福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

幻のレコード

2015-12-22 03:30:38 | レコード、オーディオ

長年探していた。否、探すことすら諦めていた幻のレコードに出会ってしまった。

すぐに購入できる代物ではないため、出品者と交渉し、暫く取り置きして頂くこととなった。

そんなこんなで真夜中の3時を過ぎても眠れないでいる。

それが何かは実物が届いたら報告しよう。

価値の分かる者には特別なお宝だけれど、大半の方には「それがどうした?」という反応だろうな・・・。


心斎橋で伝説に出逢う ~ モーツァルト 伝説の録音Ⅰ, Ⅱ

2015-12-20 01:52:54 | レコード、オーディオ


コバケン&大阪フィル「炎の第九」オーケストラ合わせの朝。散策中の心斎橋にて、「モーツァルト 伝説の録音」第1巻「名ヴァイオリニストと弦楽四重奏団」、第2巻「名ピアニストたち」(飛鳥新社)と出逢った(各12CD + 書籍)。

「内容は良さそうだけれど、この
ハイレゾ時代にCDを買うのもどうか?」と定価で購入するのを躊躇っていたところ、破格の安値で店頭に置かれていたのを発見したのである。



「きっと、わたしを待っていたのだ。ここで出逢ったのも運命」。
まだホテルの一室に居るためCDを聴いたワケではないが、「これなら仮に定価で購入しても悔いはない」と呼べる代物であることは、手にしてみて分かる。本物の手応えとでも言おうか、作り手の思い入れやこだわりがジーンと伝わってくるのてある。

まず、装丁が美しい。書籍のつくりも堅牢だ。なにより、中身が充実している。SP時代の名前だけしか知らない、或いは名前すら知らなかった往時の名演奏家たちについて多くの情報があり、演奏や録音の時代背景も分かり、さらに音盤の資料としても一級品と呼んで差し支えないだろう。







そして、何よりこの書籍の価値を高めているのは、内田光子へのインタビューであろう。

モーツァルトについて、演奏家について、演奏行為について、そして、音楽の本質について語られる言葉は宝石のようであり、そのいちいちが最短距離でズバリと核心を射ている。

それらをここで披露するのは反則だと思うので一例のみを挙げておこう。

それは、「モーツァルトは許せる心を持った人」という言葉である。

「私は、彼女(伯爵夫人)は許したんだと思うのね。だけど、その音楽の美しさ、許すということ、それがなかったら、『フィガロの結婚』を聴いた意味がないと思う。」

確かにそうだ。許しがあってこそのフィガロでありモーツァルト。この至言、野田秀樹が聞いたら、なんと言うだろう(笑)。

とまれ、SP復刻の第一人者、新忠篤氏による音を聴くのが楽しみである。しばらくは長時間リスニングルームに籠もることは難しそうなのだけれど。




同い年のレコード・セット ~ メンゲルベルクの芸術第一集、第二集

2015-12-17 14:52:10 | レコード、オーディオ




「メンゲルベルクの芸術」の第一集と第二集である。テレフンケン原盤、国内盤(キングレコード)各3LP。前者が独メタル、後者が英メタル使用とのこと。

いつ頃リリースされたものか検索してみたところ、なんと1962年7月と9月の「レコード芸術」誌の推薦盤であることが判明した。つまりボクと同い年ということである。なんだか愛おしくなるな。

収録されているのは、チャイコフスキー「5番」「悲愴」、ベートーヴェン「1番」「英雄」「8番」、ブラームス「4番」、フランク「ニ短調」といういずれも定評のある名演ばかり。

これほど長年レコード蒐集をしていても、当然ながら手薄なレパートリーはあって、メンゲルベルクのテレフンケン録音は全く手付かずであった。独プレスや英プレスに越したことはないのだろうが、60年代のキングレコードのプレスは優秀であるし、比較的小さな出費でまとめて聴くには十分であろうと入手したところ。

メンゲルベルクのチャイコフスキー「悲愴」については、中学生時代、当時の国内廉価盤を聴いて、サッパリ理解できなかったのを憶えている。いくら解説の宇野功芳が褒めていても、音は貧しかったし、煩雑なテンポの変化についていけなかった。まあ、齢13や14の少年がメンゲルベルクの耽美に溺れるというのも気持ち悪い話なので、むしろ健全だったと言うべきか(笑)。

いま改めてメンゲルベルクの「悲愴」を聴くと、確かに魂の奥底を揺り動かされるものがある。精神性とか内面性という言葉からは、どちらかというと遠いところにあるチャイコフスキーの音楽から、こういう類の感動を呼び起こすメンゲルベルクは、やはり凄い人だったのだ。

ところで、この第3楽章の大胆に見得を切るようなテンポ設定、突然ローギアに落としたような効果は、朝比奈に影響を与えているような気がする。もっとも最晩年の朝比奈はインテンポに傾斜してしまったので、新日本フィル盤ではなく、新星日響とのライヴ盤をお持ちの方は是非較べてみて欲しい。

「書込みあり」に福あり ~ パウル・ザッハー 委嘱作品集

2015-12-14 16:01:16 | レコード、オーディオ


本日は本籍地移動に伴うパスポート書き換えのため新宿へ。

旅券事務所のある都庁は西口だが、帰りがけに健康増進のため東口まで散歩したところ、知らぬ間に左手には薄茶色の紙袋が!

本日の収穫のひとつは、パウル・ザッハー指揮コレギウム・ムジクム・チューリッヒによる「パウル・ザッハー 委嘱作品集」。

文字通り、現代音楽の推進者・庇護者であった作曲家・指揮者のパウル・ザッハーが同時代の作曲家に個人的に委嘱した作品が収められた3枚組のレコードである。

マルタン「小協奏交響曲」、マルティヌー「二重協奏曲」、バルトーク「ディヴェルティメント」、オネゲル「交響曲第2番」「クリスマス・カンタータ」、ストラヴィンスキー「二調の協奏曲」、ヘンツェ「弦楽のためのソナタ」という魅惑の作品が並ぶ。ザッハーがこの世に生まれなければ、これらの作品が存在しなかった、と考えると、ザッハーの功績は大きい。



「箱に書込みあり」とのことで、格安だったが、ボクの目にはパウル・ザッハーのサインにしか見えない・・。
お店の試聴機で聴く限り、録音もかなり優秀。書込みに福があったようである。

追記
スウィングロビンのレッスンより帰宅し、バルトーク「ディヴェルティメント」、オネゲル「交響曲第2番」に針を降ろしたところ、演奏も音もなんという瑞々しさ! まさに超弩級のオーディオ・ファイル。

夜更けに心の調律 ~ フィッシャー=ディースカウ ヴォルフ「メーリケ歌曲集」を聴く

2015-12-11 23:59:58 | レコード、オーディオ


今宵の東京ジングフェラインの「マタイ受難曲」レッスンは、大阪組、厚木組からの参加者に加え、男声に3名の賛助出演者を迎え、たいへんに充実したものとなった。

本番のイメージがようやく見えてきた想いがする。その意味で今日はひとつの記念日と呼べるかもしれない。



そうした満ち足りた気持ちで帰宅し、早速、マイソニックラボのEminent Soloをヘッドシェルに装着。クナッパーツブッシュのブルックナー4番 英デッカ・オリジナル盤を再生したが、実にお見事。ウィーン・フィルの溶けるような金管群、鄙びた木管群、そして、艶やかな弦の歌に恍惚となった。間違いなく、我が家でクナッパーツブッシュのロマンティックが最も美しく鳴り響いた瞬間である。



夜も更けてきたので、ブルックナーは第1楽章のみに留め、いまは手に入れたばかりのフィッシャー=ディースカウの歌うヴォルフ「メーリケ歌曲集」を聴いている。ピアノはジェラルド・ムーア。同歌曲集53曲中の37曲が3枚組のレコードの5面にわたって納められている。6面中の1面はブランクだ。レコード番号は英EMI ALP1617-19でもちろんモノーラル・プレス。同じ歌唱のステレオ・プレスの有無は分からない。




いやあ、なんという歌唱芸術だろう。この完璧の前に言葉は不要。フィッシャー=ディースカウの歌声が忙しさに疲れ、ささくれ立った我が心を穏やかに調律してくれるようだ。

この凄みを孕んだ美しさ、若い頃には分からなかった。上手すぎると敬遠していたことを恥じるのみだが、いまこうして素直に享受できる自分を歓びたい。

マイソニックラボ Eminent Soloと出会う

2015-12-11 09:50:27 | レコード、オーディオ


随分前から存在の気になっていたマイソニックラボのカートリッジ。このたび、同ブランド唯一のモノーラル・カートリッジEminent Soloとご縁があった。掘り出し物と呼べる新古品と出会ったのである。



最初に選んだ盤は、マイルス・デイヴィス・カルテットの米Analogue Productions社による45回転復刻盤(5アルバム10枚組)からCOOKIN'。

実に落ち着いた大人のサウンドで、その深さと熱さに恍惚となる。なんという至福。

実は、この復刻レコード。ダイナミックレンジが極度に広いためか、長年愛用しているシェルターのモノーラル・カートリッジでは、ドラムスの強打の際などに音がビビってしまったのだが、Eminent Soloは余裕でクリアしてしまう。シェルターも優秀で魅惑的なカートリッジではあるが、懐の深さにおいてマイソニックラボに軍配が挙がるようだ。とともに、Analogue Productionsのプレスに非のないことも判ってよかった。



しかし、その後、クナッパーツブッシュのブルックナー4番「ロマンティック」など英デッカの古いモノーラル盤などを再生すると不満も出てくる。高弦の音色に魅惑が足らないのである。そこで、ヘッドシェルをフェーズテックからZYXに交換するとかなり改善された。

ただ問題もある。Eminent Solo、ZYXヘッドシェルともに自重が軽すぎて、我がサエクWE407/23アームではコントロールし難いのだ。というのも、このサエクの名器は稀少品で本体を入手するだけで精一杯。未だ軽量カートリッジ用のバランスウェイトが見つからないからである。

というわけで、新たな相方としてマイソニックラボのヘッドシェルを用意した次第。同じブランド同士で妙なる楽の音を奏でてくれることを祈るばかり。早く試したいのだが、いまは、ホテルの部屋でその姿を眺めるのみ。

ああ早く家に帰りたい。

カラヤン&フィルハーモニア管によるベートーヴェン交響曲全集を国内初期盤で聴く

2015-11-25 09:24:09 | レコード、オーディオ



昨日、エリー・アメリング女史マスタークラス午前の部の後、2時間ほどの自由時間ができた。京都の紅葉見物をするには寸法が足らないので、開店間もないディスクユニオン梅田店を訪ねることにした。我が大阪フィル合唱団指揮者の就任に合わせたようなタイミングでの出店・・・。困ったものだ。

時間潰しの冷やかし程度のつもりで伺ったものの、よい収穫があった。その筆頭がカラヤン&フィルハーモニア管によるベートーヴェン交響曲全集の国内初期盤、日本コロムビアによる9枚組ボックスである。



言わずと知れたカラヤン初のベートーヴェン交響曲全集、1951~55年のモノーラル録音。この国内盤セットの発売が1962年頃といえば、ボクとほぼ同い年。ブックレットには、村田武雄と小澤征爾による「カラヤンをめぐって」という対談も収められている。



手始めに5番と7番を聴いたが、心から愉しんだ。後に音楽界の頂点へと登り詰めた男だけがなし得る憎らしいほどまでに自信に満ちた音。弦の調べには艶やかな色香が立ち上り、そこここに、はち切れんばかりのエネルギーが沸き立っている。

アナログ時代のベートーヴェン交響曲全集といえば、7枚組が標準だったと記憶する。即ち、#1 #2 #4 #5 #8に各1面、#3 #6 #7 に各2面、#9に3面を割り当てた計14面である。

ところが、この国内盤ボックスセット。カラヤンの颯爽としたテンポにソナタ形式の提示部をリピートしないというスタイル(第5を除く)にも関わらず、9つの交響曲と3つの序曲とアリアに9枚のレコードを費やすという贅沢なカッティング。例えば、「運命」を片面に収めるのが普通だった時代に、第1面は第1、2楽章、第2面に第3、4楽章とシュヴァルツコップの歌うアリアという余裕を見せるのだ。


この姿勢は音質に反映されて当然であり、英オリジナル盤は未聴ながら、これはこれで、素晴らしく音楽的に鳴ってくれている。上に述べた弦の艶やかな色香もCDでは再現できないものだろう。

新装発売された当全集のCDボックスには、#8 #9のステレオ・バージョンも収められているという。実験的に別マイクで収録されたもののようだが、一度聴いてみたい気がする。


トスカニーニの「胡桃割り人形」に痺れる

2015-11-14 00:43:20 | レコード、オーディオ

大阪から東京に戻り、東京ジングフェライン「マタイ」稽古までの空き時間、例によって都内の中古レコードショップで時間を潰していたところ、店内のBGMになんとも剛毅な「胡桃割り人形」組曲が流れていて忽ち魅了されてしまった。

その音質からヒストリカルのライヴものであることは分かったが、その正体を探ってみると、なんとトスカニーニの伊メロドラム盤ではないか!

1951年11月17日、RCAの正規盤の2日前の演奏の記録だ。

男気溢れる怒濤のアンサンブル! 火を噴くカンタービレ! この優美な作品で血沸き肉踊るというのもどうかと思うけど、堪らなく良い。久々にトスカニーニに萌えたなぁ。

もちろん、この2枚組のチャイコフスキー・アルバムのメインは、ホロヴィッツとのピアノ協奏曲第1番と「悲愴」交響曲にあるのだろうけれど、「胡桃割り人形」もクナ盤につづく我が愛聴盤となることは間違いない。

音質も非正規盤として上々ではないかな?

調べてみたところ、アンドロメダ・レーベルの3枚組CDでも聴けるようだ。

 

 

※因みにRCA盤は未架蔵のため比較はできず。CDでは持っているかも知れない。発掘してみよう・・。

クルト・トーマスのクリスマス・オラトリオを聴いて

2015-10-20 12:56:17 | レコード、オーディオ



メンゲルベルクの「マタイ」を再生するためのモノーラル・カートリッジがわがシステムに装着されたままだったので、今朝はモノーラル・レコードを聴くことにした。選んだのはクルト・トーマス指揮聖トーマス教会合唱団、ケヴァントハウス管による「クリスマス・オラトリオ」第1部である。

手許にあるのは旧東ドイツ時代のエテルナ盤2種。レコード番号は同じだが、ひとつはオリジナルのフラット盤(写真下↓)、もう片方は後年リリースのグルーヴガード盤(写真上↑)である。後者は先日、沼津のオーディオ・ショップにて僅か1,000円で購入した掘り出し物(もちろん全曲盤)だ。

アナログ盤といえば、一般に初プレス、初リリースのオリジナル盤が良いとされ、事実、オリジナル盤優位の確率が高いのであるが、この旧い東ドイツ盤については後発のグルーヴガード盤が断然素晴らしい。音の分離、輝き、なによりエネルギー感がまるで違うのである。製盤技術の進歩など、何らかの理由があるのだろう。

もともと1958年のステレオ録音なのだが、リリース当時、東ドイツ国内にステレオ再生装置が普及していたとも考えにくく、モノーラル・プレスの方が手には入りやすい。いずれ、ステレオ・プレスも手にしたいところだが、それまでは、ナクソス・ミュージック・ライブラリで楽しむことにしよう。



ところで、音質以上に感動したのがトーマス・カントルであるクルト・トーマス指揮の演奏そのものであることは言うまでもない。古楽の台頭もなく、さらには情報の閉ざされた東ドイツに前世代より受け継がれ、育まれた謹厳にして実直なバッハ!

この余りにも美しく、強いバッハを聴いて、ラミン~マウエルスベルガー~トーマス~ロッチュと伝承されてきた聖トーマス教会の音楽的伝統の核心部分がビラー時代に失われてしまったのを知るのである。聖トーマス教会で営まれる音楽に古楽器的な歌唱法や奏法は本当に必要だったのだろうか?



かくいうわたしも、2013年の聖トーマス教会でのロ短調ミサ演奏は、ザクセン・バロックオーケストラという古楽器オーケストラと共演し、来る3月の「マタイ受難曲」も同じではあるが、わたしの肩にトーマス教会の伝統がの担われているわけではないから責任の外だ。だが、古楽器オーケストラによりながらも、ビラー時代に失われた佳き音楽の伝統を胸に抱きつつ指揮したいと心から願っている。それはきっと聖堂に集うライプツィヒの会衆の心にも届くことであろう。

J.S.バッハ:クリスマス・オラトリオ BWV.248

 アグネス・ギーベル(ソプラノ)
 マルガ・ヘフゲン(アルト)
 ヨゼフ・トラクセル(テノール)
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
 ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
 クルト・トーマス(指揮)

 録音時期:1958年12月
 録音場所:ライプツィヒ、聖トーマス教会
 録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)

 

追記

当記事アップ後、一番上の写真と同じBOXのステレオ・プレスを独eBayにて発見。1969年リリースとのこと。出品者はハンブルクのレコードショップ。衝動的にポチった後からコンディションがイマイチっぽいことに気付くも後の祭り・・。旧西ドイツのオイロディスクプレスもあるけれど、やはりエテルナで聴きたいところ。


メンゲルベルクの「マタイ受難曲」を聴く

2015-10-19 13:39:58 | レコード、オーディオ


封印してきたメンゲルベルクの「マタイ」を聴いた。

この4枚組の蘭フィリップスのオリジナル盤は随分前に入手したものだが、個性の強い演奏であることは分かっていたので、自分の「マタイ」がある程度確立する前に聴くことを避けてきたのだ。

東京ジングフェラインとの公演が来年1月、聖トーマス教会公演が3月に迫る今となって、ようやく盤に針を下ろす決心がついたというわけだ。

ナチスの跫音の聞こえる1939年の実況録音。

語り尽くされた歴史的録音ではあることと、我が体力の都合から詳述は避けるが、ここにあるのは本物の音楽であり、本物の感動である。

ピリオド楽器による「マタイ」しか知らない人の耳には奇異に聴こえるであろう大仰なテンポや強弱の変化は、即興的なものではなく、練りに練られた「形」だ。

それが、ただの気分によるものでなく、音楽やテキストに即したものとなっているため大きな説得力も持つ。

極められた様式美とも言えようか。

カットの多いのは~特に第2部~とても残念ではあるけれど、ないものを惜しむより、ある部分を愛おしみたい。

さて、今日のメンゲルベルク体験は、我が「マタイ」演奏に影響するだろうか?

答えはイエスである。

すでに、わたしの内面にあった固定観念の殻がいくつか壊れかけているし、新たな化学変化も魂に起きつつある。

もちろん、メンゲルベルクの表現の外側を真似するつもりはない。

この揺れに揺れるテンポ設定をそのまま採り入れたところで、誰も付いてこないだろう。それは自分のものではないからだ。

メンゲルベルクの遺した心をどれだけ消化し、昇華させることができるか?

これは、なかなか面白い作業となりそうだ。マタイ演奏への楽しみがまたひとつ加わった。

なお、このたび、タワーレコードさんより、このメンゲルベルクの「マタイ」の新復刻CDがリリースされる模様。レコードを持っているボクでも興味を惹かれる内容だ。

http://tower.jp/item/4080093/J-S-バッハ:-マタイ受難曲-(全曲)<タワーレコード限定>

1939年の記念碑的な名演を、'52初発売時のPHILIPSアナログ・マスターより新リマスター。従来盤より鮮明な音質で再現。

あまりにも有名な1939年4月2日のメンゲルベルクによる「マタイ受難曲」を復刻します。CD時代でも本家PHILIPSの国内盤や輸入盤、そして別レーベルからも再発されておりますので、多くの方が複数の音を耳にしたことがあると思われますが、今回の復刻では、1952年LP初出時のマトリックス・ナンバーが記されたPHILIPSのアナログマスターテープよりハイビット・ハイサンプリング(192kHz/24bit)でデジタル化した上でCDマスターを作成。従来PHILIPS盤で発売していたものと比較すると、現代の詳細なデジタル化技術により音が鮮明になり、さらに合唱やソリストの鮮度が上がっていますので、聴感上、全体としてまとまりが良くなりました。元来オランダ・ラジオ放送ユニオンによって収録された当時でも、映画のサウンド・トラック収録とほぼ同じ形状のテープで録音されましたので、78回転SP盤より良い音質で記録されていました。今回の復刻では残されていたPHILIPSのアナログ・マスターの音を尊重しCD化を行いました。メンゲルベルクは、1895年にコンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者となって以来J.S.バッハの演奏に情熱を注ぎ、とりわけ「マタイ受難曲」を多く取り上げました。このライヴは第二次大戦直前の復活祭前日の日曜日の演奏で、それまで何十年も途切れることなく毎年演奏を行ってきたとのことですが、同年9月1日にドイツがポーランドに侵攻し勃発する第二次世界大戦により、以降は途絶えてしまったと言われています。その後の巻き込まれるオランダの命運と大戦後の変遷はメンゲルベルク自身にも降りかかることになります。そのような時代の背景もこの演奏を推す要素のひとつになっていることは確かで、純粋に音楽を鑑賞する以上の評価に繋がっていることは否めません。バッハの演奏スタイルが変貌し様々な試みも多い現代においては、はるか昔のスタイルの演奏と片付けることは簡単かも知れませんが、それがこの空前絶後の演奏記録の価値を下げる理由にはなりえません。むしろメンゲルベルクという偉大な指揮者を介して、時代背景まで取り込んだ貴重な音楽作品として鑑賞すべき演奏と言えるでしょう。今回の復刻では、矢澤孝樹氏による序文解説を新規で掲載しました。感覚的な演奏評価ではないこの盤の分析評価もあり、注目です。また、ジャケットは1952年のPHILIPSのLP初出時のデザインを使用しました。尚、当時の慣行に基づく曲目の割愛があります(詳細曲目はブックレット内に記載)。

タワーレコード (2015/10/08)

ヨハン・セバスティアン・バッハ:マタイ受難曲 BWV244
(録音された演奏を全て収録。当時の慣行に基づくカットあり)

【演奏】
カール・エルプ(テノール)[福音史家]
ウィレム・ラヴェッリ(バス)[イエス]、
ヨー・フィンセント(ソプラノ)
イローナ・ドゥリゴ(アルト)
ルイ・ファン・トゥルダー(テノール)[アリア]
ヘルマン・シェイ(バス)[アリア]
アムステルダム・トーンクンスト合唱団
ツァンクルスト少年合唱団(合唱指揮:ウィレム・ヘスペ)
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ウィレム・メンゲルベルク(指揮)

【録音】
1939年4月2日 アムステルダム、コンセルトヘボウ(ライヴ録音)