先日NHKの昼番組で「みうらじゅん」という人がゲストで出演していました。
”という人”という表現も実は私らしいのです。
要するにその方の名前をTVで紹介されるまでどういう人でどういうことをやってきたのか全く知らなかった・・・名前と一致した記憶が無かったのです。
殆どの人はご存知だとは思うのですが「マイブーム」とか「ゆるキャラ」という言葉の命名者なんだそうですね、それにガロに漫画を出していたこともあるとか。
ガロ、懐かしい雑誌ですね。
学生時代、後輩の持っている雑誌を見せて貰っていましたから「つげ義春」というような名前は記憶にある・・・但し”みうら”さんの記憶は無い・・・申し訳ないような。
さて「マイブーム」、こういう名前はコロンブスの卵みたいな感じですね。
マイブームの中身自体は命名者がつくった物では無いと思う。
しかし定義というか解釈というか、市民権みたいなものを与えたのだと思います。
何かを面白がっている人がいて、それを見て面白がることもある。
落語に出て来る旦那の道楽だって、次々に興味が移って行く物も、周りに迷惑をかけるかどうかは別としてマイブームの一種でしょう。
もっとも独自性というか、同好者の数は「マイブーム」と「道楽の同好者」では数が圧倒的に違うのと、追いかける意志の強さみたいなところもかたや「人がどう思うとも」と一方は「飽きやすい」点で相当な違いはありそうです。
ところで番組の中で”みうら”氏の言葉が耳に残っています。
「徒労していますか?」
要するに「マイブーム」は膨大な徒労を伴うものであるらしい・・・従って徒労を厭うようではその道には進めないわけです。
TVCMの「セコムしていますか?」みたいなノリで「徒労していますか?」これが耳に残りました。
考えて見ると私の囲碁の始まりはこの膨大な徒労によって出来た事のようです
。
小学1年の頃はTV放送が無かったので、新聞を見るようになっても番組表だけみるみたいな見方はありませんでした。
大人はたいてい最初に1面の政治2面の経済と裏から2枚目の社会面、それにその次の地方版と生活記事というように進むのですが、子供にとっては裏から3枚目のスポーツ欄が最初です。
不思議なことに、ろくに感じを知らなくても記事がだいたい分かったりしますし、逆に新聞を読むことで新しい文字を覚えたり。
そして私はスポーツ欄の一番下の将棋欄。
前日の盤面を見ながらその日の記事の棋譜を追います。
解説とか記事はなんとなく分かるのですから不思議ですね。
これを大人に言われたのでもなく、教わることも無く勝手にやっていたわけです。
そしてついでに将棋欄の隣の囲碁欄にも目を通します。
ルールなど全く知らないし、家族にも近所にも打つ人はいないので、単に囲碁という遊びがあってこういう風に進行するものだと言う事を毎日見る。
全く不思議なことですが、棋譜を分割掲載して序盤は手数が少ないので見やすいのですが、だんだん掲載手数が増えるし打つ場所もあちこちに飛んだりするので探すのが大変。
意味がわかっていないので、本当に数字の印刷されているところを探すのです。
これが一局の最終掲載日となると総譜ですから全手数を一挙掲載・・・1から300手辺りまでまるで宝探しというか。
全く意味が分からないのにこれでコウとか生き死にのルールを憶えるのですから考えれば恐ろしい。
というか「もしこれで、囲碁を打つに至らなかったら?」・・・そういう設問も無意味かも知れませんが、仮に打て無かったら・・・。
単純な計算ですが、序盤の記事と総譜の時では目を通すのに差があります。
難しい漢字なども大人に教わったりしながら読んで行くとして、概ね平均毎日20分くらいはかかったと想像出来ます。(スポーツ・将棋・囲碁だけで1時間近く新聞を読んでいたような・・・)
これが中1で初めて囲碁モドキを打つまでに6年半から7年近く続いて来ていた筈。
365日×6.5として約2270日・・・それが20分だから45000分以上とすると・・・750時間。
全く目的というものも無く、なんとなく続けていたこともこれだけの時間の蓄積ともなると、「とっつきにくい」「理解しにくい」物も一応終局まで打てるようになっていた。
勿論非常に効率の悪い道楽への導入部分と言えるとは思うのですが・・・きっと今風に言えばマイブームだったのでしょう。
何かを身につけるための「教室」「講習」みたいな観点から言えば膨大な無駄な時間を経過しています。
そういう意味では「徒労」部分の方が多いですね。
こういう趣味の進行というのは、私には多いようで、まさに「徒労しています」を通り越して・・・徒労が無くては道楽では無いみたいな感じです。
”という人”という表現も実は私らしいのです。
要するにその方の名前をTVで紹介されるまでどういう人でどういうことをやってきたのか全く知らなかった・・・名前と一致した記憶が無かったのです。
殆どの人はご存知だとは思うのですが「マイブーム」とか「ゆるキャラ」という言葉の命名者なんだそうですね、それにガロに漫画を出していたこともあるとか。
ガロ、懐かしい雑誌ですね。
学生時代、後輩の持っている雑誌を見せて貰っていましたから「つげ義春」というような名前は記憶にある・・・但し”みうら”さんの記憶は無い・・・申し訳ないような。
さて「マイブーム」、こういう名前はコロンブスの卵みたいな感じですね。
マイブームの中身自体は命名者がつくった物では無いと思う。
しかし定義というか解釈というか、市民権みたいなものを与えたのだと思います。
何かを面白がっている人がいて、それを見て面白がることもある。
落語に出て来る旦那の道楽だって、次々に興味が移って行く物も、周りに迷惑をかけるかどうかは別としてマイブームの一種でしょう。
もっとも独自性というか、同好者の数は「マイブーム」と「道楽の同好者」では数が圧倒的に違うのと、追いかける意志の強さみたいなところもかたや「人がどう思うとも」と一方は「飽きやすい」点で相当な違いはありそうです。
ところで番組の中で”みうら”氏の言葉が耳に残っています。
「徒労していますか?」
要するに「マイブーム」は膨大な徒労を伴うものであるらしい・・・従って徒労を厭うようではその道には進めないわけです。
TVCMの「セコムしていますか?」みたいなノリで「徒労していますか?」これが耳に残りました。
考えて見ると私の囲碁の始まりはこの膨大な徒労によって出来た事のようです
。
小学1年の頃はTV放送が無かったので、新聞を見るようになっても番組表だけみるみたいな見方はありませんでした。
大人はたいてい最初に1面の政治2面の経済と裏から2枚目の社会面、それにその次の地方版と生活記事というように進むのですが、子供にとっては裏から3枚目のスポーツ欄が最初です。
不思議なことに、ろくに感じを知らなくても記事がだいたい分かったりしますし、逆に新聞を読むことで新しい文字を覚えたり。
そして私はスポーツ欄の一番下の将棋欄。
前日の盤面を見ながらその日の記事の棋譜を追います。
解説とか記事はなんとなく分かるのですから不思議ですね。
これを大人に言われたのでもなく、教わることも無く勝手にやっていたわけです。
そしてついでに将棋欄の隣の囲碁欄にも目を通します。
ルールなど全く知らないし、家族にも近所にも打つ人はいないので、単に囲碁という遊びがあってこういう風に進行するものだと言う事を毎日見る。
全く不思議なことですが、棋譜を分割掲載して序盤は手数が少ないので見やすいのですが、だんだん掲載手数が増えるし打つ場所もあちこちに飛んだりするので探すのが大変。
意味がわかっていないので、本当に数字の印刷されているところを探すのです。
これが一局の最終掲載日となると総譜ですから全手数を一挙掲載・・・1から300手辺りまでまるで宝探しというか。
全く意味が分からないのにこれでコウとか生き死にのルールを憶えるのですから考えれば恐ろしい。
というか「もしこれで、囲碁を打つに至らなかったら?」・・・そういう設問も無意味かも知れませんが、仮に打て無かったら・・・。
単純な計算ですが、序盤の記事と総譜の時では目を通すのに差があります。
難しい漢字なども大人に教わったりしながら読んで行くとして、概ね平均毎日20分くらいはかかったと想像出来ます。(スポーツ・将棋・囲碁だけで1時間近く新聞を読んでいたような・・・)
これが中1で初めて囲碁モドキを打つまでに6年半から7年近く続いて来ていた筈。
365日×6.5として約2270日・・・それが20分だから45000分以上とすると・・・750時間。
全く目的というものも無く、なんとなく続けていたこともこれだけの時間の蓄積ともなると、「とっつきにくい」「理解しにくい」物も一応終局まで打てるようになっていた。
勿論非常に効率の悪い道楽への導入部分と言えるとは思うのですが・・・きっと今風に言えばマイブームだったのでしょう。
何かを身につけるための「教室」「講習」みたいな観点から言えば膨大な無駄な時間を経過しています。
そういう意味では「徒労」部分の方が多いですね。
こういう趣味の進行というのは、私には多いようで、まさに「徒労しています」を通り越して・・・徒労が無くては道楽では無いみたいな感じです。