投稿と言っても論文だとか何かの意見と言うほどのものではありませんで、単に疑問に思ったことについて質問しただけ。
それだけのことではありますが、いざ実行するとなるとこれが意外とエネルギーが必要なことなんです。
私はこれまでに3年以上毎日ブログを更新していますが、自己満足的レベルのものを毎日書いて更新しているの・つまり自分で書いて自分のブログには出せるのですが,初めてのところにコメントを入れたり質問をするとなると、『本当に訊いてもいいのかな?』とか『もしかしたら的外れの質問で失笑を買うだけかしら』『それなら止めておいた方が無難かな』『もしかしたら、他の誰かが同じことに疑問を持って訊いてくれるかも知れないし・・・』という風なマイナス思考というか後ろ向きになりがちです。
良いことでも悪いことでもなんでも、ともかく迷いながら生活していく性格のようです。
これが囲碁・・・例えば新しい碁会所に足を踏み入れるかどうか?のような事でも相当に迷いに迷ってからドアを開けるようなところがあります。
これまでに訪ねた碁会所は、メンバーになって打つようになったところを含めて7箇所、それにコミュニティ1箇所と公民館で自主的に活動しているクラブ1箇所といったところ。
碁会所7カ所のうち現在でも営業しているところは3箇所だけですから、やはりそう多くは無いと感じています。
それに、通りかかった町で発見した碁会所で、いつかは行ってみたいと思っていながら結局は訪問できない、近くに行くたびに寄って見ようと思いながらもなかなか実行しないでいる碁会所の方が何倍も多いのです。
ちょっとお茶を飲みに寄るような感じでは寄れないと言うこともありますが、そういう感覚を含めて私が平均的な囲碁ファンの気質なのか?・・・それともヤヤ消極派なのか?
ところで電車でその駅を通ったり、あるいは仕事でその町に行ったりするたびにそのビルを見上げたりする碁会所があります。
仕事中に寄るのは流石に無理ですが、仮に休日に出かけるとすれば家からバスでJRの駅に出て電車で3駅目で、その駅前にある碁会所ですからかなり便利ではある。
今のところ一度も行ったことは無いけれど、そこはHPがあるので一方的ですがなんとなく親しみは持っているのです。
JRの殆どの駅前には碁会所があるのですが、この辺りでHPを出しているのはここだけです。
そういう意味でHPで多少は知っているということと、HPを持ち更新すると言う感覚というかそういうことに親しみを感じるのかもしれません。
(碁会所のオーナーさんなどにはHPとかネット碁とかに後ろ向きの人が多いように感じています)
さてその碁会所のHPに上級難問という詰め碁が連載されていまして、答えを見てどうしても正解手順に疑問が残る問題がありました。
こういう時かなり複雑な心理的な動きがあるのです。
『もしかしたら私が基本的な見間違いをしている?』『質問すると、”こんなことも分からない?”と嗤われるかもしれない』『でも知りたい!』
コメントと言っても「白、ここでこう打つとどうなるのですか?教えてください」と言うだけなのに、これを書きこんで投稿するのにはエネルギーが要るのです。
そして思い切って投稿したのですが・・・投稿そのものは「管理人が投稿を見て取り扱いを決める」のだそうです。
即答を期待している分けはありませんが、思い切ってコメントを入れた割には少し外された感じがしないでもない・・・
さて、質問への解答の方はどうなることやら・・・
結果は無残!!
イヤ、自分で大勘違いの質問をしていることに気がつ来ました。
やはり「嗤われる」類の質問を、大真面目に迷った挙句真剣に質問していたことに気がついたのです。
我ながら何と言う性格。
サッカーなら一発レッド級、囲碁なら投了。
『大変失礼しましたが、大勘違いの質問をしていることに気がつきました。』『是非コメントを削除して下さいお願いします。』
体さえ悪いところが無ければ?長生き出来る性格なんです。
それだけのことではありますが、いざ実行するとなるとこれが意外とエネルギーが必要なことなんです。
私はこれまでに3年以上毎日ブログを更新していますが、自己満足的レベルのものを毎日書いて更新しているの・つまり自分で書いて自分のブログには出せるのですが,初めてのところにコメントを入れたり質問をするとなると、『本当に訊いてもいいのかな?』とか『もしかしたら的外れの質問で失笑を買うだけかしら』『それなら止めておいた方が無難かな』『もしかしたら、他の誰かが同じことに疑問を持って訊いてくれるかも知れないし・・・』という風なマイナス思考というか後ろ向きになりがちです。
良いことでも悪いことでもなんでも、ともかく迷いながら生活していく性格のようです。
これが囲碁・・・例えば新しい碁会所に足を踏み入れるかどうか?のような事でも相当に迷いに迷ってからドアを開けるようなところがあります。
これまでに訪ねた碁会所は、メンバーになって打つようになったところを含めて7箇所、それにコミュニティ1箇所と公民館で自主的に活動しているクラブ1箇所といったところ。
碁会所7カ所のうち現在でも営業しているところは3箇所だけですから、やはりそう多くは無いと感じています。
それに、通りかかった町で発見した碁会所で、いつかは行ってみたいと思っていながら結局は訪問できない、近くに行くたびに寄って見ようと思いながらもなかなか実行しないでいる碁会所の方が何倍も多いのです。
ちょっとお茶を飲みに寄るような感じでは寄れないと言うこともありますが、そういう感覚を含めて私が平均的な囲碁ファンの気質なのか?・・・それともヤヤ消極派なのか?
ところで電車でその駅を通ったり、あるいは仕事でその町に行ったりするたびにそのビルを見上げたりする碁会所があります。
仕事中に寄るのは流石に無理ですが、仮に休日に出かけるとすれば家からバスでJRの駅に出て電車で3駅目で、その駅前にある碁会所ですからかなり便利ではある。
今のところ一度も行ったことは無いけれど、そこはHPがあるので一方的ですがなんとなく親しみは持っているのです。
JRの殆どの駅前には碁会所があるのですが、この辺りでHPを出しているのはここだけです。
そういう意味でHPで多少は知っているということと、HPを持ち更新すると言う感覚というかそういうことに親しみを感じるのかもしれません。
(碁会所のオーナーさんなどにはHPとかネット碁とかに後ろ向きの人が多いように感じています)
さてその碁会所のHPに上級難問という詰め碁が連載されていまして、答えを見てどうしても正解手順に疑問が残る問題がありました。
こういう時かなり複雑な心理的な動きがあるのです。
『もしかしたら私が基本的な見間違いをしている?』『質問すると、”こんなことも分からない?”と嗤われるかもしれない』『でも知りたい!』
コメントと言っても「白、ここでこう打つとどうなるのですか?教えてください」と言うだけなのに、これを書きこんで投稿するのにはエネルギーが要るのです。
そして思い切って投稿したのですが・・・投稿そのものは「管理人が投稿を見て取り扱いを決める」のだそうです。
即答を期待している分けはありませんが、思い切ってコメントを入れた割には少し外された感じがしないでもない・・・
さて、質問への解答の方はどうなることやら・・・
結果は無残!!
イヤ、自分で大勘違いの質問をしていることに気がつ来ました。
やはり「嗤われる」類の質問を、大真面目に迷った挙句真剣に質問していたことに気がついたのです。
我ながら何と言う性格。
サッカーなら一発レッド級、囲碁なら投了。
『大変失礼しましたが、大勘違いの質問をしていることに気がつきました。』『是非コメントを削除して下さいお願いします。』
体さえ悪いところが無ければ?長生き出来る性格なんです。