カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

3月の日々・GINZA・part3

2010-03-19 | エッセイ

                                                                                                                  
         ◆
      ◆
GINZA


ある風景


銀座通り・あるカメラSHOP













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SOMETIME・吉祥寺・Mar2010

2010-03-14 | アート


SOMETIME・吉祥寺



吉祥寺のsometimeへ昨日、ライブを聴きに行きました。
演奏を聴きながらドリンクコースターにその場で絵を描き、先程
アトリエで簡単に色を着けました。まずまず。
まだコースターで使えるのでうれしい。





上記の元になったコースター。両面真っ白でした。sometimeで
自分が使ったものを1枚もらって来ました。白、無地ですが、
紙に厚みがあり、これはこれで意外と存在感があります。
裏面には店でのdrawingが描かれてあります。


sametimeではbeerを一杯飲みました。
ライブは盛り上がりました。




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DRAWING・2010

2010-03-14 | アート




drawing・2010


drawing                              Feb・2010






drawing                 Feb・2010


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3月の日々・part2

2010-03-12 | エッセイ



3月9日2010・朝日新聞・天声人語の抜粋・・・。科学的な調査がなされ、かなり解明が進み、例の恐竜の絶滅の原因が隕石の衝突であったらしい、ということのようだ。津波が300メートルの高さ。ナントいうことだ。想像を絶する。落下した場所までほぼ推測できているらしい。津波の凄さもさることながらその後の、天変地異はどんなだっただろう。例えば、天空を覆ったであろう雲、白い雲というより黒みがかっていただろう。いつ果てるともしれない薄暗い日々。人類の祖先も絶滅の危機には瀕したであろうから、その時の記憶は種全体のトラウマとなっているのではないか。この頃そういうことをよく考えるのである。個人の記憶というのがある、無意識下などに、であるからして、種にもあるのではないか、などと妄想は膨らむのである。それが原因で天候の変化に不必要なくらいに反応する人々がいるのではないか、などと。6550万年前というと地球の地軸の傾きはどんなだったろう。少し違うだけでも地球表面は、かなり違った様相を呈していただろう。驚天動地の景色だったかもしれない。あるいは地球の年齢からするとすでに安定期に入っていたのだろうか。巨大な変温動物が多くいたのだから。
そして隕石の衝突・・・・・。ノアの箱舟伝説どころではなかったかもしれない。
・・・今、気が付いたが、隕石というより小惑星というのだろう。専門的には異なるもののようだ。



そして、銀座・・・。3月・ある日の夕方。



銀座のショーウィンドウ。値が張る、見るだけ。買う、という2文字は頭の中に全く現れなかった。右の黄色っぽい靴は、靴ではなく木の靴型。しかし、細く上品な人が履く靴なのだろうな、と思った。私の足はもっとぼってりしているように思う。

                                     





    
                                                            
                                                                    
                                          

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3月の日々・・・

2010-03-11 | エッセイ

3月の日々



樹・3月・カッキーYAMA近く


街・3月・銀座・夕方に晴れ間が覗いた

                        
街の夜景から引き起こされる、ある想念について少しだけ書いてもいい、が、少し間をおき・・・

ついこの前まで、アラサ―は、何か新たなる出発か何かで、サー行くぞ!とい
う意味でアラサ―かと何となく思っていた。

アラフォーは、そっちのフォーとかあっちのフォーとか、新しい方、方向に関連
したことをシャレて言っているのかと、やはり何となく思っていた。そしたら、
フルーツパーラーか何かの店先でメニューの紙がガラスに貼ってあり、そこに
「甘ーいフォー」というような名前のパフェのフォトが大きく、在った。それはそ
れで、何か、トリュフ関連がなまって、トリュフ、トリュフォー、甘ーいフォーか
と無理やり思っていた。

アラウンドなんて、そんなこと知らない。

                           

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9Mar2010・part2

2010-03-09 | エッセイ
                           

銀座を歩いて・・・・
街は環境そのものである。魚が水の中を泳ぐときの、その水のようなものだ。
だから普通は他の、もっと良い、あるいは、もっと悪い、あるいは、もっと違った水があるとは気づかない。
銀座の街もこういうものだと思い込んでいる、もうあるものだから、なおさらその力は強く、そう思っている。
インドなどの街を歩くと、全く違う何か、それを何と呼ぶのか、その何かに基づいて築かれてきた水があることが分かる。
感じるのだ。イスラムの街が、違うことを感じるのだ。ヒンズーのテンプルが違うことを感じるのだ。それは心地好い違いだ。
違う何かに基づいてできた街は、見え方に違いが出るし、だから身体を包む、それこそ水が違ってくる。形象に違いが出るだけではないのだ。
水が違っているから、見え方に違いが出るともいえそうだ。
それらは分けられるものではなく本来一体のもののようだ。
それらもろもろのすべて・・・・・それが環境だ。
そしてそこには、やはり人間もいるのだ。気持が通じるから不思議だ。そしてそれは当たり前のようにも思う。

                         

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9Mar2010

2010-03-09 | エッセイ
 暖かい日が続くと思っていたら、寒さがぶり返したようにな日がここ数日続いている。昼間はまだ良いのだが夜になると冷え込む。春だと思って着ているものを脱ぎ棄てたら、寒くて凍死、などということは・・・無いか。裸で震えるとまではいかないが、思わぬ薄着をしてしまい、調子が狂う。
 2,3日、雨続きだったが、昨日の午後は銀座で晴れた空を垣間見た。寒かったが、久しぶりに青空を見た気がした。
 行く途中、地下鉄の駅に溜池山王というのがあった。あんな駅、あったかな。
 銀座の裏通りは、画廊と骨董屋が多いなと思った。
 高層のビルが立ち並ぶので、視線が一直線に抜けるところというと、道路の延びる方向しかない。 路上で、思わず立ち止まる。 
 銀座とはそういうところ、だった。
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伊根の街・2008

2010-03-06 | 国内旅行











 伊根の街は、「舟屋」の街である。知っている人は知っていて、遠くからでもその風景を楽しみに来る。舟屋というのは海に面して家を建て、1Fは海に浸かり海に向かって開口しており、漁の船が直接そこへ収納される。「船のガレージ」ともいうべきものである。漁の道具の倉庫のようになっているところもあったように思う。1戸だけならどうということ無いのだが、これが海岸にそって、100軒、200軒と連続して建っているから壮観である。「壮観」 まさにこれがピッタリ。
 私はバスを降りてこの景色を海から眺めるために、観光船に乗った。観光船というのはどこへ行ってもカモメだの、何かの鳥がついて来て群がるもののようである。餌をやるからだろう。面白いのでそれらを眺めるうち、直ぐに船は沖へ出、舟屋の壮観な眺めを観ることとなった。遠目に見ると舟屋はこまごまと行儀よくきれいに連続していて、かわいく見えるのだった。近くで見るとそうでもないけれど。漁師の家だから、細かいところはあまり気にしていないようでもあった。網などが掛けて干してあったり、道具が置かれていたりで、やはり漁のための作業の場であったり倉庫であったり、なのである。少し朽ちて傾き、大丈夫なのかな、などというのもあった。
 観光船を降りて街の中心の通りまで少し歩いた。帰りのバスの時間までまだだいぶ間があった。とはいえバスは本数が少なく、丹後半島のその先へと1周するには、もう一日必要な感じだった。車なら可能だったろう。
 歩いていると、中学の低学年くらいだろうか、少年たちが2,3人自転車に乗って通りかかったので道を訊いた。その時少し話した。
「海の水がかぶって家が壊れることは無いの?」
何か間の抜けた質問であった。壊れるならかなり危険だからそんなところに家は建てないだろう。普通はそう想像する。
「うーん、そんなことは無いです。」
かれら少年は自分が生まれてからの12,3年間、未だかつてそのようなことは見たことが無いと断言したのであった。
「ふーん、台風の時は? やっぱり波が高くならない? あんなに海面ぎりぎりだと直ぐ水をかぶってしまうと思うけど」
「入り江になっているし、前に島があるから(青島など)波はそんなに高くならないです」
「そっか」
 私は急につまらなくなった。波がざぶざぶとかかると何時壊れるかと迫力も増すだろうと想像していたのである。しかし半分はそうではないのだろうと思っていて、そちらが正解のようであった。やはり安全な方がいいに決まっている。
「さよなら」
「それじゃ、bye-bie」
そこで別れた。ありがとう、やはり住んでいる人に聞くと実感が伝わってくる。伊根の街は、大きく言うと日本海の若狭湾に面している。細かく言うとその若狭湾の波から守られるようにして、伊根湾に面している。伊根湾は波が静かだそうだ。潮の満ち干はどんな感じなのだろう。まだしつこくもそんな事を思ったのであった。
 街を歩いた。疲れたので、通り全体の半分ほどを観ただけ。もういいかと思った丁度そこに酒屋があったのである。「向井酒造」といった。入口脇の木製ベンチを見た瞬間、そこに座ってお酒を飲む自分を想像し、直ぐに店に入り地酒のワンカップを買い求めたのである。そしてベンチで飲んだのである。美味かった。単純この上ない。店には若い女性が店番をしていて、あれこれ話した。住んでいるところなど、車で通っていることなど。こちらは京都観光で1日だけ脚を伸ばしたことなど、一度は訪れたかった事など、バスで来るのは大変だということなど、疲れたことなど、こういう時はお酒を飲みたくなるということなどなど。
「造り酒屋なわけだけど、肝心の水はどうしているのですか?」
「裏の山で取れます」
瀬戸内海の島などは昔、水と言えば塩分を含んだものしか取れなかったらしいし、何かそんな事を思ったのだが、良い水が山で取れるそうで、なるほどな、それならいいなと思った。お酒を造っているところなども少しだけ覗かせてもらった。
 食べるものは魚など美味しい店が近くにある、とこれも年配のおばさんが教えてくれたし、民宿もあるから泊まっていけばと熱心に言ってもくれたのだが、その日の夜までには京都市内までは帰っておきたかったので、伊根の街とはそこで別れることにした。お酒が入って丁度よい気分になった。目が寄り目になったようだった。
 車ならもう少しゆっくりと走りまわれただろうし、道の駅へ行ったり、あるいは釣りなどもできただろうと思う。夏は海の遊びがいろいろできそうだ。温泉もあるようだし、丹後半島はいろいろ楽しめると思った。伊根の街は名残惜しかったがバスに乗り、列車で京都へ向かった。










                                           
                                            
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伊根の街&京都の桜・2008

2010-03-05 | 国内旅行


京都府・丹後半島「伊根」の街&京都市内「桜」・2008



2年ほど前の丁度、今頃の季節、4月頃、京都の桜を見物しに訪れた。フィル
ムの7,8,9は京都市内で夜桜から始まって次の日の昼間の桜。満開で、一
雨来れば散りそうな風情だった。00から6までは、丹後半島の伊根というとこ
ろ。京都府ではあるが、京都駅から列車に乗り、かなりの時間揺られ、そ
の後、今度はバスを乗り継いでやっと着く。地元の女性が、京都市内からな
ら今は車の方が楽です、と言っていた。
伊根は漁村である。途中、丹後半島の付け根に位置する「天橋立での股のぞ
き」など、一通り観光客のやるべきことをこなし、半島の先の東側にあるその
街へと向かったのであった。風景が珍しい。知る人ぞ知る。
このつづきはまた・・・。

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トビウオの刺身

2010-03-04 | グルメ






トビウオの刺身

 晩のおかずがトビウオだった。それも刺身。トビウオの刺身が美味いのを知ったのは最近のことである。空を飛ぶ魚としてしか知っておらず、変わった魚、という印象しかなかったのでまさか刺身になるとは思いもしなかった。どこで獲れたものだと思うか? クイズである。・・・・・・・・・。すぐに答えを言ってしまうのだが・・・東京湾。ホントか、と思う人も多いはず。意外な感じがする。そんな近場で獲れるのか、東京湾を魚が飛ぶなど想像できない。でも東京湾で獲れたそうだ。安藤忠雄などが東京湾の埋め立て地を森にする、などと言っているが、彼が言うと勢いが付いてしまって、もっと面積を増やそうなどという話がすぐに持ちあがったりするからかなわない。私は、森をつくるのは結構だと思うが埋め立ては最小限にすべきだと思う。都市排水の浄化がこれまで以上に進めば、今まで減少していた海に魚が戻ってくるだろう。今でも、以前より少しではあるが魚が増えているという話も聞く。江戸前の魚が多く食べられるようになれば楽しいではないか。安藤忠雄の計画は大々的過ぎて、海の生き物は死滅するのではないか。それでは、つまらない。ゴミの問題があるのだろうが、銚子近辺まで持っていって、太平洋へ向かって埋め立て地を突き出させたらどうだろう。広いしいくらでも突き出すことができる。荒唐無稽な話と思われるかもしれないが、東京湾の埋め立てには限界があるだろうし、生きた海にしていくためには、埋め立てもいい加減にした方がよいと思う。
 トビウオは白身の魚で、透明がかっている。味は淡白で美味いが、鯛の淡白さに較べると、少しモチッとしていて重たい。塩焼きにしても美味いそうだ。


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