なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

観戦極楽、実戦地獄

2009-11-06 00:37:53 | Weblog
 地獄と言うのはかなりオーバーで、単なる語呂合わせです。
  第一他人に強制されて打っているのではないから、勝とうが負けようが温泉に使っている気分で極楽です。
 そこのところがプロとは違うアマの気楽さではあるが、アマも高段者ともなれば収入では無くてもプロに近い感覚があるだろうから、アマはみなそうだとも言えませんが・・・。
 ともかく観戦では気楽に、第三者ですからどちらを応援すると言うことも無く見ているので、案外冷静に盤面が見えて来る。
 序盤の布石については、冷静であっても分からないものは分からないので、これは両対局者の着手も見ながら「そういう方向なんだ」とか「あーこっちを気にして打っているのだな」などと野次馬をやっています。
 そして中盤戦ともなると、いろんなところの手筋とか、影響しあう部分とかが見えてきたりしますし、場合によっては手があるところを両者が放置して戦っていたりするのが見えたりします。
 こうなると観戦も忙しい。
  単に見落としなのか、それとも着手の優先順位としての放置なのか・・・これ考えるのも結構面白い。
 それに、見落としらしい場合は、どちらが先に気がついて、どのタイミングで着手するのか・・・。
 それに終盤ともなれば全体の大きさとか、ヨセの手順とか。
 
 と言うことは観戦は気楽ではあるけれど暇ではない。
 但し、分からない問題を放置する無責任さはあるわけです。
 ところが自分で打つとそうはいきません。
  今月の2局目など私の先でコミ5目貰いで、終盤までかなりの優勢な碁を1手ばったりで壊してしまいました。
 1線のヨセを緩めて受けるしか無いところを、誰が考えても他に打ちようがないのに、完全にエアポケットいうか狂ったと言うか、即押さえてしまって相手にとがめられました。
 もう一瞬目の前が真っ暗で、即投了、全く他人の碁は重箱の隅まで見えるのに自分の碁では初級者級の間違いをします。
 それも・・・失敗は失敗としてその場で最善の対策を立てればかなり細かかったことに投了碁に気がついたのです。
 シュミレーションで仮に私が最善に寄せればコミ貰いだし17目半も残っている!
  だから、間違った時点でその損が10目程度のものであれば勝敗としては問題は無かったのです。
 ただし、初級者級のミスをしたのだから、罰として投了と言うのもアリかもしれませんね。
 実態はアホなミスをして一気にやる気を無くして、恥ずかしくて投了でしたが。

 アマですからそういうことで勝ったり負けたりでしょうね。
  勝ったと言っても、知らない間に相手のミスに助けられているだけだったり、当方のミスで相手に思わぬ勝利をプレゼントしたり、結果だけが残ったり。
 ともかく11月に入って緒戦勝ったものの、その後は打ち分けでトータル3-2.
 結局1つの勝ち越し。
  ひと月打って終わったら一つ勝ち越しなんていうのもありそうですね。
 5年くらいで1500局くらい打って10の勝ち越しですから、よく留まっていると言うべきか停滞していると言うべきか。