満州の黄土に毒ガス弾を探した同行記「吉田義雄編」
吉田義雄氏とは2006年3月18日~23日まで哈爾浜市周家駅や少年訓練所等を調査しました。黒竜江省社会科学院歴史研究所高暁燕(ガオ・シュー・ヤン)研究員も同行し、元看護師張立君さんが通訳をしてくれました。
左から通訳張立君さん、吉田義雄氏、管理人、侵華日軍第731部隊罪証陳列館二代目館長王鵬氏、黒竜江省社会科学院高暁燕研究員
哈爾浜市周家駅には中国テレビ報道陣が押し寄せました。井戸の周りはすっかり住宅街となっていて、毒ガス弾を捨てた井戸は判りませんでした。
最後の夜は「黒パンが食べたい」「ロシア人と会って喋りたい」というリュクエストがあったので、張立君さんは、あるロシア料理店に連れて行きました。そこで吉田義雄氏はロシア人とロシア語でペラペラと会話をしていました。後で聞いたところ、シベリア抑留中は、ロシア語を覚えることが生きる為には絶対に必要だったので、必死にロシア語を勉強したそうです。
吉田義雄氏が、哈爾浜市周家駅付近の井戸を探す場面、松花江の夕日を望む場面のビデオ撮影をしましたが、手振れした部分のカットや東京駅のインタビュウーと名古屋に向かう新幹線の窓から手を振る姿をつなぎ合わせ、タイトルとエンディングの編集作業をプロの編集者に頼んでいます。9月~10月頃「YouTube」にアップする予定です。
朝日新聞名古屋本社御中「名古屋市中川区荒越町吉田勇雄さんの消息依頼」
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「季刊・戦争責任研究」65号「毒ガス裁判と毒ガス被害者を支える人々の系譜」【再掲】秀逸な映像作品。NHK・ETV特集「隠された毒ガス兵器」
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・東京高裁陳述書」甲第121号証鈴木智博氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第306号証甲斐文雄氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第260号証興梠治照氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第306号証吉田義雄氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第252号証戸口好太郎氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第251号証小林利男氏
満州の黄土に毒ガス弾を探した同行記「戸口好太郎・小林利男編」
満州の黄土に毒ガス弾を探した同行記「鈴木共明編」
>78年前8月9日のソ連軍参戦と15日の「玉音放送」によって、中国大陸では国際法違反の旧日本軍毒ガス砲弾の遺棄が軍命によって行われました。東京地裁、東京高裁に提出された兵士の陳述書をこのblog「葵から菊へ」にエントリーし、「平和の遺言」として歴史に残したいと思います。<と、この「陳述書と同行記録」シリーズを始めましたが、とうとう最終回となりました。今後は、防衛研究所図書室から入手した「陸軍北方部隊略歴」の史料等や鈴木共明氏著「肉薄攻撃班」の記録を記事にエントリーしていきますので、引き続きご訪問ください。
毒ガス弾を遺棄した四人の兵士が、中国黒竜江省・吉林省の遺棄した場所を探しに行きました。その「同行記」を準備中です
(完)