ミューザ川崎に出かけるのの、東響を聴くのも久しぶりである。
東京交響楽団 名曲全集 第169回
指揮:原田慶太楼
ソプラノ:小林沙羅
バリトン:大西宇宙
ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴスによる幻想曲
ヴォーン・ウィリアムズ(ジェイコブ編):イギリス民謡組曲
ヴォーン・ウィリアムズ:海の交響曲
ミューザ川崎シンフォニーホール
ヴォーン・ウィリアムズだけの作品による演奏会というのも珍しいが、この作曲家の第1交響曲である「海の交響曲」を実演で聴いたのは初めてである。
前半は、「グリーンスリーヴスの主題による変奏曲」から「イギリス民謡組曲」へ間を置かず、あたかも一つの組曲のように扱ったのは自然な流れでよかった。
特に印象に残ったのは、変奏曲。ピアニシモからピアノの間に幾重もの階層とニュアンスがあり、その繊細さと静かな呼吸に打たれた。
原田慶太楼の指揮に接するのははじめてであったが、この繊細さだけをとっても非凡な音楽家であることが分かる。
「組曲」も優れた演奏であったが、やはり、この作品はオリジナルのミリタリーバンドで聴く方が愉しい。このあたり、作曲者自身のオーケストレーションでない弱みのあるのは仕方なかろう。
メインの「海の交響曲」。
東響コーラスが圧倒的であった。
この長大なテキストと音符を暗譜するというだけでも、いつものことながら正気の沙汰ではなく、信じがたいことであるが、そのパフォーマンスも見事であった。
感染防止のため不織布マスクを着用のまま、さらに大きなディスタンスをとり、人数制限(出演者の大半を前後半で入れ替える)をするなど、何重ものハンディキャップを抱えながらも、「海の交響曲」を壮大なスケールで描ききった実力には脱帽する。
わたしの座席が、1階席下手寄りの前方だったこともあり、オーケストラがトッティで強奏すると聴こえにくくなったのは残念。
また、マスク着用の対策として発音をもっと明瞭にする、長いフレーズの後半に於ける発声の維持、転調時にハッとするようなハーモニーの色合いの変化などが為されていれば、さらに完璧だったと思われるが、全体の感動の前には小さな疵に過ぎない。
原田慶太楼の示す道筋は一点の迷いもなく明朗であり、オーケストラは柔軟に、そして自由な表現力で棒に応えてゆく。
小林沙羅と大西宇宙のお二人も、この作品の法悦感を見事に表現していた。
さて、大フィル合唱団の指揮者として、オーケストラ付き合唱団の置かれている立場の厳しさは分かっているつもりである。
本番に於けるハンディのみならず、レッスン会場の確保の難しさ、レッスン時の制約、また、経営側から見たときの団を維持するための負担など。
ただひとつ、本日の演奏を体験して、心底感じたことは、「東響には東響コーラスが必要」と言うことである。
「東響には、東響コーラスが似合う」と言い換えてもよいだろう。
新国立歌劇場をはじめとするプロの素晴らしさは認めつつも、どのオケの「第九」に出かけてもプロの合唱団では楽しくないではないか。
アマチュアにはアマチュアなりに、時間をかけてじっくり作り上げる音楽があり、ひとつの演奏会にかける想いも強く、それぞれの団の個性も羽ばたき、それが音楽文化の裾野を広げるのだ。
東京交響楽団と東響コーラスには、この受難の日々を乗り越えて頂きたい、と願いつつ、会場を後にした。