なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

一碁一会と、出会わなかった人

2007-09-05 19:20:53 | Weblog
今日はあのK師匠が居る碁会所に行きました
 昼食をすませ、台風の前兆の怪しげな天気などものともせず(実は迷ったけれど)いざ出発。
 日が出ていて暑いかと思うと、さっと雲で暗くなりパラパラ雨・・・そういう天気ですが、『マア雨が降ったら濡れればいいさ』『この暑さで風邪も引かないだろうし、溶けて無くなることも無いだろう』
 結果から言うと師匠は今日はここには来ない日だった。
 だから往復10kmは昼食後の腹ごなしのいい運動をさせて頂いたということになる(自転車ですが)から、カロリーとファイトしている私としてはそれはそれで感謝です。

 さてここからは昨日の話です
 職場で昼食後お弁当の容器を片付けている時に「今年の夏は夏バテしませんでした?」と話しかけられた。
 その人はこういう猛暑に耐え切れず夏バテぎみなんでしょうね。
 ところが私ときたら、持病は一杯持っているのに夏バテはしたことが無いのです。
 夏は逆に太るタイプだから全くそういう意味では油断が出来ないが
  逆に寒さには弱いですね・・・その割には何も掛けずに寝てしまいますが・・・

 その時に寒さには弱いと言うのも生まれ育ったところの影響と言う話になったので故郷のことを思い出したので少し話します。
 東京から早暁なら高速道路で2時間もあれば着いてしまうくらいのところ、だからあまり離れている感じが無いから、あまり帰ろうという気も起きない。
 両親とも亡くなっているから、余計にそうかも知れません。
 まあ今はどうだか知りませんが、私が暮らしていた昭和40年台の初頭はまだ田舎でしたね
 北側は遥か南アルプス方面につながる山が連なって衝立になっているから北風から守られていて雪も私が住んでいた18年間で降雪2cmが1回のみ。
 南は駿河湾に臨んで明るく開けていて温暖で住みやすい土地柄
  従って私みたいなのんびりやが多い・・・克己奮励みたいな努力家は少ない
 いや私はその中でも「のんびり」「うっかり」の代表選手です。
 そうそう今NHKでやっている「どんど晴れ」に遠野のカッパ伝説が出てきましたが、ここにもカッパ伝説があったといいます。
 海から10kmくらいの川ですが、上流部との高低差は数メートルしかないから、ゆったりと流れる川です
 まるで私の性格を表しているような・・・流れているんだかどうだか・・・眠っているような感じでしょうか。
 水運には便利だから家康が駿府城を改修するときには石を運ぶのに使ったとか、反面集中豪雨には弱い、要するに降った雨がはけない
 大きな水害に見舞われたことがあって(私はその時には既に居なかったのですが)市内を走る路面電車が廃線となった。
 一部国道1号を走っていたから交通事情を考えれば潮時だったかも知れません
  田舎を離れた人間としては残念な気もしますがね
 ともかく地形や気候風土が私の性格に乗り移っているようなものでしょう
  
  田舎の思い出シリーズです
 小学校2,3年くらいの時に母に連れられて(将棋クラブと間違って)碁会所に連れて行かれた事があります。
 この時の第一印象は子供には決して良い物ではありませんでした
 昼間でも薄暗く、明かりは電球にブリキの笠みたいなものだけでした
 明るい表通りから家の中に入ったばかりで明暗差がが大きすぎたこともありますね
 それとおじいちゃんばかりみたい(昼間ですからね)、タバコの煙
今時の明るくて煙の無い碁会所からは想像もつかないくらい
 このとき席亭と思しき人が
 「坊や、囲碁を教えてあげようか?」と優しく言ってくれたのですが、子供にとっては第一印象が悪すぎたのでしょう。
 実のところ慣れてしまえばそんなに暗くは無かったかも知れませんが、何と言っても私は生まれた時からお爺ちゃんというものを知らないですから・・・

 さてそれから10年は経って、学生時代に囲碁雑誌で、
 地方の支部の世話好きのお爺さんの記事が出ていた・・・なんとなくあの時の御爺ちゃんのような気がしたけれど確かめようなど無い
 記事ではI田の爺ちゃんと言えばこの地方では有名人だったらしい(勿論碁を打つ仲間の中でです)
  それから更に時は流れて、今ネットでI田さんと言う人とよく出会って対局します。
 私の出身県の人・・・同じ県と言ってもいささか広うゴザンスで、全く根拠は無いのですが、子供時代に出会ったおじいちゃん、雑誌に載ったI田さん、ネットで出会うI田さん・・・何だか糸でつながっているような、勝手な空想を楽しんでいます。

 出身地といえばそこでは今まで1局しか打っていません
 中1の時に初めて打ったクラスメイト
 当時は1クラス56人もいて、1学年13クラスもある中学でしたから、彼とは中2、3と別クラスで高校も別々だったから、顔をあわせることもほとんど無かったから、碁はその時の1局のみ。
 だから13歳の時に1局打ったきりで半世紀近くが経っていることになる
 彼はその後囲碁を趣味としているだろうか?
  なんとなく気になる
 昔のことが思い出されるのは年老いた証拠と言うのですが、確かに納得してしまうところが多い。
  彼がまだ田舎で家業を継いでいるとしても私があの町を歩く機会が0に近い(サッカーを見に行っても方向が違うし、多分街に出ないで姉の家に泊めてもらって帰るだろう・・・)から出会うことはまず考えられない。
 一方でネットとは言え毎日のように見かけて、その気になりさえすれば毎日対局できる人も居ます
 全く人生出会ったり出会わなかったり、いろいろです。
  
 さて故郷で結局打つ機会が無かった人は他にも居る・・・その話は明日また