なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

詰め碁に挑戦

2009-11-02 00:16:48 | Weblog
安部先生が亡くなられて、プロ棋士のブログに先生の思い出など哀悼の記事がでています。
 大橋四段のブログでは幼稚園時代の思い出のことが書かれていました。
  何かのイベントで安部先生が出した問題を解いた話
 通りがかりに問題を見て釘付けになり・・・大人たちと並んで挑戦し・・・いくつかヒントを貰いながら・・・30分かかって正解!。
 幼稚園児が大人と並んでと言うところが凄い。
  そして30分集中して、ヒントがあるとはいえ正解に達するあたり、やはり栴檀は双葉よりですね。
 さて問題は玄々碁経が出典だったとかで、ブログにも思い出のその問題が載っていたので挑戦してみました。
 
 これが結構難しい。
  カギとなっている石が分かるのでその石を巡る攻防であろうと、だいたいのストーリーは分かります・・・この石がこういう状態になれば黒先で白を殺せる・・・のだが、但し当たり前のやり方では問題としとは面白くないわけで、白にもシノギがあって殺しに行った黒が逆に取られてしまい白生還という問題で、大して大きな図では無いのに難しい。
 流石に玄々碁経です。
  こういう時は、私の場合だけかもしれませんが、瞬間正解だと思う手が浮かんで、次の瞬間シノギ手が浮かんで間違いだと分かるのですが、瞬間に浮かんだ手がインパクトが強いと、繰り返し間違った手順に拘ってしまう傾向があります。
 つまり、間違いだと分かっていながら同じところで堂々巡りをする。
  図柄自体は大きくは無いので、パソコン的に黒1の可能性がある場所を全てシュミレーションするというのもありそうですが、それはやはり人間らしくないのでインスピレーションを大事にしたいと思ったり・・・
 ブログにヒントがあったとしても、天才だとしても、幼稚園児30分に負けたくないと焦ったりして・・・
 「玄々碁経なら確かポケット版のものが本棚にある筈」だと本棚を目で追ったりして・・・しかしそれはカンニング行為で生まれてからまだ一度もやったことがないので、ここで初カンニングなどやるわけにはいきません、「そんなことでは実戦では役に立たない」と自分で自分を叱ったり。
 ともかく悪戦苦闘でしたが、一応ノーヒントで時間内にクリアー出来たようです。
  やはり白のシノギの急所が黒からの攻めの急所でもあるのですね・・・結論が出ればコロンブスの卵。
 実戦でこういう場面ができた場合、持ち時間の3分の1をつぎ込んででも必殺手順を発見できるのなら良いのですが、仮に殺す手は無いという結論だった場合、結果的には時間の浪費に近いわけで、そうなると初めに戻って「3分の1も時間をつぎ込むわけにはいかない」と言うことになりそうです。
 つまり正確でなくてはいけないのと同時になるべく時間をかけないことが大事なわけですね。

 どうやら解けたようなのでスッキリした気分でネット碁で対局出来そうです。
  もし、正解に達していない状態だったとしたら・・・いつまでもやり残しの気分を重く引きずって、多分対局しても集中出来ない状態でしょうね。
  詰め碁には解けた時のそう快感が何とも言えないものです。
   仮に勉強だとしても、解けないままの問題があると、積み残しを作ってしまうと、ストレスを貯めて行くことになりそうですね。
 気持ちを引きずらない為でも、正解を先に見てしまっては意味がない、それではそう快感は味わえない・・・正解は分かってもなんとなく意気消沈します。
 そうして考えて見ると「詰め碁」=筋力トレーニングではあるけれど、「気分の良くなる薬」であると同時に「ストレスの元」になる可能性が大きい薬。
  
 しかしマア性格的には詰め碁は正解と不正解がはっきりしているので、数学の問題みたいで好きではある・・・序盤・中盤の「大場?」の問題は国語の問題的なイメージなのです。