無事に戻ってきて、一息吐いて、二晩ほとんど眠れてなかったせいか、今どっと眠気が来てます。
が、寝る前に、まとめ。
写真はクリックすると拡大できます。
金曜は実は有給休暇で、横浜へ行ってました。
クルーズから戻ってくる両親を迎えに。
彼らは一日違いでクライストチャーチの地震をかわしてきた人達でした。
ホントは、私は車で迎えに行くはずでしたが、妹のダンナが休みになり、車で行ける、というので私は電車で行って、横浜港で合流。

入港は9時でしたが、妹たちは渋滞に引っかかり、到着したのは午前11時過ぎ。
昼前に横浜を出て、首都高通って、午後2時頃常磐道の守谷SAで休憩がてら昼食を摂って、美野里PA辺りを走行中に地震が発生。
タイヤがパンクしたのかと思う程、車が揺れながら蛇行し、なんか道路が変に歪んで、路肩に寄って停止する車続出、気が付けば路面にたくさんの亀裂が。
すぐに案内板に、道路閉鎖、と表示されたので、最寄りの岩間インターで下道へ下りました。
下道は既に渋滞が始まっていましたが、それもそのはず、信号が消えています。
県道を北上中に、鉾田が震度6だった茨城県沖が震源の地震が発生。
幹線は渋滞、生活道路(抜け道)は、民家の塀が倒れて通行できなかったり、橋が封鎖されていたり、思うように進めません。
途中渡った那珂川は、いつもと反対方向に水が流れていました。
河口から10km近くに所にある橋の上からでもハッキリ分かります。
釣り船が上流へ運ばれていきました。恐いよ。
午後5時過ぎ、とりあえず常陸太田市の妹宅へ到着。
もちろん停電してます。
が、まだ水が出る、というので、バケツやらペットボトルやらに、とりあえず水をためます。
隣がダンナさんの実家で、しかも農家なので、色々と物資は豊富。
避難場所としては最高です。
ただ、おじいちゃんが買物に出た際地震に合って、まだ戻っていませんでした。
ロウソクの明かりで夕食を済ませ、ラジオを聞きながら、ずーっと揺られていると、夜10時頃、無事に帰ってきました。
東海村のイオンで、レジに並んだところで揺れ、一斉に外へ出されたとのこと。
そして、ペットボトル飲料とポテチなどスナック類と、防寒のための大きなビニール袋がイオン側から支給され、なんとか車を駐車場から出して、帰ってきたそうです。
さすが東海村、災害に対する構えは万全なようです。
夜にはつくばにいる弟とも連絡が取れました。
つくばは電気もついていて、コンビニも開いていて、給油できるところもある、というので一安心。
そして夕方からメールや電話が続々。
ありがたいのに返信できず。そだ、ここに書けばいんだ!
土曜。晴れ。
雨が降らなくて幸いです。季節もむしろ夏でなくて良かったかも、です。
映像ニュースが見られないので得られる情報は薄いですが、ライフラインがアウトなのは間違いありません。
JRはもちろん運休、常磐道は緊急車両以外通行止め。
妹の家から見える常磐道。

黄色い車両が止まっています。
義弟の実家の被害は、大した事ありませんでした。
屋根瓦が落ちて、塀が倒れて、ガラス戸が落ちて。家の中は壁が剥がれたり、物が落ちたり、ですが。

でもご近所では倒壊した家屋もあったりで、その差は運でしかないのかも。
居候の私達は手伝えることが少ないので、邪魔にならないようにジッとしているしかありません。体力温存の方向で。
ただし、携帯がピンチです。
停電なので充電できず、近所の誰かが、車のライターから充電できるヤツを持っているんじゃないか?ということで、探して、借りてきました。
さらに妹の車を借りて充電です。
地震から一日経って、各地の被害状況が明らかになるにつれ、ホント無事で良かったね、となりました。
震源域が広いせいで、余震もあちこちで起こるので、常に揺れているような感じで、だんだん気にならなくなりました。
慣れるんだ。人間の恐るべき適応力。
しかも震源、東北沖か、茨城県沖か区別もできます。
こんな状況なのに、三食ありつけるのはありがたいことです。
明るいうちに夕食を取ってゆっくりしていると、北上してきた弟が到着。
妹たちと別れて、私達は更に北上します。
夜の6国は暗いです。
というか、夜は暗いのです。
外灯がないので周囲はよく見えないんですが、あちこち塀など倒れている模様。
1時間程度で、日立の実家へ到着。
ここもまた被害はほとんどなさそうです。
家の中は色んな物が落ちてましたが、案外普通で一安心。
とりあえず片付けは明日にして、弟の家に行きます。
道路は車は流れていたので、今のうちに私は戻るか、と弟の情報を元に帰り道を検討していたところ、6国の通行止めなどの規制が解除されたっぽいニュースが流れてきたので、仮眠を取って、夜明けを待って出発することに。
日曜。今日も晴れ。

家の梅の木、満開。
薄暗い中、母はもうお湯を沸かしてました。家に戻ってきたせいか、心なしか楽しそう。
そしたらなんと朝刊が届きました。阪神・淡路の時の神戸新聞社の話を一瞬思い出した。
そして6時前に父の車を借りて出発。やっぱり信号はついてません。
が、大きな交差点だけは稼働してます。ちょっと安心。
海沿いの245は通行止めが続いているので、ひたすら6国を南下します。
途中で日が昇るころ、高台からちらりと海が見えましたが、いつもと違った変な色をしてました。
交通量は少な目。
通行できるとはいえ、途中、段差があったり、ひび割れてたり、危険箇所は多いです。
でも、久慈川も、那珂川も、今日は静かでした。
走るにつれ、あちこちで給油渋滞が始まっていました。
開いていないスタンドの前に車が並んでいます。彼らは本当に給油できるんだろうか?
そんな中、消防車が入ってった。うん、ヤツらが優先だ。
道は思いの外空いていて、2時間ほどで我が家に到着。
TV落ちてなかったー。
電気はつく、水はダメ、ガスは?
逆にこっちの情報が分からないので、管理人室に飛び込んで情報収集です。
水は、近くに給水所があるというので、家中のペットボトル持って出動です。
順次断水は解消されているようですが、完全復旧はいつか分からないと言うことなので、とりあえず。
置きっぱなしの車も無事でした。
家の中は、適当に散らかっていましたが、大きな損害は無いっぽい。
外壁は少し、タイルなどが落ちていました。

会社から連絡網が回ってきて、私は会社とのつながりが薄いことが判明。
ま、いいか。
とりあえず、明日は出社します。
乗馬クラブからも電話掛かってきて、あっちは井戸水汲み上げているらしく、電気さえ来れば心配ないみたい。馬たちも無事みたいで、よかったよかった。
てか、営業してるんで、びっくりした。
日立も常陸太田もまだライフラインは復旧していないみたい。
水戸までは復旧したようです。
県内、平穏だったのは、ある程度の幹線道路が通じていたり、ラジオや携帯で情報を何とか手に入れることができたからだよね。
道路も信号点いて無くても整然としているのは、恐いやら、安心やら、不思議な感じです。
今もまだ時々揺れてます。
そして明日は月曜日。お天気が心配です。
が、寝る前に、まとめ。
写真はクリックすると拡大できます。
金曜は実は有給休暇で、横浜へ行ってました。
クルーズから戻ってくる両親を迎えに。
彼らは一日違いでクライストチャーチの地震をかわしてきた人達でした。
ホントは、私は車で迎えに行くはずでしたが、妹のダンナが休みになり、車で行ける、というので私は電車で行って、横浜港で合流。

入港は9時でしたが、妹たちは渋滞に引っかかり、到着したのは午前11時過ぎ。
昼前に横浜を出て、首都高通って、午後2時頃常磐道の守谷SAで休憩がてら昼食を摂って、美野里PA辺りを走行中に地震が発生。
タイヤがパンクしたのかと思う程、車が揺れながら蛇行し、なんか道路が変に歪んで、路肩に寄って停止する車続出、気が付けば路面にたくさんの亀裂が。
すぐに案内板に、道路閉鎖、と表示されたので、最寄りの岩間インターで下道へ下りました。
下道は既に渋滞が始まっていましたが、それもそのはず、信号が消えています。
県道を北上中に、鉾田が震度6だった茨城県沖が震源の地震が発生。
幹線は渋滞、生活道路(抜け道)は、民家の塀が倒れて通行できなかったり、橋が封鎖されていたり、思うように進めません。
途中渡った那珂川は、いつもと反対方向に水が流れていました。
河口から10km近くに所にある橋の上からでもハッキリ分かります。
釣り船が上流へ運ばれていきました。恐いよ。
午後5時過ぎ、とりあえず常陸太田市の妹宅へ到着。
もちろん停電してます。
が、まだ水が出る、というので、バケツやらペットボトルやらに、とりあえず水をためます。
隣がダンナさんの実家で、しかも農家なので、色々と物資は豊富。
避難場所としては最高です。
ただ、おじいちゃんが買物に出た際地震に合って、まだ戻っていませんでした。
ロウソクの明かりで夕食を済ませ、ラジオを聞きながら、ずーっと揺られていると、夜10時頃、無事に帰ってきました。
東海村のイオンで、レジに並んだところで揺れ、一斉に外へ出されたとのこと。
そして、ペットボトル飲料とポテチなどスナック類と、防寒のための大きなビニール袋がイオン側から支給され、なんとか車を駐車場から出して、帰ってきたそうです。
さすが東海村、災害に対する構えは万全なようです。
夜にはつくばにいる弟とも連絡が取れました。
つくばは電気もついていて、コンビニも開いていて、給油できるところもある、というので一安心。
そして夕方からメールや電話が続々。
ありがたいのに返信できず。そだ、ここに書けばいんだ!
土曜。晴れ。
雨が降らなくて幸いです。季節もむしろ夏でなくて良かったかも、です。
映像ニュースが見られないので得られる情報は薄いですが、ライフラインがアウトなのは間違いありません。
JRはもちろん運休、常磐道は緊急車両以外通行止め。
妹の家から見える常磐道。

黄色い車両が止まっています。
義弟の実家の被害は、大した事ありませんでした。
屋根瓦が落ちて、塀が倒れて、ガラス戸が落ちて。家の中は壁が剥がれたり、物が落ちたり、ですが。

でもご近所では倒壊した家屋もあったりで、その差は運でしかないのかも。
居候の私達は手伝えることが少ないので、邪魔にならないようにジッとしているしかありません。体力温存の方向で。
ただし、携帯がピンチです。
停電なので充電できず、近所の誰かが、車のライターから充電できるヤツを持っているんじゃないか?ということで、探して、借りてきました。
さらに妹の車を借りて充電です。
地震から一日経って、各地の被害状況が明らかになるにつれ、ホント無事で良かったね、となりました。
震源域が広いせいで、余震もあちこちで起こるので、常に揺れているような感じで、だんだん気にならなくなりました。
慣れるんだ。人間の恐るべき適応力。
しかも震源、東北沖か、茨城県沖か区別もできます。
こんな状況なのに、三食ありつけるのはありがたいことです。
明るいうちに夕食を取ってゆっくりしていると、北上してきた弟が到着。
妹たちと別れて、私達は更に北上します。
夜の6国は暗いです。
というか、夜は暗いのです。
外灯がないので周囲はよく見えないんですが、あちこち塀など倒れている模様。
1時間程度で、日立の実家へ到着。
ここもまた被害はほとんどなさそうです。
家の中は色んな物が落ちてましたが、案外普通で一安心。
とりあえず片付けは明日にして、弟の家に行きます。
道路は車は流れていたので、今のうちに私は戻るか、と弟の情報を元に帰り道を検討していたところ、6国の通行止めなどの規制が解除されたっぽいニュースが流れてきたので、仮眠を取って、夜明けを待って出発することに。
日曜。今日も晴れ。

家の梅の木、満開。
薄暗い中、母はもうお湯を沸かしてました。家に戻ってきたせいか、心なしか楽しそう。
そしたらなんと朝刊が届きました。阪神・淡路の時の神戸新聞社の話を一瞬思い出した。
そして6時前に父の車を借りて出発。やっぱり信号はついてません。
が、大きな交差点だけは稼働してます。ちょっと安心。
海沿いの245は通行止めが続いているので、ひたすら6国を南下します。
途中で日が昇るころ、高台からちらりと海が見えましたが、いつもと違った変な色をしてました。
交通量は少な目。
通行できるとはいえ、途中、段差があったり、ひび割れてたり、危険箇所は多いです。
でも、久慈川も、那珂川も、今日は静かでした。
走るにつれ、あちこちで給油渋滞が始まっていました。
開いていないスタンドの前に車が並んでいます。彼らは本当に給油できるんだろうか?
そんな中、消防車が入ってった。うん、ヤツらが優先だ。
道は思いの外空いていて、2時間ほどで我が家に到着。
TV落ちてなかったー。
電気はつく、水はダメ、ガスは?
逆にこっちの情報が分からないので、管理人室に飛び込んで情報収集です。
水は、近くに給水所があるというので、家中のペットボトル持って出動です。
順次断水は解消されているようですが、完全復旧はいつか分からないと言うことなので、とりあえず。
置きっぱなしの車も無事でした。
家の中は、適当に散らかっていましたが、大きな損害は無いっぽい。
外壁は少し、タイルなどが落ちていました。

会社から連絡網が回ってきて、私は会社とのつながりが薄いことが判明。
ま、いいか。
とりあえず、明日は出社します。
乗馬クラブからも電話掛かってきて、あっちは井戸水汲み上げているらしく、電気さえ来れば心配ないみたい。馬たちも無事みたいで、よかったよかった。
てか、営業してるんで、びっくりした。
日立も常陸太田もまだライフラインは復旧していないみたい。
水戸までは復旧したようです。
県内、平穏だったのは、ある程度の幹線道路が通じていたり、ラジオや携帯で情報を何とか手に入れることができたからだよね。
道路も信号点いて無くても整然としているのは、恐いやら、安心やら、不思議な感じです。
今もまだ時々揺れてます。
そして明日は月曜日。お天気が心配です。