四川省の省都といえば成都ですが、列車、バスにて
1時間半あまりのところに位置する綿陽にも行ってき
ました。今年、夏前ですが、あまり聞いたことのない
都市名ですが、四川大地震の時は度々と名前があがっ
た都市が、この綿陽です。
今回は、成都から行ったのではなくて、新疆のウル
ムチ方面から列車に乗って、約40時間以上も寝台に
揺られやっとこの駅に着いたという感じです。
四川省そのものが日本の面積よりも広く、人口も9千
万人近くいるわけですから、この街も成都(人口も約
1千万人以上)程ではありませんが、数百万人もいる
綿陽の街へ足をのばしてみました。
名前からすると綿でも取れるのではと思われがちな都市
ですが、駅を降りるとただだだっ広いな、というのが第一
印象でした。駅も近代的で、とにかく箱モノの建物として
はものすごくデカイという感じです。
街も特に特徴があるわけではありませんが、ここは、やは
り中国、中国は奥へ行けば奥へ行くほど奥深く、また見所
も多いといった感じですので、早速ここからバスに乗って、
北川へ行きました。
綿陽市内は見るべきものもありません。が、勿論、街を
歩けば必ず何かを発見するはずです。やはりバス、または
タクシーに乗り、地図とにらめっこしながら、駅近くの川
をわたり市街地の方へ行くと良いと思います。街中は、他
の中国のどの都市とも変わりなく、ミニ銀座的な通りと、
地元特有の商店がすらりと並んでいるという感じです。
そんなわけで、横道へ逸れますが、テレビでも話題にな
っている、震災に逢い、町全体が引っ越したという北川方
面へ、駅前から路線バスに乗り行ってきました。
40分ほどで新しい町へ着き、ここも散策しました。全
くの新しい街並みが出現した、という感じです。商店街も
綺麗に整備されました
更に億へ行くと、バスで20分程度ですが、震災を受けた
建物等が記念館となっており、今や、ブラックツーリズム
として売出している元被災地がみられ、全国から観光客も
見学に来ています。地元テレビでも大きく報道をしていま
した。
震災復興を観光面で後押ししようという地元政府の考え
から、このツアーも催行されているわけです。当然、この
ような記事も、学術的な面からも、本が出版されています。
というわけで、綿陽というよりは北川方面の記述になって
しまいましたが、夕方6時過ぎにはまた、元の綿陽の町へ
戻り、駅前に宿をとりました。
綿陽も、観光資源としては特筆すべきこともあり
ませんが、この北川方面への玄関口として今後は
脚光を浴びることかと思われます。
1時間半あまりのところに位置する綿陽にも行ってき
ました。今年、夏前ですが、あまり聞いたことのない
都市名ですが、四川大地震の時は度々と名前があがっ
た都市が、この綿陽です。
今回は、成都から行ったのではなくて、新疆のウル
ムチ方面から列車に乗って、約40時間以上も寝台に
揺られやっとこの駅に着いたという感じです。
四川省そのものが日本の面積よりも広く、人口も9千
万人近くいるわけですから、この街も成都(人口も約
1千万人以上)程ではありませんが、数百万人もいる
綿陽の街へ足をのばしてみました。
名前からすると綿でも取れるのではと思われがちな都市
ですが、駅を降りるとただだだっ広いな、というのが第一
印象でした。駅も近代的で、とにかく箱モノの建物として
はものすごくデカイという感じです。
街も特に特徴があるわけではありませんが、ここは、やは
り中国、中国は奥へ行けば奥へ行くほど奥深く、また見所
も多いといった感じですので、早速ここからバスに乗って、
北川へ行きました。
綿陽市内は見るべきものもありません。が、勿論、街を
歩けば必ず何かを発見するはずです。やはりバス、または
タクシーに乗り、地図とにらめっこしながら、駅近くの川
をわたり市街地の方へ行くと良いと思います。街中は、他
の中国のどの都市とも変わりなく、ミニ銀座的な通りと、
地元特有の商店がすらりと並んでいるという感じです。
そんなわけで、横道へ逸れますが、テレビでも話題にな
っている、震災に逢い、町全体が引っ越したという北川方
面へ、駅前から路線バスに乗り行ってきました。
40分ほどで新しい町へ着き、ここも散策しました。全
くの新しい街並みが出現した、という感じです。商店街も
綺麗に整備されました
更に億へ行くと、バスで20分程度ですが、震災を受けた
建物等が記念館となっており、今や、ブラックツーリズム
として売出している元被災地がみられ、全国から観光客も
見学に来ています。地元テレビでも大きく報道をしていま
した。
震災復興を観光面で後押ししようという地元政府の考え
から、このツアーも催行されているわけです。当然、この
ような記事も、学術的な面からも、本が出版されています。
というわけで、綿陽というよりは北川方面の記述になって
しまいましたが、夕方6時過ぎにはまた、元の綿陽の町へ
戻り、駅前に宿をとりました。
綿陽も、観光資源としては特筆すべきこともあり
ませんが、この北川方面への玄関口として今後は
脚光を浴びることかと思われます。