私はラーメン大好き人間でも無ければ所謂ラーメン通でも無いのでラーメン記などと大層なタイトルをつけるのは多少気が引けるのですが、マアお昼にネットでの対局を観戦しながらラーメンを食べていると言うスタイルなので、思い出すことをお話します。
ネットで対局を見ながらラーメンを食べていると言いましたが、実はこれが年に1度あるか無いかの事なのです。
普段は食べないのです。
カップヌードルなどは年間の消費数が億単位だそうですから、人口当たり・・・データを検索したのですが、世界でどのくらい作られていて一人当たり(世界の)どのくらい食べているのかは分かりませんでした。
でも記憶は不確かですが・・・確か一人1個以下では無かったような気がします。
話を進める前に、拘りのある人にはラーメン店のラーメンとインスタントラーメン、カップ麺を混同していると叱られるかもしれませんが、両方合わせても私の消費量はこのくらいです。
嫌いでは無いのです。
むしろ子供時代に家族で宵の銀ブラ(ローカルな銀座商店街)をして買い物をした帰り道は馴染みの(富司)食堂に寄るのが定番。
当然既に夕食は早目に済ませていますから丼物などはいりませんで、麺類を注文することになり、父と私は食べるが母は食べない。
私の定石は「五目そば」・・・値段的には親から見ると夜食には少々贅沢だったようですがこれは私の譲れない定番。
ですから麺類が嫌いなわけではありません。
それに当時は兄の高校受験時期・・・町内にも流しの夜泣きそば・屋台を引いた蕎麦屋さんが来る。
あの哀愁にみちたチャルメラが懐かしいですね、今ではめったに聞くことはありません。
母は受験勉強の長男には夜食としてラーメンを頼むのです(姉たちや私の時はそういうことは無かったから、これは一種の差別かもしれませんね)。
羨ましい気持ちの裏返しが、ラーメンに対する恨み節として沁みついているかもしれません。
これは後年呼称に問題があったらしいがラーメンでは無くて「シナソバ」だったような気がします。
具の呼び方が今とは違う・・・メンマがシナチク、チャーシューは焼き豚、それに刻みネギ、ナルト、海苔。
母が丼を持って行って、出来上がりを入れて貰います・・・そうすると屋台は客が食べ終わるのを待たなくても良いのです。
さてこれは長男であり受験生の兄だけで、チビ次男は羨ましいが意地で知らん顔。
こういう食べ物に絡む心理は後を引いているかも知れません。
学生時代にまだ深夜スナックと言うものが無かった時代に、夜中でもやっている道産子ラーメンが流行りました・・・味は勿論夜中でもやっているのが良かったのです。
夜中にしか行ったことが無いし
ラーメンのイメージは私にとって夜食か間食の感覚だったと思う。
今でもそういう感覚があるから、日本ソバなども嫌いではないが、「これが昼食です」となるとやや物足りなさを感じてしまう。
「今日の食事はおやつで我慢しろ」と言われているような気がしてしまう。
大晦日の年越し蕎麦も夕食後に食べるわけで夕食の代わりに食べるのではないし。
それは栄養的なことでは無くて食事の感覚としてです。
同様にラーメンの場合も同じ。
カロリー的には相当あるらしいのですが、塩分制限で言うと「つゆはなるべく食べないようにしなさい」と言う条件では食事の代わりに食べるという気はしなくなる。
出された食事を「なるべく残しなさい」みたいな感じですから「それではいっそ、ナシと言われた方が話が早い」と言う具合に食事としての意欲は無くなるわけです。
その他にも実は理由があります・・・
出来たてのラーメンを美味しそうにすする・・・このシーンは蕎麦などの麺類を食べる時のパターンですが、実は自分では出来ないのです。
熱いものが食べられないので、箸でラーメンを持ち上げて見たりしながら実は多少でも熱を下げようとしたり、口でフーフーしたり・・・食べ始めるまでに時間がかかりますから、やっと食べ始めた時には同行者は半分は食べています。
ですからハンデ戦でダッシュして追いかける気分。
そう言えば昔ペアで仕事をしていたオジサン・・・この人は福岡出身で人柄は悪くは無いが唯一の欠点は大のラーメン好き・・・ことに故郷の博多とんこつラーメンには目が無い。
町中でのお昼時に「とんこつラーメン」の看板は決して見逃しません。
ここは福岡ではありませんので、必ず食事後「あれは看板とは違って福岡とんこつラーメンとは言えない」とぼやきます。
「そりゃそうですヨ、ここは福岡では無いのだから」と言いたいのを我慢。
このオジサンともかくラーメン好きで、昼時になると「今日はどのラーメン屋にする?」と聞いてきます。
要するに私には「ラーメン屋以外の選択肢は無いのか!」と言いたくなるわけで、この状況では必ず抵抗します。
「ではラーメン屋に送って行きますから、時間を見計らって迎えに来ます」・・・と言う事で私は別の食堂か、あるいはコンビニ弁当。
カップ麺1個でいろいろ思い出す。
ともかく年に1度のカップ麺。
雨が降っていて外に食事行くのもおっくうだし、何か食べたい物を作ろうと言う気力も無いし材料を買いに行く気力も無い。
要するに無気力状態のカップ麺。
実はこうなることを予測し・・・天気予報から雨になることを予測し、多分疲れている事もあって無気力状態になることを予測し前の日の仕事帰りに通りがかりのスーパーでカップ麺を買って置いた。
用意周到と言うか読みが深いと言うか・・・そこまで読めるのなら他にも活用しそうなものですが、なかなかそうはい来ません。
ネットで対局を見ながらラーメンを食べていると言いましたが、実はこれが年に1度あるか無いかの事なのです。
普段は食べないのです。
カップヌードルなどは年間の消費数が億単位だそうですから、人口当たり・・・データを検索したのですが、世界でどのくらい作られていて一人当たり(世界の)どのくらい食べているのかは分かりませんでした。
でも記憶は不確かですが・・・確か一人1個以下では無かったような気がします。
話を進める前に、拘りのある人にはラーメン店のラーメンとインスタントラーメン、カップ麺を混同していると叱られるかもしれませんが、両方合わせても私の消費量はこのくらいです。
嫌いでは無いのです。
むしろ子供時代に家族で宵の銀ブラ(ローカルな銀座商店街)をして買い物をした帰り道は馴染みの(富司)食堂に寄るのが定番。
当然既に夕食は早目に済ませていますから丼物などはいりませんで、麺類を注文することになり、父と私は食べるが母は食べない。
私の定石は「五目そば」・・・値段的には親から見ると夜食には少々贅沢だったようですがこれは私の譲れない定番。
ですから麺類が嫌いなわけではありません。
それに当時は兄の高校受験時期・・・町内にも流しの夜泣きそば・屋台を引いた蕎麦屋さんが来る。
あの哀愁にみちたチャルメラが懐かしいですね、今ではめったに聞くことはありません。
母は受験勉強の長男には夜食としてラーメンを頼むのです(姉たちや私の時はそういうことは無かったから、これは一種の差別かもしれませんね)。
羨ましい気持ちの裏返しが、ラーメンに対する恨み節として沁みついているかもしれません。
これは後年呼称に問題があったらしいがラーメンでは無くて「シナソバ」だったような気がします。
具の呼び方が今とは違う・・・メンマがシナチク、チャーシューは焼き豚、それに刻みネギ、ナルト、海苔。
母が丼を持って行って、出来上がりを入れて貰います・・・そうすると屋台は客が食べ終わるのを待たなくても良いのです。
さてこれは長男であり受験生の兄だけで、チビ次男は羨ましいが意地で知らん顔。
こういう食べ物に絡む心理は後を引いているかも知れません。
学生時代にまだ深夜スナックと言うものが無かった時代に、夜中でもやっている道産子ラーメンが流行りました・・・味は勿論夜中でもやっているのが良かったのです。
夜中にしか行ったことが無いし
ラーメンのイメージは私にとって夜食か間食の感覚だったと思う。
今でもそういう感覚があるから、日本ソバなども嫌いではないが、「これが昼食です」となるとやや物足りなさを感じてしまう。
「今日の食事はおやつで我慢しろ」と言われているような気がしてしまう。
大晦日の年越し蕎麦も夕食後に食べるわけで夕食の代わりに食べるのではないし。
それは栄養的なことでは無くて食事の感覚としてです。
同様にラーメンの場合も同じ。
カロリー的には相当あるらしいのですが、塩分制限で言うと「つゆはなるべく食べないようにしなさい」と言う条件では食事の代わりに食べるという気はしなくなる。
出された食事を「なるべく残しなさい」みたいな感じですから「それではいっそ、ナシと言われた方が話が早い」と言う具合に食事としての意欲は無くなるわけです。
その他にも実は理由があります・・・
出来たてのラーメンを美味しそうにすする・・・このシーンは蕎麦などの麺類を食べる時のパターンですが、実は自分では出来ないのです。
熱いものが食べられないので、箸でラーメンを持ち上げて見たりしながら実は多少でも熱を下げようとしたり、口でフーフーしたり・・・食べ始めるまでに時間がかかりますから、やっと食べ始めた時には同行者は半分は食べています。
ですからハンデ戦でダッシュして追いかける気分。
そう言えば昔ペアで仕事をしていたオジサン・・・この人は福岡出身で人柄は悪くは無いが唯一の欠点は大のラーメン好き・・・ことに故郷の博多とんこつラーメンには目が無い。
町中でのお昼時に「とんこつラーメン」の看板は決して見逃しません。
ここは福岡ではありませんので、必ず食事後「あれは看板とは違って福岡とんこつラーメンとは言えない」とぼやきます。
「そりゃそうですヨ、ここは福岡では無いのだから」と言いたいのを我慢。
このオジサンともかくラーメン好きで、昼時になると「今日はどのラーメン屋にする?」と聞いてきます。
要するに私には「ラーメン屋以外の選択肢は無いのか!」と言いたくなるわけで、この状況では必ず抵抗します。
「ではラーメン屋に送って行きますから、時間を見計らって迎えに来ます」・・・と言う事で私は別の食堂か、あるいはコンビニ弁当。
カップ麺1個でいろいろ思い出す。
ともかく年に1度のカップ麺。
雨が降っていて外に食事行くのもおっくうだし、何か食べたい物を作ろうと言う気力も無いし材料を買いに行く気力も無い。
要するに無気力状態のカップ麺。
実はこうなることを予測し・・・天気予報から雨になることを予測し、多分疲れている事もあって無気力状態になることを予測し前の日の仕事帰りに通りがかりのスーパーでカップ麺を買って置いた。
用意周到と言うか読みが深いと言うか・・・そこまで読めるのなら他にも活用しそうなものですが、なかなかそうはい来ません。