一時期、私たちは夫婦で毎年のようにイギリスを彷徨っていました。
大まかにテーマ(?)を決めて、あとは行き当たりばったりのほんとうに適当な旅でした。
今回はそのうちの2002年の旅をご紹介します。
1.アウターヘブリディーズへ
この年は、スコットランドの
ヘブリディーズの島々を巡る旅でした。
ヘブリディーズ諸島の中でアラン島(アイルランドの有名な「アラン・セーター」の島ではなくスコットランドのほうです)やスカイ島、マル島は
インナーに属し、今回の旅はそれらよりさらに外側
アウターに区分されているユイスト島やハリス島などの島々を巡ります。
これらの島々は
ウェスターン・アイルともいわれ、古くから北欧文化の影響下にあり、島々の名前も古代スカンジナビア言語やゲール語、先史時代のケルト語など様々な言語に由来しています。
とはいえ、この時も、「
島めぐりも楽しいかも!」程度の思いつきで決め、ほとんど予備知識もなく出発しました。日程配分も大まか、インターネットで
フェリーの時刻表をダウンロードして、レンタカーと最初の宿舎だけ事前に決めての出発となりました。
でも行き当たりばったりでも、本土同様これらの島にも旅行案内所が整備されているのは確認していたので、その営業時間内にたどり着ければ宿は確保できるだろうと、あまり心配はなかったですね。
予め宿泊日程を決めていると安心ですが、気に入った場所が見つかっても変更できないのが不便です。ましてほとんど知識のないところでは、行ってから決めたほうがいい場合が多いです。
そんな旅でも、宿が取れないことはなかったし、なにより自由で、いかにも「旅烏」という感じが楽しめます。(笑)
むしろ日本ではそれが出来ませんね。
といっても、私たちの英語たるや、義務教育も怪しいという程度。
でも最低限のコミュニケーションは出来ていたので、食べたり飲んだり・泊まったり・遊んだりには不自由しませんでした。まあ書かれたものは理解できたので、なんとかなったのでしょうね。
もちろん「もっと喋れたらなあ」という思いはいつも感じていましたが。
2.エジンバラ空港から最初の宿へ
さて、今回も関空からKLMでスキポール経由で
エジンバラ空港に向かいました。
2002年7月25日、午前10時25分に関空を離陸、乗り継ぎのスキポールには現地時間午後2時48分に着き、フオッカー100に乗り換えて、エジンバラ空港に定刻より早く4時10分に着きました。
エジンバラ空港も、初めて利用した1995年頃と比べたら見違えるように整備されてきて、立派になっていました。その分、レンタカーの駐車場がどんどんターミナルビルから遠ざかっていって不便になりましたが。
でも今回は、いつものハーツではなく、娘が予約してくれたアーノルドクラークという大手の現地自動車ディーラーで借りることにしました(娘夫婦がハーツは高いからといって代わりに予約してくれたのです)。
ただ、借り出すためには空港外のかなり離れた場所にある支店まで行かないといけないのでさらに手間がかかりましたが。(送迎は会社の車でした)
早く着いたにもかかわらず、婿殿はちゃんと空港に迎えに来てくれていました。
感心です。少し遅れて娘も仕事を終えて合流、4人でレンタカー屋に行きました。
今回借りた車はボクスホール・コルサ。非力ですが、二人+スーツケース等を運ぶには十分です。レンタカー屋は普通のカーディーラーで、新車が何台か展示されていました。やはりハーツに比べるとかなり安かったです。
夕食のレストランはレンタカー会社で教えてもらったフォース湾の対岸にある
Queensferry Lodge Hotelのレストラン。薦めてくれただけあっておいしくて値段も手頃でした。
レストランの前で
宿舎も娘たちが手配してくれた婿殿の勤務する大学の来客用宿舎で、簡素で狭いものの、気楽でした。
宿泊手続きを終えて彼らはそのまま帰宅するので、帰国前に再会することにして別れました。
私たちは疲れもあってパタンキュー。長い一日でした。
3.ハプニングのあとフォートオーガスタスへ
翌7/26の朝は大学の食堂で朝食。あまり期待せずに行きましたが、けっこう品数の多いバイキングが用意されていて満足。昼食用にヨーグルトやジャム、果物もいただいて意外においしいコーヒーを楽しんでいるとハプニングが!(>またかよ!)
↓食堂の外観です
食堂といってもだだっ広い講堂のようなところですが、突然そこで警報ベルが響きました!
まもなくアナウンスがあり、「火災を感知したため全員外に出るように」とのこと。私たちもみんなの後について外に出ました。しばらくして消防車が到着しました。
でも煙や炎はありません。
消防が調べている間、キャンパスの庭園内に植えられた植物などを見て写真を撮ったりして待ちました。

いつものことで慣れているのか、一緒に食事していた学生たちはちゃっかりとコーヒーカップやサンドイッチなどを持参して朝食を続けていました。(笑)
やはり警報装置の誤作動だったようで、しばらくしてまた食事再開となりました。しかし日本と違い、イギリスでは警報がなったら勝手に処理できず、消防車が来るまで退避していなければならないようでした。以前ロンドンでも
同様の経験がありました。
部屋に戻り、荷物を車に運んで、支払いも済ませて出発です。今日のうちにフェリーの出るスカイ島・ユイグ港までできるだけ近づいておかねばなりません。
ダンディの大学を後にして、まずパース市まで行き、スコットランドのナショナルトラストの植物園ブランクリン・ガーデンに立ち寄ることにしました。走行中目にした看板に誘われて行ってみることにしたのです。

こじんまりした植物園ですが、管理が行き届いていました。花たちが元気です。
ガーデンショップに誰もいなかったので、案内板の指示に従って入場料を払いました。係員がいてくれたら、イングランドのナショナルトラストの会員証で無料になったのですが‥。
良く手入れがされていて、きれいな花々が咲いていて、立ち寄った甲斐がありました。
1時間余り見て回ってから植物園を後にして、パースの町で持って来るのを忘れたスリッパと風呂用のタオルを買いました。
一応今夜は
フォートオーガスタスで泊まることにして、A9を北上です。以前泊まったモーテル風のB&Bが大変快適だったことを思い出したので、また泊まろうというわけです。
途中バーナムでポターの記念館に立ち寄ったあと、テイ川河畔にあるダンケルドの大聖堂(修復中)と周辺の町並みを見学。修復工事中なので見るところもなく、余り収穫なし。お腹がすいてきたので、テイ川の河畔のベンチで、パースで調達したサンドイッチや、大学の食堂の戦利品(笑)のヨーグルトなどで昼食タイムにしました。
腹ごしらえを済ませて、再びA9に戻り、ニュートンモアの手前でA86に分岐、フォートオーガスタスを目指します。
途中午後3時にBlair Atholl公爵の居城Blair Castleに寄り、場内のカフェでお茶にサンドイッチ、アップルパイを食べました。真っ白な砂糖菓子のような建物です。
その後4時ごろに
フォート・オーガスタスに到着。
カレドニアン運河の近くにある
修道院も大規模で歴史のある建物ですが、前に見ているのでパス。
前回泊まった宿に直行しました。
ところが、前回は空いていたこの宿、その後評判が広まったのか、
今夜は満室とのこと。大誤算ですが、やはり居心地がよかったのでさもありなんでした。
仕方なく、道沿いのB&Bの看板を見ては宿泊交渉。結局何軒目かで交渉成立で安心しました。
運河近くには案内所もあるのですが、B&Bの看板も多いし、まだ夕方まで時間があったので、直接飛び込みで交渉することにしたのです。
早く決まって、予約手数料も節約できてよかったです。
宿泊を決めたB&Bは離れみたいに独立した建物になっていて、駐車スペースも専用で安心でした。
夕食は以前泊まった宿の主人に教えてもらったパブがおいしかったのでまた行ってみました。
運河の前にあるパブで「ザ ロック イン」という店です。
ロック(Lock=閘門)ということで、確かに運河の閘門の前にありました。
今回も前回と同じメニューにしたのですが、味がやや落ちていたのが残念でした。別の旅でも同じようなことがありましたが、やはり以前の経験だけでなく、その都度地元の人に聞いて確かめるほうがいいですね。
翌朝は曇り。さすがによく眠れました。
朝食はセルフサービスになっていたので、自分たちで作らなければなりません。
でもちゃんと専用の流し台や調理器具が完備、冷蔵庫の中にはハムやベーコン、トマト、牛乳やジュースなどが入っていて、食パンやシリアル、コーヒー・紅茶も用意されていました。
気兼ねなしに過ごせるので、これもよかったです。その4年前に行ったニュージーランドのモーテルみたいな感じでした。
ヨメさんも「郷に入っては‥」ということで、スコティッシュ・ブレックファーストのセオリーどおりに作ってくれました。といっても、アイリッシュやイングリッシュのそれとどう違うのか今もってわかりませんが。(笑)
食べ終わって、荷物をまとめて、ベッドも整えて、使った食器や器具はきれいに洗って元に戻しました。
ヨメさんが母屋?に行って支払いを済ませ、出発です。
宿泊料はなんと
2人で30ポンド!
清潔な部屋でゆったりできてこの額。この旅で一番安かったです。
<続く>