世田谷区船橋まちづくりセンター「ミニコミ紙 ちとせ」40周年記念座談会「船橋・千歳台の戦後の発展の歴史を語る~大川(烏山川)のほとりに生まれた発展の源~」に参加した。10年前の「ミニコミ紙 ちとせ」30周年記念座談会にも参加したことがある。
質問時間では「森繁久彌邸と東京映画・新東宝映画・大蔵映画・東宝映画の特集記事を編集して貰いたい。区画整理事業と千歳清掃工場・温水プールは関連があるのか。新宿駅近くにある<天ぷら船橋屋>は船橋出身と聞いているが、そうなのか。」と質問した。
レジュメの一部
豊多摩郡千歳村(船橋村、廻沢村、下祖師谷村、上祖師谷村、粕谷村、八幡山村)は、幕府直轄地だった。(世田谷区郷土資料館刊「世田谷の歴史と文化」)より
名主の野島家に「高札場」があったと「1985年10月発刊 ちとせ №14」に掲載されていた。
(世田谷区郷土資料館刊「世田谷の歴史と文化」)より
世田谷区粕谷区民センター運営協議会倉本俊幸会長が、子どもの頃に記憶していた品川上水と水無川との立体交差の水彩画(川と川の立体交差は珍しい。)
古墳時代の「烏山川」は洪水・溢水が多々あったので「大川」と呼称していると考える。江戸時代初期に「玉川上水」が敷設され、「烏山川」も「品川上水」も農耕のために分流されたのである。幕府直轄地「千歳村」の郷土史を学んでもらい、「船橋まちづくりセンター」が船橋地区中心の活動を改善して、環八から西側の本来の千歳村役場があった千歳台地区の活動を援助と助言してもらいたい。
「千歳烏山(ちとから)」と「千歳船橋(ちとふな)」を概観するミニコミ紙「ちとせ」に期待したい。
(了)