今日は循環器系のクリニックでの定期検診日・・・マア自分で薬が無くならないように4,5週間隔で診察を受ける日です。
尤も先生にしても、私が総合病院、生活習慣病クリニックでも診察を受けているのを知っているし、各種の検査も他でやってしまうので、表現が悪いけれど医者と患者間の緊張感みたいなものは希薄です。
他のところでの検査データなどを見せながら近況報告と言った程度で、御決まりの薬が処方されます・・・「こんなんで良いのか」みたいな疑問はありますが、まあ不安無いので、普段の薬を頂くには診察を受けなくてはいけないので、これも仕方がないのかと思ってはいる。
ところで、今日はここの「発熱外来」に患者が来ていました。
そう言えば壁に「24時間以内に37.5度以上の発熱があった方、咳・・・のある方はインターホンで御話しください・・・完全予約制で別の入り口別の診察室・・・」などと書かれた張り紙がありました。
ニュースでも流れていますが、ここのところ患者が増えているとか。
診察の帰り薬局に寄るのですが、10時前と言う時間なのに待ち合い室の椅子には大勢座っています。
これが、子供が発熱した母親たちが数人・・・薬を渡すカウンターではお「兄ちゃんにはタミフル・・・下の子にはリレンザ・・・」のような会話が聞こえて来る
と言うことはこの人の子供たちは新型かどうかは分かりませんがインフルエンザの疑いがあると言うことでしょう。
成程、先ほどのクリニックでも、この薬局でも患者の疑いのある人・あるいは家族にニアミスをしている事になるのかも知れません。
さて病院・薬局の帰りにコミュニティに寄りましたが、これが朝早くから広い駐輪場が一杯になるほどの盛況。
この日はコミュニティ祭りでした。
これはコミュニティを利用している団体などは何かを企画して参加し、地元の各自治会などはそれぞれバザーを出して御祭を盛り上げているもので模擬店がいっぱい並んでいます。
館内では・・・図書館近くの廊下には特設の本棚が並んでいて人も大勢並んでいます。
これは本のリサイクルの催しだそうで、不要の本雑誌の寄贈があり、それを希望者がもらえるという企画・・・成程こういう企画は成功して欲しい。
その延長上に各家庭で眠っている囲碁の本などが出て来るようになればバンザイですが、なかなかそうは都合よく行きません。
最近は図書館で本を借りることがありませんでした。
本を読まなくなったのではなく手元に読まなければいけない本が何冊もあったので、借りて来る必要性も無く・イヤ借り来る程の余裕はなかったのです。
そちらの方も片付いたので、とりあえず図書館によってみた。
囲碁・将棋欄は相変わらず寒い状態ですが・・・本棚の前で囲碁の本を立ち読みしている年配の女性を発見。
マア、だからどうした分けでも無いのですが・・・
本棚の前で熱心に読んでいる。
どうやら何かの棋譜を追っているようにも見えますが、問題に挑戦しているのかも知れません。
しかしこの方はコミュの囲碁クラブの部屋では見かけたことが無いので、声をかけて「このコミュには囲碁クラブがあって、碁盤を10面くらい並べて毎日囲碁ファンが打っていますよ」と教えたものかどうか?。
マア声をかける勇気はありませんから、いつも通り迷っただけでオシマイ。
私が借りた本は
小説が1冊、マヤ・インカと縄文人についての本を1冊、それと囲碁の本を2冊。
囲碁は「正々堂々 高尾の力学」、「三村智保の 読みに強くなる秘訣」
要するにこの地元の出身棋士で、ブログでもお馴染みの棋士。
本が対象とする囲碁レベルは分かりませんが、私にとっては頭を囲碁漬けにしておくことも大事なので、その場合は余り難しすぎると拒絶反応があると困る。
従ってほどほどのレベルが丁度良い。
それと例えばネット観戦で対局を見る場合は碁盤から問題を探すような方向で見るのが、本の場合は既に問題・テーマが提示されていると言う違いがあるので、両方を気楽にやることが良さそうです。
ところで高尾さんの本の1問目のところに書かれている太字の言葉が良い
「弱点を無くせば囲碁は簡単になる」
成程、シンプルさの中に強さが隠されていると感じてはいました。
複雑なところを読み切る強さもあるでしょうし、それはそれで憧れではある。
しかし、シンプルの中の強さもまた悟りの境地的な憧れでもある。
どちらにしても難しい。
「読みで相手を上回る」強さを身につけるべきだが、それはザルには至難の業と言うか、殆どプロにお任せの世界。
一方で「簡単」の方は、基本的に「弱点を無くす」事が前提であるから、強い人は弱点が少ないとも言えるし、弱点が無いから強いとも言えるわけで、これも鶏と卵みたいな関係。
それで、弱点の無い簡単な姿は相手からも良く見える筈で、相手に姿を晒してもつけ入ることが出来ないようなものになる筈ですからやはり理想的な強さ。
結論として簡単な物の中に心理があり、簡単なものほど難しいのかも知れません。。
尤も先生にしても、私が総合病院、生活習慣病クリニックでも診察を受けているのを知っているし、各種の検査も他でやってしまうので、表現が悪いけれど医者と患者間の緊張感みたいなものは希薄です。
他のところでの検査データなどを見せながら近況報告と言った程度で、御決まりの薬が処方されます・・・「こんなんで良いのか」みたいな疑問はありますが、まあ不安無いので、普段の薬を頂くには診察を受けなくてはいけないので、これも仕方がないのかと思ってはいる。
ところで、今日はここの「発熱外来」に患者が来ていました。
そう言えば壁に「24時間以内に37.5度以上の発熱があった方、咳・・・のある方はインターホンで御話しください・・・完全予約制で別の入り口別の診察室・・・」などと書かれた張り紙がありました。
ニュースでも流れていますが、ここのところ患者が増えているとか。
診察の帰り薬局に寄るのですが、10時前と言う時間なのに待ち合い室の椅子には大勢座っています。
これが、子供が発熱した母親たちが数人・・・薬を渡すカウンターではお「兄ちゃんにはタミフル・・・下の子にはリレンザ・・・」のような会話が聞こえて来る
と言うことはこの人の子供たちは新型かどうかは分かりませんがインフルエンザの疑いがあると言うことでしょう。
成程、先ほどのクリニックでも、この薬局でも患者の疑いのある人・あるいは家族にニアミスをしている事になるのかも知れません。
さて病院・薬局の帰りにコミュニティに寄りましたが、これが朝早くから広い駐輪場が一杯になるほどの盛況。
この日はコミュニティ祭りでした。
これはコミュニティを利用している団体などは何かを企画して参加し、地元の各自治会などはそれぞれバザーを出して御祭を盛り上げているもので模擬店がいっぱい並んでいます。
館内では・・・図書館近くの廊下には特設の本棚が並んでいて人も大勢並んでいます。
これは本のリサイクルの催しだそうで、不要の本雑誌の寄贈があり、それを希望者がもらえるという企画・・・成程こういう企画は成功して欲しい。
その延長上に各家庭で眠っている囲碁の本などが出て来るようになればバンザイですが、なかなかそうは都合よく行きません。
最近は図書館で本を借りることがありませんでした。
本を読まなくなったのではなく手元に読まなければいけない本が何冊もあったので、借りて来る必要性も無く・イヤ借り来る程の余裕はなかったのです。
そちらの方も片付いたので、とりあえず図書館によってみた。
囲碁・将棋欄は相変わらず寒い状態ですが・・・本棚の前で囲碁の本を立ち読みしている年配の女性を発見。
マア、だからどうした分けでも無いのですが・・・
本棚の前で熱心に読んでいる。
どうやら何かの棋譜を追っているようにも見えますが、問題に挑戦しているのかも知れません。
しかしこの方はコミュの囲碁クラブの部屋では見かけたことが無いので、声をかけて「このコミュには囲碁クラブがあって、碁盤を10面くらい並べて毎日囲碁ファンが打っていますよ」と教えたものかどうか?。
マア声をかける勇気はありませんから、いつも通り迷っただけでオシマイ。
私が借りた本は
小説が1冊、マヤ・インカと縄文人についての本を1冊、それと囲碁の本を2冊。
囲碁は「正々堂々 高尾の力学」、「三村智保の 読みに強くなる秘訣」
要するにこの地元の出身棋士で、ブログでもお馴染みの棋士。
本が対象とする囲碁レベルは分かりませんが、私にとっては頭を囲碁漬けにしておくことも大事なので、その場合は余り難しすぎると拒絶反応があると困る。
従ってほどほどのレベルが丁度良い。
それと例えばネット観戦で対局を見る場合は碁盤から問題を探すような方向で見るのが、本の場合は既に問題・テーマが提示されていると言う違いがあるので、両方を気楽にやることが良さそうです。
ところで高尾さんの本の1問目のところに書かれている太字の言葉が良い
「弱点を無くせば囲碁は簡単になる」
成程、シンプルさの中に強さが隠されていると感じてはいました。
複雑なところを読み切る強さもあるでしょうし、それはそれで憧れではある。
しかし、シンプルの中の強さもまた悟りの境地的な憧れでもある。
どちらにしても難しい。
「読みで相手を上回る」強さを身につけるべきだが、それはザルには至難の業と言うか、殆どプロにお任せの世界。
一方で「簡単」の方は、基本的に「弱点を無くす」事が前提であるから、強い人は弱点が少ないとも言えるし、弱点が無いから強いとも言えるわけで、これも鶏と卵みたいな関係。
それで、弱点の無い簡単な姿は相手からも良く見える筈で、相手に姿を晒してもつけ入ることが出来ないようなものになる筈ですからやはり理想的な強さ。
結論として簡単な物の中に心理があり、簡単なものほど難しいのかも知れません。。