カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

食べる。

2012-05-28 | エッセイ

            
温泉卵つくり器


温泉卵をスーパーなどで買うと高いらしく、家で気軽に作れないかという話になって、インターネットで探した。気軽にと言ってもそんなに都合の良いものがあるのかどうか、どういう言葉を入れて検索したらよいかも分からなかったのだが、本当に温泉卵つくり器という言葉が一般名になっていた。商品名はその名も、「たま5ちゃん」。なぜ5が入るかと言うと理由があって卵を5個入れられるから。その他あれこれ調べてみたが、2個用のもの、電気を使うものなどいろいろ製品化されているので驚いて楽しく見た。ゆで卵用は電気のもので良いのがあるようだったが、温泉卵となると限られる。温度の加減が難しいのかもしれない。これは、沸かしたお湯を入れて時間さえ守ればできる。やってみて本当に温泉卵になっているので笑ってしまった。1000円前後でいろいろなところから出ている。




 

蕎麦が好きで、一時期蕎麦作りに凝っていたことがある。凝っていたと言っても食べることが主たる目的である。麺類好きなのである。それで、そば粉を買ってきてはいろいろと小麦粉の分量を加減したりして楽しんでいた。ここから、うどん作りもやったりした。その勢いで、パンも作った。でもパンは苦手でどうもうまくいかない。一時の気まぐれで、もう何年も忘れていたのだが、今回何かで思い出してパンを作ってみた。イースト菌は何年も前に買って冷蔵庫に忘れ去られたようになっていた残り物。これが生きているかどうかと思ったのだが、最近のパッキングや保存の技術は素晴らしく、立派に使えるのだった。出来栄えは美味いものだった。しかし、パン作りに不満があるのは、私はいつも、イギリスパンのような中がふかふかとしたああいったものを目指すのにそうならないことなのである。小麦粉の袋などに書いてあるレシピはクロワッサン風のものが多く、出来るのはいつもフォトのようなピザの生地をもっとパン風にしたようなパンケーキのようなものになってしまうのである。これはこれで美味なのだけれど。蕎麦や、うどんと違ってパンは作るときに時間がかかるし、手にも器にも練ったものがへばりつき、それが器を変えるたびに目減りしていくような気がして、そういうものなのかもしれないとは思いつつどこか不満になってしまうのである。それで始めるのがいつも少し億劫である。今回もうこれでよいと思い、店で食パンを買ってきた。



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藤子F不二夫ミュージアム(川崎市)

2012-05-28 | エッセイ





















お土産にキャンディー、その他グッズを少し・・・。





 4月の終わり頃、川崎市向ヶ丘遊園にある藤子F不二夫ミュージアムへ行った。ミュージアムの建築物は綺麗にまとまっているタイプのもので使い勝手は良いのだろうなと思うものの特に感慨は湧かないものだった。内容は私の世代にはおなじみの楽しいものだった。オバQ、パーマンなどは自分の中では全く新しいままで古びてはいないと感じた。むしろリニューアルされた感じがして新しさが増したような感じだ。どれもその時代を過ごしてきた人間にとって現在形で楽しめるものだった。来訪者は若い20代くらいの人々が多いように見受けられた。彼らはオバQ、パーマンより後で生まれていてドラえもん辺りはなんとか知っているのかもしれない。リバイバルものとしてよく知っているという人もいるだろう。ところで、彼らの年代の中には、昭和の時代のものを既にレトロと呼び、今のものと区別する者もいる。私はそれが気に入らない・・・。カラスの鳴く夕焼け空がいつから昭和の象徴のように言われるようになったのか。それも気に入らない。夕焼け空は今だっていつだって夕焼け空だ。今もカラスは鳴く。その判で押したように郷愁を表現するその表現の仕方が気に入らない。そう言ってきた。昭和がレトロと言ったってついこの間のことではないかと思うのだ。レトロという話はするが、昭和レトロという言い方をしたことはない。頭の中に無かったからだ。しかし、彼らにとってみるとかの時代は現在と区別されるもののようなのだ。そんなことを思っていたら、先日何かの拍子に気が付いたのである。昭和が過ぎてからかれこれもう25年になろうとしているということに。なんと4半世紀が経とうとしているのだ、と。恐ろしや。馬齢を重ねたなどと言って済ませられないのである。済ませられないのだが、とにかくそうなのである。地層が重なってゆくように年月も折り重なってゆくのである。それだけの年月が経っていれば、昭和レトロという言葉も、実態とともに実感として定着するということもあるのかもしれないと、思い直さねばならないかもしれない、と思うのだった。ところで、アメリカのようにずっと西暦で年月を理解している人々は、呼び名が変わるわけでもなく一繋がりだから、例えば30年前あたりを何かの言葉で括って今と区別したりするのだろうか。そういった実感を持つとすればどういう言い方になるのだろう・・・。

藤子F不二夫ミュージアムは大人も子供も、ゆっくりと楽しむのにはお勧めだと思った。隣接して川崎市の生田緑地ばら苑(旧向ヶ丘遊園跡地、今開催されている春の一般開放は6月3日まで)がある。


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