しました。(笑)
無事チケットは確保できました。ですが、往復割引の後でも、フェリー代はトータル183ポンドで、レンタカー代と同額になったのは予想外でした。結構いい値段です。

でもいつものハーツだとレンタカー代がもっと高くなったので、まあ納得です。

乗船時間までガイドブックなどを見てコースを考えました。

フェリー乗り場の広い駐車場も、到着時はガラガラだったのに、乗船時間が近づくにつれびっしりと車が集まってきてびっくりでした。予約がフルとの係員の説明どおりです。


船員の指示に従って長い桟橋を通って乗船です。


指定された場所に車を止めてロックし、車両甲板中央にある階段室から乗客用フロアに上がりました。客室のさらに上にある甲板から港を見ると、まだフェリーには乗船待ちの車の長蛇の列。よくまあこれだけ乗せられるものだと感心しました。


フェリーは大型で、以前マル島で乗った船と同じぐらいの大きさでした。

やがてほぼ時間通りに出港です。
心配していた天気は、港を出てしばらくすると一変して晴れ渡り、二人とも思わず笑顔になっていました。現金なものです。(笑)

今回初めての青空のもとで、爽やかな風に吹かれながら快適に2時間ぐらい初めての大西洋の船旅を楽しみました。
やがて濃紺の水平線に隠れるように小さくなったスカイ島とは反対に、ユイスト島のロッホマディ港が見えてきてしばらくしたら、船内放送で車に戻るようにとのアナウンス。

また客室から車両甲板に降りて、車に乗り込む時になって、予想もしていなかったハプニング!です。

階段を下りて駐車甲板に戻ると、停めたはずの場所に車がないのです!
階段の反対側、左の駐車スペースにも車はありません。見つけやすいように車のキーのボタンを押してハザードを光らせようとしても反応なし。
二人とも焦りまくりました。
いくら探しても無いので顔面蒼白でウロウロしていると、その姿を見ていた子供づれの女性が、天井を指さしながらニッコリ。
「この上にあるよ」と言うのです。

本当にホッとしましたね。一気に脱力です。

でもまだ仕組みがよくわからないまま、その指さす方向を見ていると、やがて警報ブザーが船内に鳴り響き、誰もいないのを確認した船員が何やら柱のボックスを操作すると、天井がゆっくり下がり始めました。やがて、その隙間から車が見えてきました!


そうです、まず第一陣の車が乗り込んだら、フロアごと上に持ちあげて、その下に更に車を入れていたのです。私たちは一番最初のグループだったので、リフトアップされるフロアに駐車というわけでした。
で、降りるときは後続の車から出して、その後フロアを下げて、最初のグループの車を出すという仕掛けだったのです。
仕掛けがわかっていれば笑い話ですが、知らない私たちは本当に驚きました。

車を下船させてからとりあえず港の駐車場で、今夜から3泊する予定のB&Bの予約のために旅行案内所を地図で確認です。
すぐ近くの丘の上にあることがわかり、そこに向けて出発です。そのころにはあれほどたくさんの乗用車やトラックがどこに消えたのかみんな姿を消して、港はがらんとしていました。

>続く
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アウターヘブリディーズを訪ねて その1

2012年04月18日 | 旅行

一時期、私たちは夫婦で毎年のようにイギリスを彷徨っていました。
大まかにテーマ(?)を決めて、あとは行き当たりばったりのほんとうに適当な旅でした。
今回はそのうちの2002年の旅をご紹介します。

1.アウターヘブリディーズへ
この年は、スコットランドのヘブリディーズの島々を巡る旅でした。
ヘブリディーズ諸島の中でアラン島(アイルランドの有名な「アラン・セーター」の島ではなくスコットランドのほうです)やスカイ島、マル島はインナーに属し、今回の旅はそれらよりさらに外側アウターに区分されているユイスト島やハリス島などの島々を巡ります。



これらの島々はウェスターン・アイルともいわれ、古くから北欧文化の影響下にあり、島々の名前も古代スカンジナビア言語やゲール語、先史時代のケルト語など様々な言語に由来しています。

とはいえ、この時も、「島めぐりも楽しいかも!」程度の思いつきで決め、ほとんど予備知識もなく出発しました。日程配分も大まか、インターネットでフェリーの時刻表をダウンロードして、レンタカーと最初の宿舎だけ事前に決めての出発となりました。

でも行き当たりばったりでも、本土同様これらの島にも旅行案内所が整備されているのは確認していたので、その営業時間内にたどり着ければ宿は確保できるだろうと、あまり心配はなかったですね。

予め宿泊日程を決めていると安心ですが、気に入った場所が見つかっても変更できないのが不便です。ましてほとんど知識のないところでは、行ってから決めたほうがいい場合が多いです。
そんな旅でも、宿が取れないことはなかったし、なにより自由で、いかにも「旅烏」という感じが楽しめます。(笑)
むしろ日本ではそれが出来ませんね。

といっても、私たちの英語たるや、義務教育も怪しいという程度。
でも最低限のコミュニケーションは出来ていたので、食べたり飲んだり・泊まったり・遊んだりには不自由しませんでした。まあ書かれたものは理解できたので、なんとかなったのでしょうね。
もちろん「もっと喋れたらなあ」という思いはいつも感じていましたが。

2.エジンバラ空港から最初の宿へ
さて、今回も関空からKLMでスキポール経由でエジンバラ空港に向かいました。
2002年7月25日、午前10時25分に関空を離陸、乗り継ぎのスキポールには現地時間午後2時48分に着き、フオッカー100に乗り換えて、エジンバラ空港に定刻より早く4時10分に着きました。

エジンバラ空港も、初めて利用した1995年頃と比べたら見違えるように整備されてきて、立派になっていました。その分、レンタカーの駐車場がどんどんターミナルビルから遠ざかっていって不便になりましたが。

でも今回は、いつものハーツではなく、娘が予約してくれたアーノルドクラークという大手の現地自動車ディーラーで借りることにしました(娘夫婦がハーツは高いからといって代わりに予約してくれたのです)。
ただ、借り出すためには空港外のかなり離れた場所にある支店まで行かないといけないのでさらに手間がかかりましたが。(送迎は会社の車でした)

早く着いたにもかかわらず、婿殿はちゃんと空港に迎えに来てくれていました。
感心です。少し遅れて娘も仕事を終えて合流、4人でレンタカー屋に行きました。

今回借りた車はボクスホール・コルサ。非力ですが、二人+スーツケース等を運ぶには十分です。レンタカー屋は普通のカーディーラーで、新車が何台か展示されていました。やはりハーツに比べるとかなり安かったです。

夕食のレストランはレンタカー会社で教えてもらったフォース湾の対岸にあるQueensferry Lodge Hotelのレストラン。薦めてくれただけあっておいしくて値段も手頃でした。

レストランの前で


宿舎も娘たちが手配してくれた婿殿の勤務する大学の来客用宿舎で、簡素で狭いものの、気楽でした。
宿泊手続きを終えて彼らはそのまま帰宅するので、帰国前に再会することにして別れました。
私たちは疲れもあってパタンキュー。長い一日でした。


3.ハプニングのあとフォートオーガスタスへ
翌7/26の朝は大学の食堂で朝食。あまり期待せずに行きましたが、けっこう品数の多いバイキングが用意されていて満足。昼食用にヨーグルトやジャム、果物もいただいて意外においしいコーヒーを楽しんでいるとハプニングが!(>またかよ!)
↓食堂の外観です


食堂といってもだだっ広い講堂のようなところですが、突然そこで警報ベルが響きました!
まもなくアナウンスがあり、「火災を感知したため全員外に出るように」とのこと。私たちもみんなの後について外に出ました。しばらくして消防車が到着しました。
でも煙や炎はありません。

消防が調べている間、キャンパスの庭園内に植えられた植物などを見て写真を撮ったりして待ちました。

いつものことで慣れているのか、一緒に食事していた学生たちはちゃっかりとコーヒーカップやサンドイッチなどを持参して朝食を続けていました。(笑)

やはり警報装置の誤作動だったようで、しばらくしてまた食事再開となりました。しかし日本と違い、イギリスでは警報がなったら勝手に処理できず、消防車が来るまで退避していなければならないようでした。以前ロンドンでも同様の経験がありました。

部屋に戻り、荷物を車に運んで、支払いも済ませて出発です。今日のうちにフェリーの出るスカイ島・ユイグ港までできるだけ近づいておかねばなりません。


ダンディの大学を後にして、まずパース市まで行き、スコットランドのナショナルトラストの植物園ブランクリン・ガーデンに立ち寄ることにしました。走行中目にした看板に誘われて行ってみることにしたのです。



こじんまりした植物園ですが、管理が行き届いていました。花たちが元気です。
ガーデンショップに誰もいなかったので、案内板の指示に従って入場料を払いました。係員がいてくれたら、イングランドのナショナルトラストの会員証で無料になったのですが‥。

良く手入れがされていて、きれいな花々が咲いていて、立ち寄った甲斐がありました。




1時間余り見て回ってから植物園を後にして、パースの町で持って来るのを忘れたスリッパと風呂用のタオルを買いました。

一応今夜はフォートオーガスタスで泊まることにして、A9を北上です。以前泊まったモーテル風のB&Bが大変快適だったことを思い出したので、また泊まろうというわけです。

途中バーナムでポターの記念館に立ち寄ったあと、テイ川河畔にあるダンケルドの大聖堂(修復中)と周辺の町並みを見学。修復工事中なので見るところもなく、余り収穫なし。お腹がすいてきたので、テイ川の河畔のベンチで、パースで調達したサンドイッチや、大学の食堂の戦利品(笑)のヨーグルトなどで昼食タイムにしました。




腹ごしらえを済ませて、再びA9に戻り、ニュートンモアの手前でA86に分岐、フォートオーガスタスを目指します。

途中午後3時にBlair Atholl公爵の居城Blair Castleに寄り、場内のカフェでお茶にサンドイッチ、アップルパイを食べました。真っ白な砂糖菓子のような建物です。


その後4時ごろにフォート・オーガスタスに到着。
カレドニアン運河の近くにある修道院も大規模で歴史のある建物ですが、前に見ているのでパス。
前回泊まった宿に直行しました。
ところが、前回は空いていたこの宿、その後評判が広まったのか、今夜は満室とのこと。大誤算ですが、やはり居心地がよかったのでさもありなんでした。

仕方なく、道沿いのB&Bの看板を見ては宿泊交渉。結局何軒目かで交渉成立で安心しました。
運河近くには案内所もあるのですが、B&Bの看板も多いし、まだ夕方まで時間があったので、直接飛び込みで交渉することにしたのです。

早く決まって、予約手数料も節約できてよかったです。
宿泊を決めたB&Bは離れみたいに独立した建物になっていて、駐車スペースも専用で安心でした。


夕食は以前泊まった宿の主人に教えてもらったパブがおいしかったのでまた行ってみました。
運河の前にあるパブで「ザ ロック イン」という店です。
ロック(Lock=閘門)ということで、確かに運河の閘門の前にありました。




今回も前回と同じメニューにしたのですが、味がやや落ちていたのが残念でした。別の旅でも同じようなことがありましたが、やはり以前の経験だけでなく、その都度地元の人に聞いて確かめるほうがいいですね。

翌朝は曇り。さすがによく眠れました。
朝食はセルフサービスになっていたので、自分たちで作らなければなりません。
でもちゃんと専用の流し台や調理器具が完備、冷蔵庫の中にはハムやベーコン、トマト、牛乳やジュースなどが入っていて、食パンやシリアル、コーヒー・紅茶も用意されていました。
気兼ねなしに過ごせるので、これもよかったです。その4年前に行ったニュージーランドのモーテルみたいな感じでした。
ヨメさんも「郷に入っては‥」ということで、スコティッシュ・ブレックファーストのセオリーどおりに作ってくれました。といっても、アイリッシュやイングリッシュのそれとどう違うのか今もってわかりませんが。(笑)

食べ終わって、荷物をまとめて、ベッドも整えて、使った食器や器具はきれいに洗って元に戻しました。
ヨメさんが母屋?に行って支払いを済ませ、出発です。
宿泊料はなんと2人で30ポンド
清潔な部屋でゆったりできてこの額。この旅で一番安かったです。

<続く>
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