思いつくままに書いています

間口は広くても、極めて浅い趣味の世界です。
御用とお急ぎでない方は、ごゆっくりどうぞ。

プリウスにドライブレコーダを ~プリウスのカスタマイズ その5~

2013年02月28日 | プリウス カスタマイズ

車の事故の際に問題になるのが双方の過失割合ですね。どちらも自分に有利になるよう主張するので交渉は面倒です。
もちろん、事故のないように運転するのがなによりですが、貰い事故もあります。

そんな時に決め手になるのがドライブレコーダ。

そのためタクシーなど営業車の装着率が高いとのことですが、ドライブの記録にもなるので、私は以前からつけたいと思っていました。

いろいろな機種が販売されていますが、私にとって選定は簡単でした。

以前プリウスの点検の際ディーラーにあったパンフで知ったアサヒリサーチの「ドライブマン1080」です。

トヨタ共販でも扱っているとのことで、ディーラーでも有料で取り付けてくれるところもあるようです。
一口にドライブレコーダといっても千差万別、ETCやナビの誤作動を起こすノイズの出るものや、信号機のLED表示が撮影間隔と同期して映らなくなるものがあるとのことですが、この商品では少し信号灯がちらつく程度で、有害なノイズもなく安心です。
中には衝突時の衝撃を感知したらその前後の映像だけを記録する機種もありますが、私が買ったのは運転中常時録画するタイプです。

SDカードをパソコンに差し込んで動画再生することも可能です。(ただし我が家のパソコンで滑らかに再生できたのはSONYのDuo11だけ。フルハイビジョンの再生は結構パソコンのパワー、とくにグラフィックのパワーが必要ですね)

画質は1920×1080のフルハイビジョンだけあってきれいです。前方を走る車のナンバープレートもくっきり鮮明。
同メーカーの1280×720バージョンもありますが、少しでも鮮明なほうが吉と、1080にしました。

取り付けの際に気になったのは電源コードの取り回しです。
装着場所がルームミラー周辺となるので、電源コードがブラブラしていると見苦しく気になりますね。でもやってみなければ始まらないので、作業開始しました。
今日(2月28日)は暖かで絶好の施工日和♪(そんな日和があればですが)。

まず第一に決めなければいけないのがカメラの取り付け場所。
製品添付の「装着ガイド」では、
1.運転中の視野の障害にならない位置
2.フロントガラス実長の上から20%の範囲
3.室内ミラーの方向調整しても接触しない位置
4.ワイパーで水滴が拭き取れる位置

となっています。

要するに視界を妨げないよう法に定められた範囲内に設置しなければなりません。
なのでフロントガラス中央部のできるだけ上のほうで、ミラーの操作に邪魔にならない位置ということです。プリウスの場合ではミラーの左側・ドット・パターンのグラデーションプリントされたところにブラケットを張り付けることになります。
ブラケットの固定は両面テープ。予備が1枚付いていました。





私が買ったのは「車載用電源ケーブル」付のフルセットなので、ACアダプタが付いていました。これをカメラに接続して、実際にモニタで視野を確認しながら場所を決めました。
ACアダプタは安いシンプルセットには付いていませんが、別途5V1Aの電源が用意できる人は、それを使って一般的なUSBケーブルで給電すれば、モニタで視野が確認できるかもしれません。ただ私が試したところでは、普通のUSBケーブルではダメでした。
ブラケットで調節できるのは上下方向のみなので、左右の撮影範囲の確認がキモです。
できるだけセンターよりの設置がいいのですが、ミラーに当たらないように気を付けましょう。


位置が決まったら、電源コードの取り回しです。
カメラを装着してコードを接続し、ミラー部近くから天井パネルとガラスとの間に電源コードを押し込みながら右Aピラーまでたどり、Aピラー上部に接する天井内装材のエッジ内にコードを押し込みつつドアの開口部までもっていきます。コードはあくまでAピラーのエアバッグを避けることにして、天井内装のエッジ部を通しました。
押し込むのにプラスチックのヘラのようなものがあると便利です。私は住宅用コーキング剤付属のヘラを使いました。

Aピラーガーニッシュ内にはエアバッグが入っているし、Aピラーガーニッシュ自体取り外すのにかなりスキルが必要なので、私のような不器用なものには無理です。固定している数か所のアンカー部を損傷させたら後から異音に悩まされるのが目に見えていますし。^_^;





そのため、今回は天井内装材の端から、コードをドア部のドアオープニングトリムウェザーストリップ(長い名称です)まで渡し、その中に入れて、そのまま下まで通して足元のアクセルペダル上部のカバーの中で電源につなげばOK。
余ったコードはきちんと束ねてワイヤーハーネスと一体にしてタイラップで固定。ドアオープニングトリムウェザーストリップはAピラーガーニッシュとは別体で固定方法も別ですから、エアバッグ作動時にも外れたりしないと思います。







私は既設のレーダー探知機の電源コードの+側にエレクトロタップで割り込み、アース線は近くのボルトに端子を固定しました。車のキー操作に連動するアクセサリー端子ならどれでも接続すればいいということです。カー用品店で売っているコード付ヒューズをヒューズボックスに差し込んで+電源を取り出す方法でもいいでしょう。
今回電源を取ったレーダー探知機の電源はそうしました。

すっきり配線できて、仕上がりはプロ並み、とは言えませんね。(笑)

早速走行テストです。キー・オンでレコーダが起動し、すぐ自動的に録画を開始します。

家の近くを一周して録画して、パソコンで映りを確認しました。鮮明に撮影されていて満足しました。
↓後日花の文化園に行った時の動画の縮小切り出し画像です。モザイクをかけていますが、実際はナンバープレートもくっきり鮮明です。




付属の8GBのSDカードが不要な人は、前記の「シンプルセット」を購入して、自分で適当な容量のSDカードを買うほうがいいでしょうね。
私も付属のSDカードはデジカメに回して、手持ちの16GB(最大32GBまで使用可能)のカードを入れています。

ただ、フロントガラスが着色されているので、せっかくのきれいな映像が薄い色のサングラスをかけたように色かぶりしているのが残念。普通のデジカメのホワイトバランス調整機能のようなものがあれば軽減できるのにと思います。ファームウェアの更新で対応できませんかね、メーカーさん。

ドライブレコーダの装着でプリウスのカスタマイズはひとまず完了。自分の運転が常時記録されるので、装着後は無意識に安全運転するようになりました。^_^;

ただし、上記の方法はあくまで私の個人的なやり方ですから、あくまで参考程度にとどめて、決してマネしないでください。

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「テイキング サイド~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~」を観て

2013年02月25日 | 観劇メモ

「テイキング サイド(加担する、味方する)」は英劇作家ロナルド・ハーウッド原作で、1995年のロンドンでの初公演で話題作となり、以来ブロードウェイでも上演され、その後フランス・ドイツ・オーストラリアでも上演されています。
舞台だけでなく、2001年にはハンガリーの映画監督によりイギリス・フランス・ドイツ・オーストリア・ハンガリーの共同制作で映画化され、翌年のベルリン国際映画祭では銀熊賞を受賞したそうです。映画の脚本もロナルド・ハーウッド自身が担当したとのこと。

大阪では2月23・24日の2日間3回の公演日程でした。

途中の道で一部工事渋滞があったものの、およそ45分で劇場に到着。

劇場ロビーの様子です。


今回の席は前から5列目の下手よりの良席でした。
ということは、あまり売れていなかったということです。(笑)
実際、当日も客席後方はかなりの空席がありました。今回は観客の男率がかなり高かったです。年齢層も高めでした。

公演は5分以上遅れて開始しました。時間に正確なタカラヅカになれていると、遅れが気になりますね。(笑)

舞台は敗戦後のドイツ、連合軍の空爆で瓦礫となった建物の一角。パンフレットでは米軍司令部施設の一室のようです。
そこで米軍将校が、ナチスに協力した人物を調査する「非ナチ化審査」に従事しています。

その将校、スティーヴ・アーノルドという米軍少佐で、戦前は保険会社で保険金支払いの査定業務をしていました。
演ずるのは筧利夫。ほとんどしゃべりっぱなしの役で、本当によくあれだけの台詞を覚えられるものです。

話は指揮者フルトヴェングラーの尋問をめぐって展開していきます。

尋問には記録係として秘書のエンミ・シュトラウベ(福田沙紀)が同席しています。少し遅れて尋問の補佐役としてウィルズ中尉(鈴木亮平)も登場。
アーノルド少佐は、どうやって大物指揮者フルトヴェングラーの化けの皮を剥いで、彼がナチスの協力者であったことを証明しようかとあれこれ策を練ります。

やがて当の指揮者フルトヴェングラー(平幹二朗)が出頭。さすがに存在感があります。

しかし少佐は、大物指揮者に気圧されまいと保険金の査定と同じような事務的で手厳しい調子で指揮者を問い詰めていきます。

その過程で、夫がユダヤ人ピアニストだったザックス夫人(小島 聖)や、以前はナチスの協力者で今は米軍に媚を売る二流のバイオリン奏者ローデ(小林 隆)も参考人として登場し、指揮者を追い詰めていきます。

少佐を駆り立てているのは、戦争中に見たナチスのユダヤ人に対するジェノサイド政策を目撃した衝撃体験による悪夢。
それ故のナチスへの憎悪からくる過酷な尋問に、エンミやユダヤ人であるウィルズ中尉さえたまりかねて制止しようとしますが、矛先はとまりません。

そこで焦点となるのは、政治と芸術の関係、芸術家としてのフルトヴェングラーの功績の評価、ナチスの独裁下での彼の行動や言動、さらに国外に亡命しようとすれば出来たのにとどまって音楽活動を続けたことの是非などの評価です。
フルトヴェングラーは「私は政治と芸術は別物だと考えている。私が指揮してきたのはナチスのためではなくドイツ国民のためだ」と主張するのに対して、アーノルドは「お前は単に保身のためにナチスに協力してきただけだ」と切って捨てます。

そして少佐は、指揮者をただの一人の人間に還元して、その利害や打算、倫理面での問題からナチスとの関係を暴こうとします。最後には指揮者の私生児の数などにも言及して、丸裸にしようとします。このやり方は古今東西の尋問の際の常道ですね。
お前は芸術家などではない、好色で嫉妬深く計算高いただの一人の男に過ぎないんだ」と思い知らそうとするわけです。

舞台で筧利夫は、偉大な指揮者を追い詰めていくアーノルド少佐を頑張って演じています。

ただし、気になったのは彼の台詞。
演出なのか、まるで洋画の吹き替えの声優のような一本調子で、普通の会話になっていないのです。彼以外の役者はすべて普通に自然に話しているので、その違和感が際立ちました。
ヨメさんも同意見でした。声だけ聴いていると、アメリカの裁判物のテレビドラマのような感じです。

でもこの芝居、よく考えたら、彼のキャラクターは実在の人間ではなく、芸術至上主義的な価値観の「ヨーロッパ」に対するプラグマティズムの「アメリカ」を体現しているのでしょう。

実際パンフレットで筧利夫は、「戦争が終わって今度は『アーノルド』が『ヒットラー』の代わりとなってフルトヴェングラーの前に現れてきたと思う」といっていますが、あたっているかもしれません。

そうだとすると、アーノルドがアメリカのステロタイプな吹替えTVドラマの登場人物を連想させたのは演出家の意図するところだったのかもしれませんね。

指揮者フルトヴェングラー平幹二朗はさすがに貫録十分。
偉大な指揮者を演じて説得力があります。そしてその偉大な指揮者が、世俗的な「証拠」を突きつけられて、次第に動揺を深めていく姿を巧みに演じていました。少し台詞が滑ったところもありますが、年齢を考えたら驚異的な演技ですね。

秘書役のエンミ福田沙紀。私は初めて舞台を観ましたが、自然な演技が印象的でした。
ドイツ人のエンミが秘書に採用されたのは、父がヒットラー暗殺計画に参加したことで信用されたからです。
でもあまりの少佐の指揮者への執拗な尋問にたまりかねて、「私の父は信念で反ヒットラーになったのではない、このままではドイツが負けるということで計画に加わっただけだ」と言わずにはいられなくなります。
普通の女の子という設定ですが、ナチュラルさが光っていました。

同じように鈴木亮平ウィルズ中尉も好演していました。幼い彼は親戚を頼ってアメリカにわたりますが、残った両親はドイツで行方不明。当然ナチスに対する憎しみは強い。
そんな彼でも、少佐の常軌を逸した取り調べの手法には我慢できず、「反ユダヤ的発言をしたことがない非ユダヤ人がいたら見せてください。そうしたら至上の楽園にお連れしますよ」と叫びます。
素朴な青年という役柄がにじみ出ていてよかったですね。この人も初めて観ましたが大きいです。筧利夫が本当に小さく見えます。

嫌らしい役柄なのがベルリンフィル第2ヴァイオリン奏者だったローデ・小林 隆
卑屈でその場その場の勝ち馬に乗る俗物根性丸出しな役回りですが、嫌らしさがリアル(笑)に出ていました。フルトヴェングラーと対極に位置する人物の設定です。
ただ彼は、フルトヴェングラーと違い、ナチに加担してしまった過去は痛切に恥じていて負い目を感じています。それは当時のすべてのドイツ人の共通した心情だったと思います。

出番が少なくて残念だったのがザックス夫人小島 聖でした。演技は確かな感じでしたが、何しろ舞台の登場時間が短すぎで、もっと観たかったというのがすべてです。

この演劇、結末はありません。
どちらの側に立つのか、観客自身が結論を出すように、作者から問いかけられた形で終わっています。

余談になりますが、劇中で比較されているように、ナチス党員資格を二重に保有してもっとヒットラーの寵愛が大きかった世渡り上手なカラヤン世渡り不器用なフルトヴェングラーの関係はなかなか意味深ですね。
よりヒットラーに近かったカラヤンは戦後すぐに復帰したのに、フルトヴェングラーはなかなか復帰が許されなかったということですが、その違いは音楽の指揮の違いとなって表れている感じですね。

観終わって、あちこちにアナクロながらも無視できない勢いの「プチ・ヒットラー」や「亜ヒットラー」が台頭し、それらに無批判に迎合する風潮や容認する傾向が目に付くキナ臭い時代に、この演劇の問いかけるものは重くて大きいことを感じました。

前回の「組曲虐殺」に続いて重いテーマの観劇が続きましたが、真剣に考えなければと思いながら劇場を後にしました。

ただ、井上ひさしだったらもっと面白く観せてくれたでしょうね。




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自作ノートパソコンのCPU交換とメモリ増設、そして再びSSD

2013年02月18日 | パソコンあれこれ

2006年に組み立てたベアボーン・ノートですが、無線LANカードの交換をきっかけに「触りたい病」が再発しました。(笑)


「ベアボーン」とは、ハードディスクやCPU、メモリ、無線LANなどのデバイスを自分で選んで組み立てる半完成のパソコン組立キットのことです。私のはMSIというメーカーのもので、製品名はMS-1057です。
ベアボーン・ノートは以前はASUSやAopenからも同様の製品が出ていまして、実はこれら2社の製品も購入して組み立てました。(笑)
でも幸いそれぞれ引き取り手が現れて、今は手元にありません。

デスクトップ用のベアボーンキットは今も売られていますが、ノートはもう見かけませんね。完成品が安く手に入る現在ではわざわざ組み立てるメリットが少ないからでしょうか?

MS-1057は2006年に計2台組立ました。自分用1台と、同僚に頼まれた1台です。

それから幾星霜(笑)、我家のMS-1057は一時イギリスに渡航し、その後不調になったということで戻ってきたりと、数奇な運命をたどりました。(笑)

でも「不調」は単に扱いが悪かっただけで何も問題はありませんでした。

途中でバッテリーは交換しましたが、基本的に現在までトラブルフリーです。現在でもさほど処理速度が遅いわけでもありません。

で、メインのノートとしてVAIO Duo11が就役して以来、MS-1057は気楽なポジションになったので、無線LANの交換を契機に他の部分もアップデートしたくなってきました。

まずDuo11がSSDなので、MS-1057のハードディスクもまたぞろSSDに換えたくなり(←全然懲りてないね>私)、適当なものを探してみました。

容量はWindows7を入れたりするので、最低でもDuo11並みの128GB程度ほしいところ。
ただし、今や絶滅寸前のパラレル接続となると、あまり選択の余地はありません。
価格コムなどでクチコミなどをチェックして、↓をポチッとしました。

箱に書いてあるのは、外したハードディスクのメモです。

ハードディスクはこの箱に安置することにしました。出番が来ないようお祈りましょう。(笑)


OSやソフトの設定は、ハードディスクのイメージファイルを手持ちのソフトで新しいSSDに移植するだけなので簡単に終了。
容量はSSDのほうが小さいですが、実際の使用量はSSDの容量以内なので問題なく移植できました。

少しドキドキで電源オン。簡単に起動しました。ベンチマークの結果はシリアルATAには到底及ばないものの、パラレル接続としては格段に早くなりました。

MS-1057には、以前のSSD使用時に、データ保存用として内蔵DVDドライブスペースに160GBのハードディスクを組み込んでいたので、今回もSSDの延命対策として、データ保存やテンポラリーファイル、Windowsの設定ファイルなど頻繁に書き換えの発生するフォルダをすべてこのハードディスクに移しました。ページファイルも設定せず。

要するにプログラム以外は基本的にSSDに書き込まないことにしようというわけです。

設定後起動と終了が早くなったことを確認(当たり前ですが)。少し自己満足にひたっていましたが、今度はCPUとメモリも増強したくなってきました。

もう完全に病魔に憑りつかれています。

このパソコンのチップセットはインテルの955です。
CPUは現在使用中のCore Duo以外にはるかに高速なメロムコアのCore 2 Duoが使えます。そして、そのメロムコアで当時高価すぎてとても手が出なかったT7600が今も入手可。しかも、当時と比べたら値段も格段の安さになっているので、迷わずポチッ♪。(笑)


ただし、このノートのCPUの交換はけっこう面倒で、アームレストを外してからキーボードを外し、その下のカバーを取って初めてヒートシンク+ファンユニットが現れるという手順が必要です。
でもまだMSIのホームページから組立・分解マニュアルが入手できるので無事交換終了。




ヒートシンクとCPUのダイの間に伝熱グリスを塗る作業が本当に久しぶりで、新鮮でした。(笑)気泡が入らないように、均一に塗り広げてからCPUを載せてロックしました。

電源オンはちょっとドキドキ。新CPUに対応させるためにBIOSの更新を済ましていたので、立ち上がるのは当然ですが、もしうまくいかなかったら戻すのが面倒です。
何事もなく起動し、POST画面にCPUとクロックが表示されたのを見てほっとしました。

試しに円周率104万桁の計算をやったら、45秒だったのが23秒になりました。DUO11の13秒には及ばないものの、倍速となってプチ満足です。


メモリは現在2GBですが、チップセットの制限で4GBが限度なので2GB×2にすることにしてポチッ。これも当時と比べたら激安で、リテール品2枚セットで3,000円しないという安さ。


この交換はCPU交換よりはるかに簡単で、ルンルンで終了。
解体してわかったのですが、当時メモリが高かったので、買い足ししてスロットを埋めていったのでバラバラのブランドです。(笑)↓


でも考えてみたら、無線LANカードの更新から始まって、ハードディスクをSSDに、CPUをCore 2 Duoに、メモリを増設と、結局総替えになってしまいましたね。かかった費用は総額29,200円。

これを高いとみるか安いと見るかで、病気にかかっているかどうか判定できます。(笑)

しかし、この一連の作業でまた愛着がわいてきて、その分SONYのDuo11に触らなくなりました。
使ってみて分かったのですが、Duo11のキーボード、頭上に光源がある場所だとキートップがテカって非常に見づらいのです。
この対策を含めた使用感についてはまた改めて書いてみます。

しかし今度のSSD、果たして寿命はいかがなものでしょうか。



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万葉文化館「自然との対話」展と奈良町を訪ねて

2013年02月14日 | 美術館を訪ねて

今回の展示は万葉文化館のコレクション品の展示ですが、ホームページの展覧会紹介では好きな作家の未見の作品が多く展示されているとのことで、出かけることにしました。

9時過ぎに出発。
数日前からまた冷え込みがきつくなってきていましたが、日差しはすでに春なので、暖房の効きの遅いプリウスでも天井のサンシェードを開けたらポカポカと暖かく快適でした。

途中、奈良県に入って安いスタンドを見つけ、前回給油から845km走行したプリウスに2か月ぶりで給油。車載燃費計は24.0km/lを示していましたが、満タン法で計算したら23.5km/l(笑)。まあ冬はこんなものですね。
(でも平坦な地形で車がよく流れている奈良では、その後奈良市内を経由して帰宅するまでの約70km走行での平均はなんと29km/l!台をキープ。奈良に住みたいです(笑))

文化館についたら、玄関前で何やらテレビの取材が。展覧会の取材かと思ったら、同時に開催されていた子供の書初め展の取材のようでした。

展覧会場に行くと、連休の初日なのにこの日も人影がなく、寂しい限りでした。ゆったり気分で車椅子で気兼ねなしに観られるのは有難いことですが、あまり観客が少ないと、館そのものの運営とか存続が心配になったりしますね。



展示されていた作家は以下の通りです(50音順)

 浅野 均      新井 富美郎   
 井上 稔      烏頭尾 精   
 大矢 紀      岡橋 萬帆
 加藤 美代三   木下 育應    
 佐藤 太清    城 登     
 田所 浩      田中 一村
 野々内 宏    野々内 良樹   
 福本 達雄    三輪 晃久   
 三輪 晁勢    由里本 出
 渡辺 洋子


今回一番印象に残ったのは井上稔の「ひまわり」でした。そういえば去年の最初の展覧会も「井上稔」展でしたね。
今回は他に「」「花と塔」「夜の海」「月明」「塔の朝」の5作品が展示されていました。「ひまわり」は今回の展示で一番目立っていました。

今回楽しみにしていた田中一村の作品は、以前同館で開催された一村展でも紹介された「瓢箪」「」「」「」「」の5点。これらはその一村展開催直前に、千葉市内の一村の関係者宅で見つかったもので、作家の18~21歳の作品です。展覧会後館蔵品となっていたのですね。

ただもうすでに老成の兆しがある5点の作品を観て、複雑な感じがしました。

若くしてこれらの作品によってその才能を高く評価されながら、その後の作品群は全く評価されず、失意のまま奄美大島にわたり、貧窮の中で画壇とは一切無縁なまま奄美の自然を描き続けた作品群が、死後一躍脚光を浴びた一村。

彼にとって、今回のような、いわば初期の栄光を代表する作品の存在はどういう意味を持っていたのか、知りたいところです。私としてはやはり晩年の奄美での作品が好みです。

新井富美郎の「穂高岳」もよくある構図ですが目を引きました。福本達雄、野々内宏・野々内良樹、烏頭尾精らの作品はまとまった作品群として展示されていました。これらすべてが館蔵品ですが、今回展示されていないものを含めて考えたら、大したお宝コレクションになりますね。

野々内良樹「杜の朝」↓


展示の終りのほうにあった由里本出の「阿蘇岳」と「激つ瀬」も力強いタッチで印象に残りました。

その他三輪晁勢・三輪晃久、大矢 紀、木下育應らの作品などは以前も展示されてなじみのあるものですが、いずれも私たちの好みにぴったりで、満足でした。

三輪晃久「万緑


ただ何としても展示作品の絶対数が少なく、何度も会場を往復して見直しましたが、物足りない感じは否めなかったですね。

会場を出て本館に向かう途中見たら、子供たちの書初め展は家族も大勢来ていて盛況のようでした。

文化館の庭園ではロウバイが咲き始めていました↓


ショップで絵葉書を買ってから奈良市内へ。奈良町で個人で絵画展を開いている友人を訪ねるためです。
奈良町センター前の駐車場に停めて、ギャラリーに向かいました。絵のほうは抽象画なので正直言ってよくわかりませんでした。(笑)
でも久しぶりに友人と会って楽しく会話でき、また彼女も私たちの来訪を喜んでくれたので行ってよかったですね。

ギャラリー前で↓


でも思ったより盛況で、友人も応対に忙しく、あまりゆっくりしていると迷惑になるので適当に切り上げて、駐車場近くのカフェで遅めの昼食にしました。





かわいらしいケーキの店でしたがランチもおいしく、オーナーの奥さん?が出入りに親切に気を使ってくれたのがうれしかったですね。





今回は明日香と奈良町のかけもちのお出かけで、特に奈良町は道幅が狭いので車で行けるか心配でしたが、まだ観光シーズンではないため人通りも少なかったのでラッキーでした。

今回の万葉文化館の展覧会の会期は3月31日まで開かれています。みなさんも明日香に来る予定がおありでしたらぜひご覧ください。

次年度の予定はまだ公表されていませんが、回数は少なくても今年度のように外部の作家による展覧会の開催が継続されることを祈っています。

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「祈りと怪物~ウィルヴィルの三姉妹~」 蜷川バージョンを観て

2013年02月14日 | 観劇メモ

「祈りと怪物~ウィルヴィルの三姉妹~」は原作者ケラリーノ・サンドロヴィッチ(以下KERA)演出バージョンと蜷川幸雄演出バージョンの競作となっていますが、私たちの観たのは蜷川バージョン。
シアターブラバは「アントニーとクレオパトラ」観劇以来です。



最寄りの駐車場に停めて、IMPホールで昼食の後、劇場へ。すでにたくさんの客が開場を待っていました。でも対岸の大阪城ホールのほうがさらに多くの人の列。「何があるんだろうね」とか話しているうちに劇場内に案内されました。


今回の席は下手側の障害者席。この日、宝塚の生徒らしき数人が前方で観劇していました。
1階はほぼ満席で、観客の男女比率は圧倒的に女性が多数。それも主役トビーアス役の森田剛のファンなのか、若い女性が目立ちました。

この公演、1時開演で終演は5時20分の長丁場です。事前に問い合わせてびっくりでした。
これが「ボクの四谷怪談」みたいな出来だと辛いことになります。(笑)

開幕してまず意表を突かれたのは、コロス。男女とも和服、男は紋付き袴、女は黒留袖でラップしています。
あまりリズムと歌詞?が合っていないのがご愛嬌で、歌詞もやや聞き取りにくいところもありました。

そのかわりというか、舞台左右の壁には電光掲示板みたいなディスプレイがあり、それにト書きやラップの歌詞が表示されます。ただこの表示、舞台への集中力がそがれるので、いいのかどうかわかりませんね。あと、四谷怪談同様、コロスの面々が神棚を捧げ持っていたり、仏壇を背負っていたりするのは蜷川好みですね。

今回面白かったのは、客席降りや客席からの登壇が頻繁にあり、私たちの座る下手側通路から現れる俳優を至近距離(私の短い足が当たりそうになるくらい近いです)で観られたこと。
でも当たり前とはいえ、みなさん客席下手側通路のドアを開けて入ってきた瞬間から完全に役に入っているところはすごいです。

この劇場、セリも回り舞台もないシンプルな舞台ですが、手際の良い場面転換は感心です。
気になったのは舞台でやたらにぶっ放される銃声の大きいこと。仕草を見てもう撃つ頃だなと身構えても(笑)、こちらが予測した音量をはるかに超える銃声に、初めは本当に驚かされました。

話は北回帰線と南回帰線の狭間(!)にある架空の街を舞台に、祖母と2人で暮らす内気な青年と、街を牛耳る強欲で好色な(ホントに好色です)市長、そして彼の3人の娘を巡って展開していきます。
それに絡むのが、市長の年老いた母親と彼の後妻、子供を亡くした使用人夫婦、テロを企てる地下組織のメンバー、いわくありげな司祭、錬金術師と白痴の助手、そして流れ者の若者たち。街に住む腕章を強制着用させられた人々はゲットーを思わせます。

最初は、めまぐるしく変わる場面展開と、登場人物の多彩さで話を追うのが大変でした。でも途中から、話の筋やつじつま合わせを気にするのは断念しました。(笑)
というか、この劇はそういうふうに理屈っぽく観るより、どぎつい演出で色濃く作り上げられた一場面一場面ごとのエピソードを観て楽しんでいるうちに話の全体像が浮かんできて、カッサンドラ(野々すみ花のレティーシャとの二役)が冒頭で予言した破局へと向かう話が見えてくるのです。

ギリシャ悲劇を思わせる脚本がよく書き込まれているので、長い上演時間も気にならず、観終わればもう終わったのかという感じでした。

役者ではなんといっても勝村政信演じるドン・ガラス。圧倒的な存在感でした。町を仕切っている大ボスの貫録十分。
ただ後半、パブロとトビーアスとの場面で、突然上段の舞台から1mぐらい段差のある下の舞台に転落したのはビックリ。しばらく足をさすって痛みを紛らわすなど、かなり痛めた様子でした。
それでもアドリブでパブロたちに「「お前が前に出てくるからだ!」とか返していたのはさすがの余裕でしたが(笑)。でもその後は、少しも痛みの気配も見せず演技を続けていました。

3人姉妹の中では宮本裕子のマチケが弾けていましたね。

姉妹3人ともすぐライフルやピストルをぶっ放すアブない女たちですが、その中でも末っ子マチケはかわいらしい仕草であっけらかんとした天真爛漫さとともに、それと表裏一体の無慈悲な残酷さを併せ持つというキャラクタをうまく演じていてインパクトがありました。

忘れてはいけないのが三田和代。舞台に登場するだけで場が引き締まります。この人も大したインパクトでした。

お淑やかな原田美枝子やアルコール依存症の中嶋朋子の姉妹もマチケほどではないものの、役柄はくっきり演じ分けられる好演ぶり、司祭の古谷一行も地味な役ですが味のあるいい感じでした。
退団後の初舞台となる野々すみ花も頑張っていました。初めはカッサンドラだけかと思いましたが、ちゃんとレティーシャ役があってよかったです。(笑)

その他(その他かい!>私)、次々と繰り広げられていく、重厚でエキセントリックでオドロオドロしい奇譚の連続を、大石継太、渡辺真起子、村杉蝉之介、満島真之介、冨岡弘、新川將人、石井愃一、橋本さとしがそれぞれの持ち味で好演していて楽しめました。



この芝居は、どうしてこうなるのかなどと言わずにどっぷり漬かるのが正解ですね。

最後の見せ場・「びしょ濡れ芝居」は、最前列で観劇される幸福な人たちには忘れられない場面でしょうね。なにしろ水量が半端でなく、しかも長時間で、最後にのた打ち回るドンガラスが跳ね上げる水飛沫は高く舞っていました。
2段の舞台はこのためかと思ったり。

長時間ですが、舞台の面白さをたっぷり味わえたので、満足して帰途につきました。

今回の観劇で、「四谷怪談」以後私たちが抱いていた蜷川センセイに対するマイナスイメージは少し拭われた感じです。(笑)

追記:勝村さんの落ちるのは演出みたいですね。アップしてからググってみたら別の日でも発生したらしいので、どうも蜷川流の演出にはめられたようです。
しかしほんまにややこしいわ!

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宝塚月組公演 「『ベルサイユのばら』 明日海オスカル編」を観て

2013年02月04日 | 宝塚

心配した天気ですが出かける前に雨も止み、気温は3月並みに上がるとの予報でした。8時45分に出発。途中渋滞もなく快調に走り、10時10分前には駐車場に到着。
パーキングは満車の表示でしたがかろうじて障害者スペースはあいていました。車いすを下ろして大劇場に向かいました。
屋外のチケット売り場はなくなっていました。跡はどうなるのかなとか話しながら劇場へ。

劇場前はすでに団体客が次々に押しかけて賑わっていました。劇場の土産物売り場やロビーも最近目にしたことがないほどの混雑でした。



土産物売り場で金色パッケージの宝塚フィナンシェ(これおいしいです!)と冬季限定のトリュフチョコ(これも美味でした)を買い、劇場入り口へ。
以前花屋さんなどがあった場所に新設されたチケット売り場では、11時公演は立ち見も含めて完売との掲示。15時の公演も立ち見以外は完売。すごい人気です。





今回は補助席での観劇でした。開場前に一足早く立ち見の客が劇場内に案内されていましたが、売り切れとあって本当に大勢のお客さんでしたね。結構男性の立見客の比率が高かったのも驚きでした。


ドンカルロスサンテックスとは大違いの活況で、これでは歌劇団経営陣の安易な「困った時のベルばら頼み」がなくなるわけがありませんね。(笑)

幕が上がるまで私は、どうせいつもの型芝居・偉大なるワンパターン・化石芝居・マンネリだろうとタカをくくっていましたが、始まってしばらくして、子役から瞬間変身で現れた明日海りお・オスカルを観てそんな偏見など見事に吹き飛びました。

まあなんともゴージャスなオスカルでしたよ、ええ。
ほんとにきれいです。この配役バージョンにして大正解でした。(笑)

私の乏しい「ベルばら」観劇歴では、涼風オスカル以来の美形オスカルですね。涼風は私的には少し歌がしつこい感じ(ドヤ歌気味)でしたが、明日海オスカルは歌もすっきりいい感じ。
おかげで、前夜のルーター変更作業で睡眠不足での観劇でしたが、集中して観劇できました。(笑)

今回の「ベルばら」、全体に演出が見直されていて、台詞もリニューアル。「イケメン」とか、今風の言葉もちりばめられて(笑)、これまでの古色蒼然とした陳腐な台詞が大幅に減少していました。演出の鈴木圭さん、いい仕事してますね。
感情移入できる「ベルばら」は久しぶりです。

しかし、龍真咲と明日海りおをはじめ月組メンバーのみなさん、頻繁な役替わりに加えて他組からの出演とかあって、セリフやリアクション、立ち位置を間違えずにようやれるもんですな。この日も3時公演は龍真咲オスカルになっていましたが、大変ですね。

さて、期待の明日海りお、「女だが男として育てられた」という境遇にぴったりでしたね。荒くれ男ばかりの衛兵隊を統率する力を持ちながら、女らしいところも垣間見せるという役どころ、彼女は自然に演じていて適役でした。
セリフも自然で違和感なく聞けました。ちょっと声がかすれそうなところが心配ですが。

考えてみたら、女性が理想的な男役を演じることを最大の特色とする宝塚歌劇で、その男役スターが、「女でありながら男に伍して騎士になるよう育てられた女性」役を演じるというのは、中々微妙なものがありますね。(笑)

あと、明日海りお、気が緩んだのかバスティーユ進撃の群舞の場面で剣を落とし、ちょっとヒヤッとしました。少しあたりを探して見つけてさっと拾い上げ、また踊り続けていましたが。(笑)

アンドレ役の龍真咲
黒い髪がよく似合っていました。この役回りのほうがあっていると思いました。
ただこの人、歌はうまいのですが、気のせいか息次ぎがマイクに入って、時たま聞こえるのが私的には気になるところです。台詞もミニ轟悠(笑)みたいに勿体ぶるクセが気になります。トップ男役の重圧がそうさせているのでしょうか。

今回印象に残ったのは荒くれ衛兵隊のアラン・星条海斗でした。なんとも迫力があって強そうで目を引きます。
日本的に言えばたたき上げの古参特務士官といったところで、相手が士官(オスカルは若いのになんと准将!!)でも意に介さないという感じがよく出ていました。
逆にこの男さえ手懐けたら衛兵隊はOK、という話の設定に説得力を与えています。容貌と演技力がよく役柄にマッチしていました。今回の観劇の収穫の一つです。

悪役としてはブイエ将軍・越乃リュウも本当に憎々しくて徹頭徹尾嫌な奴でした。(笑)
うまいです。芝居にはこういう憎まれ役が重要ですね。(笑)

ジャルジェ将軍・汝鳥伶も本当に男にしか見えず、よく老け込んでいました。ジャルジェ夫人・花瀬みずかも将軍に寄り添っていい奥方ぶりでした。それぞれ自然な演技で芝居にリアリティを与えています。

今回本当に目立たなかったのがロザリー。かわいそうな役回りで、しどころがなく気の毒でした。「オスカルとアンドレ版」では当然でもありますが。

観劇の全体の感想としては、繰り返しになりますが、あまり期待していなかっただけに(笑)、儲けもの感が大きかったです。きれいな明日海オスカルは必見の価値がありますよ。

ただ、原作が膨大なだけに、やはり説明的な台詞が何度もあったのが気になりました。

そうそう、忘れていました。白馬車!(笑)
まあなんとも言いようがないですが、動きは結構滑らかになっていましたね、クレーンさばき。
でも客席にぐっと張り出してきて、しかもかなり天井近くまで持ち上げて、すごいです。お客さんの反応も大きく、あちこちから「おおっ」という声が聞こえてきました。

でも私は感心するよりも意味もない笑いがこみあげてきて、抑えるのに必死でした。この笑いは何で?と思いながら見上げるばかりでした。
あとから考えたら壮大なバカバカしさを感じてしまったのかもしれません。(笑)

今回の公演は、最近にない大劇場の盛況ぶりがすべてですね。
これでますます歌劇団の企画が安易な「ベルばら依存」に走るのが心配ですが、そこは座付き作家の先生の奮起を期待したいところです。

コメント
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