なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

出席点

2010-09-21 00:12:49 | Weblog
 学生時代に講義出席数不足についてはかなりの不満を持っていました。
  要するに、出席の有無と関係なく年度末試験の成績さえよければ良ければそれで十分ではないかという考えです。
 必ず出席してコツコツノートを取っていさえすれば、多少の点数不足は何とかして貰える・・・って変ですよね。
 それにテスト自体、論文形式の場合、不合格の60点未満と、ギリギリ合格の60点の差は担当教授の匙加減で何とでもなるのかも。
 そこでものを言うのが出席点。
サボる・代返専門としては、大変不利。
 開き直って言うと、年度末に集中的に勉強しても門前払いをされるような感じ・・・(マア日頃サボっている事への逆恨み)。
  
 私の場合は出来るだけサボって、年度末の試験に一発勝負タイプと言う事に。
  それも、友人のノートを借り、先輩のアドバイスで、教授の出題傾向とポイントを得るためのキーを折り込む作戦なので、出席点優先の教授は全く歯が立ちませんでした。
 その分と言ったら可笑しいですが、同期の友人もいましたが、先輩連中に可愛がって貰っていたので、そういう過去問とか教授の傾向については強かったみたい。
 
 さて、それから40年も経つとだいぶ考え方も事情も変化してきます。
  例えば碁会所で、常連の中でも相当強い人はその碁会所の看板みたいなものですから大事なメンバーですが、その人たちの交友関係で同じような棋力の人が遊びに来てくれると嬉しいものです。
 しかし、一部の強い人達のためだけの場所では無いので、棋力にかかわらず毎日のように顔を出してくれるメンバーも当然大事。
 おそらくこの辺のバランスが碁会所経営の難しいところかもしれませんネ。
  「毎日顔を出して楽しむ場所」である事と同時に「棋力向上を重視する人も満足できる」、これに更に「初心者も集まる」「初級者の勉強」となると、スーパー碁会所です。
 たまに行くコミュニティセンターの囲碁クラブは微妙な感じです。
  元々、公的機関の一室を借りて、道具も不要になった人の碁盤・碁石の提供を受けて、自発的な「会」として活動しているけれど、これは部屋を貸している行政が自発的な団体に貸しているという形を取るために「会」になっているだけのようです。
 要するに、その部屋で碁を打ちたければ誰でも利用できる・・・これは大変便利ではあるけれど、利用者個人個人に部屋を貸しているのではなくて一括して「会」に貸している形をとっているにすぎないので、会の運営に何かの方向性みたいなものはない。
 そういう意味では、何時でも顔を出せば観戦出来るし、「一局どう」と声はかかるけれど、「ただ打つだけ」みたいで、どこか物足りないものです。
 そういう意味では、ネット碁の方が緊張感はある。
  また、リアルの大会の方がローカルの囲碁会であっても緊張感はあるでしょう。

 ところで、いつもの公園。
 利用者は浜の散策・ジョギング・ウォーキング・サイクリング(ウィンドボードやヨットは入れないで)、浜のバーベキュー、芝生の上でのランチなどなどを、老若の夫婦、孫や子供つれ、友人のグループなど本当に様々な人が様々な利用の仕方をしている。
  私の場合は自転車で園内の端から端、円形に回ったり、いろんなポイントを見て回ったり。
 それと写真を撮って歩いている。
  自転車を置いて浜に降りたり、花の美術館の庭で休んだり、池の奥まった藪の陰でカワセミを待ったり・・・。
 ともかくこの3連休で一日2回、一回に2,3時間は公園で過ごしている。
  ですから公園出席印みたいなスタンプがあったら、年間365個以上のスタンプになると思います。
 
 そう言えば公園日付スタンプみたいなものと、公園手帳みたいなものがあったら楽しいです。
  関東地方の公園ラリースタンプとか言うものはあった様な気がしますが、一つの公園でのスタンプは無い・・・きっと昔のラジオ体操出席スタンプのような感じでしょう。
  マア必要性から言えば無くても誰も困りませんが、でも公園についての説明、利用法、緊急案内の他にスタンプ欄と日記・記録・メモ、それにもし所持者が何かあったら緊急連絡先を書いたページ・・・こういう手帳があっても良さそうなんですが・・・。