Blog「呆け天残日録」で 「大日本帝国中央停車場・東京駅」が評価されました。世田谷区民展にも出展したことがありますが、8月という平和と戦争を考える時期に出展したことが良かったと思っています。
調布「憲法ひろば」の鈴木彰さんからは『「意義深い出品に感謝します (鈴木 彰)2024-08-18 21:29:28「天皇の玄関」としてつくられた大日本帝国中央停車場「東京駅」という、長谷川順一さんの作品を出品いただいて、調布九条の会「憲法ひろば」の美術展は、深い意義をいただきました。戦争の時代が当り前のように画策されている今、大日本帝国が繰りひろげた侵略戦争をしっかり振り返ることがとても重要だと感じました。ありがとうございました。』と、コメントを頂いています。
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ひときわ異彩を放っていたのが「大日本帝国中央停車場・東京駅」(油絵)です。
要するに東京駅なのですが、「大日本帝国中央停車場」と言われると、なにやら禍々しい歴史の匂いが立ち昇ってくるから不思議です。制作者は長谷川順一さん。調布9条の会がフィールドワークで靖国神社・遊就館を見学した時に、ガイドしてくださった方です。
解説が付されていて、東京駅は日清・日露戦争勝利の象徴として「天皇の玄関」と呼ばれた。以後「大日本帝国」は、満州事変、支那事変、アジア・太平洋戦争へと、自滅の道を進んだ、とあります。長谷川さんの目は、建造物としての東京駅に、明治・大正・昭和の戦争の歴史、天皇制の刻印を見ている。
これまで、東京駅は「東京の玄関」、上野駅は「東北の玄関」といったお気楽な目でしか見ていなかったものが、まるで相貌を変える。ネット検索すると、皇室専用の出入り口や貴賓室、地下道もあるみたいだといった話題が、たくさんヒットする。言われてみれば東京駅は皇居の目の前です。わたしが知らないだけで、鉄道ファンの間では一種のミステリーゾーンとしても語られているみたいです。
長谷川さんは「葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会」を主宰し、東京という「帝都」に埋め込まれた戦争と天皇制の記憶を、透徹した目で見ている。そのことをまざまざと感じさせる作品です。
解説が付されていて、東京駅は日清・日露戦争勝利の象徴として「天皇の玄関」と呼ばれた。以後「大日本帝国」は、満州事変、支那事変、アジア・太平洋戦争へと、自滅の道を進んだ、とあります。長谷川さんの目は、建造物としての東京駅に、明治・大正・昭和の戦争の歴史、天皇制の刻印を見ている。
これまで、東京駅は「東京の玄関」、上野駅は「東北の玄関」といったお気楽な目でしか見ていなかったものが、まるで相貌を変える。ネット検索すると、皇室専用の出入り口や貴賓室、地下道もあるみたいだといった話題が、たくさんヒットする。言われてみれば東京駅は皇居の目の前です。わたしが知らないだけで、鉄道ファンの間では一種のミステリーゾーンとしても語られているみたいです。
長谷川さんは「葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会」を主宰し、東京という「帝都」に埋め込まれた戦争と天皇制の記憶を、透徹した目で見ている。そのことをまざまざと感じさせる作品です。
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(了)