ヒロシマ通信を転載します。
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[2024-6-15『1945ヒロシマ連続講座2016』「ヒロシマ通信」メンバーのみなさんへ]
【 今日の通信=安保闘争1960年6月15日 +4年前の通信再送 】
今日の通信に載せた新聞記事は、2000年6月の日付ですから、今から24年も前ということになります。この切り抜き、なかなか捨てられずに、毎年6月になると引っ張り出してきて読み返しています。6月と言えば、梅雨空と紫陽花の季節です。紫陽花はあちこちで見事に咲いていますが、さて今年の梅雨空、沖縄は梅雨入りの宣言が出されて大雨が続いたりしているそうですが、他の地域では、どこへいったやら・・・?
「我は生き 彼女は逝きし 六月の 今年の雨は 沛然と降る」
「安保闘争」と歴史年表に刻まれる1960年6月15日、ぼくは信州の田舎で小学6年生でした。国会を取り巻いた何万という人々のことは全然記憶にありません。樺美智子という名前もいつ知ったのか・・・、多分その頃は関心がなかったのでしょう。けれどその後何年かして、ぼくにとって6月15日という日は、「決意と覚悟の日」になりました。
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Blog記事
>【再掲】23歳のノンポリ青年は、1960年6月15日国会前で「安保はんたーい」と叫んでいた<
(了)