中国経済ビジネス・文化・交流そして日中ビジネス!・北京の大学でMBA文化ツー(株)代表秋澤文芳コンサル業務

日中経済ビジネス、KBT観文研 北京第二外大研究生 都日中副理事長・経済ビジネス委員長、中小企業コンサルタント秋澤文芳

中国13億の民、誰でも知ってる山西省「大塞(*)」を訪れたが!

2011年10月22日 20時22分44秒 | (中国全土をあるく 1)中国 全土横断縦断の旅
今週はじめ、綱渡りの、バス乗り継ぎの山西省南部の(河南省、河北省

もすぐ隣接の地区)、中国人なら誰でもが知っている農業のモデル地区
に行ってきました。

今回は、「小さな旅」というより、交通が全く不便な、次の、そして
次の次のバス乗り継ぎを気にしながらの旅でした。

「工業は大慶に学べ、 農業は大塞*学べ」とは中国人誰でもが知ってい
る言葉です。(「塞」は 実際は 禾 編が正当です)。

私も、昨年から農村地区での観光開発という観点から、教科書の中でも
最も有名で、モデル地区ともなっており、国家観光局お奨めの農村観光
開発地区です。

   ところで、一体、この地区は何処にあるのかと思いました。
   中国人でも、まず分かり難いところです。
     テキストには、山西省太原のすぐ南にある普*中市に属する
     ということで、この市の近くを調べましたが、みつからない。
     この普中市の鉄道の駅は太原のすぐ南で、すぐ近くです。

   が、なんとなんと、実際は、この市の中の、昔陽県にあり、よくよく
   調べると、もうすぐ隣は 河北省近くにありました。

      それにしても、なんと田舎の不便な地区にモデル農村を
      当時の政府は設けたのかと、思いました。

というわけで、太原市駅近くの長距離バスターミナルから朝、出発しま
した。(実は、この時点で、太原発 17:37発の新幹線で、北京行き
の切符も購入しておきました。
      (+++何とか、夕刻5時には戻れるだろうと思い++++)

   しかし、しかし、 目的地の大塞までは、約2時間だよ、などと、
   バスターミナルの職員から言われましたので、往復4時間あまり、
   観光、見学しても夕刻5時までには戻れると考えていました)。

朝、9時20分発のバスに乗り込み、太原を出発!

   途中の車中からの、山西省での、石炭の匂いもしそうな、窓の外
   の景色は素晴らしかったです。
     赤茶けたレンガ造りの住居と、竪穴式のような住居なども見
     ながら高速道路を突っ走りました。予定到着11時半頃と見
     込んでいました。

  @太原バスT(09:20発)===高速===石家庄方面へ
        しかし、10時半頃より大渋滞です。ここでも道路
        工事で、身動きとれず、お客は車中から外へ、運転手
        も何分か、どこかへ消えてしまいました。
   じっと、我慢して11時半頃、渋滞解消。
   バスは、もうすぐ、河北省近くの平定インター近くで渋滞解消。
     $$$それにしても、車中は中型バスで33名定員満員です。
         中型バスで一番後ろの席に5人で座っていましたので
         窮屈、身動きできずでした。
         ##右隣のお客が、鶏肉をむしゃむしゃ食べ、その、
            クズや骨を床に捨てたり、座席の脇に投げ捨
            てるやら、前の席の赤子は泣くし。。。。。
   結局、着いたのが3時間後の12時半。
   更に、到着したターミナルから、またバスで目的地の大塞へという
   ことでした。
         ????このままいくと、夕方まで帰るには、この地を 
              1時半過ぎ頃には、ターミナルへ戻る必要が
              と計算しました。
         ????えっ!すると大塞は実質1時間の視察?という
              ことになりそうです。
   バスターミナル前にたむろするポン引き運ちゃんと車の交渉し、
   10元で目的地の大塞へ行くと言う。
         すぐ、小型車に乗り、待ちに待った 本場、農業の発祥地
         とも言うべき、大塞へ。
    ?????しかし、なんと3,4分ですぐ着いてしまった。
         正直言って、着いたとたんに驚きました。
         なんと素晴らしい!ところ、と言い表したかったのですが

         @@@@@実際は、全く、正反対、がっくりしました。。

         *「農業は大塞に学べ」などという当時のスローガンを
           感じさせるところは全く、ない、という感じ。
         *ただ、土産物屋さんが20,30軒並んでるだけ。
         *ただ、共産党の小さな建物だけが2棟目だっている。
         *農業の「の」の字も感じさせない。
    
    (結論)結局は、当時の面影は5%もなく、ただ、大塞という
        地区が、今も残っているだけです。
       備考にもあるように、今や、この土地の農業の占める割合は 
       文字通り1%程度で?、あとは、観光、商業、工業の村とし
       てなりたっているということでした。
       *なんで、こんなところが、現在の、農村観光のモデルにも
        掲載されているのか、教科書の記事にも腹が立ちました。

     40分程度の散策で、この地区をあとにし、先ほどのバス停へ
     戻り、道を歩いていたら、ちょうど2時前に、太原行きバスが
     通りかかたので、飛び乗りました。

     復路は、渋滞もなく、2時間半弱で太原へ到着。
        復路も、あっけなく到着しましたが、大塞のモデル農村
        も、それ以上にあっけなかった、という率直な感想です。
(参考;太原建南バスターミナル09:20====平定インター===   
     ===12:30大塞バス停、ターミナル着==小型車10元=  
     ===12:50着 大塞地区見学==13;45高速バス=
     ===もとの道を太原へ(途中素晴らしい景色)=====
     ==16:30頃太原バスT着===17:37新幹線にて=
     ==北京西駅21:20着(149元)=52番路線バス==
     ==天安門地区到着==========22;45家到着。
     ****高速バスは往復100元でした。

この日は、前日23;07発の夜行列車で省最南端の普城市から乗り
翌朝、6時半過ぎ太原駅着でしたので、少々?いや、大変、疲れた。。
という一日でした。
           ====。おわり======


モットー;お客様の旅はCS顧客満足の旅、自分の旅は最大コストカット
     ということで、いつも視察(旅)を続けています。
**写真が1枚程度しか掲載、upできませんでしたので、別ブログに
  掲載しておきます    ====。おわり======

〔他参考BLG〕http://blog.sina.com.cn/u/2137269945
  (新浪;日文)写真10枚添付してあります。


(参考) 改革開放後 ;大塞(YAHOOより)
改革開放後、中国の経済は計画経済から市場経済に転換し、大寨も省・県・市の三段階による所有制度、部隊を基礎とした人民公社体制から世帯生産請負責任制へと徐々に移行した。1983年大寨は農業生産責任制を実行し、村営企業を設立し、個人も養殖業や運輸業を始めた。1992年大寨経済開発総公司が設立し、年産10万トンのセメント会社となった。それと並行して十数個の企業が発展した。大寨村の総生産額は1978年の18.56万元から1992年の327万元、2005年には大寨の経済総収入は11600万元を越え、年一人当たり平均收入は5500元となった。大寨の経済総収入の内、農業収入が占める割合は0.3%、工業收入は56%、流通業10%、サービス業と旅行業は30%を占め、二十年の発展の結果大寨は既に「政治のブランド」から「経済のブランド」への脱皮に成功したといえる。


  (他 参ブログ) http://blog.goo.ne.jp/akibiz
http://plaza.rakuten.co.jp/akibiz
http://ameblo.jp/abc-kanbunken/

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