10月13日で、九鍼十二原篇の講義が終わりました。
今回はこの篇の重要な部分が書かれていました。
五蔵に六府あり。六府に十二原あり。十二原は四関に出で、四関は五蔵を主治す。五蔵に疾あれば、当にこれを十二原に取るべし。十二原なる者は、五蔵の三百六十五節に気味を稟くるゆえんなり。五蔵に疾あるや、応は十二原に出で、而して原に各おの出づる所あり、明らかに其の原を知り、其の応を睹れば、而ち五蔵の害を知る。
陽中の少陰、肺なり。其の原は太淵に出づ。太淵二。陽中の太陽、心なり。其の原は大陵に出づ。大陵二。陰中の少陽、肝なり。其の原は太衝に出づ。太衝二。陰中の至陰、脾なり。其の原は太白に出づ。太白二。陰中の太陰、腎なり。其の原は太谿に出づ。太谿二。膏の原、鳩尾に出づ。鳩尾一。肓の原、脖?に出づ。脖?一。
いよいよ十二原の経穴名が出てきました。
鍼灸師にはおなじみのツボです。
太淵、大陵、太衝、太白、太谿は左右にある為、各二穴。
鳩尾、脖?は、胸腹部の正中にある為、各々一穴。合計十二穴
脖?(ぼつおう)は、氣海のことのようです。
凡そ此の十二原なる者は、五蔵六府の疾あるを主治する者なり。
脹は三陽に取り、?泄は三陰に取る。
今夫れ五蔵の疾あるや、譬うれば猶お刺のごときなり、猶お汚れのごときなり、猶お結ぼれのごときなり、猶お閉ずるがごときなり。刺すこと久しと雖も、猶お抜くべきなり。汚るること久しと雖も、猶お雪ぐべきなり。結ぼるること久しと雖も、猶お解くべきなり。閉ずること久しと雖も、猶お決するべきなり。或るひと久疾の取るべからざる者を言うは、其の説に非ざるなり。夫れ善く鍼を用いる者は、其の疾を取るや、猶お刺を抜くがごときなり、猶お汚れを雪ぐがごときなり、猶お結ぼれを解くがごときなり、猶お閉ずるを決するがごときなり。疾久しと雖も、猶お畢わるべきなり。治するべからずと言う者は、未だ其の術を得ざるなり。
長く患っている病でも、治せないということはない。と言っています。
治せないのは、技術がまだ未熟だからだ!と。
とても耳が痛い文章です。
諸熱を刺す者は、手を以て湯を探るが如くし、寒清を刺す者は、人の行くを欲せざるが如くす。陰に陽疾ある者は、これを下陵三里に取り、正しく往きて殆うきことなく、気下れば乃ち止め、下らざれば復た始むるなり。疾高くして内なる者は、これを陰の陵泉に取り、疾高くして外なる者は、これを陽の陵泉に取るなり。
最後の段は、臨床時には、必ず頭の隅に入れておきたい言葉です。
熱の病は、「手を以て湯を探るが如く」・・・
寒の病は、「人の行くを欲せざるが如く」・・・
譬えがとてもわかりやすく、何千年経っても人間は同じなのだな。と、
時代の差を感じさせませんね。
足の三里、陰陵泉、陽陵泉の使い方も書かれていて、
今後の臨床にとても役立ちそうです。
「霊枢」には、まだあと80篇ありますので、
講義は終わりましたが、この後の篇も興味が湧いてきました。
自分でも読んでいきたいと思います。