なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

「徒労してますか?」

2009-11-15 03:43:19 | Weblog
 先日NHKの昼番組で「みうらじゅん」という人がゲストで出演していました。
 ”という人”という表現も実は私らしいのです。
 要するにその方の名前をTVで紹介されるまでどういう人でどういうことをやってきたのか全く知らなかった・・・名前と一致した記憶が無かったのです。
 殆どの人はご存知だとは思うのですが「マイブーム」とか「ゆるキャラ」という言葉の命名者なんだそうですね、それにガロに漫画を出していたこともあるとか。
 ガロ、懐かしい雑誌ですね。
 学生時代、後輩の持っている雑誌を見せて貰っていましたから「つげ義春」というような名前は記憶にある・・・但し”みうら”さんの記憶は無い・・・申し訳ないような。
 さて「マイブーム」、こういう名前はコロンブスの卵みたいな感じですね。
 マイブームの中身自体は命名者がつくった物では無いと思う。
  しかし定義というか解釈というか、市民権みたいなものを与えたのだと思います。
 何かを面白がっている人がいて、それを見て面白がることもある。
  落語に出て来る旦那の道楽だって、次々に興味が移って行く物も、周りに迷惑をかけるかどうかは別としてマイブームの一種でしょう。
 もっとも独自性というか、同好者の数は「マイブーム」と「道楽の同好者」では数が圧倒的に違うのと、追いかける意志の強さみたいなところもかたや「人がどう思うとも」と一方は「飽きやすい」点で相当な違いはありそうです。
 ところで番組の中で”みうら”氏の言葉が耳に残っています。
 「徒労していますか?」
 要するに「マイブーム」は膨大な徒労を伴うものであるらしい・・・従って徒労を厭うようではその道には進めないわけです。
 TVCMの「セコムしていますか?」みたいなノリで「徒労していますか?」これが耳に残りました。

 考えて見ると私の囲碁の始まりはこの膨大な徒労によって出来た事のようです

 小学1年の頃はTV放送が無かったので、新聞を見るようになっても番組表だけみるみたいな見方はありませんでした。
 大人はたいてい最初に1面の政治2面の経済と裏から2枚目の社会面、それにその次の地方版と生活記事というように進むのですが、子供にとっては裏から3枚目のスポーツ欄が最初です。
 不思議なことに、ろくに感じを知らなくても記事がだいたい分かったりしますし、逆に新聞を読むことで新しい文字を覚えたり。
 そして私はスポーツ欄の一番下の将棋欄。
  前日の盤面を見ながらその日の記事の棋譜を追います。
 解説とか記事はなんとなく分かるのですから不思議ですね。
  これを大人に言われたのでもなく、教わることも無く勝手にやっていたわけです。
 そしてついでに将棋欄の隣の囲碁欄にも目を通します。
  ルールなど全く知らないし、家族にも近所にも打つ人はいないので、単に囲碁という遊びがあってこういう風に進行するものだと言う事を毎日見る。
 全く不思議なことですが、棋譜を分割掲載して序盤は手数が少ないので見やすいのですが、だんだん掲載手数が増えるし打つ場所もあちこちに飛んだりするので探すのが大変。
 意味がわかっていないので、本当に数字の印刷されているところを探すのです。
 これが一局の最終掲載日となると総譜ですから全手数を一挙掲載・・・1から300手辺りまでまるで宝探しというか。
 全く意味が分からないのにこれでコウとか生き死にのルールを憶えるのですから考えれば恐ろしい。
 というか「もしこれで、囲碁を打つに至らなかったら?」・・・そういう設問も無意味かも知れませんが、仮に打て無かったら・・・。
 単純な計算ですが、序盤の記事と総譜の時では目を通すのに差があります。
  難しい漢字なども大人に教わったりしながら読んで行くとして、概ね平均毎日20分くらいはかかったと想像出来ます。(スポーツ・将棋・囲碁だけで1時間近く新聞を読んでいたような・・・)
 これが中1で初めて囲碁モドキを打つまでに6年半から7年近く続いて来ていた筈。
 365日×6.5として約2270日・・・それが20分だから45000分以上とすると・・・750時間。
 全く目的というものも無く、なんとなく続けていたこともこれだけの時間の蓄積ともなると、「とっつきにくい」「理解しにくい」物も一応終局まで打てるようになっていた。
 勿論非常に効率の悪い道楽への導入部分と言えるとは思うのですが・・・きっと今風に言えばマイブームだったのでしょう。
 何かを身につけるための「教室」「講習」みたいな観点から言えば膨大な無駄な時間を経過しています。
 そういう意味では「徒労」部分の方が多いですね。
  こういう趣味の進行というのは、私には多いようで、まさに「徒労しています」を通り越して・・・徒労が無くては道楽では無いみたいな感じです。

早とちりは直らない!?

2009-11-14 01:13:21 | Weblog
 投稿と言っても論文だとか何かの意見と言うほどのものではありませんで、単に疑問に思ったことについて質問しただけ。
 それだけのことではありますが、いざ実行するとなるとこれが意外とエネルギーが必要なことなんです。
 私はこれまでに3年以上毎日ブログを更新していますが、自己満足的レベルのものを毎日書いて更新しているの・つまり自分で書いて自分のブログには出せるのですが,初めてのところにコメントを入れたり質問をするとなると、『本当に訊いてもいいのかな?』とか『もしかしたら的外れの質問で失笑を買うだけかしら』『それなら止めておいた方が無難かな』『もしかしたら、他の誰かが同じことに疑問を持って訊いてくれるかも知れないし・・・』という風なマイナス思考というか後ろ向きになりがちです。
 
 良いことでも悪いことでもなんでも、ともかく迷いながら生活していく性格のようです。
 これが囲碁・・・例えば新しい碁会所に足を踏み入れるかどうか?のような事でも相当に迷いに迷ってからドアを開けるようなところがあります。
 これまでに訪ねた碁会所は、メンバーになって打つようになったところを含めて7箇所、それにコミュニティ1箇所と公民館で自主的に活動しているクラブ1箇所といったところ。
 碁会所7カ所のうち現在でも営業しているところは3箇所だけですから、やはりそう多くは無いと感じています。
 それに、通りかかった町で発見した碁会所で、いつかは行ってみたいと思っていながら結局は訪問できない、近くに行くたびに寄って見ようと思いながらもなかなか実行しないでいる碁会所の方が何倍も多いのです。
 ちょっとお茶を飲みに寄るような感じでは寄れないと言うこともありますが、そういう感覚を含めて私が平均的な囲碁ファンの気質なのか?・・・それともヤヤ消極派なのか?

 ところで電車でその駅を通ったり、あるいは仕事でその町に行ったりするたびにそのビルを見上げたりする碁会所があります。
 仕事中に寄るのは流石に無理ですが、仮に休日に出かけるとすれば家からバスでJRの駅に出て電車で3駅目で、その駅前にある碁会所ですからかなり便利ではある。
 今のところ一度も行ったことは無いけれど、そこはHPがあるので一方的ですがなんとなく親しみは持っているのです。 
 JRの殆どの駅前には碁会所があるのですが、この辺りでHPを出しているのはここだけです。
 そういう意味でHPで多少は知っているということと、HPを持ち更新すると言う感覚というかそういうことに親しみを感じるのかもしれません。
 (碁会所のオーナーさんなどにはHPとかネット碁とかに後ろ向きの人が多いように感じています)

 さてその碁会所のHPに上級難問という詰め碁が連載されていまして、答えを見てどうしても正解手順に疑問が残る問題がありました。
 こういう時かなり複雑な心理的な動きがあるのです。
 『もしかしたら私が基本的な見間違いをしている?』『質問すると、”こんなことも分からない?”と嗤われるかもしれない』『でも知りたい!』
 コメントと言っても「白、ここでこう打つとどうなるのですか?教えてください」と言うだけなのに、これを書きこんで投稿するのにはエネルギーが要るのです。
 そして思い切って投稿したのですが・・・投稿そのものは「管理人が投稿を見て取り扱いを決める」のだそうです。
 即答を期待している分けはありませんが、思い切ってコメントを入れた割には少し外された感じがしないでもない・・・
  さて、質問への解答の方はどうなることやら・・・

 結果は無残!!
 イヤ、自分で大勘違いの質問をしていることに気がつ来ました。
 やはり「嗤われる」類の質問を、大真面目に迷った挙句真剣に質問していたことに気がついたのです。
 我ながら何と言う性格。
 サッカーなら一発レッド級、囲碁なら投了。
 『大変失礼しましたが、大勘違いの質問をしていることに気がつきました。』『是非コメントを削除して下さいお願いします。』
 体さえ悪いところが無ければ?長生き出来る性格なんです。

 

”因果”は巡る

2009-11-13 01:33:19 | Weblog
 息子を叱る時にいつも思うのだけれど、私自身は父親に叱られた記憶が無いことです。
私が叱るのが下手なのはそういう経験値からきているかもしれません。
 小学校時代には母親からはよく小言を言われたものですが、それも本気で叱っているのかどうか子供でも分かるような事でしたので、親の思いを真剣に突きつけられたような叱られ方は無い。
 例えば成績に関して「お前はやればできる筈なのに・・・」みたいな言い方では「またか・・・」くらいにしか感じないので、頭の上を小言が通り過ぎるのを堪えている程度でした。
  今にして思えば、両親にだいぶ甘やかされて育ったことが・・・良かったかどうか思いだされるのですが・・・今や幸か不幸か立場が変わって私が親の立場です。
 叱られることも褒められることも自分自身の経験値が低いので両方とも全くの苦手です。
 褒める方は、褒める前に自分が照れてしまうので二の足を踏むし、叱る方は感情が先だって怒りになりそうなのでこれも躊躇してしまいます。

 最近考えるのですが、息子からはオヤジの欠点・性格はよく見える筈です。
  多分悪いところはかなり拡大されて見えている筈ですから、何かを叱る時は非常に難しい。
 マア叱ると言っても一応成人しているので叱ること自体が難しいのですが。
  ともかく自分のことは棚に上げて、正論的立場で真っ向から叱ることも時には必要だとは思うのですが、それは多分本人も感じている事・傷に塩を塗る事もあるかもしれないので、これは必要ではあるけれど量が問題のようで、使い方が難しい劇薬かもしれません。
 搦め手から叱るのもかなり有効だと言うことに気がついたのですが・・・
  それは、オヤジと言う存在・目標と言うか反面教師的な存在と言う事を利用して「オヤジの悪いところだけ似るな」とオヤジ本人から言う事のようです。
 勿論自分で言うのも変ですが「オヤジにも良いところがあるのに」と言う前提で話す事と、「母親に甘えてばかりいないで」という意味が入っている。

 「オヤジに反発していても結局はオヤジに似て来ているゾ!」と言われるのには弱いらしいことに気がつきました。
 これは結構有効なようです。
  いずれにしても、私の父親が抱いたであろう気持ちを今私がバトンタッチされています・・・古い言葉で言えば「因果応報」かも。

 

『そういう挨拶は無いョ!』

2009-11-12 00:27:40 | Weblog
 今日は例によって水曜・定休日なので、いつもよりユッタリ気分です。
  天気も悪そうな予報なので、出かけなくてはいけない用事も無し・・・唯一の心配は昼ご飯ですが冷蔵庫にあるものなど適当にお腹に入れておけば夕方までに飢え死にすることも無いでしょう。
 さて、女房殿はこういうグウタラ亭主の行動を熟知していて、ちゃんと予定を入れて来るのが得意技なのです。
 今回は家の中の排水管点検・清掃。
  「業者が午後2時くらいには来ますから、家にいて立ち会って下さいね」宣言で私の都合の方は頭から無視した形で一件落着。
 マア、納得のいくような断る理由がないのですから軍配は既に向こうに上がっています・・・。
 という事で、出かける用事は無いけれど、家に居なくてはいけない制約はある・・・『居るだけで良い』という事なので『そんなことも出来ないの?』みたいなプレッシャーをかけられるのですが、決まった時間に居なくてはいけないと言うのも約束時間に出かける用事も同じように面倒な気はします。
要するに(小さなん声で)『束縛されるのが面倒!』

 さてそういうことで朝からTV
  朝は何気なく衛星放送を見たら将棋竜王戦の二日目の朝の放送でした。
 この対局は1日目の進行が早かったのが、2日目の朝にバタッと止まったのだそうです・・・谷川さんの立ち会いで封じ手を開けた直後の次の一手で竜王が長考に入った。
 ですから朝からは今日の指し手は朝9-10時の放送時間内には無しで、昨日の進行の再現と現在の状況説明・・・イヤ、これも結構面白かったので良いのです。
 解説担当棋士、立ち会いの谷川さん両氏の一致した意見では、次の一手でもしかしたらこの一局が決まるかも知れない岐路なのだそうで、『そうですね。ここでは2時間くらいは考えるでしょうね』というところなのだそうです。
 ともあれ午前の放送はそこまででしたので、午後4時からの放送に期待。

 それで4時に再度衛星放送で観戦。
 結果は午後4時25分頃、104手で挑戦者が投了。
  終盤の迫力のある場面を盤面の解説と、終局の緊迫したリアルの映像を見せて頂きました。
 感想・・・将棋は囲碁よりも弱いので感想らしきものはありません・・・が。
  終局時に立会人、対局場のお寺の方、新聞社の方々などが盤側に並んでいましたが、あることに気がつきました・・・恥ずかしいけれど言ってしまうと『挑戦者の森内さん以外は皆メガネなんですね』(小学生並みのアホな感想)。
 それ自体意味のない感想かもしれませんが、以前から将棋の棋士、羽生・佐藤・谷川・中原・・・それにエッセイのファンである先崎さんも殆どの棋士はメガネをかけています。
 『まさか森内さんはコンタクト?』なんてこの場では不謹慎な質問を考えたりしました。
 マア囲碁でもメガネの人は多いから将棋だけということでもありませんが、今話題の井山さんはかけていますが張さんはかけていないし、パラッとめくった11月号NHK囲碁講座7人の講師の先生の顔の写真を見るとメガネ無しが5人着用2人。
 これは単に外見だけのことなのか、それとも何か他に理由があるのか?分かりません。
 メガネの着用率が高い割には女流棋士のメガネは囲碁・将棋ともに少ないと思いますが、これはコンタクト派が多いのかなと想像しています。

 さて今日の私のネット対局は2局
 1局目は1点向こうの方が上なので私の先コミ5目半出し。
  これが終盤近くまでかなり上手く打てたのですが、例によって欲張りな受け方をしたために破綻!。
 後で検証すると相当凹んで受けても地では残っていたのに・・・
  普通に寄せても20目以上残りそうな形なのに馬鹿な頑張りをしてしまいました。
 そして馬鹿な敗戦に相手から傷口に塩を塗るようなプレゼントを貰いました。
  終局後の挨拶メールで、私からは簡単ですが「ありがとうございました」。
 相手からはナント「急用が出来たので投了させて頂きました」・・・
  私が投了したのに!(おふざけが過ぎる。本人はブラックジョークのつもりかも知れませんが、これは友達を失うタイプですね・・・それとも最近の友達はこういうことも笑って済ませるほど寛大な人が多いのかな?)
 これって何かの入力ミスでは無いと思う・・・というのもこの人はこのメールは初めてではない筈ですからこれは恣意的な入力と考えられます。
 実名サイトにしては大胆な人というか、人間性を疑うコメントです・・・こういうマナーについては管理する事務局も感知出来ないでしょうし、訴えるみたいなことも変だし困ったものです・・・マア個人的対策としては私は今後この人とは打ちたいと思いませんね。
 
 よくない気分を引きずったまま対局するのは連敗の危険はあるのですが、「休日」だから打たないわけにはいきません!?。
 2局目は対局リストに載せておいたら同じ点数の人からオファーを受けました。
 大きな石の戦いはあるものの地は細かそうな進行。
 私が相手の15目くらいの地の中に手をつけ、後手ですがセキにし、もう1カ所大石を目二つにしたところを逆襲を受けまして何とか凌いだ場面で相手が投了。
  要するに地を削減され、代償が無かったところで、ファイトが尽きたと言うところか・・・しかし現実には相当細かく見える。
 棋譜で投了場面から打ち継いでみると、私の半目勝ち。
  念のためにやり直してみて3目半勝ち・・・。
 いずれにしても細かな勝負で、投了時点ではそういう地合い計算での投了では無かったような気がします。
 相手の人はセキになったことで相当損をしたと判断のかも。
 それに取りに行った石に凌がれたことで失望。
  多分そういう事だろうと想像するのですが、もしかしたらモシカシタラ、セキの部分を取られていると思い込んだのかも知れない・・・確率は低いけれど無い事とも思えません。
 ともかく水曜・休業日は1勝1敗、いや先に負けたので1敗1勝でした。
 

詰め碁は続く

2009-11-11 02:32:24 | Weblog
 職場の昼休みは薄暗い洞窟みたいな・・・マアそこまで暗くはありませんが、今日みたいに曇った日は特に暗い。
 建物自体がJRの高架線のすぐ横ですから、そういう影響は多少はある筈です。
  列車の通過音に慣れれば、駐車スぺースには恵まれている一長一短みたいなものです。
 さて昼休みは外食で食事に出た人以外は半分は仮眠状態ですから、誰かと世間話に花を咲かせると言うようなスタイルは、やや、ご近所迷惑になります。
 従って、自分も仮眠派の仲間になって眠るか、本を読むか、あるいはパソコンで一人遊びをするか・・・表のテニスコートとか、海までジョギングは無い!。

 それで昨日も書いたようにネットで詰め碁の問題で一人遊び。
  基本問題は無料サイトが2,3あって、問題数も多いのですが、、、基本の復讐とか、基礎を固めるという意味では良いとは思うのですが、いつもこればかりでは流石に歯ごたえが無いのが困ります。
 それで、今日は他の詰め碁を探しに行きました・・・
  難問過ぎても困るけれど、ソコソコ難しい問題で、無料サ-ビスでなくては困る・・・

 さて、探してみて自分の甘い期待の仕方が間違っていたことが分かりました。
  ネットには3段の詰め碁だとか、古典の詰め碁とかの紹介はありますがそれらはプレステだったり、パソコン用のソフトだったり、本だったりで、当然有料なのです。
 有料が悪いのではなく、私が一方的に過大な期待をしただけで、有料は当然とも言えます。
 それでもしつこく探していて、二つだけ見つけました。
  もっともそのうちの一つは1問だけですが・・・毎日問題替わるのかどうかは分かりませんが、ともかくソコソコの問題が出ています。
 ただし、答えも出せるのもヤヤ不満。
  もう一つは「碁太郎2000」
 これは問題も多いので暫く遊べそうなのと、10問程度ではありますが「隠し詰め碁」というコーナーがあって、ここは「黒先」という以外はヒント無し。
 こういうのが良いですね。
  問題がソコソコ難しくて、ヒントはくて、黒の手を入力した時に間違いでなければパソコンの白が応手して、間違いだったらブザーはならないものの即座に「失敗」宣言。
 そこで初めからやり直し。
  ここの10問が100問くらいだったら良いのに・・・まあそれは単なるおねだりということでしょうね。
 ともかく1日1問、約2週間の一人遊びの予約みたいなものが出来ました。

 ところで碁太郎。
  私の囲碁友達から「碁太郎」のフロッピーを貰いました・・・確かペラペラの5インチフロッピーの時代・・・もしかしたら3.5インチだったか記憶は定かではないのですが、彼は友人から貰ったという事でした。
 それがニュアンスとしてはこのソフトを作った人のように記憶しているのですが・・・さてどうだったのでしょう。

 話は横道にそれて行きますが。
  丁度碁太郎のソフトを頂いたのと同じ頃、棋譜ソフトなどを開発している人が営業にやってきまして話をしたことがあります。
 よくは理解出来ないのですがこういうソフトと、シッピング(船のコンテナーをコントロールする)ソフトなどと関連があるのだとか・・・それで、ゲームで言うと「倉庫番」のようなものにもつながるのだそうで・・・。
 私は質問も出来ないので、黙ってお茶を飲んでいただけ。

昼の詰め碁

2009-11-10 00:30:09 | Weblog
 以前ですと昼休みには3人で碁を打っていたので、3日に1回手空きというペースなので週3,4局といったところ。
 ところが今の職場では相手が見つからないので、転勤以降対局は0。
  3年前にここにいた時は5人打つ人がいたのに、たった1年他に転勤して戻ってきたら囲碁愛好者は皆転勤か停年退職していました。
 ですから昼休みはしごく退屈な時間。
  昼休みは実質45分で、そのうち食事にかかる時間は偏食傾向があるので、嫌いなおかずで且つライス自主制限が重なるとお弁当時間はあっという間にオシマイです。
  現在の職場ではどこでもそうかも知れませんが、昼休みは事務所の蛍光灯はスイッチオフ(但し御客が要る時は消しませんが)、電灯当番みたいな人がスイッチを切って回るので、事務所全体が薄暗くなり休み時間に15分程度の仮眠を取るにはよいかもしれませんが・・・しかしやることが無いから眠ると言うのも味気ないものです。
 何だか穴倉生活みたいでもあり、フテ寝みたいな感じでもあります。
  
 どうせ昼休みやることが無いので、最近は私もいくらか終業時間を早めるために昼休みの終わりを15分早めています。
 12時45分から午後の仕事開始、その分夕方15分早く帰っています。
  と言う事で昼休みの自由時間は25分程度・・・一人遊びの時間です。
 ワードパットを使ってブログの下書きをしておいたものをプリントしておくとか、A4サイズの封筒を切って手帳にしたものに思いついたことを書きつけるとか・・・。
 それと、最近はネットで詰め碁の問題集を解いています。
  そういうサイトは2,3あって基本的な問題集です。
 サイトを作ってくれた人の努力には敬意を表しますが、もう少し難易度が高い問題集があればもっと嬉しい・・・マア基本問題集・それはそれで必要なんですが。
   おそらく難易度で言ったら中級程度だろうとは思うのだけれど、他にないのだからそれなりに楽しむことにしています。
 と言うよりは、逆にこれで間違うようでは我ながら情けないというムードがありますから、むしろ緊張して慎重にやるようになっています。

 でも考えて見ると、実戦には初級向きとか有段向きとかは無いから、どんな問題でもきちんと出来なくてはいけない。
 イヤ、盤面に問題を提示している実戦は無いわけで、これは感性と読みの戦いになる筈です。
 しかし、もう一歩踏み込んで考えると。
  問題は、問題の場面として提示されるのですから、そこからのスタートです。
 ところが実戦は相手と一手づつ問題の場面を作り上げて行く過程がある筈ですね。
 一方は「これは相当に危ないですぞ」から「手を抜けば酷い目に会わせますよ」と行く筈だし、かたや「やれるものならやってみなさい」とか「紙一重で凌いで見せます」という張り合いの戦いでもある。
  そういう過程で先手争いをしている筈です。
  あるいは手数をかけてくれるのなら悪い取引では無いと思いながら取られるように打つかも知れません。
 いずれにせよいきなり問題の場面になるわけではない。

 昼休みに基本の詰め碁で遊びながら、「玄々碁経」クラスとは言わないまでもソコソコ難しい問題が出ているところは無いかしらと探したり・・・人様の善意と努力をあてにしております。
 仮に週1とか週2くらいで問題が出ていると良いのになど・・・と虫のよいことを考えています。

 「詰むや詰まざるや」みたいな問題も面白いし、将棋の一手スキ的な問題の囲碁版と言うのはどうでしょう・・・例えば「詰まない詰め碁」という問題があったとします(いい加減な発想ですが)それでそこに何か一つ石が加わった場合に詰むようになるかどうかを判断する問題。
 詰まない詰め碁の原型があり、いろんな場所にABCDEなどの地点番号がついていて、有効な地点を探す問題はどうでしょう。
 例えばシチョウ絡みだったり、下がり1本だったり・・・
  
 さて休み時間残り15分なので仮眠タイムとします。
  年寄りにはこれが大事かも。
 睡眠時間が時間切れしても、いきなりレッドカードは出ないので安心してZZZ--。

システムの認識間違い体験

2009-11-09 05:06:42 | Weblog
 この週末の成績は「思うに任せず」的な評価と言える。
  1勝2敗だから負け越しは1つだから大したことは無いとも言えるし、負け越しは負け越しと言う事でやや凹み気分でもある。
 いけないのは、やはり内容と言うことです。
  2子置いて久し振りの置き碁に挑戦しましたが、やはりいなされた印象です。
 序盤に白は多少無理をして来ていて・・・この石の咎め方が問題だった。
  一番分かりやすいと言うか単純な作戦で、白撲滅作戦、これが決まれば気持ちが良いのだけれど問題は2,3あるのです。
 ① 取ったは良いが全体的に有利な形勢とも言えない場合。
 ② 取りそこなった上に自陣に傷を残す。
 ③ 取り行った石が逆に取られる。
 ②の場合などはこれで置き石の半分はハンデが詰まる感じだし、③なら既に形勢不明か逆転されています。
 2子の上手は①の他にもう一つ常套手段をジャブのように繰り出すのです。
  精一杯に頑張って危ない形だけど黒先で取れない形で凌がれて先手で他に回られる・・・自分でも2子の白ならこういう作戦を選ぶのに、相手にやられてしまうと気持ちが滅入ります。
 ともかく、2子ならなんとかなりそうな気分で対局したのが、何ともならずに投了。
 
 もうひとつ敗戦がありましたが、そこでシステムの穴みたいなものに遭遇しました。
 形勢が不利なのにシステムも不利に誤作動と言うか、誤った認定をしてくれるので、そのために負けたのではないけれど、気持ちの上ではダメージを受けました。
 それは隅の生き死にの場面で起きました。
  形としては相手の先手でコウで取りに来る手がある形のところを承知で放置してはいたけれど・・・これは約25目程度の大きさですが、仮にコウで取られるまでに2手続けて打てるのなら見た目程のダメージは無い。
 そこで、相手が取りに来た場合、一・2の急所に石を打って白に取らせてコウする手段となるのですが、その相手の一・2に打ってきた石を取ることが出来ない!
 一・1をクリックして石を取りにくと「この石は取れません・コウです」というメッセージが出るのです。
 『コウと言うことぐらい分かっている。何故取れない!?」と言う感じで三回繰り返して・・・あることに気がつきました。
 この形は一・1に白石あって、それを黒が取った形と同じなので、コンピューターは黒がコウを取った直後の形と判断してしまうらしい。
 従って、コウ立てをしないと取れないらしいと想像して、試しにコウ立てらしき手を打って相手がそれに応じたので、問題の手を打つことが出来た。
 要するにこれではコウ立て一つ損をすることになる。
  マア、コウ立て一つで損得がどうこうするような碁では無くて、どの道負けたとは思いますが、気分としてはシステムにもソッポを向かれた感じです。
 それで、一体何が起きたのか検証するために投了後に棋譜倉庫にを見たら、その棋譜は記録されていない・・・「そんな馬鹿な!」
 何が原因かは知らないけれど、これは勝敗より不愉快

 さてこの週末の貴重な一勝。
 これは有名な格言の実証的な局面が出来ました。
 中盤で局面は私の方が地を稼ぎやや有利で、一隅は1合マスの形で放置してあります。
 従って相手からはここが勝負どころとなる筈で、実戦でも相手が手をつけて来ましたが、私の方からは無条件生きは無いものの2手ヨセのコウにはなる。
 つまり5目ナカデとか集6にならなければ良いわけで、コウ生きで十分・・・つまり外ダメが9手あるので「・・・コウに非ず」なのです。
 相手からの大きなコウ立ては4手でこちらからは2手コウ立ての数では相手有利なのですが何と言っても外ダメが多すぎて勝負になりません。
 そこで相手は已むなく投了。
  この碁は普通に寄せて私の方に7目半残っていたようです。
 負け越したけれど、最後に勝って終われたので少し気持ちが晴れました。
 さて、もう一度棋譜倉庫へ迷子の棋譜を探しに行ってみます。

コミュニティ祭り

2009-11-08 01:02:56 | Weblog
 今日は循環器系のクリニックでの定期検診日・・・マア自分で薬が無くならないように4,5週間隔で診察を受ける日です。
 尤も先生にしても、私が総合病院、生活習慣病クリニックでも診察を受けているのを知っているし、各種の検査も他でやってしまうので、表現が悪いけれど医者と患者間の緊張感みたいなものは希薄です。
 他のところでの検査データなどを見せながら近況報告と言った程度で、御決まりの薬が処方されます・・・「こんなんで良いのか」みたいな疑問はありますが、まあ不安無いので、普段の薬を頂くには診察を受けなくてはいけないので、これも仕方がないのかと思ってはいる。
 ところで、今日はここの「発熱外来」に患者が来ていました。
  そう言えば壁に「24時間以内に37.5度以上の発熱があった方、咳・・・のある方はインターホンで御話しください・・・完全予約制で別の入り口別の診察室・・・」などと書かれた張り紙がありました。
 ニュースでも流れていますが、ここのところ患者が増えているとか。
  診察の帰り薬局に寄るのですが、10時前と言う時間なのに待ち合い室の椅子には大勢座っています。
 これが、子供が発熱した母親たちが数人・・・薬を渡すカウンターではお「兄ちゃんにはタミフル・・・下の子にはリレンザ・・・」のような会話が聞こえて来る
 と言うことはこの人の子供たちは新型かどうかは分かりませんがインフルエンザの疑いがあると言うことでしょう。
  成程、先ほどのクリニックでも、この薬局でも患者の疑いのある人・あるいは家族にニアミスをしている事になるのかも知れません。

 さて病院・薬局の帰りにコミュニティに寄りましたが、これが朝早くから広い駐輪場が一杯になるほどの盛況。
 この日はコミュニティ祭りでした。
  これはコミュニティを利用している団体などは何かを企画して参加し、地元の各自治会などはそれぞれバザーを出して御祭を盛り上げているもので模擬店がいっぱい並んでいます。
 館内では・・・図書館近くの廊下には特設の本棚が並んでいて人も大勢並んでいます。
 これは本のリサイクルの催しだそうで、不要の本雑誌の寄贈があり、それを希望者がもらえるという企画・・・成程こういう企画は成功して欲しい。
 その延長上に各家庭で眠っている囲碁の本などが出て来るようになればバンザイですが、なかなかそうは都合よく行きません。

 最近は図書館で本を借りることがありませんでした。
  本を読まなくなったのではなく手元に読まなければいけない本が何冊もあったので、借りて来る必要性も無く・イヤ借り来る程の余裕はなかったのです。
 そちらの方も片付いたので、とりあえず図書館によってみた。
  囲碁・将棋欄は相変わらず寒い状態ですが・・・本棚の前で囲碁の本を立ち読みしている年配の女性を発見。
 マア、だからどうした分けでも無いのですが・・・
  本棚の前で熱心に読んでいる。
   どうやら何かの棋譜を追っているようにも見えますが、問題に挑戦しているのかも知れません。
 しかしこの方はコミュの囲碁クラブの部屋では見かけたことが無いので、声をかけて「このコミュには囲碁クラブがあって、碁盤を10面くらい並べて毎日囲碁ファンが打っていますよ」と教えたものかどうか?。
 マア声をかける勇気はありませんから、いつも通り迷っただけでオシマイ。

  私が借りた本は
 小説が1冊、マヤ・インカと縄文人についての本を1冊、それと囲碁の本を2冊。
 囲碁は「正々堂々 高尾の力学」、「三村智保の 読みに強くなる秘訣」
  要するにこの地元の出身棋士で、ブログでもお馴染みの棋士。
 本が対象とする囲碁レベルは分かりませんが、私にとっては頭を囲碁漬けにしておくことも大事なので、その場合は余り難しすぎると拒絶反応があると困る。
 従ってほどほどのレベルが丁度良い。
  それと例えばネット観戦で対局を見る場合は碁盤から問題を探すような方向で見るのが、本の場合は既に問題・テーマが提示されていると言う違いがあるので、両方を気楽にやることが良さそうです。

 ところで高尾さんの本の1問目のところに書かれている太字の言葉が良い
 「弱点を無くせば囲碁は簡単になる」
 成程、シンプルさの中に強さが隠されていると感じてはいました。
  複雑なところを読み切る強さもあるでしょうし、それはそれで憧れではある。
 しかし、シンプルの中の強さもまた悟りの境地的な憧れでもある。
  どちらにしても難しい。
 「読みで相手を上回る」強さを身につけるべきだが、それはザルには至難の業と言うか、殆どプロにお任せの世界。
 一方で「簡単」の方は、基本的に「弱点を無くす」事が前提であるから、強い人は弱点が少ないとも言えるし、弱点が無いから強いとも言えるわけで、これも鶏と卵みたいな関係。
 それで、弱点の無い簡単な姿は相手からも良く見える筈で、相手に姿を晒してもつけ入ることが出来ないようなものになる筈ですからやはり理想的な強さ。
 結論として簡単な物の中に心理があり、簡単なものほど難しいのかも知れません。。

薬の飲み方

2009-11-07 01:10:28 | Weblog
 私は薬の微妙なバランスで体調を維持している・・・らしい。
  一応”らしい”としておくのは、仮に薬を飲まなかったらどうなるのかという恐ろしい実験はしたことが無いので、必要性の実証・不要性の検証はしていません。
 改善薬を使用してもこの程度ですから、仮に使用しなければ恐ろしいことになるのではないかと言う傍証的な感じはあるのと、すくなくとも薬同士が干渉しあって副作用を起こしてはいないらしい。
 と言う事で毎日12,3種類の薬を朝昼夕の食後と寝る前に服用しているのです。
 これらを間違いなく服用するために小さな仕切り付きの入れ物に4回に必要な薬を分けて入れて置くようにしている・・・そういう入れ物を3個用意して3日に一度種分けして入れて置きます。

 さて、4,5週間分が処方されて薬局で受け取るのですが、これをきちんと服用すれば4,5週間後には手持ちは無くなる筈ですがそうはならない。
 だんだん手持ちの薬が残って行く。
  要するに飲み忘れるとか、事情があって飲めない時もある。
   例えば昼の薬は仕事が忙しかったりして食事時間が不規則になると”ウッカリ”する場合が起こり得る。
 食事をしなければ飲んではいけない薬もある。
 それに私にとっては一番のみ忘れが多いのが「寝る前の薬」
  これが冗談みたいにのみ忘れるのです。
 多分処方として「寝る前に」と言うのが悪いと言うか私にあっていない表現なんです。
 つまり寝る時間が不規則に「寝る前」という時間は・・・。
  医師としては就寝前にと言う意味で10時頃であろうが深夜であろうが生活に合わせて飲みなさいと言う事であろうし、眠っている間の何かのコントロールの薬でしょう。
 ところがそこを変に言葉通りに受け取る癖があるので、”眠る前に飲む薬”と言う事なので、眠ろうと思わなければ飲むタイミングではないような・・・
 そんなことで、薬を飲み忘れても急激に悪化するわけでもないけれど、さりとてきちんと服用すれば改善されるのかと言うと、そこまでは期待しにくい・・・それでは一体何の為か、どういう基準の服用量なのか。
 
 さて実生活は・・・ネットで観戦している間に眠っている・・・気がつけば外では新聞配達の人が走り回っている。
 このタイミングでは朝食後の薬と近すぎるかもしれません。
  要するに「寝る前」でも良いし「0時服用」でも・・・分かっていても出来ないのですから、この辺りにも性格が表れています。

 

観戦極楽、実戦地獄

2009-11-06 00:37:53 | Weblog
 地獄と言うのはかなりオーバーで、単なる語呂合わせです。
  第一他人に強制されて打っているのではないから、勝とうが負けようが温泉に使っている気分で極楽です。
 そこのところがプロとは違うアマの気楽さではあるが、アマも高段者ともなれば収入では無くてもプロに近い感覚があるだろうから、アマはみなそうだとも言えませんが・・・。
 ともかく観戦では気楽に、第三者ですからどちらを応援すると言うことも無く見ているので、案外冷静に盤面が見えて来る。
 序盤の布石については、冷静であっても分からないものは分からないので、これは両対局者の着手も見ながら「そういう方向なんだ」とか「あーこっちを気にして打っているのだな」などと野次馬をやっています。
 そして中盤戦ともなると、いろんなところの手筋とか、影響しあう部分とかが見えてきたりしますし、場合によっては手があるところを両者が放置して戦っていたりするのが見えたりします。
 こうなると観戦も忙しい。
  単に見落としなのか、それとも着手の優先順位としての放置なのか・・・これ考えるのも結構面白い。
 それに、見落としらしい場合は、どちらが先に気がついて、どのタイミングで着手するのか・・・。
 それに終盤ともなれば全体の大きさとか、ヨセの手順とか。
 
 と言うことは観戦は気楽ではあるけれど暇ではない。
 但し、分からない問題を放置する無責任さはあるわけです。
 ところが自分で打つとそうはいきません。
  今月の2局目など私の先でコミ5目貰いで、終盤までかなりの優勢な碁を1手ばったりで壊してしまいました。
 1線のヨセを緩めて受けるしか無いところを、誰が考えても他に打ちようがないのに、完全にエアポケットいうか狂ったと言うか、即押さえてしまって相手にとがめられました。
 もう一瞬目の前が真っ暗で、即投了、全く他人の碁は重箱の隅まで見えるのに自分の碁では初級者級の間違いをします。
 それも・・・失敗は失敗としてその場で最善の対策を立てればかなり細かかったことに投了碁に気がついたのです。
 シュミレーションで仮に私が最善に寄せればコミ貰いだし17目半も残っている!
  だから、間違った時点でその損が10目程度のものであれば勝敗としては問題は無かったのです。
 ただし、初級者級のミスをしたのだから、罰として投了と言うのもアリかもしれませんね。
 実態はアホなミスをして一気にやる気を無くして、恥ずかしくて投了でしたが。

 アマですからそういうことで勝ったり負けたりでしょうね。
  勝ったと言っても、知らない間に相手のミスに助けられているだけだったり、当方のミスで相手に思わぬ勝利をプレゼントしたり、結果だけが残ったり。
 ともかく11月に入って緒戦勝ったものの、その後は打ち分けでトータル3-2.
 結局1つの勝ち越し。
  ひと月打って終わったら一つ勝ち越しなんていうのもありそうですね。
 5年くらいで1500局くらい打って10の勝ち越しですから、よく留まっていると言うべきか停滞していると言うべきか。

冬のしたく

2009-11-05 00:09:19 | Weblog
 先日夜8時過ぎに突然TVの映像が乱れるくらいの荒れ模様になりました。
 もしかしたら小さな雹・みぞれ混じりみたいな木の葉を叩く雨の音・鉄製の自転車置き場の屋根を打つ音、建物と建物の間を吹き抜ける風の音が凄まじかったのですが、それで大気が一気に入れ替わり、いきなり寒くなりました。
 私が苦手としている冬が到来。
  よくリタイア後の年金生活では南の暖かい方面が良いと言います・・・育ったところ・慣れ親しんだ友達などと別れるのは難しいのですが、単に生活のしやすさ、生活にかかるコスト面で言えば暖房費とか雪・氷対策にかかる手間、衣服などの経費で言っても暖かい方が割安な筈です。
 但し私のは単に寒いのが苦手。
  ですから雪と氷に関係のあるスポーツはTVで見るだけ・・・スキー、スケートなどとてもそこにいけませんからTVで見るだけで精一杯。
 若い頃は登山をしましたが春夏秋のスリーシーズン限定でした。
 ただ以前カーリングなどはやってみたいとチラッと思いましたが、やはりネックは氷上のチェスの「氷上」と言う部分ですね・・・そこが問題で将来大理石の上みたいな平らな床で出来るフロアーカーリングが出来ないものかと考えたことがあるくらい。
  恥ずかしいですが、関東では一番暖かいと言われる県に住んでいますが冬は苦手なんです。
 生まれ育ったのが静岡で、その時に身についてしまったぬくもり感があるので、冬と聞いただけでダメ。
 子供時代は今より寒くて、学校では小中高と教室に暖房設備の無い所で鍛えられていた筈ですが・・・。
 北国では冬の寒さに合わせて環境を考えるのでしょうが、こちらでは夏の暑さをどうしのぐかがメインテーマですから、冬はひたすら耐える気分。
 家にはストーブはありません。
  石油などの匂いが嫌いなので石油ストーブは無し、それで居間にガス配管が来ていますが使ったことは無い・・・エアコンを使うことはありますが一冬に数回、朝と特に寒い日だけ。
 あるものを使わないで寒くて震えているなんて馬鹿みたいだと自分でも思うのですが・・・暖かいとほっとする反面周囲が暖まった空気は好きではないなんて気難しいところがあるのです。
 寒すぎず清涼感がある空気・・・全く我がままなものです。
 と言う事で、居間は洋間ですが未だにコタツで自分の寝室は暖房なしで寒ければベッドにもぐってパソコンを使うスタイル。

 急に11月下旬並みに冷え込みましたが、また、ここ1週間は少し冷え込みが緩むと言う事で「冬到来執行猶予期間」のようです。
 そこで働き者の女房殿は慌てて冬仕度です。
  まずはコタツの点検・・・どうやら古くなったので買い替えようと言う結論らしい。
 そう言えば数年前にコタツの機械部分が壊れた時に私が機械部分だけを買って来て付け替えたものでしたが、それからだいぶたったのです。
 聞くところによるとヒーター部分の形が今では薄くなっているのだそうで、そうなるとコタツの中の空間が大きくらしい。
 マア、椅子とテーブルの居間スタイルから見ると部屋の中ややレトロな感じがしますが、足だけ暖めて頭と顔は涼しいと言うのが好きなので、それはストーブとかエアコンでは出来ないことなので仕方がないですね。
 
 自分の部屋でパソコンを見たりネットで碁を打つ時に、寒ければお腹から下はベッドの中で寝具に包まれ、上半身は防寒着にくるまれ、首にはマフラー・・・火の気のない部屋でこのスタイルですからまるで落語の世界。
 そういうことで昨年から女房殿がデロンギのオイルヒーターを部屋に置いていきました。
 これは24時間タイマー設定なのでスイッチがオン・オフを設定できるスグレモノで、ほんのり暖かくするには良さそうです。
 寒がりの癖に暖かければ良いと言うことでも無い・・・真冬でも窓を少し開けて空気が動くのを感じるのが好きなのです。

 さて女房殿は私の羽毛布団を日に干して、明日は大型電気店でコタツを新調・・・暖冬は弊害があるだろうけれど、でも厳冬は困る。
 出来ることなら秋の間に食い貯めして冬眠したいくらいです。
  北国の人から見たら「怠けもの」で「弱く」て「だらしない」人間の暮らしぶりなんでしょうね。
 

10月の集計

2009-11-04 00:25:11 | Weblog
 11月入って1、2日は観戦のみで、3,4連休なので深夜でも打てると張り切っていますが、初めに打ったのは3日未明の一局からです。
 自分では打っている時も観戦している時も碁に浸っているので、もう少し打っているかと思うのだけど、今のところ一局・・・それでもまあ最近には珍しく月明けの初戦で勝てたので、内容はともかく結果で、もしかしたら良い月になるかも知れないなんて考えるのですから・・・たった1局でそう感じるのですから性格だけはボンボン的でノビ太です。
 
 先月10月の対局の集計をすると・・・これは棋譜倉庫で調べる。
  同じ人とは3人、各2局打っています。
 そして対局合計は21局ですから、お相手は18人でそのうちの一人はご婦人(この人に分が悪い。多分1-2ペースの上手)。
 そして戦績は9勝12敗。
  3つ負け越したのは痛いけれど、8月末に好調で自己MAXなどと夢見ていた反動が出たようです。
 それは対局内訳で黒番の場合が1勝10敗で白番で8勝2敗、極端な戦績となっていた。
 つまり、相手の範囲が多少高くなり、点数が高い人好調な人との対局が増えたので黒番で打って、相手が実力通り力を発揮した結果かくも無残な戦績。
 ですから、打つたびに・黒石を持つたびに昔の宇野重吉あたりが出ていた頃の日本酒のコマーシャルの一場面を思い出しました・・・実際は宇野重吉の台詞では無いかもしれませんが日本庭園と和風の座敷のイメージで台詞は「ま・た・とうりょう」。
 1勝10敗ですから普通は自信も何も、一時的には打つ気がしなくなるところですが、そこがザルの恐ろしさ?。
 イヤ黒番ばかりを打っていたのでは無いので、白番での成績が支えになっていた。
 白番では8勝2敗、手番による偏りはあるもののトータルでは3つの負で何とかロープに逃れたというイメージです。

 勿論問題はある筈。
  点数制での手合いなので黒番で弱い=上手に弱いという傾向があるのかもしれません。
 上手と言って先番でコミ貰いの対局は3局程度だったですが、それらの全て負けと言うのが、きっと問題点でしょうね。
 おそらく、布石で悪くして、中盤で無理をするパターンなのです。
  規定によるコミ貰いの条件が活かせないのですから、『コミってなんだ!』気分ですが、要するに棋力が問題なわけです。
  パターンは分かっていても、この年になっていても発展途上なのですから、囲碁の道は長くて遠いのに、体の方はそれほど長くは無いのでしょうから、これはもう嗤ってしまうしかないかも知れません。
 白番での好成績については本当は喜んでいいのかどうか?、もしかしたらシタテいじめのジイサマなのかも知れません・・・そこが心配・・・良くても悪くても心配は尽きないものです。
 さてさて11月は、少なくとも手番での成績の偏りが無いように、ともかく黒番で頑張らないといけません。

 話は変わります。
 ネットの会費の話ですが、月間で21局だと1局100円程度で+観戦が出来て棋譜も自動記録されるのでこれは格安感があります。
 (リアルの碁会所ですと、人と会える楽しみをどう評価するかが問題ですが、1日の席料が1000円それに交通費・飲食代・交際費がかかるとする、局単価ということでの比較は無理ですね。)
 それで、最近碁会所に行っていないので、今後碁会所に行かないとしたら・・・これが週1回の席料で考えるとネット会費の約2倍に当たるので、ネットを2カ所有料会員になれる金額と言うことも出来ます。
 そういうことで、金額的には2カ所入っても良さそうだし、実際には月に20局程度なのに2カ所の意味があるのかは分からないし、さりとてリアルで人に接する魅力は捨てがたい・・・相当に難問です。
 一番の解決方法?は。
  ID囲碁でも良いから、ネット碁で電話機能と連動させて相手の顔を見ながら打てて、局後の検討とか少しは世間話が出来るネット碁と言うところか。
 この場合顔を晒すわけなので、会員の身元?人柄?保証制度みたいな物が無いと入会者はいないかも知れないから現実味がないのかな。
 
 

火水連休

2009-11-03 09:27:48 | Weblog
 昨日の朝は出勤して、カレンダーを新しい月用にめくるまで11月1日だと思い込んでいました。
 10月の終わりが週末になって、新しい”月の始まりは1日”と言うような単純な思い込みです。
 10月31日が土曜日なのに、私の生活習慣からは曜日は生きているのにどうやら○日という具体的な日付は希薄と言うか余り重要な意味が無くなっているらしい。
 つまり週末の土日が休みで水曜日は週中の休み、それとカレンダーの祝祭日は休みでそれ以外は出勤・・・、まあそんな感じで暮らしている。
 そういうことが何年も続くと曜日が重要で具体的な日付は何かの用事が予定されていない限り重要では無くなるみたいです。
 予定などを手帳とか机の上にあるテーブルカレンダーなどに書き留めますが、記憶の方は曜日で記憶する癖が優先のようですから具体的な日付は後回しとなりまして・・・それに休日、祝祭日を心待ちにするようなところも薄くなり・・・。
 そういうこともあって、その月の初めての出勤日は1日だと勘違いしていました。
 出勤して初めにやることは窓口の日付印をその日用に直し、休み明けの場合は指の滑り止めの海綿に水を補充して更に最近では消毒用アルコールも少し、出勤簿に判を押し、御昼の弁当の注文・・・ここまでが定例のパターンで、月初めは加えていくつかのカレンダーの古い月のページを破ります・・・この時初めて今日が2日であることに気がついた。
 今日が2日と言うことは明日が当然3日だから休み、続く4日は水曜日だから休み・・・つまり今日仕事をすると連休だったことに気がついたのです。
  例えれば「気がついたらポケットから御札が出てきた」ような「何かおまけで貰った」ような感じですね、考えればもともと自分のものだった筈のものを貰ったようなもの。
 (それでも気がつかなければ、翌日に3日を2日だと思い込んで出勤しようとした可能性が0では無い?・・・)
 マア、そんなに休みが欲しければ仕事をしなければ良いようなものだし、10月に更新された年休もまだ34日分も残っていて、とても消化しきれないで自然消滅させているくらいだから、我ながら矛盾した喜びです。

 それで連休だったら何をするのか?
  間違いなくネットで囲碁を打つか観戦するか、ブログで誰かの記事を読む、本を読む・・・考えて見るといつもと何にも変わりがない!。
 ただ、深夜まで遊べて昼間眠ければ眠れる・・・それだけの違い。
  連休を喜んだのに考えるとなんとなく情けないような気もして来る。
 しかしマア若い頃に心に誓った「決して人のため・世の中の為に頑張ら無い人生」ってこんなものかも知れないです。
 目立つことなく?コツコツと自分の楽しみに精を出す・・・なんとなく若い時分からご隠居さん気分で生きてきたのかも知れません。

 

特大落花生一人占め

2009-11-03 02:49:39 | Weblog
 先週のことです。
 朝7時、この時間は御茶を飲みながらこれから仕事に行くぞと体と心に準備をさせながら、テレビでニュースと天気予報を見る時間。
 そして、天気予報を参考にして折りたたみ傘が必要か、ジャケットの下にベストが要るか、ストールのようなものが必要かなどなど準備する。
 その時間に電話が鳴って、故郷に住む二番目の姉からでした。
  姉は3人いて二番目の姉は6才上、何故かこの姉とは相性が良い(他の姉と相性が悪いわけではないが、特に良いと言ったところ)
 このくらいの年齢差なので3人の姉の中で弟の面倒を見てくれたもので、そういう気分は何才になっても残っているらしい、一応今でも可愛い弟であるらしい。
 実際いつまでたっても世話の焼ける弟で、今では義兄にも甘えています。
  さて今回は、義理の兄がリタイアしてから、趣味と道楽・実益で畑仕事をしているのだそうで、その収穫を送ってくれたとの連絡。
 夏秋には季節の野菜が出来るように作っているそうですが、秋は自慢の落花生が実る。
  これが特大サイズの品種なんだそうで、評判も良くて売り物にもなっているとか、先日泊めて貰った時に『収穫したら送るよ』と義兄が言ってくれていた・・・既に忘れていたけれど本当に届きました。
 聞いてはいたけれど本当に大きい。

 大粒=大味みたいな既成概念がありますから、納豆も小粒納豆が流行ったりしましたが最近大粒のものも巻き返して来ていたり、落花生もスペイン産みたいな小粒が流行ったりしましたが、この大きな品種もなかなかのもの・・・超小粒をミニサイズとして、普通の品種をMとするとこれはLLか3Lはあると思われます。
 それに全体に大きい(太い)感じ。
  
 姉の話では夕方6時から8時の間に届くと言う事でしたが、6時半到着・・・流石日本の宅急便・物流システムです。
 早速泥のついた殻ごと二度洗いをして大半は茹で、残りは燻製窯でドライ焼きにしました。 
 普通大きいものは大味と言うことになりやすいのですが、なかなかのもので人気になるのが分かりました。
 これは是非とも来年も送って貰わねばならないので、早速姉に電話をして、お礼と味を褒めて、抜け目なく来年の催促の布石です。
  ところで女房殿は職員旅行で今日は留守、息子もアルバイトで帰りが遅い・・・とりあえず珍しい落花生一人占め。
 一人では食べきれないほどあるから残った分を分けてあげるとしよう・・・食べない分は冷凍しておくと1年くらいは楽しめるのだそうだが、マア、初めてなので冷凍させないでおくことにします。

 さてさて秋の夜長。
  私一人なので、本当に静かに更けて行く秋の夜長です。
 その夜はコーヒーと落花生をつまみに囲碁三昧
 やはりネットがあると遊び相手には事欠かないのです。

詰め碁に挑戦

2009-11-02 00:16:48 | Weblog
安部先生が亡くなられて、プロ棋士のブログに先生の思い出など哀悼の記事がでています。
 大橋四段のブログでは幼稚園時代の思い出のことが書かれていました。
  何かのイベントで安部先生が出した問題を解いた話
 通りがかりに問題を見て釘付けになり・・・大人たちと並んで挑戦し・・・いくつかヒントを貰いながら・・・30分かかって正解!。
 幼稚園児が大人と並んでと言うところが凄い。
  そして30分集中して、ヒントがあるとはいえ正解に達するあたり、やはり栴檀は双葉よりですね。
 さて問題は玄々碁経が出典だったとかで、ブログにも思い出のその問題が載っていたので挑戦してみました。
 
 これが結構難しい。
  カギとなっている石が分かるのでその石を巡る攻防であろうと、だいたいのストーリーは分かります・・・この石がこういう状態になれば黒先で白を殺せる・・・のだが、但し当たり前のやり方では問題としとは面白くないわけで、白にもシノギがあって殺しに行った黒が逆に取られてしまい白生還という問題で、大して大きな図では無いのに難しい。
 流石に玄々碁経です。
  こういう時は、私の場合だけかもしれませんが、瞬間正解だと思う手が浮かんで、次の瞬間シノギ手が浮かんで間違いだと分かるのですが、瞬間に浮かんだ手がインパクトが強いと、繰り返し間違った手順に拘ってしまう傾向があります。
 つまり、間違いだと分かっていながら同じところで堂々巡りをする。
  図柄自体は大きくは無いので、パソコン的に黒1の可能性がある場所を全てシュミレーションするというのもありそうですが、それはやはり人間らしくないのでインスピレーションを大事にしたいと思ったり・・・
 ブログにヒントがあったとしても、天才だとしても、幼稚園児30分に負けたくないと焦ったりして・・・
 「玄々碁経なら確かポケット版のものが本棚にある筈」だと本棚を目で追ったりして・・・しかしそれはカンニング行為で生まれてからまだ一度もやったことがないので、ここで初カンニングなどやるわけにはいきません、「そんなことでは実戦では役に立たない」と自分で自分を叱ったり。
 ともかく悪戦苦闘でしたが、一応ノーヒントで時間内にクリアー出来たようです。
  やはり白のシノギの急所が黒からの攻めの急所でもあるのですね・・・結論が出ればコロンブスの卵。
 実戦でこういう場面ができた場合、持ち時間の3分の1をつぎ込んででも必殺手順を発見できるのなら良いのですが、仮に殺す手は無いという結論だった場合、結果的には時間の浪費に近いわけで、そうなると初めに戻って「3分の1も時間をつぎ込むわけにはいかない」と言うことになりそうです。
 つまり正確でなくてはいけないのと同時になるべく時間をかけないことが大事なわけですね。

 どうやら解けたようなのでスッキリした気分でネット碁で対局出来そうです。
  もし、正解に達していない状態だったとしたら・・・いつまでもやり残しの気分を重く引きずって、多分対局しても集中出来ない状態でしょうね。
  詰め碁には解けた時のそう快感が何とも言えないものです。
   仮に勉強だとしても、解けないままの問題があると、積み残しを作ってしまうと、ストレスを貯めて行くことになりそうですね。
 気持ちを引きずらない為でも、正解を先に見てしまっては意味がない、それではそう快感は味わえない・・・正解は分かってもなんとなく意気消沈します。
 そうして考えて見ると「詰め碁」=筋力トレーニングではあるけれど、「気分の良くなる薬」であると同時に「ストレスの元」になる可能性が大きい薬。
  
 しかしマア性格的には詰め碁は正解と不正解がはっきりしているので、数学の問題みたいで好きではある・・・序盤・中盤の「大場?」の問題は国語の問題的なイメージなのです。