なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

恐ろしい夢

2007-09-15 17:46:28 | Weblog
 私はそこそこ長く生きているけれど「あっちの世界」方面のものとはまだ出会っていない。
 いや、知らないうちにすれ違っているかもしれないから、正確に言うと今のところ出会った自覚は無い。
 子供時代の夏シーズンは兄姉たちから散々脅かされて居ましたが、その割には遊園地のお化け屋敷などは良く入ったのですから(半分は周囲に対する意地とかミエだとは思う)・・・そういうの嫌いではなかったのですね。
 今でもいかにも作り物のオカルト映画は好きではないものの、実録ものみたいなTV番組はよく見ます。
  気持ちのどこかに「娯楽」という割り切りがあるのでしょうね・・・信じては居ないけれど、否定もしていないと言うところ。
 尤も番組で真剣に取り組んでいる人が聞いたら少々不謹慎ですか

 さて、そんな感じだから夢の中で「怖い」と言っても「オカルト的な物の怪」に追われる夢は見たことがない。
  私自身のそちら方面の想像力が足りないのか・・・
 しかし夕べは怖い夢を見ました。
  何が怖いって・・・夢の中で起こっている現実に対処できない自分が居る・・・と言う夢
  このストーリーは初めてではなくて2度目か3度目みたいな感じです
 
 夢の中の私はまだそこそこ若いようです
  何処かの小さなスーパーで働いていてレジ係をしている・・・
 それでお客さんの買い物籠の商品をレジで打つのですが、このレジが今風の最新型ではない。
 つまりポスと言うか自動読み取り装置ではなく、全て手入力
  私は籠の中から商品を取り出してレジに打つ・・・商品は4品
   これが3つめ辺りの商品になると、レジキーがまともに作動しなくなったり、私の指が勝手に誤作動して一人のお客さんの4点の計算が何時まで経っても終わらない。
 何度も何度もやり直し・繰り返し
  お客さんは良い人で、黙って待っている・・・並んでいる人も静か
 しかし、何時まで経っても終わらないのです
  余り怖くないですか?
   いや私は「いったい何が起きたのか?」分からない怖さを感じました
  値札の[353円]が生々しく思い出されます。

 この夢から醒めて、今朝もモーニング対局
 今日は土曜日だから落ち着いて打てます。
ところが今日は別の驚きに出会ってしまったのです。
 私の白番で、例によって2連星の立ち上がり・・・ここで黒5が何と!白の星の下の2二に打たれた!
 これはクリックミスでしょう?
  いやしかしもしかしたらそういう作戦?
 私は大いに迷った・・・初めての経験ですからこれまでの経験からは判断できない。
 いきなりの3三は無いことも無いとしても、2二ですから・・・
 マア結果として働きに乏しい変な手だから、ミスならば同情は感じますが、勝負として白にとって悪い話ではないはず。
 但し!
  ではどう対処すれば最も効果的な対応なのかは自信が無い・・・結局は白3三に打つ・・・と黒直ぐ動いてきました。
 これなら白としては上々でしょう
  一番嫌だったのは、黒がミスはミスとしてこれを捨石にして周辺を打って来られた時どうなるか?これが問題だったのですから・・・
 2二の石を動き出したので、この瞬間[負けられない]と感じた
  動くだけ動いて貰っても、でも二眼は出来にくいように
   もう外側の厚みだけで十分みたいなものですが、その上ご馳走までいただけるとは。
 
 しかし考えてみると対局開始から少しおかしかったような気がします。
  黒・白両者星を打ち合った後黒は3手目に5分ギリギリの時間を使いました
  マア、これからの展開とか、相手の得意型など考えたら多少は時間を使うかも知れないけれど、素人同士の碁では珍しいでしょう
 考慮時間が1手で5分を過ぎると、ルールで時間切れ負け(持ち時間45分は関係なく)だから黒3は4分55秒で打たれた!
 こういう時、相手が何を考えているのか不思議に思いますね
  どんな作戦が用意されているのか?
 疑心暗鬼というのはこういう状態でしょうね
  この直後の黒5手目が2二だったからなおさら!?

 さて暫くしてこの疑問は解決した・・・と思う
 黒さんは逃げられないシチョウを3手逃げ出した・・・更にそれに絡むように別の場所でもシチョウを考えたが結局シチョウアタリにはならず両シチョウ!
  それでもその後数手打った!
 結局想像するに[泥酔状態]ではなかったか?
 対局希望を出した後でお酒を過ごしてしまった?・・・今日は休みだし
 対局が決まってから慌てて水など飲んだりして時間がかかったり・・・
 単純なクリックミスだったり、[シチョウが見えなかったり]

 結局は「正体見たり枯れ尾花」・・・確かにそろそろ土手の荒地にはススキが
 マア、分からないときは一体何が起こるのか不安なものです
 白昼、見てはいけないものを見てしまったような?・・・少し違うかな?
 さて碁の方は「相手の泥酔」と決定するとして、夢の方はどうなんだろう
 何か原因と言うか誘因はあるのだろうか
  何だか将来の認知症を予言されているみたいで、凄く後味が悪い嫌な夢なんですよ 

「今朝もはよから」

2007-09-14 18:59:04 | Weblog
 今朝の目覚めは「江差追分調」と言うのだろうか・・・本当はそんな風情とは程遠い。
 「かもめの鳴く音にふと目を覚まし・・・」のかもめの代わりに煩い息子と女房の会話で目を覚まさせられただけです。
 朝6時20分・・・我が家としては別段早過ぎでは無い 
  私も普段なら5時半頃には目が醒めているのがふつうですからね
 でもああいうハイテンションにはならない
  最近の気圧の加減だろうか?
 最近「U22の試合」「トップチームのスイス戦」「映画の話題」「首相の件」・・・話題には事欠かないから
 しかし寝ている方としては、静かに自然な目覚めがいいのですが

 そんなことをブツブツ言いながら夕べからつけっぱなしのネット碁を見ると
 私が常先くらいの人が対局待ち
  ためらわず対局オファー・曲は一転して「江差追分」から「常磐炭坑節」へ
 特段民謡大好きと言うわけでもないけれど、若い頃常磐炭鉱跡の地域へ通っていたことがあるから、その曲とその地方の「磯節」はお馴染み
 30年台の10年近くこの辺りを走り回っていました。
 勿来の関を訪ねたり五浦海岸を眺めたり、帰りには炭鉱跡地の施設で手作りハムを買うのがこっち方面に来た時の定石だった
 仕事は結構ハードでしたが成績は自分で言うのも何ですが、まづまづだったから「忙中閑有り」を作るのが名人、それをエネルギー源にしていました。
 常陸大宮の水戸黄門ゆかりの西山荘と手打ちそば
 笠間方面なら陶器と稲荷神社
 土浦方面なら筑波山と学園都市
 結城下館方面なら鬼怒川で昼休みの川釣り・・・脱線しまくり
  やはり仕事と遊びの区別が曖昧な性格みたいです。
   只、こちら方面で碁会所には寄らなかった・・・気持ちは揺らぐけれど。寄れば時間がかかるから、帰られなくなるのが分かっていたからです。

 さて「常磐炭坑節」に辿り着くのに時間がかかりました。
  「今朝もはよからヨーオ カンテラ下げてナイ」
 マア今の6時20分ならカンテラはいりませんが・・・
  ともかく、頭の中では大体1時間くらいだからマア7時半、遅くても8時前には終わるだろうと言う計算。
 8時10分に家を出れば十分楽勝だからとたかをくくっていました。
  寝ぼけていても計算をしています・・・でもやっぱり寝ぼけていたらしい
 ともかく部屋に閉じこもって対局です
  家族が見れば「朝早くから熱心なこと」程度なら優しい・・・多分何も言わないけれど呆れるという方だろうな
 だから部屋のドア(引き戸だけれど)はピタッと閉じたまま

 肝心の碁の内容は
 「早起きは三文の徳」の部類だろうな?
 ともかく勉強になりました。
  序盤から緊張感というか、ビッシリ競り合いが続いた。
 相手の方は初めから時間を使って来る。
  彼は中盤でほぼ持ち時間45分を使い切ってしまった。
 私の方は相手の考える時間に考えますから、消費時間は半分くらい
  !!左辺方面の私の大石が取られました=15子くらい
   石数は勿論周辺に及ぼす影響は小さくない
  しかし振り替わり的に白の10子を取って、上辺方面に硬い壁が出来た
 この収支は地の計算では白10から15目得しているが、黒壁の含み資産が大きくて全体的には黒が相当有利になったかも知れない。
  白は1手30秒で打ち続ける
 起死回生の策を練って、常に29秒で打つ!
  このアクロバット的な打ち方!
   形勢に時間と言う敵と彼は戦っているに違いない
   しかもかなりの上手とか5人が観戦しているから、それもプレッシャー?
  しかし!!
   もう直ぐ8時になる・・・
 イヤ、これは「毒皿」というか途中で敵に後ろは見せられないから、とことん付き合うしかない。
 もし彼が最後まで29秒ペースで寄せまで打てば、終局が8時半を回る危険性
  そうなったら遅刻覚悟、さらに年休と言う切り札を切る覚悟
  (何といっても10月書き換えで、3週間分貯金があるのだから・・・)
 『いいのかな休んで』
   マアしかし終局は8時3分・・・彼は投了
 さあ、ここから猛ダッシュ
  顔を洗ってシャツを着て・・・今日はズボンはGパンでいいや!
 今日も8時10分出発、何とか辻褄合わせの人生そのまま
  でもコーヒーを飲みたかったな。
 さてこういうときの血圧はどうだろうか・
  いけない!!起床後30分、朝食および薬服用前の血圧測定を忘れてた。
   それに朝食も・・・これは途中でコンビに 

お休みの理由

2007-09-13 18:20:08 | Weblog
 今日で3日連続で昼休み碁はお休み(尤も昨日は私が休みの日だったけれど)
 さて、オーバーに言えばカラスが鳴かない日はあっても・・・と言う感じだからこれはチト異常事態かも?
 Fさんお昼のお弁当はいつもの時間に食べ始めて、概ねいつも通りに食べ終わっている
 昼食後特に用事があるようには見えないけれど・・・最近変わったことと言えば・・・先日Kさんが廊下においてある自動血圧測定器の前に座って、血圧を測っていましたので「調子はどうですか?」と声を掛けると、「最近高いのですよ」との返事・・・どこか悪いのかな?
 私などはどこか悪くて普通だし、血圧は起床時、就寝前(よく忘れるけど)計るので、事務所では計る気にならないのですが、計っているところを見ると何か自覚症状があるのか??

 先日は「少し仮眠を取りたいので、今日はお休みにしましょう」といっていたから相当疲れているのか・・・言葉通りで
 確かに彼個人的な条件では疲れが溜まるのも尤もなことなので、疑うわけではないけれど、もしかしたら別の理由もあるかなと・・・私は嫌な性格ですね
 もしかしたら別の理由もあるかな、複合的と言う意味で
  何でも賭け事の対象にしてしまう癖みたいに
 何でも空想のネタにしてしまいます。
  まず、考えられるのは
① 「彼は密かにネット碁を打っている」
  深夜も夢中になって打っているので寝不足状態・・・マアそんなに若くは無いからどうだろうか?
② 「もしかしたら毎日リアルの碁会所に通っていて帰宅が遅い」
  流石に車で1時間半の通勤時間の人には無理だろうな
 ①と②の比較では①の方が可能性が大きそう
③ 毎日Kさんと深夜までですマッチを重ねている
   マアこれもKさんのほうのスタミナがもたないだろうから×
④ 最近私との置き碁の成績が思わしくないので、気持ちがしぼみ気味
   私としては健康の次に心配しているのはこれ!!
 私も「相手のヤル気を引き出し、気持ちを盛り上げる」ような打ち方が出来ればいいのだけれど、「勝敗はともかく、常に真剣がモットー」なので、良く言えば「棋道奨励」悪く言うと「片八百長」みたいな器用な打ち片は出来ない
 尤も私程度がそんなことをしようとしても、簡単に見破られるか、「最近少し変ですね」と哂われるだけでしょうね。
 元々尊敬されていないから、完璧に馬鹿にされそう!
 
 でもね
 長く打っていれば一時期、特定の相手に勝率が悪いことは”ある”こと
 それに私との4子の置き碁はひとつの壁なんだと思うのです
  上手く言えないけれど
 ここを乗り切れば置石がひとつ減って3つになる・・・当然
  3子というのは一隅が開いて、打ち方がかなり変わるはず
   もしかしたら「先」迄もチラチラ見えてくる筈です
 ですから4子はその手前の峠道、胸突き八丁かもしれません
  成績が、内容が思うに任せないなら、「何が足りないのか」など振り返る場所かも知れません・・・言い換えれば「切所」
  ここで棋力が止まるか、更に飛躍する前の準備期間なのかの分かれ道かも知れませんね・・・そう思うのです。
 でも乗り越えるのは彼自身ですし見守ることしか出来ないでしょうね

 アッ!!一番可能性があることがもうひとつあった
⑤ 「aizomechouが嫌な奴だから、暫く碁盤を見たくない」
 恐ろしいが、可能性がかなり高そう
  本心は言葉では言わないだろうし・・・
 さてさて困ったものだ 

遠慮しすぎ

2007-09-12 19:11:40 | Weblog
 女性の碁の特徴みたいなものを書ければいいのですが、私には無理見たいです。
 よく、女性同士が打つと激しい碁になるとか言いますが、男性同士だって人のことは言えないという感じだし、特に低段あるいは級の人ではそんな気がします。
 一般にはプロの女流棋士の対局でも・・・と言う感想でしょうが、アマの碁に限定してのお話。
 それで囲碁の内容と言うより、碁会所などでの感想です
 今は碁会所にご無沙汰していますが、30才位から20年以上は殆ど毎日(碁会所の定休日以外)通っていた(仕事が終わったら会社から碁会所そして帰宅あるいはアフター碁・雀荘)。
 そこでは、上下2,3子以内くらいの手合いが一番多いのですがプロの先生に教わったこともあれば、アマの所謂初級者のお相手もしたことがあります。
 が、プロの先生以外で女性との対局は意外と少ない
  ム、私が近づきにくそうなオジサンだからかな・・・?
 いや若い頃からそうだからオジサン条件は必ずしも当たらない、人柄がよくない!?。
 たまたま、同じくらいの手合いの人が居なかったということもあるだろうが
 絶対数が少なかったのでしょうね。
 今でも大勢居るとはいえないかもしれませんが、10年前には今よりもっと少なかったでしょう
 私がリアルで打ったことがあるのは、碁会所では5,6人。
 コミュニティでも4人・・・
 それでも常連みたいな人とは皆打っていてその人数・・・人数の問題ではないにしても対局数が少ないですね。

 碁会所の方では一人ですが「弟子」みたいな人がいました『エッヘン!』
 実態は教えると言うより”お相手をする程度の内容だったでしょうが
 皆さんとの手合いは4子から7,8子くらいですが、リアルでの共通点を感じていました。
 皆さん慎み深いというか、遠慮しすぎのところがあります。
 「置き碁」と言う条件なんでしょうか?
皆さん一様に「白はたくさん置かせた碁は面白くないに違いない」と思っているらしい。
 「らしい」と言うのは我ながら非常に嫌味な微妙な表現なのです。
 多分皆そういうこだわりがあるらしいが、それが全てではないかもしれない
 つまり「相手の心をを思い遣る(=つまらないと思っているかも知れないと)慎みを表さなければいけないとか・・・
 そうでないと「あの人はズーズーしい」みたいに周りから思われるのが辛いみたいな・・・
 考えすぎかな

 ところがこれは女性だけでも無いか?
 男性だってそういうところはある
  昼休みのKさんがそうですね
 私は彼の上達には「本を読む、TVなどの観戦をする」などは勿論必要ですが
「今はたくさん打つことが最も大切」だと思っている。
  この点に関して彼はおそらく勘違いしていて、打つとなると一晩に10局以上も・・・
 そういうのもアリかもしれませんが・・・打たないとなったら全然打たない
  私も一応彼に「毎日必ず何らかの形で碁に接することが大事」
 「たくさん打つ」を「降れば土砂降り」ではなくて、「出来るだけ毎日1局でもいいから打つ」とか「いろんな人と打つ」に替えられると良いですねとは言っていはいるが。

 そういう意味では男性も女性もなさそう・・・但し「自意識」みたいなところがもしかしたら違うのかも
 
 それでは自分の今より弱かった頃はどうだったか?
  5級くらいから2級くらいまでは「道場」みたいなところで先生に教わっていた・・・つまり先生としか打ってはいけなかった。
 これは先生に指名され無ければ弟子通しは打ってはいけないという窮屈さはあるものの、自由に観戦できたし先生と打つ機会は”大威張り”で指導を受けられたから「遠慮」ということの記憶が無い
 碁会所でK畑師匠と出会ってから「この人に教わろう!」的な感じで、初めは5子から3番手直り、2子になってからは一番手直りで教わった。
 この場合流石にK畑師匠が他の人と打つのを妨げはしませんが、手空きになるのを待ちながら観戦したものです。
 同じような人がもう一人二人居たから競争みたいなところもありましたね
 
 こういう時冗談で「一番弟子・・・二番弟子・・・」みたいに呼ばれていましたが、不思議と「師匠はつまらないと思いながら相手をしてくれているかも知れない」とは考えなかったものです
 鈍いというかズーズーしいと言うか!!
  よく上手に相手をしてもらうと「コーヒーどうですか?」などそれも微笑ましい習慣ではあるかも知れないけれど・・・実は私に関しては師匠にそういうことは一切無し。
 碁キチが師匠に喰らいついて離れない=「碁が好きだから」
 師匠も碁が好きだから「弟子」「後輩」相手をしてくれる・・・全くシンプル、マア私のエゴと師匠のボランティア精神でしょうね。

 女性で「上手に打って欲しい」けれどなんだか言い出せないと言う人がいたら・・・いや男性でもそうですね
 遠慮なく「対局」でも「指導碁」でもお願いするのが良いです。
  上手の人は決して嫌がる人ばかりではないでしょう
 皆教えたがり屋の面があるし、自分が相手をしている人が上達するのを見るのは嬉しいことなんだと思う。

 まとまらない話になったかも知れませんが
 「自分が打ちたい」のだから「それで良いではありませんか?」
 少なくとも私はリアルで申し込まれるのは嫌ではありません。
  他の予定があればはっきり言いますし
 なんたって、自分がそうしてやって来たのですから。 

女性棋客

2007-09-11 18:42:21 | Weblog
 今朝は愚息に私の部屋に侵入されてしまった。
 マア触られたりすると危ないような物は無いから良い様なものだけど、早朝5時半だから・・・尤もいつもなら起きている事が多いから文句も言えないか?
 それに部屋の電気はつけっぱなし、パソコンは電源が入ったまま、ネット碁に繋いだまま・・・
 これでは眠っているとは言い難いか
 そのインベーダーはネットから音楽CDを受信するために侵入してきた
  パソコンは二人で共用みたいなものだから仕方ないか
 彼は音楽、私はネット碁、サッカーが共通と言ったところ
「あっ、起こしちゃった?邪魔なら向こうの部屋にパソコン持って行くけど」
 一応言うのです
『もういいよ、全く』
 ともかく目が醒めて、この時間だともう一度寝るのも半端だし、ジッと横になっているのも却って苦痛ですから手の届くところにあったネット碁の会員名簿に手を伸ばした。

 最近嬉しいことがありまして(ネット碁で)
 ネット碁で超新星を発見したのです・・・戦績1戦・・・入会ホヤホヤでしょうね。 
 大体同じくらいの点数ですから、いずれ当たることになるだろうか?
 それと先日来注目の新人・・・まだ40戦未満だけれどこの方も新人の部類でしょうね。
 こちらの方とは3局も打ってしまった(勿論1日には1局ですが)
  それで「何が嬉しい?」
 いや、名前からしてたぶん女性だろうと思われる。
「だから、どうした!?」
『いや、その・・・なんとなく楽しい・・・それだけ』ジイサマしどろもどろ
 全く単純なジイサマですね私は。
  ネットですから、女性だろうと思われる名前だけ・・・それでなんとなく「花」があるのだから、女性の力は偉大ですね。

 まあそんなことがあったので、名簿でどのくらいの会員がいるのか見てみたのです。
 但しこの名簿自体事務局から送られてから3年は経っているから当然出入りはあるし、こういう社会情勢?からかそれ以来新しい名簿は発行されていないから、あくまでも参考程度です
 この名簿はアイウエオ順、会員番号順(上2桁は都道府県順)、と点数順にソートしたものと3通り見ることが出来ます。
 私は入会してから1年余りはこの名簿を記録帳代わりに使っていました。
  対局した人の欄に赤のサインペンで○×印をつけていた
 流石によく対戦する人の欄は真っ赤で書ききれなくなったりして放棄してしまいましたが、でも今でもめくって見ると懐かしい名簿です。
 上昇を続けている人、ヤヤ点数を落として心配な人、でも大多数はあいかわらずマイフレンド
 
 それで、今朝はこの名簿で女性に赤丸で囲んで、対戦したことのある人には青でアンダーラインを引いてみました。
 マア名簿には性別は無いので、名前からそうらしいという人をピックアップ(どちらとも判断できない人は保留)
 女性会員は50名余りでしょうか(この名簿を作った頃)
 すると2.5%くらいか・・・せいぜい3%未満
 それよりは今の方が絶対数的にも割合も多少は増えていると思うけれど、まだまだ寂しい数字ですね。
 いきなり50%など無茶は言わないけれど、せめて20%くらいは・・・出来たら30%・・・

 ところで繰り返しになるけれど、何で女性会員がいると良いのか?
 リアルなら説明がつきやすいですね。
 碁会所でも女性が混じっていると(例えおば様・失礼、先輩でも)、賑やかとは違いますが、真剣な中にも穏やかな空気が漂いますね
 これがオジサンたちだけの時とは違うでしょう。

 勿論人により反応はさまざまでしょうが
・世の中男女がいて普通だから、碁会所で女性が打っていて何とも思わない人
・自分より棋力が下の女性には教えたがる人
・男性に負けた時より女性に負けた時のほうが悔しさをより感じる人
 他にもいろんな反応はあるでしょう・・・でも暫くすると”それ”が普通になって行くでしょう。
 大体女性に負けると余計に悔しいなんて・・・それは負け慣れていないのでしょうね
 私など、ゼイ・ノイさんに5つですっ飛ばされても、中国囲碁協会の五段と三段の姉妹の先生たちに指導碁でやられ続け・・・(中国の棋士は指導碁でも手を抜かない・・・いやお客に”勝たせる碁”は打たないようです)
 いや女性とは言え相手はプロ棋士だからと言われる?
 自慢ではないが、アマ同士でも私が悪い手を打てばコロコロ負かされるわけだし、相手が強ければ当然・・・相手により悔しさが倍増なんていうのは無い
 女性と打つ機会が増えれば、”負け慣れる”筈ですね。
 それでも例えネットでも女性には花がある
  それがIDネームでは分からないでしょうね。
 
 それでは打ち筋で女性らしい碁とうものはあるだろうか?
  よくプロ棋士の対局で女性同士の碁は激しくなると言われるけれど・・・
 私など素人には分かりません。
 おそらくIDネームのネット碁でも、知らずに女性と対局していることはあるだろうけれど、『この打ち方は、どうも女性のようだ』などと感じたことは無い。
 私の鈍さではマア判断など無理でしょうが、どなたか感じたことがある人がいたら教えて欲しいです。
 
 もう少し話の続きがありますが、余り長くなり過ぎそうだし、多少は家の仕事も手伝わ無くてはいけない
 それにしても家には『花』が・・・この続きはまた明日! 

 
 

三連敗の人

2007-09-10 18:33:04 | Weblog
 これは私のミニ棋士銘々伝に入れるべき記憶です。
 この間は「一碁一会」とか出会っても打つ機会が無かった人の話をしましたが、彼とは3回打っています。
 そして三連敗しているのは私です。
 しかも、もしかしたら生涯その人との対戦成績3戦3敗と言うことになりそうです。
 10年くらい前に一度打って、その翌年更にまた翌年と・・・それでこの7,8年は出会うことも無く一度も打っていません。
 風の噂にせよ消息が流れて来るようなことはなさそうですから、多分このまま完敗の記録はそのままになるでしょうね。
 もっとも、多少でも公式的な対局は最後の3局目だけですし・・・本当の公式記録としては残りませんから、記録は私の頭の中と言うか、心に残る記憶のみみたいなものかも知れません。

 この人の名前はKBさんとして置きます。
 私の知り合いにKの付く人が多いから区別をつけやすいようにKBとします
 尤も名前については本人がそう名乗ったと言うことで、まあ多分本名とは思いますが、最初に出会ったときに彼が名乗ったものです。
 次に出会ったのがその1年後です
  人の顔と名前を覚えるのが苦手な私が彼の名前を憶えていた
 彼のほうも私のそういう弱点などは知らなかったとは思いますが、二度目に合った時に名前を呼んで挨拶すると、「?」「よく憶えていましたね」という顔をしたのが印象的でした。

 さて初めて出会ったのは
 彼が私がゴロゴロしている碁会所にふらっとやって来たのです
 「ふらっと」と言うのはあまり正しくないかも知れませんね、それ程暇をもてあましていると言うことではないでしょう。
 むしろ時間を無駄にしないために、少しの隙間時間も無駄にしないために碁会所に寄ったという感じでしたね。
  私の憶測では
 彼はこの碁会所のある市の北隣の市の人だそうです、ここから約7,8Kmでしょう。
 ここは県庁所在地ですから、何かとお役所などに用事があるのでこちらに来て、用事が早く済んだので碁会所に顔を出した・・・そんな風に感じたのです
 彼は自分の住んでいる市の名前を言っただけですから、後は私の想像
 でもなんとなく時間を気にする落ち着かない感じから、そんな風な印象があった
  さて私の方の碁に付いての彼の第一印象は・・・実は打つ前の直感です
 「かなり強そう」・・・
 少なくとも私などより問題なく強いと思いました。
 おそらく彼がK畑さんに先か互い先くらいか・・・
  理由は・・・はっきりしないけれど、一言言葉を交わしただけで、後は本当に見ただけでそう感じた。
 だから私としては対局は遠慮して、K畑さんか少なくとも私より強い人がお相手するのが良いかなと考えた・・・何だか私が相手ではせっかくのお客さんに失礼な感じでそう思ったのです。
 ところが生憎間が悪くしかるべき人がいないので、私としては打っていただくのは嬉しいけれど「良いのかな?」と言う感じで対局した。
 案の定「かなりの打ち手」と言う実感
 マア、私のほうにも第一印象で気後れしているような面もありましたから、感じているよりは差が少ないかも知れませんが・・・
  
 ともかく2回目も彼は同じような登場のしかたをしました。
 この時も私がお相手をして完敗
彼がそれ程動かないのに、こちらが押されているような気がしてしまう
 剣道で言えば彼は正眼の構えでスーと前に出てくるのだけれど、こちらは押されている圧迫感に耐え切れないと言う感じだろうか・・・

 3回目はその碁会所ではなくて、縁は異なものと言う感じだろうか
 その年の日本棋院支部対抗戦の県内予選でした
 私たちの支部は弱小(他のメンバーに申し訳ない表現かな)だけれど、せめて年に一度は外の世界と交流を持とうと、この大会には参加していた。
 しかもオリンピック精神?で2チーム参加です(参加費用を払えば参加できるのですから・・・)
 しかも私などチーム編成上の間に合わせ的三将ですから、マア自他ともに結果を求められていないから気楽な参加
 そうはいってもここでは全国大会を目指したチームが真剣に火花を散らしているので、空気に触れるだけでも何かエネルギーをもらえるような気がするのです。
 ところで1回戦で当たったのが、北隣の市の支部チーム
 向こうの三将が間に合わなくて、急遽補欠的に応援者から選んだ選手と・・・
 何とそれがKBさんだった!!
  マアなんと、欠員補充が彼では・・・戦う前にもう「火を見るより明らか」
 それでも団体戦ですから最善は尽くさなくては・・・と言っても「一番初めに投了して雰囲気を悪くしない」と言った程度の努力?だけかも知れないけれど。

 それでも自分で言うのもおかしいが、私はかなり善戦したらしい。
  自分での碁の評価ではなく、周りの雰囲気と言うかそういう空気でしたね
   私はただひたすら打つだけですが、取り囲んだギャラリーから伝わってくるものがあった・・・気のせいかも!?
 実は私たちの支部は「参加しよう」的なお天気マーク的な人が多いのか6人で2チーム参加ですが、そのため身内のギャラリーなど居ません。
 ところがどういう分けかあちらのチームは選手が3人しか居ないのに、応援と言うかサポーターと言うか倍ぐらいの人数が
 マア、そういう人たちに取り囲まれての対局ですから、1手打つたびにKBさん側の評価と言うか形成判断での空気が震える感じがあった。
 たぶんに私が過敏症かも知れませんがね(普段私は鈍感ですが)
  大寄せに入る頃にはそういう緊張感を含んだ空気の中で対局していたような気がしていた。
 小寄せに入る辺りで、ある時点で一気に空気が緩んだ気がした。
 つまりもう私には逆転するチャンスが無くなったのでしょうね・・・それは対局相手のKBさんというより見物のギャラリーから伝わって来た様な気がする
 ともあれ彼には3連敗
 それでも3局目は終盤まではそこそこには打てたらしい。

  このときの大会ではスイス方式の団体リーグ戦
 本当は4回戦なんですが変則的に手空きがあって私たちは実質は3回戦
 チームは1勝2敗/個人成績は2勝1敗
 枠抜けを目標としていないチームの三将同士の対戦成績ではあるが、他の支部との交流対局は出来たし、個人的にはまずまずか。
  それにしてもKBさんとはそれ以来出会っていない
  私ももっといろんな出会いがありそうなところへ自分が出て行かなければ、そういう出会いは作りにくいでしょうね。
 ネットは便利だけれど、仮面舞踏会みたいなところもあるし 

普通の手

2007-09-09 16:49:14 | Weblog
 いつもの昼休み碁で負けると、相手のFさんは必ず「今日の白はえらく無理をしていましたね」とかなり気持ち良さそうに言うのです。
 私の答えは「そうですね、大変な無理をしました。が、多少の無理は承知で打たないと4つはとても追いつけませんから・・・」となる。
 私は相手の言い分は『ごもっとも』と思う反面、これを向こう4子の相手に指摘されるのは癪に感じているのです(実に不遜な態度ですね)。
 例えばここまでの3連戦は白が勝っていて、今日4戦目に白が負けた・・・
 それで、今日の白の敗因は「白の無理手」と言う判断はいいとして
 確かにそうかもしれないが、それでは昨日までの3連戦は何だったのか聞き返したくなります。
 マア素人碁などそんなものかも知れません・・・つまり負けるような原因を作った方が負けているに過ぎないと言う事でしょうね。
 素人の碁では3つや4つの差など「勝った負けたと」騒いでいるだけのことと言ってしまえば簡単ですね

 この間TVで世界体操大会のニュースをチラッと見て・・・普段ならば実況中継とか総集編などで見るのですが、他の見たいスポーツとか囲碁ネットに忙しくて、これはニュースだけ。
 ただ例によって「体操」に刺激されて連想ゲームが始まります
 マア、単純なことですが体操には得点の基準に「難度」というランキングがありますね、「C」とか昔なら「ウルトラC」とか、最近は「D」まである。
  ところで囲碁では
 定石には形だけを見れば単純なものと、複雑で間違えやすいものがあります。
 ただ定石だといって対局者が二人でなぞっていけば良いと言うものではない
 ましてや難度の高い定石を用いれば高得点・・・なんて話は無い
  もっとも難解定石ばかり好んで用いれば、相手は密かに恐れを抱くかも知れませんが、まあそれだけのことでしょうか。
  当たり前ですね、完璧に演技して観客に見せる為のものではないのですから
 どんな強烈な、あるいは複雑な手段であっても、テニスではないけれど場合によっては苦も無く撥ね返されてしまう事もあるし、むしろ相手のエースになることだってあります。

 それは「手段」「定石」など”目的を持って打たれるものですから、目的と結果の整合性というか、相手による妨害が入ったらどうなるかなどの問題ですね
 ザル仲間であっても、後輩から多少は”尊敬されたい”などヨコシマな考えが入ると・・・無理難題と言うか、横車的なことを考えたりやってしまうものです。
 多分これがFさんの言う「白の無理」=「私の無茶手」でしょう。
 私も多少は感じている・・・「4子は普通の手を打って、チャンスが来なければ仕方ない・・・」
 置き碁に限らずこの「普通の手」はあこがれであるが、かなり難しい問題
 例えば、超簡単な手順とかシンプルな形などが価値判断ではなくて、その局面に一番フィットするものを探すことですよね。
 しかし囲碁も相手があるゲームですから、一見簡単な手は簡単に反撃されるような気後れ的な・・・
 しかし所謂普通の手を打ち続ければ決して負けは無い・・・それは憧れと言うか夢と言うか・・・でも考えればそれが出来たら「神様の領域」かも知れないから、見果てぬ夢、しかも素人にはとんでもない考えかも知れない

 私が時々お邪魔するブログに<アマの負ける手・負けない手「黒番編」>と言う本が紹介されていました。
 その方もこれからじっくり読もうと言うことで内容は簡単な紹介のみで
<良い手><悪い手><危険度>などという言葉が出ていました。
 私も本を読んでいないし内容は分からないのですが、そのキーワードから勝手に想像しました
○ 手には悪い手というものはあるかも知れないけれど、状況にあっているかどうかと言う判断基準が問題。
○ その中に、打ち進める道筋に枝分かれと言うか落とし穴が多いものもある
○ 打ち始めの形は良いが、最後まで正しく打つのが難しい
 そんなことが書かれているのだろうか?
○ 良く効く薬には副作用もある
 読んでもいない本を勝手に想像するのも私の楽しみの一つ・・・変なジイサマ
それと<危険度>という言葉が出ていて、それについてはこの本の著者が書いた意味と同じかどうか分からないけれど・・・
 例えば「生兵法」的な危険であったり「人を呪わば穴二つ」的な危険であったりするのだろうか。

 「勝負事で多少は相手よりいい思いをしようと思えば多少の危険は覚悟」ということだろうか?・・・
 いや読みを争っているのであって、運の争いをしているのではないから少し変ですね。

 ともかく私は所謂普通の手しか知らないと言って間違いない。
 だからと言うことも無いけれど、大斜とかナダレなど自分からは打つことが無い・・・だから幅が狭いと言うか、見るからに弱い打ち手ですね
 要するに「普通の手」=「変化が少ない手」「難解でない手順」・・・何のことは無い難しいものは理解できないから使えないだけです
 それは問題でしょうが、一番の問題は「普通の手」=「消極的な手」になりはしないかという事も心配です。
 実は今自分にとってこれが大きな問題です
 工夫が足りないと言うか、気がつくと打ちにくさを感じてしまう局面になっていると言うか、敗因のはっきりしない負け方と言うか。
 いや敗因ははっきりしている、「不利な状況を挽回しようと無理な勝負手を打たざるを得ない」からです
 気がつくと不利な状況
 だからそうならない為には・・・きっと「普通の手」が鍵なんでしょうね
 私が打っているのが自分では気がつかなくても、その局面では普通では無いのだろう・・・

囲碁の真理!?

2007-09-08 16:20:26 | Weblog
 今日は隔週の図書館デーです。
 コミュニティの入り口に花飾りのたて看板・・・「合同敬老の日・・・」
  そうだった9月もこのくらいになると
 私の発想は「老人の日」→「敬老会」ここまでは普通だが次に「個人情報」に跳びます。
 以前自治会の役員をしていた時の経験です。
  毎年9月には敬老のお祝いに記念品などを自治会から贈るのですが
 自治会役員は毎年当番制で入れ替わるから記録が頼りです・・・
  一番の問題は「名簿」
 仮に70才以上の方に何かプレゼント贈るとして、昨年の実績で分かる部分と、今年新たに70才になる方が居る筈・・・その新たな方々が分からない
 これは同じ地域に暮らしていて、何処に高齢のかたが居るかは分かっていても年齢までは正確に把握するのは難しい。
 こういうことは市の関係機関でも個人情報に絡むこととして教えて貰えません
  当然と言えば当然かも知れないのですが、それで居て市から補助金は出るのですから少し矛盾も感じる・・・
 結局は自己申告ということで行きましたが、自分の意志で申告しない人は問題無いが、”知らなかった”とか”調べれば分かるでしょう”と思っている人もいる・・・
 マア、そんな事でドタバタした思い出があって、私としては「敬老のお祝い」→「個人情報」となる

 ところで囲碁界で長老的な方といえば呉清源師でしょう
  何といっても私の「囲碁以前」時代=小学生の頃新聞の棋譜を眺めていた時代でも偶にしか登場しなかった方です。
  確か日本棋院の客員棋士と言うことだっただろうか
 名人戦とか本因坊戦ではなくて特別企画みたいな対局だけだったような気がする
  それでも門前の小僧でも一流のプロ棋士を番碁で打ち込んでいったと言う記事は読んだことがあったから、その時でもほとんど神様的存在でした
  実績があって偶にしか登場しないのですから祭礼にしか現れない神様です
  しかもその方に本とかビデオで接することが出来るというのは何とすばらしいことか

 尤も人によっては、あるいは若い人たちの中には「碁を打たないのにいろいろ偉そうなことを言っている」と感じている人もいるらしい。
  私の知り合いでもそのように言う人も居ますが、私は一つにはその方の「無知」のせいだと思っています
 マア彼にしては呉清源師の発言には断定的な部分が多いから「自分では打たないのに・・・」「実戦で証明してくれ」となるらしい。
 でもそういうことを言ったら、「評論家」とか「解説者」を認めないということになりそうですね
 私みたいに師の全盛期は直接は知らなくても、その実績の記憶が比較的新しい時代は知っていたから、おそらくそういう事の違いかと思われます。

 コミュニティの図書館に入るところから図書館の入り口まで約30m・・・
  まあ短い間にいろいろ考えるものです
 図書館では2週間分ですから、今回も4冊借りてそのうち1冊は囲碁の本
「呉清源 王立誠 囲碁の真理を探る 第二巻」 2002年4月
  この本は三巻セットでしょうか?少し前から図書館の囲碁コーナーに入っていました。
 第一巻は以前に読んだことはあるので、今日は思い切って第二巻を借りました。
  何が思い切ってかというと・・・
 雑誌くらいの大きさでハードカバーで少々重い本(中身と関係ないけれど)
  もし買えば高そう・・・これも値段が印刷されていない
  まさか寿司屋さんではないから「時価」は無いだろうがまあ高そう
  「呉清源」師の名前が入っているものは安くは無いものが多い・・・
 本当は、なかなか手が出なかった理由は
 「囲碁の真理」というキャッチフレーズですね
 中身はともかく大きく構えられるとこちらも身構えてしまうところがある。
 呉・王両先生がそのくらい自信と気概を持って送り出したということであれば、そういうものに触れられるのは有難いことです。
 でも「呉清源流囲碁指南」くらいの看板なら町の碁会所にぶらっと立ち寄るみたいに気楽に入れそうなんですが・・・マアこれもザルの身についた習性です。

 ところでこの本はしっかり読めばかなり勉強になりそう・・・というのも
代表的な序盤戦を説明している
 第一章 二連星対二連星
 第二章 二間高がかり・・・とあって
 第七章は 高目・目はずし
  今一番興味があるのは目はずし対策だし、自分の布石は二連星マニアだし・・・
 これで「対中国流構想」みたいなものがあればもっと良い
 ともかく帰宅すると直ぐ順番は飛ばして、第七章を直ぐに読んでしまった

 活字も比較的大きくて図版も見やすい・・・私でも眼鏡無しで読めるそれは嬉しい・・・但し総花的というのだろうか、あっさりしているというか。
 もっとも、詳しければ良いというほど当方の棋力がついていけるかどうか
 呉清源師の「善悪」の判断が簡明というかはっきりしているので、それ程の説明が不要なのかも知れませんが・・・
 もしかしたら、こういうところが「信者」みたいなファンにはたまらないが、そうでない人には物足りないみたいなところかも。
 
 ともかくこの2週間はこの本を読むことにします
  大きくてカバンに入れて持ち歩くのには向かないから、ともかく家で他にやることが無ければひたすら読む・・・
  予定では2週間後には第三巻を借りなくてはいけないですからね
 表現は悪いけれど「鰯の頭も信心から」で、ましてや「鰯」ではなくて「呉」神様ですから、きっと百万の援軍です 

 

台風一過!?

2007-09-07 18:32:03 | Weblog
 今朝は5時半に目が醒めました。
 これは爺サマとしては決して早起きとは言えません。
  隣の台所では女房殿が朝ごはんの支度をしながら、洗濯機を回し、更に洗顔とか身繕いをしている筈です。
 私の方はズルを決め込んでいるから8時過ぎに出かけるまでに顔を洗って着替えをする他には・・・何と2時間半もある。
 つけっ放しのパソコンを見ると馴染みのTさんが「対局待ち」です
  なじみと言っても彼が私の出身県在住で、これまでに数回対局したことがあるということで当然顔はみたこと無し。
 ただ、少し気になるのは現在の点数差
  規定では向こう先で白から6目半コミ出し・・・これは白ヤヤ辛そうな気がする。
 これは白からサービス過剰!
  私が浮遊している辺りでは皆それぞれ得意な型があったりする・・・「中国流」「三連星」「秀策流」などなど。
 いやそういうものは特に無くてもそれぞれに対応する力があったりする。
  更に”困ったこと”には容易には自分から崩れてくれない。
 要するに今の点数は棋力差とか強弱ではなくて”今の調子”みたいなものだから、コミを逆に出すのは大サービス。
 そうは思ったのですが、時間が早いせいか対局者が現れないし、マ良いか(この間○をもらったし)・・・で対局オファー
 
 結果から言うとこれは大失敗・・・イエ勝ち負けではありません・・・当然負けましたが
 全く無残な負け方でした。
 目は醒めたのですが脳は半ネム状態と言うのでしょうか?
 なんとなく中盤まで行ってしまい、気がつけば必敗模様です
  ”なんとなく”と言う私の性格そのままの問題点
 「これではいけない」と何とかカンとか誤魔化しみたいな頑張りをして局面で何とかというところまでは来たのですが、それはTさんが計算に基づいて無用な頑張りをせずに私の我が儘を許してくれたに過ぎない。
 彼はひたすら固く打って、言ってみれば”おいでおいで作戦”
  結果は黒7目半勝ち・・・盤面で1目足りなかった

 通勤はいつもの通りチャリンコです
  まだ風が強くて雨も降っているので雨合羽着用です
   雨の日は傘など使わずにいつもカッパです・・・ただし夏はいつも迷いながら使っているのですが
  雨合羽は傘と比べて走行中の危険などが無いし雨に濡れることも無い・・・しかし
  外から濡れなくても中から濡れる・・・これが大疑問
 蒸れて結露したり、自分の汗だったりいずれにせよ濡れる
  一度雨具ナシで走ってみようと思っているのです。
 着替え一式を持って行けば良いだけでしょう?マア夏限定ですが。

 さて昼休み久しぶりにFさんと対局
 先日来私が3連勝していて、私が負けたとたんに「今日の白は無理ばかりしてきましたね」とのたまった。
 こういうジャブ的一言がグサッと突き刺さってきます。
 あれ?自分が3連敗したときのことは素通りしています。
  ですから内心「負けられない」と言う気持ちです・・・この辺り人間が未熟と言うかジイサマなのに綺麗に枯れていません。

 局面は中央の黒の大石を白が封鎖を仕掛け、成功するかどうか。
  当然黒の反撃が来て、封鎖が破れてはいけないし、他での影響が大きい・・・
 ここでFさんに言わせると「白が長考」したと言うことになる。
  確かに5分は考えたと思う。
 しかしネットとかリアルでも45分以上の持ち時間で打っているとこれくらいは長考の内に入りません・・・が、やはり昼休み碁としては長いか?
 私はやや言い訳めいて「慌てて打って、失敗してもマッタは出来ないし」
  『勝負どころですから自分なりの結論を見極め無くては打てません』
 
 さてさてとりあえず白の威厳を保つことが出来て”めでたしめでたし”
  台風は昼にはこの辺りは通り過ぎたらしい
   台風が北上を続け直接の影響範囲を脱した・・・普通なら「台風一過」のはずですが、この言葉には”通り過ぎた”以上に、一転して秋晴れの好天気・あの荒れまくった台風は嘘みたいというようなイメージがありますよね?
 それからすると、台風は通過したらしいがなんとなく鬱陶しさが残っているみたいな・・・さっぱりした感じが無い。
 これは秋台風ではなくて夏台風だったと言うことか?
  
 ただ確かに台風は通り過ぎたと言う証拠みたいな・・・私の通勤路にも台風の置き土産があった
  マテバシイの街路樹と松並木の緑地帯に挟まれた幅5mの歩道(長さが1km以上はある)には松の葉とマツボックリとドングリが敷き詰められていた。
  これは散らかっているとか汚いと見るだろうか
 多分数日を経ずに市が業者に片付け仕事を発注するだろうな?
  それはそれで仕事があっていいのだろうが、私はこういうの嫌いではない。
 マア枯葉など片付けないと気がすまない国民性だから仕方ないか?
  でも、自転車で走るとかすかに緑の匂いを感じるのですよ。
 何だか得したような気が 

出会っても、すれ違っている

2007-09-06 17:56:39 | Weblog
 今やマイナーと思われる趣味の世界で同好の士はそうは多くないのですが、出会わないこともあるし、出会ってもすれ違ってしまうこともある。
 いつか自分なりに纏めてみたいのですが、囲碁は不思議なマイナーゲームだと思うのです。
 世の中には全く一部の人にしか知られていないゲームや遊びはあると想像できます。
 ところが「囲碁」は”知名度”は大変なものですが、実際にゲームとして知っている人、更に日常楽しむ人の落差が極端な気がします。
 ですから「袖摺りあう縁」ではないけれど、身近で同好の士を見つけたら大変貴重な発見となる筈です。
 そういう貴重さは年々重く感じるのです

  さて昨日の続きで
 昨日、中1で初めて碁を打ったK 君も、もしもその後も彼と打ち続けていたとすれば、50年近いライバルになるはずです。
 もしそうなら人生で何物にも替え難い碁敵になっていた可能性がある・・・その時は分からないことが・・・後になって分かる気がする
 昨日も話したようにK君とは中2になる時別のクラスになったので、それ以来付き合いがなくなってしまいました。
 その時は「碁を打ったことがある」と言う関係は大事な事でも何でも無い
 もし、今ならお互い碁の仲間としての付き合いが出来るだろうが・・・その時はそういうことが分かっていません。

 さて中2になって担任がK谷先生という人になりました。
 この人は私の直ぐ上の姉も受け持った事があるから、家庭訪問などで家に何度も来ており、私など名前を呼び捨てにされていた
 生意気盛りの子供としては『お前なんかに呼び捨てにされる覚えは無い!』なんて思っていましたから、あまり従順な生徒ではなかったでしょう。
 K谷先生は生活指導に熱心で、問題のある(ほとんど男子)生徒を自分の目が届くクラスに集めていた。
 1学年650人くらい居たから、問題のある生徒も結構多かったはず
 ん? 私などは中2,3とこの先生と付き合ったのだから、もしかしたら私も問題児だったんでしょね・・・自分では考えなかったけれど。
  碁に関しての話
 後年話を聞いたのですが、このK谷先生も碁を打ったのだそうです。
 昔の学校のことですから、宿直と言う制度があったから宿直室は碁・将棋あるいはマージャンの会場だったと思われます。
 もし、もしも私が曲がりなりにも打つことが出来そうだと分かったら、K谷先生のことだから放っては置かなかったでしょうね。
 多分宿直日には呼ばれたと思われます
  生徒も多いけれど先生も多い学校・・・宿直は2月に1回くらいか?
 碁のことが話題にならなかった事もあるけれど、生徒に打てるのが居るとは考えなかったのでしょうね(そういう時代でもあったか)。
 今でこそ子供囲碁大会があるけれど、当時はほんの一部のプロを目指すようなエリート的な子供以外は打たないのが普通。
 それになんとなく囲碁は大人の遊びみたいな感じだったでしょう

 この先生は比較的若くして亡くなってしまった
 若くと言うのは誤解されるかもしれませんが、平均年齢から見たら相当若く定年より前にと言う意味です。
 だから結局は1局も打たなかったし、先生も教え子の私が打てる事は知らなかったでしょう。
 ただ、ニアミスはありました。
  もう少し先生が長生きしてくれたらの話ですが

 と言うのは私の姉の嫁ぎ先の義父が長年教育界の仕事に携わっていて、○○システムみたいなものを作り上げた実績があった。
 そんなことでK谷先生は義父の弟子みたいにそこに出入りしていたのだそうです
 その義父は碁を打ちましたからK谷先生も誘われれば打ったかも知れません
 私も姉の嫁ぎ先ですから数回は遊びに行きまして、その時K谷先生が碁を打つ人だということを聞きました・・・

  姉の義父の場合雰囲気と言うか、聞いたところによると
 もし対局するならば、当時なら向こう先か2子
 これはこちらからは言い出しにくいですね
 「教えて下さい」と言うことが名実ともに「教えて下さい」なら言い出しやすいが、口先だけに聞こえるかもしれません。
 いくら同好の士でも、親子ほどの相手ですし、ローカルですが教育界の重鎮みたいな人ですし・・・決して威張ったりはしないのですが
 義父の人間関係で、遠く離れているのに世話になったこともあるし・・・

 もしこれが碁会所みたいなところだったら多分全く気にならないのですから不思議です。
 結局「いつか打ちましょう」が続いて、とうとう1局も打たないうちに亡くなってしまいました。
 「いつか」はダメですね
  「いつか」は永遠にやってこないという事かも知れないと言う教訓です。
 
 少し意味が違うかも知れませんが
 「定年退職で暇になったら碁をやってみようかな」と言う言葉を聴くことがあるたびに、『暇になったら・・・は永遠に来ない未来かも知れません』
 『やる人は、忙しくてもやる』と心の中で呟くのです 

一碁一会と、出会わなかった人

2007-09-05 19:20:53 | Weblog
今日はあのK師匠が居る碁会所に行きました
 昼食をすませ、台風の前兆の怪しげな天気などものともせず(実は迷ったけれど)いざ出発。
 日が出ていて暑いかと思うと、さっと雲で暗くなりパラパラ雨・・・そういう天気ですが、『マア雨が降ったら濡れればいいさ』『この暑さで風邪も引かないだろうし、溶けて無くなることも無いだろう』
 結果から言うと師匠は今日はここには来ない日だった。
 だから往復10kmは昼食後の腹ごなしのいい運動をさせて頂いたということになる(自転車ですが)から、カロリーとファイトしている私としてはそれはそれで感謝です。

 さてここからは昨日の話です
 職場で昼食後お弁当の容器を片付けている時に「今年の夏は夏バテしませんでした?」と話しかけられた。
 その人はこういう猛暑に耐え切れず夏バテぎみなんでしょうね。
 ところが私ときたら、持病は一杯持っているのに夏バテはしたことが無いのです。
 夏は逆に太るタイプだから全くそういう意味では油断が出来ないが
  逆に寒さには弱いですね・・・その割には何も掛けずに寝てしまいますが・・・

 その時に寒さには弱いと言うのも生まれ育ったところの影響と言う話になったので故郷のことを思い出したので少し話します。
 東京から早暁なら高速道路で2時間もあれば着いてしまうくらいのところ、だからあまり離れている感じが無いから、あまり帰ろうという気も起きない。
 両親とも亡くなっているから、余計にそうかも知れません。
 まあ今はどうだか知りませんが、私が暮らしていた昭和40年台の初頭はまだ田舎でしたね
 北側は遥か南アルプス方面につながる山が連なって衝立になっているから北風から守られていて雪も私が住んでいた18年間で降雪2cmが1回のみ。
 南は駿河湾に臨んで明るく開けていて温暖で住みやすい土地柄
  従って私みたいなのんびりやが多い・・・克己奮励みたいな努力家は少ない
 いや私はその中でも「のんびり」「うっかり」の代表選手です。
 そうそう今NHKでやっている「どんど晴れ」に遠野のカッパ伝説が出てきましたが、ここにもカッパ伝説があったといいます。
 海から10kmくらいの川ですが、上流部との高低差は数メートルしかないから、ゆったりと流れる川です
 まるで私の性格を表しているような・・・流れているんだかどうだか・・・眠っているような感じでしょうか。
 水運には便利だから家康が駿府城を改修するときには石を運ぶのに使ったとか、反面集中豪雨には弱い、要するに降った雨がはけない
 大きな水害に見舞われたことがあって(私はその時には既に居なかったのですが)市内を走る路面電車が廃線となった。
 一部国道1号を走っていたから交通事情を考えれば潮時だったかも知れません
  田舎を離れた人間としては残念な気もしますがね
 ともかく地形や気候風土が私の性格に乗り移っているようなものでしょう
  
  田舎の思い出シリーズです
 小学校2,3年くらいの時に母に連れられて(将棋クラブと間違って)碁会所に連れて行かれた事があります。
 この時の第一印象は子供には決して良い物ではありませんでした
 昼間でも薄暗く、明かりは電球にブリキの笠みたいなものだけでした
 明るい表通りから家の中に入ったばかりで明暗差がが大きすぎたこともありますね
 それとおじいちゃんばかりみたい(昼間ですからね)、タバコの煙
今時の明るくて煙の無い碁会所からは想像もつかないくらい
 このとき席亭と思しき人が
 「坊や、囲碁を教えてあげようか?」と優しく言ってくれたのですが、子供にとっては第一印象が悪すぎたのでしょう。
 実のところ慣れてしまえばそんなに暗くは無かったかも知れませんが、何と言っても私は生まれた時からお爺ちゃんというものを知らないですから・・・

 さてそれから10年は経って、学生時代に囲碁雑誌で、
 地方の支部の世話好きのお爺さんの記事が出ていた・・・なんとなくあの時の御爺ちゃんのような気がしたけれど確かめようなど無い
 記事ではI田の爺ちゃんと言えばこの地方では有名人だったらしい(勿論碁を打つ仲間の中でです)
  それから更に時は流れて、今ネットでI田さんと言う人とよく出会って対局します。
 私の出身県の人・・・同じ県と言ってもいささか広うゴザンスで、全く根拠は無いのですが、子供時代に出会ったおじいちゃん、雑誌に載ったI田さん、ネットで出会うI田さん・・・何だか糸でつながっているような、勝手な空想を楽しんでいます。

 出身地といえばそこでは今まで1局しか打っていません
 中1の時に初めて打ったクラスメイト
 当時は1クラス56人もいて、1学年13クラスもある中学でしたから、彼とは中2、3と別クラスで高校も別々だったから、顔をあわせることもほとんど無かったから、碁はその時の1局のみ。
 だから13歳の時に1局打ったきりで半世紀近くが経っていることになる
 彼はその後囲碁を趣味としているだろうか?
  なんとなく気になる
 昔のことが思い出されるのは年老いた証拠と言うのですが、確かに納得してしまうところが多い。
  彼がまだ田舎で家業を継いでいるとしても私があの町を歩く機会が0に近い(サッカーを見に行っても方向が違うし、多分街に出ないで姉の家に泊めてもらって帰るだろう・・・)から出会うことはまず考えられない。
 一方でネットとは言え毎日のように見かけて、その気になりさえすれば毎日対局できる人も居ます
 全く人生出会ったり出会わなかったり、いろいろです。
  
 さて故郷で結局打つ機会が無かった人は他にも居る・・・その話は明日また 

迷いっぱなし

2007-09-04 17:26:54 | Weblog
 今迷っていることがあります。
 といっても人生の悩み事みたいな大きな問題ではありませんが、、、
 私は人生の問題で迷ったことは・・・あまり無い(無いことは無いけれど)
 或る時から「なるようになるさ」の人生ですから、それ以来は「ウィルビィ、ウィルビィ」「ケセラセラ」で悩みの少ない人間です。
 昔から何が起きても「ま、いいか」と何でも受け入れてしまうところがあって・・・少し馬鹿みたいで一見「イエスマン」(実際は相当な臍曲がりなんですが)
  もし血液型による性格がある程度当たっているところがあるならば我が家は大変です・・・夫婦ともB、娘も息子もB
4Bというか、オールB
  全く気にしない事と、やたらと細かいところが混在しているらしい
   だから我が家では全員が一致しないことが当たり前の状態
 マアそれがふつうですから
  考え込むことではありません。
 
 先日昔の職場での祝い事の話をしました。
 若い職員の新居への移転祝い&別の職員の時期はずれの栄転内示を祝った
 まあお祝い兼前年度で退職した元上司が呼びかけた「2006年度同僚同窓会」みたいなものでしたが。
  話が横道に反れてしまいました。
 で、会が始まる前に時間が合ったので、昔お世話になった師匠がとぐろを巻いている(失礼)碁会所に寄って時間調整をした話をしました。
 その時久しぶりに会った師匠と楽しく話は出来ましたが、時間の関係で1局も打てず、「近いうちに必ず寄らせてもらいます」と約束して帰ったのです。
 私にとってはこれは社交辞令的な約束ではありません。
 
 さて、いつ行こうかと迷っているのです
地理的に言うと現在の職場から自転車で15分はかからないから、時間的には全く問題がありません・・・が帰宅方向と逆というのが問題といえば問題。
 でもK畑師匠がいる確率の高そうな時間帯を考えればいい
 但し、師匠はのん兵衛だから遅く行くと半分出来上がっている可能性がある!
 これが厄介・・・アルコールが入ると決断が早くなるから、読み間違い・見落としの可能性は高くなるが、逆に思い切った手が出るかもしれない・・・マアそれはよしとしよう。
 師匠と1,2局打てればいいけれど、他に同じくらいの人に出会えると良い

 自転車で行くとして、帰宅に30か40分かかりそうで、帰ってから夕食となると帰宅が8時前、従って碁会所で打てる時間はせいぜい7時半まで
 かなり細かなことまで考えます。
  そうなると平日の夕方だと時間が忙しそう
  やはり土日か祝日、あるいは平日の休みの日?

 こういう予定に碁会所の料金も考慮の対象です
 いや細かな話ですがネットの月会費が2000円で碁会所が1日1000円
 それぞれに理由がある料金だから、単純に金額の比較は出来ないけれど、やはり効率的に遊べることを考えます。
  1回遊びに行くだけでなく、定期的に通うとなると考慮対象です
 場合によっては碁の”場”を広げてもいいかな?
  今はネットとコミュニティと昼休みの職場ですがこれにプラス
 それに出来たらFさん、Kさんに紹介しても良いし、是非その辺も探ってみたい
  ターミナル駅の直ぐ横だから場所は問題ない
  後は雰囲気とか彼らの仲間になれそうな人がいるかどうか
   全くあれこれ考えてしまいます
  普段のズボラはどこへやら、相当緻密!?
   
 あっこれは全然「迷い」ではないかも知れないですね
  子供時代の遠足の前の晩状態です
 こういうことを頭に描いている・腕組みをしてなにやら眉に皺をよせて・・・
  知らない人が見たら、余程深い悩み事があるに違いないと思うでしょう
   自分でも思うのです「人間、表と裏は大違いのこともある!」
 

良さそうな問題集

2007-09-03 18:40:06 | Weblog
 偶然なにやら良さそうな問題集を見つけたような気がします。
 本当は偶然ではなさそうですね・・・いつもの月刊誌の1ページ広告ですから、むしろ私が気がつくのが遅かったかも知れないくらいです。
 それと”良さそうな”は全くの山勘で、実際には手にとって見たわけではないのです。
 「頭の回路を敏感に!」「右脳で感覚!左脳で読み!」こういうキャッチフレーズに弱い。
 何だか科学的裏付けがあるトレーニング方法みたいな気がしてくるから不思議
 上級編150問、と有段編150問の2冊が発行されているけれど、PR紙面に1問しか出ていないから詳しい事は分かろう筈は無い・・・しかし面白そうな予感はするから不思議・・・案外私はCMに弱い体質かも知れません。

 実際に本屋に行って手にとって判断しようとは思う
 もっとも、そう考えた時点で6,7割は重心が移動していて、どの辺りの本屋に何時行こうかななどと考えている。
 近所の大型スーパーの中にある大きめの本屋には並んでいなかったと思う
 もっと囲碁将棋関係の本の品揃えの多い店を探さないとダメそう
  最近は本屋などとは名ばかりの”雑誌屋”兼”ファンシーショップ”みたいな店が多くて困りますね。
 (余計な寄り道かもしれませんが)
  中学生・高校生を”学生”と呼ぶように(学生は大学生でなくては可笑しい)
 「本」と「小説」「雑誌」ひどいのは「漫画」まで一緒くたに「本」と呼ばれていたりするから、紙に字が印刷してあるものを綴じてあるものを打っていれば本屋なんでしょうね。
 
 東京の超大型書店なら問題なさそうですが、生憎当面日本橋とか御茶ノ水・神田方面に行く予定が無い。
 それでも市内に置いてありそうな店が2,3あるから気持ちは「何時行こうか」に傾いています。
 さて2冊のうち有段編ですが、初段から7段の問題とか・・・なにやら不思議なような当たり前のような。
 実戦局面に則して出題されているのなら・・・
 「問題として出題されれば解ける」けれど「実戦では問題があること自体気がつかなくて素通り」・・・こういうのが現実だろう
 するとペーパーテストで成績が良くても、実戦に生きてこないなら困ったもの
 対してろくに本など読まず、所謂実戦オンリーの「叩き上げ」みたいな人に笑われたり・・・
 そういうことで問題に多く接するというのは類型的パターンに接する機会を増やすことは勿論、実戦の局面で”問題あり”のレーダーが働く為の訓練でもあるのでしょうね。
 そして正しい解答を導き出せれば言うことは無い
  少なくとも問題を発見して実戦で回答を出そうと取り組むだけでも進歩でしょうね。
 早く強くなれる人は数少ない実戦と本でも強くなっていくものです。
 多分エッセンス的な本の問題を実戦の局面でも見ることが出来るのでしょう・・・想像ですが。
 そういう人は先生に教わったこと、実戦で得たもの、あるいは観戦でも皆どんどん血肉になっていくに違いない。
 マアほんの一握りの天才的なエリートはこの際除外して
 私みたいな普通のオジサン(普通以下かも)にとっては人が1回で分かることも100回も繰り返しても身につくかどうか怪しいのですから、「右脳・左脳」みたいな謳い文句、「潜在的に存在するかも知れない能力発見・開発」みたいなものに藁にもすがる感じです。
 三途の川で石を積む・・・いやこれは例えが宜しくない
 ザルで水を掬うような努力ではあるけれど、1回に1雫は増えるだろうから、気の遠くなるような道のりではあるけれど何もしないよりはいいでしょう。
 何かしらもがいていてやっと現状維持だから、何もしなければ後退必至です。

 ところで「問題として出されれば解ける」事をもし実戦でも気がついて正しい対応が出来たとして・・・
A「指摘されれば分かる」
B「問題がありそうなことを感じる」
C「更に、正しい対応が取れる」
 よく傍目8目というけれど、置石8つまでは変わらないにしても、実戦の対局者はA状態が多くて、”傍目”はCに近いでしょう。
 ですから、実戦でCみたいに打てれば・・・
 A→Cの差はどのくらいだろうか?
  感じとしては3子分くらいかなと思うのだけれどどうだろうか?
 つまり平素3子くらいの置き碁の上手を、場合によっては互い先で破ることが出来るかも知れないぎりぎりの棋力差かなと想像する

 何もやることが無いような時に一寸手にとって見るという役割もあるから、それ程しゃちほこばって考えることも無いのですが
 気楽に問題集に取り組んで得るものが多ければ即時的な効果があるかも知れないし、身につくものが多ければ”番狂わせ”を多くやってみせることが出来るかも知れない・・・マア甘い甘い夢ですが 

リセットについて

2007-09-02 16:58:39 | Weblog
 ブログをみてくれる方は当然パソコンを扱っているのですからご存知だと思うのですが・・・
 よくゲームなどで思うに任せない時には初めからやり直せるものは「リセット」したくなる。
 たとえばゴルフゲームなどで出だしの1番ホールでOBを叩いたら・・・
 マアお遊びの世界・・・とはいえ遊びも碁となると相手もいることですし
 「どんな失敗も本人の責任」というある意味碁の原則的な心構えに触れるものがあるように思う。

 ネット碁クラブに入るとまず入場者一覧表が出てきます
 上は401点のプロ、そのプロに先で打てるくらいの高段者から碁会所で打てばおそらく6,7Kの人まで、ともかくその時接続している人が全員点数順に載っています。
 そして「対局中」「観戦中」「対局待ち」「待合室」などの区別が出ていますから、誰がいて即打てる可能性のある人は誰なのか想像は出来る・・・「今対局希望を出すと誰と当たる可能性があるか」
 (対局待ちのリストに誰もいない時の話です)
 マア思惑通りにならないことも多いのですが

 さて、その日入場すると見慣れた名前の人がリストに載っています・・・けれど点数が少し変
 「入場者一覧表」の名前のところにカーソルを当ててクリックするともう少し詳しい情報が出てきます。
 詳しいといっても「名前」「都道府県」「点数」「対戦成績」まあその程度ですが・・・ネット上で名前を知っている人・・・対戦成績0勝1敗!!何だろう?
 これは考えれられることはあまり多く無い
ひとつは、この人は私の知っている人と同姓同名の別人
もし同一の人だとしたら一度退会して再入会したか
あるいは・・・「点数リセット」
 うーん、「初期に設定した点数が思うに任せなくて不本意な場合1回だけリセット出来る」・・・確かそんなルールがあったように記憶している。
 但し「もしかしたらそうかも」という人に出会ったのは初めてです
  何だかスポーツの試合でチーフレフェリーのオーバーコールというかオーバールールというか
 確かに勝敗で不本意な感情を抱く時はあるだろう
  しかも勝ったときではなく負けた時に・・・
 だから感情として「そんなはずは無い」と思うはずだから「やり直したい」のは分かる・・・
  分かることは分かるけれど賛成という気はしません。
 「初期設定」というのは自己申告に基づいて設定しているし、「しばらくやっていると落ち着くところへ落ち着く」という想定のはず
 (途中の一時期での不本意な成績については、いくら本人が不満でも・・・)
 「インチキ」とか「詐欺」の被害を受けたのら別問題です
 マアそれで気持ちよく碁を打てると言うのなら「良いのかな」という気持ちが無いでも無いけれど、それでは失った点数を受け取った方はどうなるか?
 マイナス方面だけのケアですからインフレ傾向になることは見えています
 もっとも、高段者の領域では2勝して勝ち点1と認められ、負けるとマイナス1点というルールもあるから、そこのところが調整機能になっているのかな?
  ネット全体を木に例えれば、吸い上げた水分を上の方から蒸発させているみたいな・・・それでは放って置くとデフレ傾向になる?・・・それはそれで不思議です。
 
 ふとネットゲームでバーチャルマネーがリアルマネーで取引されているという事を思い出しました。
 以前一緒の職場にいた若い同僚に教えてもらったのですが、その後TVで特集番組があったりして・・・
 マアネット碁の点数は取引では手に入りませんから、そっちの方の心配は無いのだけれど、でも「リセット出来る」というところは何だか少し”ゲーム”みたい。
 
 もっともリアルの碁でも似たようなことがある
 もしかしたら席亭が他の人に気づかれないように修正を加えていたり・・・
  「棋道奨励」みたいな意味もあるだろうから一概には批難できない面もある
 但し、顔が見えているし、当人には意地みたいなものもあるだろうし。
  ただ残念なことに「自主的な修正」はあるに違いない=要するにインチキに類する!
 たいていのリアル碁会所では各自対局カードを持っていて、対局後に日付・対戦相手・勝敗・新点数を記入することになっています。
 これは各自が相手の目前で記入するのが普通で、それゆえ公正が保たれると考えられている・・・正しくは「・・・の、はず」程度ですが
 ある意味ではゴルフでの自己申告制度に似ていますが、こちらの方はプロの世界にせよ誤記についてのペナルティは厳しいはずだし、アマだって自己規制とプライドがあるでしょう。

 さて碁会所の方の話
 人によっては同一相手と数局続けて打ちますからまとめて記入するのも普通
  だから1局毎に書き込まなくても不自然ではない
  しかも同一相手との点数差によるハンデの変更はコミで言うと2つずつ変わるだけですから続けて打つのに問題は無い。
 だから・・・不本意な結果について故意に書き忘れる不心得ものがいると思われる。
 会員のカードを突き合わせてチェックすれば簡単に分かる程度のことですが、現実にそれをやるのは膨大な手間です。
 (対局相手指定のところでは1回毎にカードを提出する筈ですから、そういう恣意的な間違いは起こらないでしょうね)
 1局ごとにカードを提出してもらえばいいのですが、その場合は人件費という問題があります

 いや同じ碁会所ならば限りなくグレーな人は皆感づいているでしょうね。
  感じとして成績が良いとは思えないのに点数が下がらない人とかいるし
  「感じていても」みて見ぬ振りというか、「大人の世界?」というか皆さん「人間が大きい」というか
  「遊びの世界という一種の割り切り」なのかもしれません。
 但しもしこういう人がいると長い間には○の数と×の数の差が大きくなって確実にインフレ状態になる。
 だから定期的に微調整が必要
  それでも碁会所などはまだ良いと思われる
 コミュニティなどで(私の知っているところだけかも?)、暫く行かない間にレートの切り下げがあったりして、更にその後インフレが進んだり・・・
 以前に2,3子置かせていた人に(その人の新しいカードと私の古いカードで)、手合いが変わってしまい私が先で打つようになったり・・・
 小さな世界では影響が直ぐに出ますね
  ネットの方はキャパが大きいし、”上の方”に蒸散作用があるから問題が起きないのかも知れない
 それに「遊びの世界のことに目くじらを立てる」のは子供の証拠?
  私は幾つになっても大人になりきれない無いみたいです 
 「1度だけ認める」なんていうのも、「待ったは3回までOK」みたいなローカルルールみたいです。 
 

もしかしたら・・・

2007-09-01 09:28:07 | Weblog
 朝5時ごろ目が醒めてしまって・・・いや、ホントに寝て十分睡眠をとってという”良い寝方”をしていないので、この辺の切り替えというかメリハリがいい加減なんです。
なんとなく寝ていてなんとなく起きる・・・だからお医者さんに「何時間寝ています?」と聞かれると答えに窮するのです。
 それでも自分のことですから分からないとは言えないし、「だいたい○時間」と答えるのですが、この”だいたい”という意味はそういう含みで答えていて、お医者さんの方は適当に判断してくれるものです。
 深夜にネットで対局あるいは相手に恵まれない時、気楽に囲碁を楽しむ時などは観戦していて、初めはベッドに腰掛けて、次にはベッド上で胡坐をかいて座って、更にはごろ寝で・・・と、時として観戦しているはずの碁が終わっていて、対局室には私一人が置き去り状態なので、対局室は閉ざされていない・・・
 それで慌てて退室して、まだ数局対局があるときは覗いたりして・・・また”不覚”の繰り返しをすると朝だったり。
 だからちゃんと天井を向いて寝転んで、きちんと寝具を掛けて寝るなんていうのは真冬だけかも知れないのです。
 真冬は物理的にごろ寝シーズンではないですからね。
  でも布団を半分しか掛けずに寒くて目が覚めることが多いのだから相当いい加減というか、体にあちこち欠陥があるというのに”野性的な”面もあるのかも。
 しかも寝ていて微かでも空気の流れを感じるのが好きなので冬でも少し窓を開けて置くから、朝喉が痛かったりするのは自業自得の最たるものでしょう。
  致命的な欠陥ではないにしても高校生時代には慢性的に鼻・喉に”?”を感じていたというのに。

 そういうことなのでTVなどでホームドラマのようなもので、「きちんとパジャマに着替えて、ちゃんと寝具に入って寝る」そういう場面に出くわすと何だか嘘っぽく感じてしまう・・・
 さて今朝もそんな状況で目が醒めた
  でも今日は土曜日なので仕事はないし
 久しぶりに涼しい日になりそう・・・夕べの観戦を思い出そうとしてもどうもあいまいなはずで、つけっぱなしのパソコンを見ると、観戦ではなくて”待合室”状態でした。
 マア誰かの対局を観戦しながら朝まで寝てしまうような失礼はせずには済んだけれど、間抜けなジイ様には違いない。
 入場者一覧を見ると先日書いた「女性と思われる」人が入場しています。
  うーむ、これは名前の付け方からして若い方かと思ったが少し微妙な感じ
 年配の人が私と同じで”目敏く”この時間に起きている・・・のか
 若い人が体力に物を言わせて休日なので連続で起きているのか
 それとも、何かのレポートを書いていて一区切りで一寸気分転換なのか・・・
  そういうどうでもいいようなことを考え・いや想像する癖みたいなものがあり、それもこのネットの楽しみ方の内だと思っています
 ところでその人はまた点数をかなり回復している
  筋が良いから当然とも思われるが・・・その人は相手も筋がいいと対戦成績が良くて、私みたいな筋悪オヤジには分が悪いみたいなところがあるのかも知れませんね。
 でも大丈夫ですよ!
  更に実力がつけば”筋悪オヤジ”など逆立ちしたって歯が立たなくなるでしょうからね。
 ですからホンノしばらくの間は私に良い思いをさせてください!お願い!

 さて対局待ちリストの方に回ると朝早くから数人がいます。
 そのうちの一人・・・確か私の出身県の人・・・関係ないか
 でもなんとなく懐かしさではないけれど親しみを感じてしまう
  全く一方的な感情で、勿論相手には分かろう筈が無い。
   もっとも私も多少は特徴のある名前で、良いほうでは無い方で名前が知れているかも知れないから出身県と在住県では知っている人はいるかも・・・
 ともかく向こう先の手合いで対局申し込み
  ネットはその人との対戦を指示していますが相手が反応しない
   「対局確認」と言うか「対局前の挨拶」が来ない
 刻々と時間が経つ・・・まあたいした時間ではないのですが、待つ方は長い
  それに私は待つのが苦手、普段の生活でも電車・バスを待つというのがどうも
 「やむを得ず待つ」にしても、当人としては物凄い忍耐というか努力を要しているのです。
  これは人にはわからないでしょうね
 さて2,3分しても相手が反応しないのでパソコン(事務局)が対局開始を指示して来たので、私から一方的に挨拶を送る
 更に待つこと3分、待ちに待った?相手から挨拶が送られてきて対局開始
  待っている時は複雑ですね
例によって想像を働かせます
 最悪のパターンは、対局開始を目前にして何かの持病発生、あるいは発作・・・私なら一番考えられる。
 あるいいは対局リストに載せたまま小用にたった・・・これもありいうる
 もしかしたら突然電話が入る・・・時間が時間だから可能性は低いが
 恣意的な感じがするけれど、対局前にお茶・コーヒーを淹れて・・・うーむ
  ともかく対局開始で時計が動き出した
 ところが相手は打たない
  今度は時計が動いているのだから、まあ何をしていようと本人の自由ですが、流石に第1手目です。
 プロ棋士の公式戦なら気力が充実・あるいは気持ちを整えるのにまずはお茶などとか、瞑目数呼吸もあるのだろうが・・・
 それとも先ほど数分遅刻した?のでペナルティー的に故意に時間を空費しているのだろうか。
 それとも・・・
   私は待つのに弱い
  電車・バス、あるいは出掛けに女房殿の身支度、買い物の品選びなど最悪
  ましてや何が何だか分からない状況は個人的にはつらい
   何かの局面で考えているような場面なら当方も一緒に考えるから、これは相当な長考でも一向に構わない。
 しかし1手目は・・・

 まあ、そうは言っても相手はご自分の持ち時間45分の権利を自由に使っただけでしょう。
 おそらく”小次郎・武蔵”ではなく彼にとっては必然的な理由があったのでしょう
  実際には1分54秒で第1手は打たれました。
『なーんだ、たったの2分足らず』・・・そう言われそう。
  確かにその程度の時間ではある
   しかし
 
 昔聞いた話
  多分アメリカの作家だけれど、決闘のホンの数秒のことを小説にして数百パージの本を書くとか言うのを聞いたことがある。
 時間の経過だけでは計れないものがあるはずです
 ”走馬灯のごとく”という言葉もあるように一瞬で一生の物語を思い出すような
 少しオーバーになったかも
  ともかくこれが作戦なら、確かに私はこれに弱い
   しかし幸いなことに、今日作戦は成功しなかったようで
 もしかしたら今日は私にはいい日かも知れないな 
  贔屓チームのサッカーの試合が楽しみだ