カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

9Mar2010・part2

2010-03-09 | エッセイ
                           

銀座を歩いて・・・・
街は環境そのものである。魚が水の中を泳ぐときの、その水のようなものだ。
だから普通は他の、もっと良い、あるいは、もっと悪い、あるいは、もっと違った水があるとは気づかない。
銀座の街もこういうものだと思い込んでいる、もうあるものだから、なおさらその力は強く、そう思っている。
インドなどの街を歩くと、全く違う何か、それを何と呼ぶのか、その何かに基づいて築かれてきた水があることが分かる。
感じるのだ。イスラムの街が、違うことを感じるのだ。ヒンズーのテンプルが違うことを感じるのだ。それは心地好い違いだ。
違う何かに基づいてできた街は、見え方に違いが出るし、だから身体を包む、それこそ水が違ってくる。形象に違いが出るだけではないのだ。
水が違っているから、見え方に違いが出るともいえそうだ。
それらは分けられるものではなく本来一体のもののようだ。
それらもろもろのすべて・・・・・それが環境だ。
そしてそこには、やはり人間もいるのだ。気持が通じるから不思議だ。そしてそれは当たり前のようにも思う。

                         

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9Mar2010

2010-03-09 | エッセイ
 暖かい日が続くと思っていたら、寒さがぶり返したようにな日がここ数日続いている。昼間はまだ良いのだが夜になると冷え込む。春だと思って着ているものを脱ぎ棄てたら、寒くて凍死、などということは・・・無いか。裸で震えるとまではいかないが、思わぬ薄着をしてしまい、調子が狂う。
 2,3日、雨続きだったが、昨日の午後は銀座で晴れた空を垣間見た。寒かったが、久しぶりに青空を見た気がした。
 行く途中、地下鉄の駅に溜池山王というのがあった。あんな駅、あったかな。
 銀座の裏通りは、画廊と骨董屋が多いなと思った。
 高層のビルが立ち並ぶので、視線が一直線に抜けるところというと、道路の延びる方向しかない。 路上で、思わず立ち止まる。 
 銀座とはそういうところ、だった。
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