銀座を歩いて・・・・
街は環境そのものである。魚が水の中を泳ぐときの、その水のようなものだ。
だから普通は他の、もっと良い、あるいは、もっと悪い、あるいは、もっと違った水があるとは気づかない。
銀座の街もこういうものだと思い込んでいる、もうあるものだから、なおさらその力は強く、そう思っている。
インドなどの街を歩くと、全く違う何か、それを何と呼ぶのか、その何かに基づいて築かれてきた水があることが分かる。
感じるのだ。イスラムの街が、違うことを感じるのだ。ヒンズーのテンプルが違うことを感じるのだ。それは心地好い違いだ。
違う何かに基づいてできた街は、見え方に違いが出るし、だから身体を包む、それこそ水が違ってくる。形象に違いが出るだけではないのだ。
水が違っているから、見え方に違いが出るともいえそうだ。
それらは分けられるものではなく本来一体のもののようだ。
それらもろもろのすべて・・・・・それが環境だ。
そしてそこには、やはり人間もいるのだ。気持が通じるから不思議だ。そしてそれは当たり前のようにも思う。