いろいろな経営スタイルがある日本農業。けす
新年にあたって、過去にアクセスの多かったものの再録です。
これからの日本農業のあり方として、「規模を拡大して大型農業機械を
使用する農業や、農業の法人化」が、注目されています。
しかしそれだけが 農業の未来形ではない。
何より大切なのは、自分にあった営農のかたちや、自分にあった経営規
模をみきわめることですという話しですが、よろしかったら、ご参考に。。
↓
『日本の集落にはいろいろな農家と農業がある。』
野菜や果樹などを栽培する労働集約型の農家は、土地をあまり必要とし
ません。
むしろ労働力の限界を感じつつも、無理を押してイネを作付けしなければならな
いときすらあります〔作付けしないで田を荒らすとまわりの農業者からのクレー
ムが来る場合の対策として〕。
このように、もっている土地が余ってしまう場面もあるわけです。
ですから、このあまっている水稲を作付けする水田について、土地利用
型農業を目指す農業者に貸し出したり作業委託を頼む場面があります。
反対にイネやムギ、大豆を栽培する土地利用型単独農家では大規模な
土地が必要になります。。
たとえばイネの場合でいえば、1haほどの農地では農業所得は生じず、5ha
以上でなんとか経営的にとんとん、10ha以上の農地を確保して初めて
農業所得が500万円程度になるともいわれています。。
そこで労働集約型の農家が、土地利用型単独農家に土地を貸す場面が
でてくるわけです。これでどちらとも経営がうまくまわる。
いっぽう、労働集約型の農家というほどでもなく、土地利用型単独農家
でもない、中間型というべき農家もいます。
たとえば水稲の時期にはイネを作り、水稲が終わるとキャベツや野菜な
どの葉物野菜や小面積のハウス栽培で野菜をつくったりする農家です。
もちろんこれでも経営がなりたちます。
また、1haほどの土地を持ち、〔自分のウチが食べる分+α程度の〕野菜
や米の作付けだけをする程度の兼業農家もいます。また年金収
入が主たる収入源で、あまった農産物をすこしだけ販売する農家もいます。
これらもまた経営がまわっている農家であるわけです。
そうそう、ほかにもありました。
たとえば 畜産だけをおこなう農家もありまし、なかには不動産屋さんの
ような農家、まるで企業家のような農家もいます/笑。
と、このように、ひとつの集落には、いろいろな 農家と農業がある
わけです。そして・・・ここがポイントなのですが、くくりでいえば、
全部が『農家』ですし、おこなってるのは『農業』
なのです。
いじょう、日本の集落には、昔からいろいろな形態の農家と農業が存在す
る、そしていろいろな形態の農家があるからこそ集落として成立している
というお話でした。
◎ とりあえずおもうのは・・・
労働集約型の農業と、土地利用型の農業の区別もせずに〔知らずに?〕
展開される農業論には、問題が大あり だということです。
「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染」
新年にあたって、過去にアクセスの多かったものの再録です。
これからの日本農業のあり方として、「規模を拡大して大型農業機械を
使用する農業や、農業の法人化」が、注目されています。
しかしそれだけが 農業の未来形ではない。
何より大切なのは、自分にあった営農のかたちや、自分にあった経営規
模をみきわめることですという話しですが、よろしかったら、ご参考に。。
↓
『日本の集落にはいろいろな農家と農業がある。』
野菜や果樹などを栽培する労働集約型の農家は、土地をあまり必要とし
ません。
むしろ労働力の限界を感じつつも、無理を押してイネを作付けしなければならな
いときすらあります〔作付けしないで田を荒らすとまわりの農業者からのクレー
ムが来る場合の対策として〕。
このように、もっている土地が余ってしまう場面もあるわけです。
ですから、このあまっている水稲を作付けする水田について、土地利用
型農業を目指す農業者に貸し出したり作業委託を頼む場面があります。
反対にイネやムギ、大豆を栽培する土地利用型単独農家では大規模な
土地が必要になります。。
たとえばイネの場合でいえば、1haほどの農地では農業所得は生じず、5ha
以上でなんとか経営的にとんとん、10ha以上の農地を確保して初めて
農業所得が500万円程度になるともいわれています。。
そこで労働集約型の農家が、土地利用型単独農家に土地を貸す場面が
でてくるわけです。これでどちらとも経営がうまくまわる。
いっぽう、労働集約型の農家というほどでもなく、土地利用型単独農家
でもない、中間型というべき農家もいます。
たとえば水稲の時期にはイネを作り、水稲が終わるとキャベツや野菜な
どの葉物野菜や小面積のハウス栽培で野菜をつくったりする農家です。
もちろんこれでも経営がなりたちます。
また、1haほどの土地を持ち、〔自分のウチが食べる分+α程度の〕野菜
や米の作付けだけをする程度の兼業農家もいます。また年金収
入が主たる収入源で、あまった農産物をすこしだけ販売する農家もいます。
これらもまた経営がまわっている農家であるわけです。
そうそう、ほかにもありました。
たとえば 畜産だけをおこなう農家もありまし、なかには不動産屋さんの
ような農家、まるで企業家のような農家もいます/笑。
と、このように、ひとつの集落には、いろいろな 農家と農業がある
わけです。そして・・・ここがポイントなのですが、くくりでいえば、
全部が『農家』ですし、おこなってるのは『農業』
なのです。
いじょう、日本の集落には、昔からいろいろな形態の農家と農業が存在す
る、そしていろいろな形態の農家があるからこそ集落として成立している
というお話でした。
◎ とりあえずおもうのは・・・
労働集約型の農業と、土地利用型の農業の区別もせずに〔知らずに?〕
展開される農業論には、問題が大あり だということです。
「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染」