思いつくままに書いています

間口は広くても、極めて浅い趣味の世界です。
御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

私たちにも、ようやく春がきてくれました。

2018年02月28日 | 日記
もう3月になろうとしています。

昨日、近くの公園に、春の兆しを探しにいきました。

なにか春の予兆があれば、スマホで撮ってに見せようと思ったのです。

そしたらなんと、もう土筆が生えていました。

それももうかなりトウの立った、長く伸びた土筆が何本も生えていました。

今年の冬は本当に寒かったので、土筆がもう出てきているとは思いも寄らず、うれしかったです。

でも、今日病院に行ったら、さらにうれしいことが待っていました。


今日、いつもの通り病室に行ったら、は久しぶりに穏やかな優しい表情で迎えてくれました。


実はその前の2月25日も、の表情は穏やかで、痰も少ないのか呼吸も静かで、私が右手でベッド横の収納庫の扉に貼った写真を指さしたら、その写真をじっと見てくれたり、別の写真を眼の前にかざして私が説明すると、視線を動かして見入ってくれて、うれしい1日でした。

うれしくて、いつも心配してくれている友人たちにも喜んでもらおうと、そのことをメールで知らせました。

ところが、翌26日と、翌々日の27日はあまり反応してくれず、ちょっとガッカリ。

でも一直線に良くなるわけはないと気を取り直し、今日も病院に向かったのですが、今日はまたは25日同様のいい反応をしてくれました。

語りかける内容にじっと聞き入るような様子で、私の顔を追うように視線も動くので、疲れを全く感じず、ずっとに話しかけ続けました。


しかし今日は、もっとうれしいことが2つもありました


午後3時ごろ、看護師さんが痰を吸引しに来てくれました。

以前から見舞っている私によく話しかけてくれる看護師さんで、気さくに明るく励ましてくれるので好印象でしたが、その彼女が、私に伝えたくてたまらなかったというような笑顔で、
今日午前中に痰の吸引をしていたら、突然いーたーいと言ってくれましたよ
と教えてくれたのです。

以前、まだHCUにいた時に、別人の話でぬか喜びさせられた経験があるので、一瞬本当かなとも思ったのですが、聞いたのは看護師さんだけではなく、その場に居合わせた言語療法士二人(一人は課長とのこと)もはっきり聞いていて、昼の打ち合わせの場でも報告されたとのこと。

もうびっくりで、同時にうれしくて、吸引が終わってまだ苦しそうにしているに、「声を出してくれてありがとう、ありがとう」と何度も話しかけてしまいました。

これまでも、「あー」とか「ううー」と何か話そうとするようなそぶりはあったのですが、はっきり言葉を発したというのは初めてで、本当にうれしかったです。

さらにうれしかったのは、帰り際に、がはじめて感情を露わにして泣いてくれたことでした。

今日の天気予報では、夕方爆弾低気圧の影響で天気が急変するということだったので、5時になって

「もう今日は帰るからね、また明日来るからね、寂しいだろうけど辛抱してね」と話しかけた途端、突然泣き出したのです

声こそあげなかったものの、それまでの穏やかな顔を急変させ、悲しそうに泣き出したので、胸を突かれました。

あわててをなだめていたら、だんだん泣き顔を収めてくれました。

が泣いたのは衝撃的でしたが、私が帰るといった言葉を理解して、それが悲しくて泣いてくれたことは本当にうれしくて、感動しました。

1月16日の緊急入院以来、はじめてと気持ちが通じ合えた思いでした。

立ち去りがたい気持ちが募りましたが、ちょうどその時スタッフさんが体を拭きにきてくれたので、それを機に、後ろ髪を引かれる思いで病棟を出ました。


もっと喋ってくれるようになったら、嚥下機能も向上してくれるでしょう。

そうなれば、胃ろうと並行して、口からの栄養摂取もできるようになるだろうし、体力もついてくるだろうと思います。


やっと、春の到来が実感できた1日でした。


玄関わきの梅も、いつの間にか5分咲きになっていました。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

観たかったもの

2018年02月18日 | 日記
週一回日曜日と決めている我が家の掃除中、が使用していた電動ベッドの横の、小物入れの小さいタンスの上に、演劇関係のパンフレットが置いてあるのを見つけました。

が観劇するつもりで置いていたのでしょう。

パンフレットは公演日程順に並べてビニール袋に入れてありました。

一番上にあったのが「マタ・ハリ」。柚希礼音のミュージカルですね。


梅芸メインホールでは1月21日から28日までの公演ということで、もう日はなかったのですが、はよくチケット仲介サイトを見ていたので、いいチケットがないか物色していたのでしょう。

その下にあったのが、轟悠主演のシアター・ドラマシティ公演の「ドクトル・ジバゴ」。


裏を見たら、公演日程の「2月8日(木)12:00」のところを緑のマーカーで囲っていました。観る気満々でした。

これもひそかにチケットを探していたのでしょうね。

以前、たまたまリーズナブルなチケットが売りに出ていたので、手に入れて観たのが同じ轟悠「第二章」で、それが予想以上に良かったので、また観たくなったのでしょう。

でもこの2枚のパンフレットのことは、私は全く知りませんでした。まあいつものことで、チケットを見つけ、私に買う手配を頼むというパターンで、日程はすべてが決めていましたからね。

その下にあったパンフレットが、梅芸では4月の公演になる花總まりの「Romale ~ロマを生き抜いた女 カルメン」でした。

このパンフレットは私も見ていました。彼女が私に見せながら、「絶対観るからね」と何度も言っていましたから。

その中に、来年の公演になる「マリー・アントワネット」のパンフも挟み込んでありましたが、これは初めて見ました。やはりにとって、花總まりは別格の存在でした。


その下にあったのが、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」。早霧せいなの退団後初の主演ミュージカルですね。


の早霧せいなの評価は、「歌はちょっと微妙だけど、演技力は抜群!」と高評価でしたから、当然観るつもりだったのでしょう。5月19日からの公演日程で、一般発売日が2月17日、そう、昨日でした。

ミュージカルで歌が‥‥というのもどうかとは思いますが。(殴)

そして次は、朝夏まなとの「マイ・フェア・レディ」。


Wキャストながら、退団後の初舞台(かな?)なので、私にパンフレットを見せながら、なんとかチケットが手に入らないかなと言っていました。

一番下にあったのが、「タイタニック」でした。霧やん安寿ミラが出るので観ようと思ったのでしょう。



パンフレットの中には、もう終わってしまった公演もあります。

でも、のその時の気持ちを考えると捨てられませんでした。


残る公演のうちの一つでも、と観に行けるようになればと思いながら、パンフレットを元の位置に戻しました。

私の手元に、が楽しみにしていた兵庫芸文センターの3月公演のチケットがあります。

2枚とも処分するか、1枚残して私だけでも観てくるか、先延ばしにしてきた決断の期限が迫っています。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めての車椅子リハビリでした

2018年02月17日 | 日記
昨日の2月16日、病室に行くと、は体を起こされて、鼻チューブから流動食を入れてもらっていました。

でもその姿勢は極端に左に傾いていて、首が直角に左下を向いて、苦しそうに眼を開けていました。

見かねてなんとか枕の位置を調整し、姿勢を起こしてやると、楽になったのか、ウトウトし始めました。

鼻チューブはそれまでの左から右に変えてもらっていました。

しばらく見守っていたら、私も眠くなってきたので、休憩室に行きました。

しばらく休んでからパソコンで日記を書き始めたら、「こんにちは」という思いがけない声。

驚いて顔を上げたら、が週二回利用していた訪問マッサージのU先生でした。

直接病室に行ったが、リハビリ中だったのでこちらに来たとのことでした。

U先生とはもう10年以上のお付き合いです。

は、週二回のマッサージ中に、U先生と宝塚やミュージカルの感想を語り合えるのを楽しみにしていました。

なので私も、もし病院に面会にきてもらえたら、にもいい刺激になるのではと淡い期待をしていました。


U先生は、が倒れる前日の1月15日にも訪問マッサージに来てくれて、の元気な姿を見ていただけに、まさかのの姿に驚いていました。

その場で入院からの経過などを説明していたら、なんとFがリクライニングの車椅子で休憩室(広いスペースを利用してリハビリにも使用しています)に来たのでびっくり。

担当の男性の理学療法士さん二人がついてくれていて、「今ちょうど熱が下がっていたので、やってみました」とのこと。

急いで傍に行って声をかけ、U先生にも声掛けをお願いしました。

彼女は、

Fさん、Uです。Uです。Fさん、わかりますか。早く良くなって、また私を呼んでくださいね。ずっと待っていますからね

とやさしく呼び掛けてくれました。

ただは、車椅子に乗せられている違和感のほうが強いのか、眼を開けていたものの、あまり反応しませんでした。

その場で理学療法士が血圧を測ってくれましたが、100を切っていて安定していました。

とにかく私は、入院以来初めて、ベッドで横たわっている姿以外のが見られて大感激でした。

理学療法士さんはしばらくの様子を慎重に見ていましたが、「今日は初めてなので、このくらいにします」といって、まもなく病室に戻っていきました。

リハビリが終わったのを見計らって二人で病室に戻りました。は穏やかな顔をしていました。

またU先生が声をかけてくれました。

今度は、も呼びかけにはっきり答えてくれて、眼を開けました。

うれしかったです。

心のこもったへの呼びかけに私まで癒された思いでした。

帰り際にU先生は、「この病院の近くにも仕事で来るので、またお顔を見に伺います」ともいってくれました。


まだ言葉も出ないし、手足も動かないし、眼で見えているのかどうかも正直わかりません。

でもこの日、私がに呼びかけているのを見て、理学療法士さんは「さんは間違いなくご主人の声には反応していますよ、わかっていますよ」と言ってくれました。

そして、車椅子のリハビリも、これからもっとやっていきますといってくれました。

ありがたかったです。

帰る前にもう一度の名前を呼ぶと、はっきり眼を開けてくれました。また、玄関わきの梅が咲いたよと言った時も、眼を大きく開きました。

そのあと、ICレコーダーで音楽や私の声を聞かせていたら、ウトウトし始めました。寝入ったのを見てから、私も帰ることにしました。


なかなか進展が見られず塞ぎがちになっていたのですが、この日ばかりは、まだまだ先と思っていた車椅子体験と、U先生の面会に励まされました。

帰宅して、途中のスーパーで買った小松菜に人参と椎茸、厚揚げを加えて煮物を作り(Fと一緒に作っていた我が家の定番の一つです)、作り置きしてあった具沢山の味噌汁と、同じく粉吹き南瓜、Fがキッチンエールに注文していた冷凍のレンコン饅頭と、レタスとトマト、ハムのサラダで夕食にしました。

久しぶりに気持ちよく食べることができました。


ここ数日の大阪は、寒波の影響もなく暖かい日が続いています。

玄関のプランターでは、が通所リハでもらってきたバイモが大きく伸びてきて、庭のコデマリの若葉の芽も顔を出しました。

行きつ戻りつしながらも、季節は間違いなく進んでいるようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1か月が過ぎて、でもまだ春は見えません。

2018年02月14日 | 日記
Fはずっと微熱が続いています。

微熱といっても38度以上、時には38.7度もあったりします。

もっと気がかりなのは、やはり意識が戻ってくる兆候がまだ感じられないこと。

手足は動かないし、声も出せない状態です。

熱があまりなくて調子のいい時は、顔の前でスマホの画面など明るいものを左右に動かすと、眼で追ってくれますが、まだ見えているとはいえません。

聴覚も、声によく反応するときとそうでないときがあり、聞こえていても本当に意味を理解しているかどうかはわかりません。

以前HCUにいた時、私や娘が声をかけると心拍数や血圧の数値が上がったので、わかってくれていると思っていましたが、一般病棟に移った最近は、そんな反応も確認できず、自信が無くなりました。

ICレコーダーの音声で働きかけても、反応するときとしないときがあって、一様ではありません。

ただ、右の腕や手のひら、二の腕を撫でるとはっきり反応します。

ウトウトしていても触るとパッと眼を開けるので、感じていることは間違いありません。

14年前の、左側の脳出血の時は、右半身は全く無反応でした。

それと比べたら、今回は右側の出血なのに左手や足が反応しているので、完全に脳とのつながりが切れたわけではないと思っています。

でも1か月を過ぎた今、それ以上の進展がないので、それもただの希望にすぎないのかとぐらついてきます。

そして今日、いつもの時間に病室に行ったら、担当の先生に改まった様子で「お話しがあります」と声をかけられました。

ドキッとしました。絶対いい話なわけはありません。

避けるわけにはいかないので、まさに「俎板の上の鯉」の心境で先生のもとに行きました。

胃瘻手術の打診でした。

Fは以前から、自分の父親が、Fと同じ病気(というか、Fが父親から遺伝性の高血圧体質を受け継いでいたのですが)で長期間寝たきりになっていたのを見て、胃瘻と人工呼吸での延命は絶対嫌だといっていました。

私もそれは知っていたので、先生からその話を切り出されたときは本当にショックでした。このまま咀嚼機能が回復しなければいつかは来るとは思っていましたが、まさかこんなに早く?とも思いました。

先生は栄養摂取の方法として、もちろん現在のように鼻からチューブで胃に流動食を流し込む方法を続けることも可能だが、先のことを考えると胃瘻も検討してほしいということでした。

そして、今回胃瘻の検討をお願いするのは、(Fが嫌がっていたような)消極的な延命治療の一環としてではなく、今後もリハビリも継続するし、口から食物や水分を取れるようになったら胃瘻もやめられるので、積極策として考えてほしいとのことでした。

また現在の鼻のチューブでの栄養摂取は、チューブが口から食道を通って胃に入っているので本人の負担にもなっているということもわかりました。

そして先生は、今後も病院としてリハビリを続けるが、それでも身体機能に改善がなく、口からの栄養摂取が不可能であった場合、自宅での介護や施設での介護いずれを選択するにしても、鼻からのチューブより胃瘻のほうが安全に容易に介護できるといって、話を終えました。

最後に、まだ少し時間があるので、これからいろいろ相談されてから結論を出してほしいといわれました。

先生の説明はよくわかりました。

でも、そうはいっても、やはりこれは難しい話です。

私はまだこれからよくなってくれるだろうと淡い期待を抱いていた矢先だったので、厳しい現実に直面して、また落ち込んでしまいました。

病室に戻ってFの寝顔を見ていたら、最近とみに弱っている涙腺が一気に崩壊しそうになりました。


暗澹とした気持ちで帰途につきました。


ガレージを出て、家に入る前にふと玄関わきを見たら、紅梅が一輪、咲いていました。


落胆した私をFが励ましてくれているようにも思えて、しばらく梅の花に見入ってしまいました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日で入院3週間。一進一退の日々です。

2018年02月06日 | 日記
2月に入って、もう立春も過ぎましたが、昨日今日はまた寒波の影響で、本当に寒いです。
それでも、玄関前の紅梅のつぼみも膨らんできて、季節はノロノロとした足取りでも、確実に動いているように見えます。

最近は疲れがたまってきて、今日も病院に行くのが遅れ、のベッドに着いたのは午後1時40分でした。

最近は、血腫を取る手術も癒えてきたので、それまでかぶっていた帽子が外され、ボサボサになった髪の毛が目立つ痛々しい姿になっていました。

でも今日は、の顔が、今まで見たことがないほど悲痛な表情になっていたので、一目見て胸を突かれました。

顔を左に向けて、眼を大きく見開いて、じっと一点を凝視しているかのような姿を見ていると、私にはが自分の今の状況がよくわかっていて、それを嘆いているとしか思えませんでした。

ドキッとしました。

額や手に触れると熱もあり、痰を吸引しに来てくれた看護師さんに聞くと、37.1度とのことでした。

それでもは、私が声をかけると眼を向けて、顔も少しこちらに向けてくれました。

でも眉間のしわは深く刻まれたままで、悲しそうな表情は変わらず。

私も、いつものようにICレコーダーで声を聞かせるような気にはとてもなれず、なんとか表情を和らげようと話し続けました。

やがて少し表情も緩んできて、私の問いかけにも瞬きでこたえてくれて、ようやくほっとしました。

数日前から、私が「聞こえているね、聞こえていたらパチッとして」というと、はパチッとしてくれるようになっていました。

初めは偶然かと思いましたが、普段はあまり瞬きをしないのに、私が問いかけるたびにパチッとしてくれるので、間違いなく理解できるようになっていると思います。

そう思ったもう一つの出来事は、前回のD先生からの電話のことを録音して2月3日に聞かせた時、先生の名前のところで突然が大きく眼を開き、息を荒げたからです。

でもそれは、自分の手足が前のように動かず、声も出せない状況を理解し始めたということでもあります。

それで、何か考え込んでいるような暗い表情になっていたのでしょう。

前回書きましたが、数日前にも、は顔を横に向けて、右の目頭には涙もためて、じっと凝視しているのを見て、ひょっとして理解し始めたのではないかなという恐れも感じたのですが。


いたたまれない気持ちで、私がの手を取って慰めたり励ましたりしていたら、やがては疲れてきたのか眼を閉じて、ウトウトし始めました。

それでもまた不安になるのか、周期的に眼を見開いたりするので、「ずっと横にいるからね」「必ずよくなるからね」と声をかけ続けていたら、ようやく眼を閉じて眠ってくれました。

私も緊張がほぐれて一気に疲れがでて、休憩室へ移動しました。

40分ぐらいぼーっと休んでから、のところに戻ると、体の向きを変えてもらっていました。

まだうつらうつらしている様子でしたが、声をかけると眼を開いて、じっと見返してきました。

でも時折その眼をそらして、どこか遠くを見るような表情をしたりするので、意識が戻ってきたという嬉しさの一方で、どうしたら絶望からを救えるのかがわからない私の無力さを痛感していました。

はまだ、眼の前に手をかざしても追わない時もあるので、視覚はまだ十分戻ってきたわけでもなさそうですが、耳は間違いなく聞こえていて、私の話す言葉も理解できつつあるようです。何か話そうとするのかウーウーと声をだす時もあります。

そうだとすると、もう単に一方的に呼びかけるだけでは不十分ですね。

どのようにしたら、の今の気持ちをケアできるのか、恐怖や悲観を和らげて、リハビリへと心を切り替えてもらうにはどうすればいいのかが問題になってきます。

私にはまだその方法は見つかりません。

でも、はやさしさとともに極めて理性的な女性です。手探りででも、にさらに寄り添って、辛くてもなんとか自分で乗り越えていってくれるように、支えていく方法を見つけたいと思います。

午後6時になって、ようやくは、いつもの穏やかな顔になって眠り始めました。

しばらく目を開けないか見守ってから、私は駐車場に向かいました。


早く春の日差しと温もりが、の心にも訪れるようにと願わずにはいられない1日でした。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう立春も間近ですが‥。

2018年02月02日 | 日記
最近かなり疲れがたまってきています。

なのでこちらの更新も遅れています。m(__)m

ということでこの三日間の話です。


1月31日(水)はかなり焦りました。

午後1時45分に病室へ行くと、はこれまで見たことがないほど息が荒く、手や額も驚くほど熱いのでビックリ。

来合わせた看護師さんに尋ねたら、38度後半ですというのでまたまたビックリ。

「解熱剤は?」と聞いても「それは先生のほうで判断されるので‥」と言葉を濁しました。

看護師さんにはこの程度は日常茶飯事でしょうが、私にとってははかなり深刻に見えて、心配になりました。

息が荒いのは口の中が乾燥していることもあるのでと、看護師さんはスポンジで口の中をぬぐって湿らせてくれましたが、やはり熱のほうが心配です。

でも看護師さんは、戻ってから担当の先生に私が来ていることを告げてくれたらしく、しばらくして先生が来て、手足がまだ動かないのでなかなかリハビリは進まないこと、点滴はやめて鼻から栄養補給することにしたが、嚥下障害があり飲み込んだりが出来ていないので、また点滴に戻すか検討中で、熱は軽い肺炎をおこしているのかもという説明でした。

よほど「それで解熱剤は?」と聞きたかったのですが言い出せないでいるうちに、先生は出ていきました。

でもすぐ看護師さんが来て、まず熱を計ってくれました。やはりまだ38.7度ありました。

そして解熱剤を注入してくれたので、ホッとしました。

一気に疲れてきて、休憩スペースで休憩。

しばらくしてのところに戻ると、呼吸も穏やかになり、額や手に触れるとはっきり熱が下がっているのがわかりました。

言ってみるものですが、言わないとしてくれないのでは不安になりますね。

結局今日は、熱で体の負担が大きかったのか、は表情も硬く、ほとんど呼びかけに反応しませんでした。最近ずっとそういう状態が続いているので、このまま前より悪くなってしまうのではと心配しながら帰宅しました。


でも2月1日と2日のは、よく反応してくれました。

でも1日にベッドに行って顔を見たときはドキッとしました。

は顔を左に向け、しっかりと眼を見開いて、じっと何かを考えているように見えました。右目の目頭には涙もたまっていました。

それで私は、ひょっとしたらは自分おかれた今の状況がわかってきて、悲しんで泣いているようにも見えてショックでした。

もし泣いていたなら意識が戻ったということでもあり、喜ぶべきかもしれませんが、両麻痺の状態を知ったら絶望するしかないとすれば、戻らない方がいいのかと、私もわからなくなってきます。

でも、しばらくしたらは目をつむって、ウトウトしていました。

その後も私が手の指や腕をほぐしながら呼びかけていると、眼を開いてこちらを見てくれました。

顔を認識しているとは言えませんが、デジカメの液晶画面を眼の前にかざして左右に動かすと、眼で追ってくれるので、明暗差のあるものはわかるようでした。

鼻チューブによる流動食での栄養補給も続けていました。

そして2月2日もは、ICレコーダーで私の声を聞かせると、それまで閉じていた眼をパッと開いて、よく反応してくれました。



私もICレコーダーに録音する呼びかけの内容を変えることにし、それまでの名前をただ連呼するだけのものは止めて、がだんだん自身の状態を理解し始める時のことも考えて、新バージョンを追加することにしました。

その新バージョンは、今日は何月何日で、はいつどこで倒れて、手術して、それがうまくいって一般病棟に移り、今はどういう状態になっているかを説明し、締めくくりはリハビリで必ずよくなると励ます内容のものです。

これを午前中に録音し、聞かせることにしたのです。

もちろん、まだまだそれをが理解しているとは思いませんが、聴きながら何かに反応しているのか時々目を開いたりするので、可能性を信じて、これからも聞かせていこうと思います。

あと、私の話ばかりではも嫌だろうと、それまでの麻実れいや姿月あさとの歌に加えて、よく一緒に聞いていたサラ・ブライトマンの曲もたくさん追加録音しました。

麻実れいの歌では「うたかたの恋」、姿月あさとは激情のホセの歌によく反応してくれるように感じます。


今日は理学療法士からのリハビリ計画についても説明がありましたが、見せてくれたチェックリストではすべて無反応という評価でガッカリしました。腕や手をさわると眼を開けたり、音や光にも反応しているのに評価はなくて残念でした。

でもリハビリはまだ予備段階で、時間も短いので、やはり私が根気よくいろいろ刺激を与えて働き掛けていくしかありませんね。


今日一番うれしかったのは、今日帰宅して、Fが最も信頼していた通所リハビリの先生に倒れたことを手紙(とても電話では最後まで話せる自信がなかったので)で報告しようと、先生の連絡先を探している最中に、当の先生から電話があったことでした。

偶然とはいえ、名前を聞いた時は、びっくりしました。

先生は、が来なくなったのは、去年11月にが自宅玄関前で転倒したのが原因とばかり思っていたので、1月16日にまた脳出血を再発したと告げると本当に驚いていました。

実際も、転倒の影響はほとんど消えていて、2月には先生の施設に行けると楽しみにしていました。

先生は、多忙にもかかわらず近いうちに必ず病院に行きますといってくれました。

私も自分の判断に自信があるわけではないので、ぜひ感想を聞かせてほしいと依頼したら快諾してくれました。

は、利用していた2カ所の通所リハの施設利用者に俳句の投句を呼びかけ、集めた句を掲載した同人紙のようなものを毎週それぞれの施設で発行していましたが、先生の施設で投句してくれていた利用者のみなさんが、長く休んでいるのことを親身に心配してくれていることも教えてくれました。

ありがたいことでした。


最近疲れと孤立感で、時々挫けそうになったりする私ですが、こういう話を聞くと明日もまたがんばろうという元気が湧いてきます。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする