なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

末の松ちゃん?

2009-11-16 00:37:46 | Weblog
 今年もヒタヒタと年の暮が忍び寄ってきます。
  まだ11月の半ばなのにと思われそうですが、ハローウィンが終わったと思ったら、気の早いショッピングウィンドウにはクリスマスの飾りがあったり。
 勤め先では、近年の不景気と職員の綱紀粛正に鑑み、今年は忘年会を見合わせようかなどの話題が飛び交っていたり・・・それより毎朝印を押している出勤簿の残りの枠が本年度分が残り少なくなっている・・・それを毎朝見るのです。
 酷暑を乗り切るとほっと一息の秋で、それもつかの間今度は冬を無事に乗り切らなくてはいけません。
 私の体のウィークポイントでは冬の方が厳しいのですが、マア毎年の事なので、今年無事だったから来年も大丈夫ということにして置きたい。
 それでも来年の事を話せば地獄の鬼が高笑いするでしょうから、あまり先のことを考えずに目の前の1日1日なんとなく無事で楽しければ良いかなと思っています。
 こういうのは刹那的というか、自堕落な生活との区別はつけにくい面があるのですが・・・「真面目に生きている」と「不真面目」の中間ぐらいかなと思っています。

 ところで、今年の反省というより生涯の失敗は女房殿にも娘にも息子にも囲碁を教えられなかったことです。
 女房殿は囲碁には拒絶反応。
  囲碁そのものには、考えながら遊ぶゲームという事で敬意を払うフリをしますが「私には教えようと思わないで!」宣言、要するに敬して遠ざかる。
 若い頃に毎週末、家に友達が集まって来て麻雀をやりましたが、これについては「私にも麻雀を教えて、仲間に入れなければ家での麻雀禁止」宣言。
 従って友人たちと皆で教えた結果、徹夜の入り口あたりではメンバーに入ることになりました・・・そうしなければ麻雀をやれないですからね。
 しかし囲碁の方は全くダメ・・・やはり亭主が教えるのは子供に教えるのよりもっと上手くいかないのかも知れません。
 娘の場合は、市の企画で近所の公民館で「入門講座」が10回連続で開かれた時、講師が知り合いだったこともあり、近所の1才上の友達と二人を参加させた事があります。
 二人とも全くの囲碁未経験で、全くの予備知識無しで、「何のことか判らない」と言いながら7回目までは通った・・・他の生徒の年齢が高かったので違和感があったのか、何をやっているのか理解できないのが耐えられなかったのか、二人は8回目からエスケープ。
 その後囲碁の話はしませんが、多分子供時代の記憶から奇麗に消えていると思います。
 息子の方は、座っているより動いている方が好きなタイプですから、こちらが教えようと言う気持ちが足りなかったとは思う。
  本当はそういう子供こそ教えた方が良いとは思うのですが・・・。
 今彼を観察するに、今からでも遅くは無いとは思う。
 ヤヤ騙し気味ですが「海外で日本語を教える時、言葉だけでは無くて日本の文化を教えるとか、一緒に楽しむことをやった方が自然に言語+文化を教えられる」という事で行こうとは思うのですが、「それは囲碁でなくてもよいでしょ?」という反論が来そうな気がします。
 囲碁でなくても柔道でもサッカーでも良いわけだし。
 ファッションだって音楽でもアニメでも漫画でも・・・

 ところで囲碁とは別に子供たちに伝えられなかったことがあり、残念に思っています。
 それは、御正月にには定番だった筈の百人一首です。
 これは子供時代には正月だけでなく真夏にも遊んだ記憶がある。
 田舎の市の一番外れの小さな街のそのまた東はずれ。
  家の横を流れる小さな川が行政界です
 町そのものが14家族しか住んでいない、そのうちの4,5軒の子供だけですが、何故か百人一首を楽しんでいた。
 世の中の暮らしを上流とか何とかで区分けすれば下流に入ることは間違いないですから、裕福な家の子供たちでは無い。
 でもイヌボウかるたでも、キャラクターかるたのようなものでも無く百人一首が子供たちの間での人気でした。
 問題は詠み人で、たいていは家の母か隣のおばさんが手が空いていないと出来ない、それも暇な時に2,3回戦が限度ですから、そこが問題だったようです。
 ともあれ、百人一首というゲームで自然と歌が耳から入って来て、理解は出来なくても言葉を覚えなければ札を取れないのですから、自然に憶える努力をする。
 100首全部勝つわけにはいかないので、この札は負けないと言うスペシャルな句が出来て行く・・・

 ところで先ほども言いましたが、高貴でも無く優雅な暮らしをしているわけでもなくゲームとしての百人一首です。
 それもスポーツかるたみたいな真剣勝負とは程遠い、、、まあいい加減な遊びですから「歌の解釈など無しで、ともかく自分流で楽しむ和歌でありかるたです。
 そういうことで一番記憶に残るのは清原元輔の「ちぎりおきし かたみにそでをしぼりつつ すえのまつやま なみこさじとは」の歌。
 子供にとっては詠み人が「ちぎりおきし」と始めれば、「すえのまつやま・・・」をいかに他人より早く探すかが問題。
 最初の「ちぎり」=「すえの」という思考回路が出来なくてはいけない・・・まあゲームとしてはそういうことですね。
 それで母は歌を勝手な解釈に基づいた読み方をする「末の松ちゃん、波子さじトハ」・・・ですから「松ちゃん」とか「波子」さんを歌ったのかとか?
 取り札の平仮名だけしか見ていませんから在原行平の「立ち別れ 因幡の山の峯に生ふる まつとしきかば いまかえりこむ」・・・これを取り札部分に集中して耳できくだけですから「松と敷きカバーってなんだろう?カーペットの一種なのか?」などと思うわけです。
 ゲームとしての百人一首ですから歌の解釈は一切無し。
 とんでもない連想をすることはあっても、何度も聞くうちに分かって来るものもあるし、のちに教科書とか何かの本で「そういう意味だったのか」と分かることもある。
 落語にも和歌を使ったものもある。
  有名なのは在原業平の「ちはやぶる・・・」、それに崇徳院の「われてもすえにあわとぞおもう」。
 もしかしたら、いきなり囲碁を教えようとしたのがいけなかったのか?
 百人一首みたいな遊びを教えながら、紫式部・清少納言も囲碁を打ったのだよと行かなくてはいけなかったのかも知れない。
 
 PS.落語で年の暮と言えば「掛け取り」、和歌というより狂歌みたいなものですが、何故か記憶に残る一首「貧乏を すれどこの家に 風情あり 質の流れに 借金の山」。
 まあ、決して豊かではありませんがローンなどの借金が無いのは幸せなのかも知れません(借金も財産の内ではあるのですが)。