土曜日の衛星放送で俳句の番組があります。
特に俳句が好きと言うことも無いのですが優秀作の選び方が面白いので兼題が面白い時はみることが多い。
参加者が作った俳句を参加者が選ぶのですが、無記名で直前に投票し評・感想を述べる・・・そしてその後に作者が明かされる。
作者の名前で選ぶのではないので、なんとなく民主的な感じがするし、選んだ理由をそれぞれが話すので責任を持って選んでいる感じがする。
参加者はプロもいれば他の分野の物書きもいるしタレントもいるし、ベテランもいれば初心者もいる・・・それだから面白い。
さてこの日の兼題(あらかじめ出されていた課題みたいなもので、参加者は事前に作って出してある)は「木の実」だったようで、句の一つに「学校嫌いな子」という言葉が入っている句がありドキッとしました。
学校嫌いとか登校拒否とかで驚いたわけではありませんが、句の内容が学校を休んだ子と母親が一緒にいる光景が目に浮かぶ句だったので、つい自分の子供時代を思いだした次第です。
私は特に学校嫌いでも無く登校拒否でも無く(あの時代はそういう言葉も無かったと思いますが)、ましてやいじめられっ子でもありませんでしたが・・・ただ、時に学校に行きたくない日があった。
特に嫌いとか苦手な学科とか嫌な行事では無く、本当に朝起きて「今日は学校に行きたくない」と感じる日・・・特に強く感じる日があったのです。
そういう時、例えば熱があるとか風邪気味とかお腹が痛いのであれば病気ということで”堂々”と休める筈ですが、逆に多少の熱があっても・鼻水が出ていても「行きたい時は行く」性格ですから、自分では体調的に絶対無理でなければ休む理由にはならない。
さりとて仮病を使うことも出来ない・・・ミエミエだしそこのところは変なプライドもあります。
ですから最後の手段は母に「今日は学校を休む」または「行かない」宣言です。
もし父に告げたらどうなっていたかは分からないのですが、母が超甘だったのか、ほぼ事情は察しているものの呑み込んでくれたのか、「休む宣言」するにはそれなりの事情があると想像したのか、「どうせこの子は・・・」と諦めていたか、そういう日は公然と休むことが出来た。
勿論母は隣の家の同学年の子に学校への言伝を頼んで無断欠席にはしませんでしたが・・・
勿論たまにです・・・ひと月かふた月に一度ですが。
そういう日は暗黙のルールで夕方までは外出は禁止、TVも午後は放送が無いような時代ですから本を読むか新聞を読むかラジオを聞くか一人遊び。
ですから母の内職の和服の縫物とか洗い貼り、セーターの編み物とかを見ていたものです。
これが面白いとは言いませんが退屈では無かったので、一日中家にいても平気だったのです。
多分この時期の私は先生にもクラスメイトにも体は大きくても丈夫とは言えないと思われていた筈です。
さて「学校嫌いな子」の俳句。
母親と子供の光景が想像できます。
私の場合は「自分で休むことを決めたのだから、自分のことは責任持ちなさい」と言う感じだったでしょう・・・これは小学校の高学年から高校までは・・・。
社会人になり、仕事をこういう理由で休んだことは一度も無いのだから、学校は為になるし楽しいところだけれど、行きたくない日もあると言う事なんだと思います・・・もしそういう日に自分に鞭打って出席していたら、今よりは多少ましな人間になっていたでしょうか?
もし、「休みたい」と言った時「何を馬鹿なことを言っている!」と頭から否定されて家から押し出されていたらどうだったのでしょうね。
「もし」は無いのですが、今より真面目な人間になっていたとか、いやなことでも耐える力がついた・・・とは思えないのですがさあどうだったでしょうね。
「根は学校嫌いな子」「時に学校嫌いになる子」、親にそう思われていたかも知れません・・・遠い昔の話ですが。
特に俳句が好きと言うことも無いのですが優秀作の選び方が面白いので兼題が面白い時はみることが多い。
参加者が作った俳句を参加者が選ぶのですが、無記名で直前に投票し評・感想を述べる・・・そしてその後に作者が明かされる。
作者の名前で選ぶのではないので、なんとなく民主的な感じがするし、選んだ理由をそれぞれが話すので責任を持って選んでいる感じがする。
参加者はプロもいれば他の分野の物書きもいるしタレントもいるし、ベテランもいれば初心者もいる・・・それだから面白い。
さてこの日の兼題(あらかじめ出されていた課題みたいなもので、参加者は事前に作って出してある)は「木の実」だったようで、句の一つに「学校嫌いな子」という言葉が入っている句がありドキッとしました。
学校嫌いとか登校拒否とかで驚いたわけではありませんが、句の内容が学校を休んだ子と母親が一緒にいる光景が目に浮かぶ句だったので、つい自分の子供時代を思いだした次第です。
私は特に学校嫌いでも無く登校拒否でも無く(あの時代はそういう言葉も無かったと思いますが)、ましてやいじめられっ子でもありませんでしたが・・・ただ、時に学校に行きたくない日があった。
特に嫌いとか苦手な学科とか嫌な行事では無く、本当に朝起きて「今日は学校に行きたくない」と感じる日・・・特に強く感じる日があったのです。
そういう時、例えば熱があるとか風邪気味とかお腹が痛いのであれば病気ということで”堂々”と休める筈ですが、逆に多少の熱があっても・鼻水が出ていても「行きたい時は行く」性格ですから、自分では体調的に絶対無理でなければ休む理由にはならない。
さりとて仮病を使うことも出来ない・・・ミエミエだしそこのところは変なプライドもあります。
ですから最後の手段は母に「今日は学校を休む」または「行かない」宣言です。
もし父に告げたらどうなっていたかは分からないのですが、母が超甘だったのか、ほぼ事情は察しているものの呑み込んでくれたのか、「休む宣言」するにはそれなりの事情があると想像したのか、「どうせこの子は・・・」と諦めていたか、そういう日は公然と休むことが出来た。
勿論母は隣の家の同学年の子に学校への言伝を頼んで無断欠席にはしませんでしたが・・・
勿論たまにです・・・ひと月かふた月に一度ですが。
そういう日は暗黙のルールで夕方までは外出は禁止、TVも午後は放送が無いような時代ですから本を読むか新聞を読むかラジオを聞くか一人遊び。
ですから母の内職の和服の縫物とか洗い貼り、セーターの編み物とかを見ていたものです。
これが面白いとは言いませんが退屈では無かったので、一日中家にいても平気だったのです。
多分この時期の私は先生にもクラスメイトにも体は大きくても丈夫とは言えないと思われていた筈です。
さて「学校嫌いな子」の俳句。
母親と子供の光景が想像できます。
私の場合は「自分で休むことを決めたのだから、自分のことは責任持ちなさい」と言う感じだったでしょう・・・これは小学校の高学年から高校までは・・・。
社会人になり、仕事をこういう理由で休んだことは一度も無いのだから、学校は為になるし楽しいところだけれど、行きたくない日もあると言う事なんだと思います・・・もしそういう日に自分に鞭打って出席していたら、今よりは多少ましな人間になっていたでしょうか?
もし、「休みたい」と言った時「何を馬鹿なことを言っている!」と頭から否定されて家から押し出されていたらどうだったのでしょうね。
「もし」は無いのですが、今より真面目な人間になっていたとか、いやなことでも耐える力がついた・・・とは思えないのですがさあどうだったでしょうね。
「根は学校嫌いな子」「時に学校嫌いになる子」、親にそう思われていたかも知れません・・・遠い昔の話ですが。