「ワルキューレ」第2幕で火の着いたオーケストラ。今宵「ジークフリート」では最初から終わりまで、メラメラと燃え盛っていた。
ティンパニはますます激しく叩かれ、金管は容赦なく咆哮し、低弦の唸りは劇場の床を震わす。音楽は常に呼吸し、テンポは自由に揺蕩い、神秘のピアニシモから歓喜のフォルティシモまでダイナミクスの幅も無限大であった。
歌手陣には全く穴がない。
東京春祭で我々を熱狂させたアンドレアス・シャーガーは、益々輝かしく伸びる声、破天荒なスタミナでもって、聴衆を興奮の坩堝へと誘い、やはり、東京春祭で芝居巧者ぶりを発揮したゲルハルト・シーゲルも卑しくも哀しみを背負ったミーメの神髄に迫った。
ヴィタリー・コワリョフ(コヴァリョヴ?)も、さすらい人の威厳を歌い、昨年、新国立劇場の「ジークフリート」に登場したというクリスタ・マイヤーもエルダの神秘を全身に漂わせた。
ペトラ・ラングは、「ワルキューレ」のとき娘であったブリュンヒルデが、女となりゆく様を本当に美しく表現した。炎を越えて訪れたジークフリートにより眠りから醒まされ、起こした主がジークフリートであることを知ったときの歓喜の瞬間が今宵の頂点であったことは間違いない。
そう、これを聴きにきたのだ!
としみじみ思わせてくれる会心の公演であった。