いつもの昼休み碁で負けると、相手のFさんは必ず「今日の白はえらく無理をしていましたね」とかなり気持ち良さそうに言うのです。
私の答えは「そうですね、大変な無理をしました。が、多少の無理は承知で打たないと4つはとても追いつけませんから・・・」となる。
私は相手の言い分は『ごもっとも』と思う反面、これを向こう4子の相手に指摘されるのは癪に感じているのです(実に不遜な態度ですね)。
例えばここまでの3連戦は白が勝っていて、今日4戦目に白が負けた・・・
それで、今日の白の敗因は「白の無理手」と言う判断はいいとして
確かにそうかもしれないが、それでは昨日までの3連戦は何だったのか聞き返したくなります。
マア素人碁などそんなものかも知れません・・・つまり負けるような原因を作った方が負けているに過ぎないと言う事でしょうね。
素人の碁では3つや4つの差など「勝った負けたと」騒いでいるだけのことと言ってしまえば簡単ですね
この間TVで世界体操大会のニュースをチラッと見て・・・普段ならば実況中継とか総集編などで見るのですが、他の見たいスポーツとか囲碁ネットに忙しくて、これはニュースだけ。
ただ例によって「体操」に刺激されて連想ゲームが始まります
マア、単純なことですが体操には得点の基準に「難度」というランキングがありますね、「C」とか昔なら「ウルトラC」とか、最近は「D」まである。
ところで囲碁では
定石には形だけを見れば単純なものと、複雑で間違えやすいものがあります。
ただ定石だといって対局者が二人でなぞっていけば良いと言うものではない
ましてや難度の高い定石を用いれば高得点・・・なんて話は無い
もっとも難解定石ばかり好んで用いれば、相手は密かに恐れを抱くかも知れませんが、まあそれだけのことでしょうか。
当たり前ですね、完璧に演技して観客に見せる為のものではないのですから
どんな強烈な、あるいは複雑な手段であっても、テニスではないけれど場合によっては苦も無く撥ね返されてしまう事もあるし、むしろ相手のエースになることだってあります。
それは「手段」「定石」など”目的を持って打たれるものですから、目的と結果の整合性というか、相手による妨害が入ったらどうなるかなどの問題ですね
ザル仲間であっても、後輩から多少は”尊敬されたい”などヨコシマな考えが入ると・・・無理難題と言うか、横車的なことを考えたりやってしまうものです。
多分これがFさんの言う「白の無理」=「私の無茶手」でしょう。
私も多少は感じている・・・「4子は普通の手を打って、チャンスが来なければ仕方ない・・・」
置き碁に限らずこの「普通の手」はあこがれであるが、かなり難しい問題
例えば、超簡単な手順とかシンプルな形などが価値判断ではなくて、その局面に一番フィットするものを探すことですよね。
しかし囲碁も相手があるゲームですから、一見簡単な手は簡単に反撃されるような気後れ的な・・・
しかし所謂普通の手を打ち続ければ決して負けは無い・・・それは憧れと言うか夢と言うか・・・でも考えればそれが出来たら「神様の領域」かも知れないから、見果てぬ夢、しかも素人にはとんでもない考えかも知れない
私が時々お邪魔するブログに<アマの負ける手・負けない手「黒番編」>と言う本が紹介されていました。
その方もこれからじっくり読もうと言うことで内容は簡単な紹介のみで
<良い手><悪い手><危険度>などという言葉が出ていました。
私も本を読んでいないし内容は分からないのですが、そのキーワードから勝手に想像しました
○ 手には悪い手というものはあるかも知れないけれど、状況にあっているかどうかと言う判断基準が問題。
○ その中に、打ち進める道筋に枝分かれと言うか落とし穴が多いものもある
○ 打ち始めの形は良いが、最後まで正しく打つのが難しい
そんなことが書かれているのだろうか?
○ 良く効く薬には副作用もある
読んでもいない本を勝手に想像するのも私の楽しみの一つ・・・変なジイサマ
それと<危険度>という言葉が出ていて、それについてはこの本の著者が書いた意味と同じかどうか分からないけれど・・・
例えば「生兵法」的な危険であったり「人を呪わば穴二つ」的な危険であったりするのだろうか。
「勝負事で多少は相手よりいい思いをしようと思えば多少の危険は覚悟」ということだろうか?・・・
いや読みを争っているのであって、運の争いをしているのではないから少し変ですね。
ともかく私は所謂普通の手しか知らないと言って間違いない。
だからと言うことも無いけれど、大斜とかナダレなど自分からは打つことが無い・・・だから幅が狭いと言うか、見るからに弱い打ち手ですね
要するに「普通の手」=「変化が少ない手」「難解でない手順」・・・何のことは無い難しいものは理解できないから使えないだけです
それは問題でしょうが、一番の問題は「普通の手」=「消極的な手」になりはしないかという事も心配です。
実は今自分にとってこれが大きな問題です
工夫が足りないと言うか、気がつくと打ちにくさを感じてしまう局面になっていると言うか、敗因のはっきりしない負け方と言うか。
いや敗因ははっきりしている、「不利な状況を挽回しようと無理な勝負手を打たざるを得ない」からです
気がつくと不利な状況
だからそうならない為には・・・きっと「普通の手」が鍵なんでしょうね
私が打っているのが自分では気がつかなくても、その局面では普通では無いのだろう・・・
私の答えは「そうですね、大変な無理をしました。が、多少の無理は承知で打たないと4つはとても追いつけませんから・・・」となる。
私は相手の言い分は『ごもっとも』と思う反面、これを向こう4子の相手に指摘されるのは癪に感じているのです(実に不遜な態度ですね)。
例えばここまでの3連戦は白が勝っていて、今日4戦目に白が負けた・・・
それで、今日の白の敗因は「白の無理手」と言う判断はいいとして
確かにそうかもしれないが、それでは昨日までの3連戦は何だったのか聞き返したくなります。
マア素人碁などそんなものかも知れません・・・つまり負けるような原因を作った方が負けているに過ぎないと言う事でしょうね。
素人の碁では3つや4つの差など「勝った負けたと」騒いでいるだけのことと言ってしまえば簡単ですね
この間TVで世界体操大会のニュースをチラッと見て・・・普段ならば実況中継とか総集編などで見るのですが、他の見たいスポーツとか囲碁ネットに忙しくて、これはニュースだけ。
ただ例によって「体操」に刺激されて連想ゲームが始まります
マア、単純なことですが体操には得点の基準に「難度」というランキングがありますね、「C」とか昔なら「ウルトラC」とか、最近は「D」まである。
ところで囲碁では
定石には形だけを見れば単純なものと、複雑で間違えやすいものがあります。
ただ定石だといって対局者が二人でなぞっていけば良いと言うものではない
ましてや難度の高い定石を用いれば高得点・・・なんて話は無い
もっとも難解定石ばかり好んで用いれば、相手は密かに恐れを抱くかも知れませんが、まあそれだけのことでしょうか。
当たり前ですね、完璧に演技して観客に見せる為のものではないのですから
どんな強烈な、あるいは複雑な手段であっても、テニスではないけれど場合によっては苦も無く撥ね返されてしまう事もあるし、むしろ相手のエースになることだってあります。
それは「手段」「定石」など”目的を持って打たれるものですから、目的と結果の整合性というか、相手による妨害が入ったらどうなるかなどの問題ですね
ザル仲間であっても、後輩から多少は”尊敬されたい”などヨコシマな考えが入ると・・・無理難題と言うか、横車的なことを考えたりやってしまうものです。
多分これがFさんの言う「白の無理」=「私の無茶手」でしょう。
私も多少は感じている・・・「4子は普通の手を打って、チャンスが来なければ仕方ない・・・」
置き碁に限らずこの「普通の手」はあこがれであるが、かなり難しい問題
例えば、超簡単な手順とかシンプルな形などが価値判断ではなくて、その局面に一番フィットするものを探すことですよね。
しかし囲碁も相手があるゲームですから、一見簡単な手は簡単に反撃されるような気後れ的な・・・
しかし所謂普通の手を打ち続ければ決して負けは無い・・・それは憧れと言うか夢と言うか・・・でも考えればそれが出来たら「神様の領域」かも知れないから、見果てぬ夢、しかも素人にはとんでもない考えかも知れない
私が時々お邪魔するブログに<アマの負ける手・負けない手「黒番編」>と言う本が紹介されていました。
その方もこれからじっくり読もうと言うことで内容は簡単な紹介のみで
<良い手><悪い手><危険度>などという言葉が出ていました。
私も本を読んでいないし内容は分からないのですが、そのキーワードから勝手に想像しました
○ 手には悪い手というものはあるかも知れないけれど、状況にあっているかどうかと言う判断基準が問題。
○ その中に、打ち進める道筋に枝分かれと言うか落とし穴が多いものもある
○ 打ち始めの形は良いが、最後まで正しく打つのが難しい
そんなことが書かれているのだろうか?
○ 良く効く薬には副作用もある
読んでもいない本を勝手に想像するのも私の楽しみの一つ・・・変なジイサマ
それと<危険度>という言葉が出ていて、それについてはこの本の著者が書いた意味と同じかどうか分からないけれど・・・
例えば「生兵法」的な危険であったり「人を呪わば穴二つ」的な危険であったりするのだろうか。
「勝負事で多少は相手よりいい思いをしようと思えば多少の危険は覚悟」ということだろうか?・・・
いや読みを争っているのであって、運の争いをしているのではないから少し変ですね。
ともかく私は所謂普通の手しか知らないと言って間違いない。
だからと言うことも無いけれど、大斜とかナダレなど自分からは打つことが無い・・・だから幅が狭いと言うか、見るからに弱い打ち手ですね
要するに「普通の手」=「変化が少ない手」「難解でない手順」・・・何のことは無い難しいものは理解できないから使えないだけです
それは問題でしょうが、一番の問題は「普通の手」=「消極的な手」になりはしないかという事も心配です。
実は今自分にとってこれが大きな問題です
工夫が足りないと言うか、気がつくと打ちにくさを感じてしまう局面になっていると言うか、敗因のはっきりしない負け方と言うか。
いや敗因ははっきりしている、「不利な状況を挽回しようと無理な勝負手を打たざるを得ない」からです
気がつくと不利な状況
だからそうならない為には・・・きっと「普通の手」が鍵なんでしょうね
私が打っているのが自分では気がつかなくても、その局面では普通では無いのだろう・・・