今日の昼休みは久々Fさんとの対局
その碁のことではないですが・・・夕べFさんとKさんは夜遅くまで打ったとかでFさんが車で家に帰って軽く食事をしたら11時だったというから10時近くまで二人で打ったらしい。
夕べはKさんが好調らしく3子で3連勝で置石が2子になったといいます。
「二人だけの対局ですから好調な相手と不調な時に対戦したらかなり結果が偏るはずですね」・・・慰めにもならないですが
そういえば、その前の日Fさんが居ないのでKさんと対局して局後にKさんを励ましている・・・間接的ですが
Fさんは今彼の仲間内か何処かのグループで2Dとなったらしいのですが、Kさんはその彼に3子になったのが悔しいらしい・・・
多分KさんとしてはFさんに先なら1D各を名乗れると思っているはずですから
私はその辺には直接触れずに
「Kさん、詰め碁をたくさんやってください。極端に聞こえるかも知れませんが、それだけで1Dや2Dには成れますよ」と強く詰め碁を勧める。
私は極端かも知れないが本当にそう思っています。
勿論詰め碁以外のことはどうでも良いなどとは言いません。
ともかく詰め碁をたくさんやることで急所を理解できるだろうし、何より問題を解くということで考える習慣がつくと思うのです。
更に「問題」=「手がある」から実戦のノーヒントの場面で気がつくようになれば本物・・・そう思っているのです
「詰め碁が出来ると、定石の理解も深くなるはずですよ、寄せにも役立ちます・・・ですからそこまで行けば3,4Dにはいけるでしょう」
勿論碁会所とか普通レベルのネットでの物差しです
「マア、5Dとなると大局観というか、全体を見る力や構想力が備わっていないと乗り越えがたい壁でしょうが、ともかくそこまではいけるはずですから頑張ってください」
蝙蝠男といわれようと、ドンドン励ましてしまいます。
勿論自分でもそう思っていることですから、嘘を言っているつもりはありません。
マア、多少誇大広告かも知れませんが、人間勢いがつけば本当に実現出来そうです。
さてその励ましが早速その日の夕方に効果を発揮したかどうかは流石に怪しいですね。
さて先日このブログに質問のコメントをもらいました。
「今から碁を始めてどのくらいまで行けるものなのか?」という趣旨だと思います
難しい質問ですね、囲碁将棋など向き不向きというか個人差は相当大きいと思うからです。
でも、何才から始めるかは勿論一つの要素でしょうが、私たちはプロを目指しているわけではないので最も重要なのはどのくらいの時間と気持ちを注げるかでは無いでしょうか。
昔聞いた話ですが、定年後囲碁を始めた人が5Dまで行ったとか。
それまで仕事の都合で取り組めなかったけれど、余程隠れた才能として眠っていたのか知れません。
但し、それなりの努力はしたらしい・・・そこのところが大事でしょうか
いずれにせよ60過ぎから始めて5Dは例外的なことかもしれませんが、でも1D2Dなら努力しだいでは実現可能だと思うのです。
長年やっているのになかなかDになれないという人がいたらごめんなさい。
表現はきついかも知れませんが、それは努力はしていてももしかしたら間違った努力かもしれない・・・或いは本人は努力していると思っていてももしかしたら違うかも知れないと思うのです
厳しい言い方をしましたがDでなくてはいけないと言っているのではありません
人それぞれに楽しみ方があって、それが最も重要なことでそれぞれが目標とする棋力は「何処で一応満足できるか」目安に過ぎません。
ですからかなり年配で始めようと言う方は、5Dとか6Dを目指すのはかなり厳しいけれど、そうでないならばかなりのところまで行ける筈と思います。
私事です
プロを目指すなら子供の頃から始めるのが良い・・・ですから歌舞伎にせよ他の習い事など子供には6才から始めるのが普通らしい。
成る程「三つ子の魂」「雀百まで・・・」と言いますが三つはともかく6才がスタートらしい。
成る程そうしてみると私が小学校1年の時から新聞の棋譜を毎日見る習慣になったのは多少は意味のあることだったようです。
もしこの時周囲に囲碁の高段者がいて、手ほどきを受けていたら・・・
ウーム人生にもしもは起こらない!
まあ冗談ですが、将棋欄のついでの囲碁欄でしたから、ホントについで
でも、その6才の頭だから大人のように碁のルールなど疑問に感じなかったらしい・・・そこに書いてある通りに受け取った・・・マア理解力は幼稚ですが。
ともかく打てるようになっていた・・・勿論6,7年後に始めて対局したのですから効率と言う面では非常に効率が悪い。
そういう意味では時間がかかりすぎですが、ルールを理解すると言う面では不思議と分かっていたらしい・・・隅の曲がり4目の生き死にも
でも初めて打った時でおそらく2桁級でしょうね。
まあ、曲りなりに打てると言った程度。
それでも大学生の頃に、後輩たちを集めて盛んに打った頃(その頃でも指導者はいなかった)でおそらく5,6級かな。
自称初段と言う人に勝ったり、良い勝負をしていましたが流石に初段はありえない
その後町の道場で元将棋プロに囲碁を教わって・・・この頃で2級くらいか(もっともこの2Kはやや辛いかも)
さて碁会所通いを始めて、そこでD仲間に入りましたが「いつかは5Dに慣れるだろうか?」と憧れに似た気持ちを抱いたのが懐かしいですね。
さて現在は職場やコミュニティで多少偉そうな顔をして打っていますが、囲碁を楽しむと言うことでは皆同じ仲間ですね。
それと「何才から始めたらどのくらいまで行けそうか?」と言うことで・・・
「5Dに成れたら良いな」と思いはしましたが、あくまでも憧れで、それを目標としたことは無いのです
囲碁が好きで、他のことより囲碁が一番好きなので結局はそこに時間も気持ちも多少のお金も使う・・・その結果ですか。
そこそこの棋力と囲碁仲間がいるという事です
勿論同時にいろんなことは出来ませんから、もし囲碁以外の何かをやっていれば得られたかも知れない”何か”は手に入らなかったかも知れませんが、当然後悔するようなことは無いですね。
マア家族にとっては「バリバリ仕事をしてドンドン出世するような」親父ではないから、まあ不幸かも知れませんが親父本人は好き勝手にやらしてもらっている家族に感謝!!
まあ今は年も年?ですから進歩と言ってもミリ単位どころかナノメートル単位かもしれません。
囲碁が好きですから何かやっていたいし、その結果例え僅かでも!
もっとも昔ダークダックスの歌った「銀色の道」
「・・・休めば下がる・・・」当然休む気などありません。
マア遊んでいるだけですけど
その碁のことではないですが・・・夕べFさんとKさんは夜遅くまで打ったとかでFさんが車で家に帰って軽く食事をしたら11時だったというから10時近くまで二人で打ったらしい。
夕べはKさんが好調らしく3子で3連勝で置石が2子になったといいます。
「二人だけの対局ですから好調な相手と不調な時に対戦したらかなり結果が偏るはずですね」・・・慰めにもならないですが
そういえば、その前の日Fさんが居ないのでKさんと対局して局後にKさんを励ましている・・・間接的ですが
Fさんは今彼の仲間内か何処かのグループで2Dとなったらしいのですが、Kさんはその彼に3子になったのが悔しいらしい・・・
多分KさんとしてはFさんに先なら1D各を名乗れると思っているはずですから
私はその辺には直接触れずに
「Kさん、詰め碁をたくさんやってください。極端に聞こえるかも知れませんが、それだけで1Dや2Dには成れますよ」と強く詰め碁を勧める。
私は極端かも知れないが本当にそう思っています。
勿論詰め碁以外のことはどうでも良いなどとは言いません。
ともかく詰め碁をたくさんやることで急所を理解できるだろうし、何より問題を解くということで考える習慣がつくと思うのです。
更に「問題」=「手がある」から実戦のノーヒントの場面で気がつくようになれば本物・・・そう思っているのです
「詰め碁が出来ると、定石の理解も深くなるはずですよ、寄せにも役立ちます・・・ですからそこまで行けば3,4Dにはいけるでしょう」
勿論碁会所とか普通レベルのネットでの物差しです
「マア、5Dとなると大局観というか、全体を見る力や構想力が備わっていないと乗り越えがたい壁でしょうが、ともかくそこまではいけるはずですから頑張ってください」
蝙蝠男といわれようと、ドンドン励ましてしまいます。
勿論自分でもそう思っていることですから、嘘を言っているつもりはありません。
マア、多少誇大広告かも知れませんが、人間勢いがつけば本当に実現出来そうです。
さてその励ましが早速その日の夕方に効果を発揮したかどうかは流石に怪しいですね。
さて先日このブログに質問のコメントをもらいました。
「今から碁を始めてどのくらいまで行けるものなのか?」という趣旨だと思います
難しい質問ですね、囲碁将棋など向き不向きというか個人差は相当大きいと思うからです。
でも、何才から始めるかは勿論一つの要素でしょうが、私たちはプロを目指しているわけではないので最も重要なのはどのくらいの時間と気持ちを注げるかでは無いでしょうか。
昔聞いた話ですが、定年後囲碁を始めた人が5Dまで行ったとか。
それまで仕事の都合で取り組めなかったけれど、余程隠れた才能として眠っていたのか知れません。
但し、それなりの努力はしたらしい・・・そこのところが大事でしょうか
いずれにせよ60過ぎから始めて5Dは例外的なことかもしれませんが、でも1D2Dなら努力しだいでは実現可能だと思うのです。
長年やっているのになかなかDになれないという人がいたらごめんなさい。
表現はきついかも知れませんが、それは努力はしていてももしかしたら間違った努力かもしれない・・・或いは本人は努力していると思っていてももしかしたら違うかも知れないと思うのです
厳しい言い方をしましたがDでなくてはいけないと言っているのではありません
人それぞれに楽しみ方があって、それが最も重要なことでそれぞれが目標とする棋力は「何処で一応満足できるか」目安に過ぎません。
ですからかなり年配で始めようと言う方は、5Dとか6Dを目指すのはかなり厳しいけれど、そうでないならばかなりのところまで行ける筈と思います。
私事です
プロを目指すなら子供の頃から始めるのが良い・・・ですから歌舞伎にせよ他の習い事など子供には6才から始めるのが普通らしい。
成る程「三つ子の魂」「雀百まで・・・」と言いますが三つはともかく6才がスタートらしい。
成る程そうしてみると私が小学校1年の時から新聞の棋譜を毎日見る習慣になったのは多少は意味のあることだったようです。
もしこの時周囲に囲碁の高段者がいて、手ほどきを受けていたら・・・
ウーム人生にもしもは起こらない!
まあ冗談ですが、将棋欄のついでの囲碁欄でしたから、ホントについで
でも、その6才の頭だから大人のように碁のルールなど疑問に感じなかったらしい・・・そこに書いてある通りに受け取った・・・マア理解力は幼稚ですが。
ともかく打てるようになっていた・・・勿論6,7年後に始めて対局したのですから効率と言う面では非常に効率が悪い。
そういう意味では時間がかかりすぎですが、ルールを理解すると言う面では不思議と分かっていたらしい・・・隅の曲がり4目の生き死にも
でも初めて打った時でおそらく2桁級でしょうね。
まあ、曲りなりに打てると言った程度。
それでも大学生の頃に、後輩たちを集めて盛んに打った頃(その頃でも指導者はいなかった)でおそらく5,6級かな。
自称初段と言う人に勝ったり、良い勝負をしていましたが流石に初段はありえない
その後町の道場で元将棋プロに囲碁を教わって・・・この頃で2級くらいか(もっともこの2Kはやや辛いかも)
さて碁会所通いを始めて、そこでD仲間に入りましたが「いつかは5Dに慣れるだろうか?」と憧れに似た気持ちを抱いたのが懐かしいですね。
さて現在は職場やコミュニティで多少偉そうな顔をして打っていますが、囲碁を楽しむと言うことでは皆同じ仲間ですね。
それと「何才から始めたらどのくらいまで行けそうか?」と言うことで・・・
「5Dに成れたら良いな」と思いはしましたが、あくまでも憧れで、それを目標としたことは無いのです
囲碁が好きで、他のことより囲碁が一番好きなので結局はそこに時間も気持ちも多少のお金も使う・・・その結果ですか。
そこそこの棋力と囲碁仲間がいるという事です
勿論同時にいろんなことは出来ませんから、もし囲碁以外の何かをやっていれば得られたかも知れない”何か”は手に入らなかったかも知れませんが、当然後悔するようなことは無いですね。
マア家族にとっては「バリバリ仕事をしてドンドン出世するような」親父ではないから、まあ不幸かも知れませんが親父本人は好き勝手にやらしてもらっている家族に感謝!!
まあ今は年も年?ですから進歩と言ってもミリ単位どころかナノメートル単位かもしれません。
囲碁が好きですから何かやっていたいし、その結果例え僅かでも!
もっとも昔ダークダックスの歌った「銀色の道」
「・・・休めば下がる・・・」当然休む気などありません。
マア遊んでいるだけですけど