偶然なにやら良さそうな問題集を見つけたような気がします。
本当は偶然ではなさそうですね・・・いつもの月刊誌の1ページ広告ですから、むしろ私が気がつくのが遅かったかも知れないくらいです。
それと”良さそうな”は全くの山勘で、実際には手にとって見たわけではないのです。
「頭の回路を敏感に!」「右脳で感覚!左脳で読み!」こういうキャッチフレーズに弱い。
何だか科学的裏付けがあるトレーニング方法みたいな気がしてくるから不思議
上級編150問、と有段編150問の2冊が発行されているけれど、PR紙面に1問しか出ていないから詳しい事は分かろう筈は無い・・・しかし面白そうな予感はするから不思議・・・案外私はCMに弱い体質かも知れません。
実際に本屋に行って手にとって判断しようとは思う
もっとも、そう考えた時点で6,7割は重心が移動していて、どの辺りの本屋に何時行こうかななどと考えている。
近所の大型スーパーの中にある大きめの本屋には並んでいなかったと思う
もっと囲碁将棋関係の本の品揃えの多い店を探さないとダメそう
最近は本屋などとは名ばかりの”雑誌屋”兼”ファンシーショップ”みたいな店が多くて困りますね。
(余計な寄り道かもしれませんが)
中学生・高校生を”学生”と呼ぶように(学生は大学生でなくては可笑しい)
「本」と「小説」「雑誌」ひどいのは「漫画」まで一緒くたに「本」と呼ばれていたりするから、紙に字が印刷してあるものを綴じてあるものを打っていれば本屋なんでしょうね。
東京の超大型書店なら問題なさそうですが、生憎当面日本橋とか御茶ノ水・神田方面に行く予定が無い。
それでも市内に置いてありそうな店が2,3あるから気持ちは「何時行こうか」に傾いています。
さて2冊のうち有段編ですが、初段から7段の問題とか・・・なにやら不思議なような当たり前のような。
実戦局面に則して出題されているのなら・・・
「問題として出題されれば解ける」けれど「実戦では問題があること自体気がつかなくて素通り」・・・こういうのが現実だろう
するとペーパーテストで成績が良くても、実戦に生きてこないなら困ったもの
対してろくに本など読まず、所謂実戦オンリーの「叩き上げ」みたいな人に笑われたり・・・
そういうことで問題に多く接するというのは類型的パターンに接する機会を増やすことは勿論、実戦の局面で”問題あり”のレーダーが働く為の訓練でもあるのでしょうね。
そして正しい解答を導き出せれば言うことは無い
少なくとも問題を発見して実戦で回答を出そうと取り組むだけでも進歩でしょうね。
早く強くなれる人は数少ない実戦と本でも強くなっていくものです。
多分エッセンス的な本の問題を実戦の局面でも見ることが出来るのでしょう・・・想像ですが。
そういう人は先生に教わったこと、実戦で得たもの、あるいは観戦でも皆どんどん血肉になっていくに違いない。
マアほんの一握りの天才的なエリートはこの際除外して
私みたいな普通のオジサン(普通以下かも)にとっては人が1回で分かることも100回も繰り返しても身につくかどうか怪しいのですから、「右脳・左脳」みたいな謳い文句、「潜在的に存在するかも知れない能力発見・開発」みたいなものに藁にもすがる感じです。
三途の川で石を積む・・・いやこれは例えが宜しくない
ザルで水を掬うような努力ではあるけれど、1回に1雫は増えるだろうから、気の遠くなるような道のりではあるけれど何もしないよりはいいでしょう。
何かしらもがいていてやっと現状維持だから、何もしなければ後退必至です。
ところで「問題として出されれば解ける」事をもし実戦でも気がついて正しい対応が出来たとして・・・
A「指摘されれば分かる」
B「問題がありそうなことを感じる」
C「更に、正しい対応が取れる」
よく傍目8目というけれど、置石8つまでは変わらないにしても、実戦の対局者はA状態が多くて、”傍目”はCに近いでしょう。
ですから、実戦でCみたいに打てれば・・・
A→Cの差はどのくらいだろうか?
感じとしては3子分くらいかなと思うのだけれどどうだろうか?
つまり平素3子くらいの置き碁の上手を、場合によっては互い先で破ることが出来るかも知れないぎりぎりの棋力差かなと想像する
何もやることが無いような時に一寸手にとって見るという役割もあるから、それ程しゃちほこばって考えることも無いのですが
気楽に問題集に取り組んで得るものが多ければ即時的な効果があるかも知れないし、身につくものが多ければ”番狂わせ”を多くやってみせることが出来るかも知れない・・・マア甘い甘い夢ですが
本当は偶然ではなさそうですね・・・いつもの月刊誌の1ページ広告ですから、むしろ私が気がつくのが遅かったかも知れないくらいです。
それと”良さそうな”は全くの山勘で、実際には手にとって見たわけではないのです。
「頭の回路を敏感に!」「右脳で感覚!左脳で読み!」こういうキャッチフレーズに弱い。
何だか科学的裏付けがあるトレーニング方法みたいな気がしてくるから不思議
上級編150問、と有段編150問の2冊が発行されているけれど、PR紙面に1問しか出ていないから詳しい事は分かろう筈は無い・・・しかし面白そうな予感はするから不思議・・・案外私はCMに弱い体質かも知れません。
実際に本屋に行って手にとって判断しようとは思う
もっとも、そう考えた時点で6,7割は重心が移動していて、どの辺りの本屋に何時行こうかななどと考えている。
近所の大型スーパーの中にある大きめの本屋には並んでいなかったと思う
もっと囲碁将棋関係の本の品揃えの多い店を探さないとダメそう
最近は本屋などとは名ばかりの”雑誌屋”兼”ファンシーショップ”みたいな店が多くて困りますね。
(余計な寄り道かもしれませんが)
中学生・高校生を”学生”と呼ぶように(学生は大学生でなくては可笑しい)
「本」と「小説」「雑誌」ひどいのは「漫画」まで一緒くたに「本」と呼ばれていたりするから、紙に字が印刷してあるものを綴じてあるものを打っていれば本屋なんでしょうね。
東京の超大型書店なら問題なさそうですが、生憎当面日本橋とか御茶ノ水・神田方面に行く予定が無い。
それでも市内に置いてありそうな店が2,3あるから気持ちは「何時行こうか」に傾いています。
さて2冊のうち有段編ですが、初段から7段の問題とか・・・なにやら不思議なような当たり前のような。
実戦局面に則して出題されているのなら・・・
「問題として出題されれば解ける」けれど「実戦では問題があること自体気がつかなくて素通り」・・・こういうのが現実だろう
するとペーパーテストで成績が良くても、実戦に生きてこないなら困ったもの
対してろくに本など読まず、所謂実戦オンリーの「叩き上げ」みたいな人に笑われたり・・・
そういうことで問題に多く接するというのは類型的パターンに接する機会を増やすことは勿論、実戦の局面で”問題あり”のレーダーが働く為の訓練でもあるのでしょうね。
そして正しい解答を導き出せれば言うことは無い
少なくとも問題を発見して実戦で回答を出そうと取り組むだけでも進歩でしょうね。
早く強くなれる人は数少ない実戦と本でも強くなっていくものです。
多分エッセンス的な本の問題を実戦の局面でも見ることが出来るのでしょう・・・想像ですが。
そういう人は先生に教わったこと、実戦で得たもの、あるいは観戦でも皆どんどん血肉になっていくに違いない。
マアほんの一握りの天才的なエリートはこの際除外して
私みたいな普通のオジサン(普通以下かも)にとっては人が1回で分かることも100回も繰り返しても身につくかどうか怪しいのですから、「右脳・左脳」みたいな謳い文句、「潜在的に存在するかも知れない能力発見・開発」みたいなものに藁にもすがる感じです。
三途の川で石を積む・・・いやこれは例えが宜しくない
ザルで水を掬うような努力ではあるけれど、1回に1雫は増えるだろうから、気の遠くなるような道のりではあるけれど何もしないよりはいいでしょう。
何かしらもがいていてやっと現状維持だから、何もしなければ後退必至です。
ところで「問題として出されれば解ける」事をもし実戦でも気がついて正しい対応が出来たとして・・・
A「指摘されれば分かる」
B「問題がありそうなことを感じる」
C「更に、正しい対応が取れる」
よく傍目8目というけれど、置石8つまでは変わらないにしても、実戦の対局者はA状態が多くて、”傍目”はCに近いでしょう。
ですから、実戦でCみたいに打てれば・・・
A→Cの差はどのくらいだろうか?
感じとしては3子分くらいかなと思うのだけれどどうだろうか?
つまり平素3子くらいの置き碁の上手を、場合によっては互い先で破ることが出来るかも知れないぎりぎりの棋力差かなと想像する
何もやることが無いような時に一寸手にとって見るという役割もあるから、それ程しゃちほこばって考えることも無いのですが
気楽に問題集に取り組んで得るものが多ければ即時的な効果があるかも知れないし、身につくものが多ければ”番狂わせ”を多くやってみせることが出来るかも知れない・・・マア甘い甘い夢ですが