なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

囲碁の真理!?

2007-09-08 16:20:26 | Weblog
 今日は隔週の図書館デーです。
 コミュニティの入り口に花飾りのたて看板・・・「合同敬老の日・・・」
  そうだった9月もこのくらいになると
 私の発想は「老人の日」→「敬老会」ここまでは普通だが次に「個人情報」に跳びます。
 以前自治会の役員をしていた時の経験です。
  毎年9月には敬老のお祝いに記念品などを自治会から贈るのですが
 自治会役員は毎年当番制で入れ替わるから記録が頼りです・・・
  一番の問題は「名簿」
 仮に70才以上の方に何かプレゼント贈るとして、昨年の実績で分かる部分と、今年新たに70才になる方が居る筈・・・その新たな方々が分からない
 これは同じ地域に暮らしていて、何処に高齢のかたが居るかは分かっていても年齢までは正確に把握するのは難しい。
 こういうことは市の関係機関でも個人情報に絡むこととして教えて貰えません
  当然と言えば当然かも知れないのですが、それで居て市から補助金は出るのですから少し矛盾も感じる・・・
 結局は自己申告ということで行きましたが、自分の意志で申告しない人は問題無いが、”知らなかった”とか”調べれば分かるでしょう”と思っている人もいる・・・
 マア、そんな事でドタバタした思い出があって、私としては「敬老のお祝い」→「個人情報」となる

 ところで囲碁界で長老的な方といえば呉清源師でしょう
  何といっても私の「囲碁以前」時代=小学生の頃新聞の棋譜を眺めていた時代でも偶にしか登場しなかった方です。
  確か日本棋院の客員棋士と言うことだっただろうか
 名人戦とか本因坊戦ではなくて特別企画みたいな対局だけだったような気がする
  それでも門前の小僧でも一流のプロ棋士を番碁で打ち込んでいったと言う記事は読んだことがあったから、その時でもほとんど神様的存在でした
  実績があって偶にしか登場しないのですから祭礼にしか現れない神様です
  しかもその方に本とかビデオで接することが出来るというのは何とすばらしいことか

 尤も人によっては、あるいは若い人たちの中には「碁を打たないのにいろいろ偉そうなことを言っている」と感じている人もいるらしい。
  私の知り合いでもそのように言う人も居ますが、私は一つにはその方の「無知」のせいだと思っています
 マア彼にしては呉清源師の発言には断定的な部分が多いから「自分では打たないのに・・・」「実戦で証明してくれ」となるらしい。
 でもそういうことを言ったら、「評論家」とか「解説者」を認めないということになりそうですね
 私みたいに師の全盛期は直接は知らなくても、その実績の記憶が比較的新しい時代は知っていたから、おそらくそういう事の違いかと思われます。

 コミュニティの図書館に入るところから図書館の入り口まで約30m・・・
  まあ短い間にいろいろ考えるものです
 図書館では2週間分ですから、今回も4冊借りてそのうち1冊は囲碁の本
「呉清源 王立誠 囲碁の真理を探る 第二巻」 2002年4月
  この本は三巻セットでしょうか?少し前から図書館の囲碁コーナーに入っていました。
 第一巻は以前に読んだことはあるので、今日は思い切って第二巻を借りました。
  何が思い切ってかというと・・・
 雑誌くらいの大きさでハードカバーで少々重い本(中身と関係ないけれど)
  もし買えば高そう・・・これも値段が印刷されていない
  まさか寿司屋さんではないから「時価」は無いだろうがまあ高そう
  「呉清源」師の名前が入っているものは安くは無いものが多い・・・
 本当は、なかなか手が出なかった理由は
 「囲碁の真理」というキャッチフレーズですね
 中身はともかく大きく構えられるとこちらも身構えてしまうところがある。
 呉・王両先生がそのくらい自信と気概を持って送り出したということであれば、そういうものに触れられるのは有難いことです。
 でも「呉清源流囲碁指南」くらいの看板なら町の碁会所にぶらっと立ち寄るみたいに気楽に入れそうなんですが・・・マアこれもザルの身についた習性です。

 ところでこの本はしっかり読めばかなり勉強になりそう・・・というのも
代表的な序盤戦を説明している
 第一章 二連星対二連星
 第二章 二間高がかり・・・とあって
 第七章は 高目・目はずし
  今一番興味があるのは目はずし対策だし、自分の布石は二連星マニアだし・・・
 これで「対中国流構想」みたいなものがあればもっと良い
 ともかく帰宅すると直ぐ順番は飛ばして、第七章を直ぐに読んでしまった

 活字も比較的大きくて図版も見やすい・・・私でも眼鏡無しで読めるそれは嬉しい・・・但し総花的というのだろうか、あっさりしているというか。
 もっとも、詳しければ良いというほど当方の棋力がついていけるかどうか
 呉清源師の「善悪」の判断が簡明というかはっきりしているので、それ程の説明が不要なのかも知れませんが・・・
 もしかしたら、こういうところが「信者」みたいなファンにはたまらないが、そうでない人には物足りないみたいなところかも。
 
 ともかくこの2週間はこの本を読むことにします
  大きくてカバンに入れて持ち歩くのには向かないから、ともかく家で他にやることが無ければひたすら読む・・・
  予定では2週間後には第三巻を借りなくてはいけないですからね
 表現は悪いけれど「鰯の頭も信心から」で、ましてや「鰯」ではなくて「呉」神様ですから、きっと百万の援軍です