落語では「世界で一番短い会話」と言う事で、東北方面の言葉で、設定は多分暗くなってから雪道で頬被りをした人同士がすれ違う時の一瞬の会話として・・・「どさ?」「ゆさ」という噺があります。
私の故郷の言葉では無いけれど、実際にこういうことが起こり得るかどうかは分かりませんが私はこういう言葉が交わされる情景が好きです。(寒く無ければ)
私の故郷の方言で一番知られているのが「ズラ」です。
これは言葉の最後について「そうズラ」と言うように使い、単に「そう」と言う意味を強調したり、あるいは同意を求めるような意味で使ったりします。
イヤ、実は私たちの世代では殆ど死語になりつつありました。
新民謡の「ちゃっきり節」の歌詞にもなっていますし、祖母などはつかっていましたから勿論意味は通じますが、母の世代では殆ど使わなくなってきていましたし、私の世代はラジオ・TVの影響か、ズラは使わなくなっていました。
但し「ズラ」を使わないと言うだけの話で、アクセントとかイントネーションとかで「東京弁」とは違う言葉だった筈なので、言ってみれば国籍不明ではあるが所謂標準語では無い言葉だったでしょう。
(小学校の廊下に「廊下を”とばない”」という張り紙があって、東京方面から来た新任の先生はこれを見て『ここの生徒は廊下を飛ぶのか』と驚いたという笑い話があります)
こういうことは地方から東京・大阪・京都などの大学に進学するとよく分かる。
本人としてはTVなどで聞くような言葉で話しているつもりなのですが、周りとは違うことに気がつく・・・別に悪いことでは無いのですが違いに気がつくのです。
そういう言葉の中に”ら”があります。
「ズラ」のように国籍がはっきりした方言では無いと本人は思っていますから本人は無自覚的に会話で使います・・・例えば「行くラ」。
言葉としては「いくら」と言えば普通は値段を聞いていますが、それとは少し節回しが違いますが「行くラ」と言えば方言では「行くよね」とか「行くでしょ?」と言うような使い方になる(それぞれ語尾の調子が少し変わりますが)。
語尾の「ラ」で地方出身者だと言うことは分かる。
実はこの話は大学受験の時に京都の大学の学生だった人の下宿に泊めて貰った時に聞いた話です。
(横道に逸れますが、彼は姉の高校時代の同級生で彼の妹さんと私が同級生と言う関係・・・これが単なる同級生で試験の時などに便宜を図って貰えるのですから、田舎の結束は捨てたものでは無いかも知れません)
「ここでは『映画に行くラ』と言うと、『映画に行くよね』という確認ではなく、映画の値段を気にしているように受け取られるんだよ」という話を聞きました。
田舎の子でしたから「井戸の外の話」で『なるほど』と思って聞いたものでした。
つい最近、若い同僚と話をしていて、何かのはずみで「ラ」の話になりました。
彼の故郷でも「ラ」があるのだそうです・・・但し私の田舎とは使い方・意味が違う。
彼の故郷は愛知県・・・マア愛知と言っても彼の地元では尾張地方と三河地方の違いがあるそうですが、この点静岡が遠江、駿河、伊豆で気分が違うようなものですね・・・外から見ればどこが違うのか分からないのに自分たちでは違うと思っている。
いずれにせよ東海方面では「ラ」の一音節に意味があるのですね。
さてこの「ラ」今でも生きているのかどうかは分かりません。
学生時代に(40年前)長野から来ていた同級生が「ズラ」言葉をしゃべっていたのに驚きました。
私の出身地では祖母の時代で消えて行ったような言葉を、彼は堂々としゃべっている(彼は医学部生なのに)・・・一種の感動に近い思いで聞いたものです。
私と同じ下宿に山梨出身者がいたので分かったのですが、「ズラ」は静岡だけのように思っていたのが、本当は静岡・山梨・長野・共通だったようです。
と言うことはもしかしたら富士川沿いなのだろうか?。
とすると静岡では遠州・長野では天竜川地域、あるいは北信濃方面は「ズラ」地域では無いのかも?・・・想像だけですが。
さてさてラーメンの頭の一文字「ラ」で夜中に遊んでいます。
読んで下さった方、「お付き合い戴き、ありがとうございました」。
私の故郷の言葉では無いけれど、実際にこういうことが起こり得るかどうかは分かりませんが私はこういう言葉が交わされる情景が好きです。(寒く無ければ)
私の故郷の方言で一番知られているのが「ズラ」です。
これは言葉の最後について「そうズラ」と言うように使い、単に「そう」と言う意味を強調したり、あるいは同意を求めるような意味で使ったりします。
イヤ、実は私たちの世代では殆ど死語になりつつありました。
新民謡の「ちゃっきり節」の歌詞にもなっていますし、祖母などはつかっていましたから勿論意味は通じますが、母の世代では殆ど使わなくなってきていましたし、私の世代はラジオ・TVの影響か、ズラは使わなくなっていました。
但し「ズラ」を使わないと言うだけの話で、アクセントとかイントネーションとかで「東京弁」とは違う言葉だった筈なので、言ってみれば国籍不明ではあるが所謂標準語では無い言葉だったでしょう。
(小学校の廊下に「廊下を”とばない”」という張り紙があって、東京方面から来た新任の先生はこれを見て『ここの生徒は廊下を飛ぶのか』と驚いたという笑い話があります)
こういうことは地方から東京・大阪・京都などの大学に進学するとよく分かる。
本人としてはTVなどで聞くような言葉で話しているつもりなのですが、周りとは違うことに気がつく・・・別に悪いことでは無いのですが違いに気がつくのです。
そういう言葉の中に”ら”があります。
「ズラ」のように国籍がはっきりした方言では無いと本人は思っていますから本人は無自覚的に会話で使います・・・例えば「行くラ」。
言葉としては「いくら」と言えば普通は値段を聞いていますが、それとは少し節回しが違いますが「行くラ」と言えば方言では「行くよね」とか「行くでしょ?」と言うような使い方になる(それぞれ語尾の調子が少し変わりますが)。
語尾の「ラ」で地方出身者だと言うことは分かる。
実はこの話は大学受験の時に京都の大学の学生だった人の下宿に泊めて貰った時に聞いた話です。
(横道に逸れますが、彼は姉の高校時代の同級生で彼の妹さんと私が同級生と言う関係・・・これが単なる同級生で試験の時などに便宜を図って貰えるのですから、田舎の結束は捨てたものでは無いかも知れません)
「ここでは『映画に行くラ』と言うと、『映画に行くよね』という確認ではなく、映画の値段を気にしているように受け取られるんだよ」という話を聞きました。
田舎の子でしたから「井戸の外の話」で『なるほど』と思って聞いたものでした。
つい最近、若い同僚と話をしていて、何かのはずみで「ラ」の話になりました。
彼の故郷でも「ラ」があるのだそうです・・・但し私の田舎とは使い方・意味が違う。
彼の故郷は愛知県・・・マア愛知と言っても彼の地元では尾張地方と三河地方の違いがあるそうですが、この点静岡が遠江、駿河、伊豆で気分が違うようなものですね・・・外から見ればどこが違うのか分からないのに自分たちでは違うと思っている。
いずれにせよ東海方面では「ラ」の一音節に意味があるのですね。
さてこの「ラ」今でも生きているのかどうかは分かりません。
学生時代に(40年前)長野から来ていた同級生が「ズラ」言葉をしゃべっていたのに驚きました。
私の出身地では祖母の時代で消えて行ったような言葉を、彼は堂々としゃべっている(彼は医学部生なのに)・・・一種の感動に近い思いで聞いたものです。
私と同じ下宿に山梨出身者がいたので分かったのですが、「ズラ」は静岡だけのように思っていたのが、本当は静岡・山梨・長野・共通だったようです。
と言うことはもしかしたら富士川沿いなのだろうか?。
とすると静岡では遠州・長野では天竜川地域、あるいは北信濃方面は「ズラ」地域では無いのかも?・・・想像だけですが。
さてさてラーメンの頭の一文字「ラ」で夜中に遊んでいます。
読んで下さった方、「お付き合い戴き、ありがとうございました」。